AWC    9 合唱 (1)


        
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★タイトル (GSC     )  96/ 9/22   0:14  (176)
   9 合唱 (1)
★内容

 盲学校では一クラスの人数が少ないので、科目によってはしばしば合併授業が行な
われる。
 私が6年生の頃、毎週土曜日の4時間目は、小学部3〜6年生合併で、音楽の時間
になっていた。
 30数名の小学生を3パートに分け、1部(第一パート)を女子全員・2部(第二
パート)を高音の男子・3部(第三パート)を低音の男子が受け持ち、私はBやGら
と共に3部を歌い、AやMは2部に所属していた。〈故郷〉〈ロング ロング アゴー〉
〈山の子供〉などの歌を楽しく合唱したものだ。


 中学の時、音楽のJT先生が転勤された後に、YS先生が来られた。この先生は上
野音楽学校(現在の東京芸大)出身で、当時名古屋放送管弦楽団の常任指揮者を勤め
ておられたから、盲学校にはすぎたる先生と言われた(もっとも、盲学校にこそ優れ
た音楽の先生は必要なのだが)。
 初めの内、YS先生の芸術家的雰囲気にとっつきがたい隔たりを感じていたのが、
何時しか、その巧みな指導法と細やかな心使いに引込まれ、生徒たちは深い信頼を寄
せるようになった。


 校内男声合唱団が組織され、立ち消えしそうになりながらも、徐々に実力をつけて
いったのは、ひとえにYS先生のお力だった。聞く所によると、先生は前任校におい
て、全日本合唱コンクール中学生の部で準優勝されたとのこと、コーラスの指導は最
もお得意な分野だったかも知れない。
 私は中学高校生時代に、合唱活動を通じて、コーラスの本質を知り、その魅力に完
全に取り付かれた。
 YS先生から教わった合唱の本質、すなわちコーラスの特訓の内容とは、およそ以
下のような物だった。

 まず第一に、イタリア式発声法である。それまで私が半ば軽蔑してきた、あの気取
ったような声の出し方こそが、クラシック音楽における歌曲や合唱には一番合理的な
方式であることを知った。
 第二に、明瞭な言葉と子音の強調であり、特に大勢で歌うコーラスにおいては、ナ
行・マ行・ハ行などを、大げさなくらいに発音しないと、聴衆に歌詞が聞き取れない
ということも分かった。
 第三に、音量の強弱による表現力の強化法で、クレッシェンドに続くフォルテ・フ
ォルテの後のピアニッシモが、音作りにとっていかに効果的であるか、身を持って学
んだ。
 第四に、詩の歌わせ方である。例えば、
「はるか へだつ うみの あなた」
「なにとて なみだわ ながる」
「ああ なごり おし」
「ゆめ みる ひとみ」
「むかしの うたを ゆっくりと」
「さみどりの そら かがやきて」
「よぞらの ほしも さく はなも」
「きてきの ひびきが なりわたれば」
 などの言葉を、心を込めて歌うにはどのようにすればよいのか、それは繰り返し練
習しなければ拾得しがたい高度な技術であった。


 盲学校の男性合唱団は、YS先生の地位と顔で、様々な行事に出演し、交流活動や
コンクールに参加して、その都度大好評を博し、ますます練習に磨きがかかった。そ
れらは皆、今思い出しても楽しい出来事ばかりである。

 1 校内の式典・行事には必ず男性合唱団が登場し、来賓や参観者の前でよく歌っ
た。ある来賓が、私たちのコーラスに感激して、
  歌の声 生きる力に 伸びる校
という俳句を書き置いて帰られたこともある。

 2 NHKの昼のラジオで、東海ラジオ子供の歌〈粉挽き小屋のおじいさん〉など、
7曲を放送し、素晴らしい発表の機会となった。

 3 カトリック系の女子校に招かれて、講堂の舞台で歌った時には、大層な感銘を
与えたらしく、その後毎日のように高校生からの感動の手紙が盲学校に届き、その手
紙を読んでは、逆に私たちが感激し、励まされたものだった。

 4 毎年、中部地区合唱祭というのが在って、YS先生の紹介で、何回か特別出演
させてもらった。盲学校の合唱団であるから、指揮棒を使わず、耳でお互いの声を聞
き合ってハーモニーを作らねばならないのに、一糸乱れぬ見事なコーラスができると
いうので、拍手がしばし鳴りやまなかったものだ。

 5 アメリカのウェストミンスター合唱団と言えば世界的に有名だが、当時YS先
生が常任指揮者だった〈東海メールクワイヤー〉との交換会が計画され、盲学校の男
性合唱団も招待してもらった。その夜はデパートのホールを借りて、シュークリーム
をご馳走になりながら、合唱を聞いたり歌ったりして、大層有意義な一時を過ごした。
 最初に某農業高校が〈荒城の月〉を歌い、次に私たちが〈獣が来た〉という黒人霊
歌を歌ったが、この時のハーモニーは完璧で、我ながら「出かした!」という満足感
で一杯になった。続いてメールクワイヤーが〈月光とピエロ〉を歌い、最後にウェス
トミンスター合唱団が、難解な宗教曲を歌った。
 初めて食べた本格的なシュークリームは豪勢で美味しかったが、はちきれそうなク
リームに四苦八苦し、手や口をベトベトに汚してしまったのも懐かしい思い出である。
 ウェストミンスター合唱団の指揮者ウイリアムソン氏は、挨拶の中で、
「大変見事な合唱を聞かせてもらって楽しかった。皆さんの歌は、私の自慢の7人の
孫たちよりもはるかに上手です。」
 と褒めてくれた。

 後になって考えてみるに、東海地区随一のメールクワイヤーと世界的なウェストミ
ンスター合唱団の前で、私たちは何故日頃に倍する実力を発揮することができたのだ
ろうか? という点につき、私はYS先生の心憎いアドバイスがあったればこそと、
敬服せずにいられない。
 すなわち、舞台に並んで、いざ歌い出そうという直前に、先生がおっしゃった。
「みんな、いいか! どうせ相手は世界の合唱団だ。お前たちがいくら頑張ったって
絶対にかないっこない。だから、胸を借りるつもりで気楽に歌え。」
 それを聞いた途端、今まで緊張していた全身の力がスーッと抜けて、もしかしたら、
それまでに歌った中で最高のハーモニーではなかったかと思えるくらいの見事な演奏
ができたのである。


 ところで、私たち合唱団のその頃のレパートリーは、各国の民謡・フォスターの歌
曲・日本の歌など20曲ばかり、いずれも短い曲ながら、無伴奏・男性四部合唱の編
成になっていた。

 私は三代目の団長に推薦され、YS先生の代稽古の形で団員の指導に当たったが、
それは青年時代の私にとって、爽やかな喜びであり、生き甲斐でもあった。


 そして忘れもしない、あれは私が名古屋盲学校を卒業する前の年のことだった。
 全国盲学生音楽コンクールに出ることを思いたち、年度当初の行事予定になかった
のを、なんとかして実現させたいものと夢中で奔走した。無理を承知で校長先生初め
諸先生にお願いして回り、生徒会長の了承を得たりして、やっとの思いで許可を獲る
ことができた時には、本当に嬉しかった。
 生徒の中には批判的な声もあったが、概してことは順調に運び、後は優勝を目標に
ただ練習あるのみとなった。
「必ず優勝してみせます! 今が合唱団の全盛期ですから、今年を逃せばチャンスは
ありません。是非、東京へ行かせてください。」
 と豪語した以上、何が何でも1位を勝ち取らねばならなくなってしまった。今思え
ば若気の至りとはいえ、その無謀・高慢なること身の毛のよだつ思いである。

 そこに、はなはだ困った問題が起きた。
 私より2年下級の生徒3人が、突如合唱団からの脱退を申し出て、再三の要請にも
かかわらず練習に出て来なくなったのである。この3名は、誰の目にもあきらかな実
力者で、声量といい音程といい申し分なかったので、たださえ部員の少ないコーラス
にとって、彼らの欠員は致命的といえた。
 私は懸命に説得を続けたが、3人はさしたる理由も言わず、ただ
「気が進まないから…」
 と言葉を濁すのみだった。
 おそらく彼らの心の内は、私などの下風に立ちたくないという気持ちと、時間に拘
束されたくないという我が侭な性格によるものだっただろうが、私の持っていき方に
も問題があったのかも知れない。けれども、当時の私は自分の至らなさに気付かず、
一方的に彼らの不道理だけを非難した。嫌がらせか勿体をつけているものと判断した
私は、ついに意を決した。
 ある日のリハーサルの折り、全団員の前で、三人を合唱団から正式に除名すべく提
案したのである。
「このように、いつまでも3人を当てにしていては練習に身が入らないし、言わば彼
らの思うつぼにはまっているようなものだ。このさい思いきって、我々の方から3人
を除名したい。そして彼らの後を充分に補い、彼らのいない合唱でどれだけ素晴らし
いハーモニーが作れるか、目に物みせてやりたいと思うがどうだろうか?」
 と話した。
 日頃不満に感じていた団員一同、私の考えに異義なく賛成し、決意を新たにしてく
れた。

 初めは歯の抜けたようだったコーラスも、パートを再編成して練習を重ねる内に、
物足りなさが薄れていって、いささかスケールは小さくなったものの、どうにか纏ま
りがつくようになった。

 1か月ほどYS先生が学校を休まれたことがあり、その間も練習は怠らなかった。
私は団長として、
「優勝を獲得するためには、例え僅かな乱れといえども許されない。YS先生に代わ
って自分が指導に当たり、遠慮なく注意したりやり直ししたりするけれども、個人的
感情は抑えてもらいたい。」
 と協力を求め、皆も納得してくれた。
 毎日昼休みと放課後には特訓が行なわれ、私が真っ先に音楽室で待っていると、団
員も早々に集合して来て、遅れたり欠席したりする者は少なくなった。

 ところが、音程も良くリズムや発音もよし、強弱や呼吸もぴったり合っているのに、
なぜかあの身震いするような音楽的感動がわいて来なくなった。どこかに不透明な要
素が混じっていて美しさを損ねているようである。たぶんコーラスに耳馴れし、マン
ネリになってしまったせいだと思っていたが、ある日やっと、YS先生が姿を見せた。
「先生、何故か前ほど綺麗な音が出なくなったような気がするんですが、何処が悪い
のでしょうか? 今から歌ってみますので、まずい所を直して下さい。」
 一ケ月間猛練習してきた成果を先生に聞いてもらいたくて、一同私の号令一過、懸
命に歌った。
 すると先生は、
「ヨーシ、ではみんな、口を大きく開けてみよ! 喉の奥からハアーッと息を吐き出
せ! もっと顎を下げるんだ。頬の筋肉が硬いぞ。」
 そして2、3の注意を追加した後、もう一度同じ曲を合唱させた。
「なるほど!」
 私の疑問はたちどころに解消した。
 発声が悪かったのである。あまりにも細かなテクニックに神経を使いすぎて、喉が
萎縮していた。何よりもまず、大らかに伸び伸びとした声で歌うゆとりこそ忘れてな
らなかったのである。
  『歌の声 生きる力に伸びる校』
 正にこの精神こそ大切だったのだ。






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