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★タイトル (GSC ) 96/ 9/22 0:14 (103)
10 ウクレレ
★内容
私の1年下級にNという生徒がいて、彼とはコーラスを通じて親しくなり、よく一
緒に遊んだ。
彼は全く人見知りしない性格で、自称、顔は真っ黒ガラガラ声の、一見粗野な感じ
の男だったので、最初彼の方から積極的に近付いて来ても、私はあまり好感を持てず
にいたのが、いつの間にか、彼の明るい性格に引かれ、二人で散歩に出かけたり、楽
器店を見て歩いたりする間柄となった。
かなり視力があって、スポーツマン タイプのNが、基礎レッスンを受けたことも
ないのに、ピアノで〈乙女の祈り〉や〈アヴェ マリア〉を楽々と弾いたり、チェロ
で〈新世界交響曲〉第2楽章のピッチカートの部分を巧みに演奏したりするので、い
ったい彼は小器用なのか、それとも本当に音楽的素質があるのかと、しばしば首を傾
げたものである。
Nは男性合唱団でバスのパートを受持ち、練習熱心で向上心もあった。
昼休みに私たちを散歩に誘い出しては、運動場の片隅・道端の生け垣のそば・公園
の木の下に立って、彼は必ず
「サア、歌おう!」
と言うのだった。
彼のだみ声はコーラスに向かないはずなのが、毎日歌っている内に段々と音程が定
まり、発声がよくなっていくのは不思議だった。
そして半年もすると、彼の歌声は見事にコーラス向きに変化し、歌唱力もグンと上
達して、全く違和感がなくなったのみか、むしろ彼が居ないと合唱が物足りなくさえ
思われるほどになった。
もう一人の友人Fと3人で、正月の三日間を過ごした思い出は懐かしい。
Nは弱視・私とFは全盲だから、何処へ行くにも、Nが真ん中に入り、その両脇に
全盲の二人が付いて、腕を組んで歩くのである。
最初の日は、知多半島沿いのFの家へ遊びに行って1泊したが、両親を含めてFの
将来につき相談するのが主な目的だった。
その頃、私はK鍼灸治療院に住み込みで働きながら学校に通っていたから、Fも修
業のため、私と一緒に苦学することに決まったのであるが、そのことは音楽と直接関
係ないので省略する。
Fには小学生の妹がいてNによくなつき、一緒に海辺へ行って、Nが写真を取った
りして遊んだ。
二日目は、3人で田舎の私の家に行き、二泊して遊んだ。
元々私の家は貧しくて、酒飲みの父の代には苦労したものだが、跡取りの兄がしっ
かり者だったのと、当時ようやく「神武景気」などと言われて、サラリーマンの兄の
給料も大分よくなってきていた。そういう家庭の事情を紹介する意味もあって、兄に
は迷惑だったが、友達を連れて泊まり掛けで郷里に帰ったのであった。
私の家は田舎だから、田圃や畑や川土手や野原は広々として、空気も清く、散歩と
コーラスには絶好の環境である。
〈古里〉〈希望の島〉〈山寺の和尚さん〉〈我が歌〉〈ウ ボイ〉〈懐かしのバー
ジニア〉〈線路の仕事〉〈ブルドッグと蛙〉……。
私たちは飽きることなく歌い続けた。
私はNより1年早く学校を卒業し、治療院に勤めるかたわら、教員養成校の受験勉
強をしていたが、そのK治療院へ、突然Nがウクレレを持って訪ねて来た。
ちょうど仕事の手が空いていたので、私は大喜びで彼を奥座敷に通し、久しぶりに
音楽談議をし、歌を歌った。
私は初めてウクレレという楽器を見たが、手軽に和音を付けて弾き歌いができるの
で大層気にいった。〈カウボーイの夢〉〈レッド リバー バリー〉〈我はフクロウ〉
など、当時は歌声運動やフォークソングがまだ盛んでなかった頃で、初めて教わる新
鮮なメロディーに、青春のすがすがしさを覚えたものだ。
頑固者で、普段小言ばかり言っているK治療院の主人も、Nのらいらくな様子にす
っかり気をよくして、その晩彼を家で泊まらせた。
Nと布団を並べて眠りにつく時、彼が言った。
「俺は卒業しても、音楽だけは絶対にやめないぞ。金を溜めてチェロを買うんだ。君
もヴァイオリンを買って、二人で合奏しよう!」
明くる朝、台風が近付いたと言う気象警報に、Nは慌てて吹き降りの中を帰って行
った。
「せっかく来たんだから、こんな雨の中、急いで帰ることもあるまい。」
と引き止めたけれども、彼は家が心配だからと言って聞かなかった。
常々私は、自分ほど不遇な身の上はないと思っていたが、何かの折りにふとNが言
った言葉を思い出す。
「君はまだいいさ。お兄さんがちゃんと頑張っておられるからな。俺などは、6畳一
間に全盲の両親と3人暮らしだぞ。」
日頃の彼を見ている限り、とてもそんな暮らし向きとは思えなかった。
Nと別れた翌日、そのNが突如、狭心症で亡くなったという知らせを聞いた。
あの強健な男が、夜明け方にほんの5分ばかり苦しんだだけで、あっけなく息を引
きとったという。全く信じられない話に、私は呆然となった。
告別式といっても簡素なもので、自宅の6畳一部屋に祭壇が設けられ、会葬者は、
雨のしょぼつく道路端に立って焼香した。
親類もほとんどないらしく、まばらな会葬者に向かって挨拶されるご両親の声が、
うつろに響くばかりだった。
そもそもNは実の子ではなく、全盲夫婦が養子にもらって育てた子供だということ
は後で聞いた。その両親の苦労が実って、ほどなく息子が14年に渡る学校生活を終
えんとする矢先に、この不幸だった。両親の気持ちを察する時、ただ『悲しい』と言
う言葉ではとても言い表せない心境である。
そんな二親をおいて、さぞかしNも心残りだっただろう。
今、私はウクレレをかき鳴らしつつ、Nと歌ったあの歌を思い出す。
我はフクロウ 楽しきフクロウ
勤め果たし 心さやか
今宵嬉し 星明かりに
我が古巣へ 帰らなん
アア 我らの森
我らが 古巣へ。
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