AWC    4 縦笛


        
#4755/7701 連載
★タイトル (GSC     )  96/ 9/22   0:11  (106)
   4 縦笛
★内容

 ハーモニカバンドをやっていた小6の頃、トンネットという楽器を先生から借りて
来て、寄宿舎で同室の友達と盛んに吹いた。
 子供用のクラリネットともいうべき縦笛で、音域は僅か10度しかなかったが、半
音が吹けるのと手軽なのが気にいって、いろんな曲を練習したり、腕を競いあったり
したものだ。くすんだ音に情緒があり、音程が正しく調律されているのもよかった。
リコーダーが普及していなかった頃のことである。


 中学に入ってから、一時期休んでいたハーモニカバンドを復活させるというので、
音楽のJT先生が私を勧誘した。
 しかし、その頃反抗期だった私は、なんとなく男子が音楽などやることに気恥ずか
しさを感じて、先生の再三の勧めを頑なに拒絶していた。

 その日もハーモニカバンドの練習があったのに、私は放課後自分の教室にいた。
 男子の下級生が私を呼びにきたが、無論行く気はない。
「JT先生が待ってるぞ。」
 と言われても、
「僕はやめるよ。」
 と断った。
 すると今度は上級の女の生徒が呼びに来て、
「先生が随分怒ってみえるわよ!」
 と言ったが、私は動こうとしなかった。

 やがてJT先生が教室へ来て、
「竹木、トンネットを持って音楽室へ来ないかや。」
 と優しくおっしゃった。
「イイエ、僕はやめます。」
 そう私が言った途端に先生の様子がガラリと変わり、いきなり怒鳴りつけられた。
「馬鹿者! 何を言うか、この我侭者め! そんなことでどうするんだ。」
 そう言いつつ先生は私の側頭部を指で強く押した。
「どうするんだ。」
「・・・・・」
「どうするんだ。」
 2、3度頭を小突くように指で押されて、私は泣き出しそうになった。

 中学生にもなった男子が器楽バンドに入るのは恥ずかしいなどと考えたがために、
かえって私は皆の前で恥をかかされた。
 盲学校の児童・生徒は、概して過保護に教育されており、私も先生たちから滅多に
叱られたことがなかったし、ことに音楽は私の得意科目だったから、厳しいJT先生
に一度も叱られたことはなかった。それが今回、何人かの友達の面前で怒鳴りつけら
れ小突かれたのだから、自尊心を傷つけられたのは一通りでない。私は大好きだった
JT先生を逆恨み(というほどでもないが)する感じで一変に嫌いになった。嫌いに
なったというよりも、むしろJT先生に対して照れくさいと言う感覚を持ったのであ
ろう。思いなしかその後JT先生の方にも気まずそうな様子が見えたが、それは私の
気のせいだったかも知れない。

 そんなこともあって多少の反発を抱きつつも強引にバンド入りさせられてみると、
元々音楽は嫌いなことでないだけに、練習や演奏は楽しかった。
 学芸会では、〈ハンガリア舞曲 第5番〉 〈カッコー ワルツ〉 〈おもちゃの交響
曲〉を発表し、生まれて初めてレコーディングもした。テープ レコーダーなど無く、
録音技術の粗末だった頃のことだが、私の吹いたトンネットの音が、本物のクラリネ
ットのように美しく響き渡ったのを覚えている。

 翌年の春、JT先生は浜松の中学校へ転勤された。
 出来上がったレコード板は、数年間学校に保存されていたが、いつのまにか行方不
明になってしまった。


 その頃、ある笛好きの男が銀笛と呼ぶ金属製の縦笛を買って来た。
 音色は柔らかく透明で、音域も2オクターブ以上あり、値段も手頃だった。是非欲
しいと思ったが、ただ一つの難点は、嬰ハ長(Chis)に調律されていて、ハーモ
ニカと合奏できない恨みがあった。
 私はもしかしたらハ長の銀笛があるかも知れないと期待して、ハーモニカを携え、
行きつけの楽器屋で銀笛を見せてもらった。
 細身のスベスベした銀笛を両手に持ち、六つの指穴を全部ふさいでから、そっと口
に当てて息を送る。

「フウーッ」
 何ともいえぬ柔らかな音色が私の心を誘う。
「オ、これは、もしかしたらハ調ではないか!」
 私は〈絶対音感〉に自信がないので、念のため自分のハーモニカで『ド』の音を吹
いてみた。
「しめた!」(近頃なら、「やったあ!!」と言いたいところである。)
 ハーモニカの音とぴったり合うではないか! すなわち、希望通りハ長に調律され
た銀笛だったのである。

 早速購入して帰り、数人の友達も銀笛を買って来たので、寄宿舎は笛の音で賑やか
になった。
 朝食前や授業後には、部屋の窓から〈火の鳥〉や〈谷間の姫ゆり〉 〈さすらいの
ギター〉などの歌謡曲を吹くのが、遠くの方まで聞こえたものだ。


 私は義務教育の9年間を盲学校の寄宿舎で暮らし、特に中学生時代は大勢の友達と
の楽しい寮生活を送ることができた。詳しくは私の自分史〈中学生時代〉に書いたの
でここでは省略するが、中学を卒業後約6年間、私は住み込みのアルバイト生活に入
った。正に社会の荒波へ飛び込んで行ったのである。

 長年住み慣れた寄宿舎を出て、よその家に弟子入りするのは辛いものだ。自分の荷
物類を寄宿舎からアルバイト先の治療院へ運ぶ時のわびしい気持ちは何ともいえずや
るせない。
 その名残惜しさからか、それとも荷物が多過ぎたためか、私は大きなリンゴ箱を一
つ、アルバイト先へ運ばずに、寄宿舎の階段下の物置(倉庫)にこっそり仕舞ってお
いた。

 苦学生活が始まり、私は治療院から盲学校に通学するようになってからも、朝速く
例の寄宿舎の物置に潜り込み、リンゴ箱の蓋を開けては日用品を出し入れしていた時
期があった。
 ところが、ある朝、階段下の倉庫の扉を開けてみると、中の様子が全く変わってい
て、私のリンゴ箱も無くなっていた。おそらく、物品の入れ替えにより、何処かに紛
れ込んでしまったのだろう。
 リンゴ箱に入れておいた銀笛も、その時以来私の手から離れて行ってしまった。
--------------------------------------------------------------------------







前のメッセージ 次のメッセージ 
「連載」一覧 オークフリーの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE