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2 軍歌
★内容
私が小学校(盲学校小学部)1年生に入学したのは昭和19年(1944年)4月、
第二次大戦(太平洋戦争、戦時中は「大東亜戦争」と言った)が終了したのが昭和
20年(1945年)8月15日である。梶烽サの頃の歌と厚我ホ専ら軍歌であったか
ら、私は幼心にも、それらの旋律や部分的な歌詞をよく覚えている。
≒その頃の歌と厚我ホ専ら軍歌であったから、私は幼心にも、それらの旋律や部分的
な歌詞をよく覚えている。
無論、私は戦争に絶対反対であり、軍歌に歌い込まれている思想・心情に何等の共
感も持たないし、軍国思想の偏りや戦争の悲惨さは充分知っているつもりである。
が、そのこととは全く別に、軍歌の哀愁を帯びた旋律や勇ましい歌詞を思い出す度
に、幼い頃への郷愁を誘われるのはやむを得ないことであろう。
そして、戦争を知らない人たちにも、あのような時代が存在したことを、改めて思
い直してもらいたいと考える。
以下、私の記憶を辿って、幾つかの軍歌を紹介してみたい。
メロディーを楽譜に書いて示せば一番よいのであるが、私の力不足で、今回は断片
的な歌詞の紹介のみにとどめる。軍歌を収録したレコードや書物に、どんな物が在る
のか知らないが、正確な資料が手に入るのであれば、私のこんなうろ覚えの書き殴り
を読む必要は全くないのである。
学校に入る前の私は託児所に通っていたが、そこで教わった次のような歌からも、
当時の世相がよく分かる。
僕は軍人大好きよ
今に大きくなったなら
勲章付けて剣下げて
お馬に乗ってハイドードー。
肩を並べて兄さんと
今日も学校へ行けるのは
兵隊さんのおかげです
お国のために
お国のために戦った
兵隊さんのおかげです
明日から支邦(シナ)の友達と
仲良く暮らしてゆけるのも
兵隊さんのおかげです
お国のために
お国のために戦死した
兵隊さんのおかげです
兵隊さんよありがとう
兵隊さんよありがとう。
戦争末期には、ラジオから流れて来る歌のほとんどが軍歌ばかりだったから、私は
今でも、それらの歌の1番(ワン コーラス)くらいは歌うことができる。
『露営の歌』(軽快な短調)
勝って来るぞと勇ましく
誓って国を出たからは
手柄立てずに死なりょうか
進軍ラッパ聞く度に
瞼に浮かぶ旗の波?(母の顔?)
弾もタンクも銃剣も
しばし露営の草枕
夢に出てきた父上に
死んで帰れと励まされ
覚めて睨むは敵の空
思えば今日も戦いに
朱に染まってにっこりと
笑って死んだ戦友の
天皇陛下万歳と
残した声が忘らりょか
戦する身とかねてから
捨てる覚悟でいるものを
鳴いてくれるな草の虫
東洋平和のためならば
なんの命が惜しかろう。
(この歌は、当時最もポピュラーな軍歌ではなかっただろうか。)
『暁に祈る』(朗々とした短調)
アアあの顔で あの声で
手柄頼むと妻や子が
ちぎれるほどに振った旗
遠い雲間にまた浮かぶ。
(若い頃の伊藤久夫が歌っていたと思う。当時の歌手としては、浪岡宗一郎(文字
不明)・灰田勝彦・霧島昇らが活躍していた。)
『索敵航』(はずむような短調)
日の丸はちまき絞めなおし
グッと握った操縦管
万里の怒涛なんのその
行くぞロンドン ワシントン
空だ空こそ国?掛けた
天下分け目の決戦場。
(私の幼い頃の聞き覚えなので、不明確な箇所には疑問符を付けておく。)
『加藤隼戦闘隊』(長調、途中一部短調)
エンジンの音ゴーゴーと
隼は行く雲のはて
翼に輝く日の丸を
胸に描きし若鷲の
印は我らが戦闘隊。
(曲の途中に、短音階の朗詠歌が入るのが特徴である。)
『海行かば』(ゆっくりした長調)
海行かば
水く屍
山行かば
草むす屍
大君(おおきみ)の
え?にこそ死なめ
省みはせじ。
(歌詞は尊皇精神そのものであるが、荘調な曲想と演奏は、確かに完成度の高いレ
コードであった。)
『戦友の歌』(哀愁を秘めた短調)
ここはお国の何百里
離れて遠き満州の
赤い夕陽に照らされて
友は野末の石の下
アア戦いの最中に
真っ先駆けて突進し
敵をさんざん懲らしたる
……。
(この歌は14番まであり、亡き戦友を偲びつつ、悲しみ悼む歌である。)
『若鷲の歌』(明るい単調)
若い血潮の予科練の
七つボタンは桜に碇
今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ
でかい希望に雲が涌く
仰ぐ先輩予科練の
……
見事轟沈した敵艦を
母へ写真で送りたい。
(子供の時には4番まで完全に覚えていたのに、今では思い出せない。)
『轟沈の歌』(楽しい感じの長調)
可愛魚雷と一緒に積んだ
青いバナナも黄色く熟れた
男所帯は気ままなものよ
髭も生えます 髭も生えます
無精髭。
(硫黄島が玉砕した頃、盲学校の寄宿舎の演芸会で、私はこの歌を全曲歌ったのを
思い出す。3番の「轟沈 轟沈 凱歌が上がりゃ…」という箇所では、100人余の生
徒たちが一斉に大声で歌い出したものだった。)
『麦と兵隊』(軽快な短調)
徐州徐州と人馬は進む
徐州良いか住み良いか
しゃれた文句に振り返りゃ
お国訛りのおけさ節
髭が微笑む麦畑。
(当時は何の気無しに歌っていたが、戦争の史実を読むと、徐州作戦がいかなる意
図で行われたものか、それがどんなに酷烈な戦いであったのか、深く考えさせられ
る。)
『ラバウル小唄』(軽快な長調)
さらばラバウルよ また来る日まで
しばし別れの涙が滲む
恋し懐かしあの星見れば
椰子の葉陰に十字星。
(『ラバウル航空隊』という歌もあって、ラバウル作戦の重要性を再認識させられ
る。)