AWC    3 ハーモニカ


        
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★タイトル (GSC     )  96/ 9/22   0:11  (113)
   3 ハーモニカ
★内容

 数え年五つの時だったと思う。
 私は庭先にしゃがんで、小さなハーモニカを一生懸命吹いていた。
『白地に赤く 日の丸染めて…』
 けれどもその先がどうしても吹けない。
 ほろ酔い機嫌の父が、夕涼みの長椅子の上で、ヤキモキしながら私のハーモニカを
聞いていた。
「そこだ、そこだ。」
「『アア美しい』の所が吹けないな!」
「アア…、アアだ。」
「駄目駄目!」
「何故吹けないのだ」
「アアって所が何回やっても間違えてばっかしじゃないか。」
 などと盛んに言い立てるので、私はだんだん悲しくなって涙ぐむのだった。
 父は酒癖が悪く、毎晩のように酔っ払っては子供たちに小言ばかり言うので、例え
それが親心からの注意であったとしても全然ありがたくなく、ただただうっとうしく
感じるだけだった。

 それから幾日たったのか、その間の記憶は全くないが、いつのまにか私はハーモニ
カで色々な唱歌や軍歌をスラスラと吹けるようになっていた。
 ベース(低音伴奏)を入れることはできなかったが、長音階の曲なら、たいていの
メロディーは間違わずに吹けた。


 託児所へ通うようになって、私はいつも目の見える子供たちの中で小さくなってい
た。
 そんなある日、私がハーモニカを上手に吹くそうだ という話が出て、ある女の先
生が、
「ジャア、今度わたしが家からハーモニカを持って来て吹いてもらおうかしら。」
 と言った。

 数日後、その先生が立派なハーモニカを持って来て、みんなの前で私に吹いて聞か
せて欲しいと言った。
 が、いざとなるとどんな曲を吹いたらよいのか当惑してしまうものだ。私は結構ま
せた子供だったようで、託児所で教わる歌をハーモニカで吹いても、先生がオルガン
で弾くほどには迫力が出ないし、かといって、子供の癖に軍歌など吹くのは生意気そ
うに見える。しばらくはハーモニカを手に持ったまま照れながら迷っていた。
「これこれの曲」と、歌の題名を言ってくれればいいのにと思いつつ、『アア あの
顔で、あの声で』という軍歌の一節を2、3度吹いてみたりしている内に、誰かが、
「アラッ、暁に祈るの歌じゃない?」
 と言った。
 やがて周囲の子供や大人たちも様子が分かってくると、
「予科練の歌」
「軍艦マーチ」
「加藤隼戦闘隊」
「太平洋行進曲」
「勝利の日まで」
 など次々とリクエストを出し、私がそれらの軍歌をハーモニカで吹くのを聞いて、
皆は感心するのだった。


 話は変わるが、生来私は忘れ物が多い質で、大切な筈のハーモニカを持ち歩いて遊
んでいるうちに、置き忘れたり道で落としたりして、いつも兄たちに叱られていた。
 が、それにしても、私のハーモニカは兄たちの使い古しばかりだった。
 桝と桝の間のしきりが無くなっていてスースー空気が漏れるのや、リードがさびつ
いてよほど強く息を吹き入れなければ音が出ないような物ばかりだったから、新しい
ハーモニカが欲しくてたまらない。
 一度、病床の母にハーモニカを買って欲しいとねだったことがあるが、貧しい私の
家では無理だった。


 小学6年生の時、あるハーモニカの会社(メーカー)の人が盲学校へ宣伝に来て、
音楽室で、全校生徒にみごとな演奏を聞かせてくれた。音学担当のJT先生が、器楽
バンドを組織するというので、希望者に安くハーモニカを斡旋したものである。
 私はこの機会に思い切って、担任の先生から350円の大金を借り、23穴のハー
モニカを購入した。後で父親には叱られたけれども、この時初めて新品のハーモニカ
を手にした喜びは今も忘れることができない。


 最初、私のベースの音が小さくて友達の吹き方に比べ貧弱に聞こえたので、色々工
夫した結果、みんなと同じ音で吹けるようになった時は嬉しかった。そのやりかたは、
ハーモニカを大きく口にくわえ、吹き口に舌を広く当てたり離したりすればよいので
あった。


 中学生の頃には、寄宿舎の廊下の窓際に立って、毎日ハーモニカを吹いたものだ。
 〈絵日傘〉 〈十五夜お月さん〉 〈月見草の花咲く丘〉などの童謡や、〈三百六
十五夜〉 〈月よりの使者〉〈湯の町エレジー〉などの流行歌は私の得意な曲目で、
哀愁をおびた美しい旋律を前奏や間奏を付けて細かい節回しで吹くのが楽しかった。
 幾ら練習してもうまく吹けなかったのは〈丘を越えて〉と〈誰か故郷を思わざる〉
の前奏だった。これは速い十六分音符や装飾音が連続するので、ハーモニカで吹くの
は至難の業である。


 高校に進んでからは全然吹かなくなってしまい、新しい奏法をみがくこともせず今
日にいたっているので、半音付きハーモニカの操作や、何本ものハーモニカを取り替
えて複雑な曲を演奏したり、舌を使った分散和音やオクターブ奏法はできないが、自
分ではけっこう楽しめる。


 幼い頃から私はハーモニカによって音感を養われた。
 絶対音感は身に付かなかったけれども、異調読み(移動度法)のドレミファで歌を
歌ったり、相対的な三つくらいの和音なら聞き分けることができるのも、皆ハーモニ
カのお陰である。
「ハーモニカなどは楽器の部類に入らない。」
 と軽視する向きもあり、私自身、ハーモニカが吹けるのを別段ありがたいとも思わ
なかったが、これは大きな誤りであろう。近頃では、ピアノやエレクトーンのような
大型の楽器を練習する子供が増え、音楽環境は飛躍的によくなったが、逆にハーモニ
カのような手軽な楽器を持ち歩くことは滅多になくなった。

 また、最近の小学校教育で、1年生からハーモニカを習わせるのはよいことだが、
単リード製、1穴1音式の小型ハーモニカを持たせているので、あれは使いにくいだ
ろうと思う。何故なら、ハーモニカを口に大きくくわえて吹こうとすると、同時に幾
つもの音が鳴ってしまうから、上手に歌を演奏することができないのである。


 ところで、私が6年生の時に買ったハーモニカは、40数年間大事に机の引出しに
しまってある。今それを取り出して吹いてみると、中音のソの音が狂っている他は充
分使えるし、独特の音色を奏でて懐かしい。
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