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★タイトル (TRG ) 96/ 6/22 21:40 (200)
感想を書こう>私家版・司法神官ドラクーン(2/5)松虫
★内容
「わかりました。では」
賊の方に向かおうとする背中にディップが声をかけた。
「あの、女性の方、失礼ですがもしやラール=ジェネリーズ前伯爵
閣下では?」
できれば思い出したくない名前だった。わたしは一般信者むけの
微笑みを顔に貼りつけ、しなを作って小首をかしげて見せた。
「どなたかとお間違えかしら? 隅に置けませんこと」
女として生きていくことは神官になると決めたときから諦めてい
る。とはいえ持って生まれた特性を生かさない手はない。うぬぼれ
ではなく、十人並み以上の器量だという自覚はある。
「あ、いや、これは……失礼、人違いだったようで……」
年甲斐もなく頬を赤らめてディップが口ごもった。隣にいた恰幅
のいい中年女がディップの尻をつねりあげた。
「いつもあの笑顔と態度で僕にも接してくれないかな」
ルースが走り出しながら言った。こわばった心を軽口でほぐして
くれる心遣いが嬉しい。
「ご冗談。半日も経たないうちに顔もからだも引きつっちゃいます」
遅れまいと足を速める。
「挟み撃ちにしよう。きみはできるだけ目立つように正面から追っ
てくれ」
「了解」
ルースの小さな体が人ごみに紛れ込んだ。普通の男より頭半分は
背の高いわたしがおとりになるのはいつものことだった。
『飛魚』はまだ市場の外れにいた。これ見よがしに跳躍を繰り返し
ている。
懐の皮袋から石飛礫をつかみ出し、大きく飛んだ落ち際を狙って
ふたつ立て続けに放った。鳥のように空中で方向を変えない限り、
ひとつ目をよけても、もうひとつを逃れることはできないはずだ。
が、二つめを投げ終わった瞬間投げた腕に衝撃が走り、目の前が
真っ赤に染まった。飛礫を投げた腕に向かって何かが飛んできたら
しい。
反射的に地に伏せた。腕はしびれているが、骨に異常はないし、
まだからだは動く。額に手をやると、ぬるっとしたやわらかいもの
が張り付いていた。固まりかけた血だった。すぐそばに骨付きの肉
が落ちている。これが腕に当たって、血の塊が顔にかかったようだ。
どうやら、腕を振る動きを読んで『飛魚』が投げてよこしたもの
らしい。肉がちぎれ、穴が開いている。探ってみると、骨にさっき
の飛礫がめり込んでいた。防御と攻撃、というよりは警告を兼ねた
わけだ。『飛魚』に完全に遊ばれた上、行方も見失っていた。
とはいえ、こんなところにいつまでも寝転んでいるわけにもいか
ない。気を取り直して立ち上がり、『飛魚』が最後に飛んだ場所に
向かった。
すでに『飛魚』の姿はどこにもなかったが、どちらに向かったか
は簡単にわかった。ルースが地面に目印を残しておいてくれていた
のだ。わたしの死角を狙ったつもりの『飛魚』は、逆にルースに死
角に入られていた。わたしが失敗さえしなければすでに捕らえてい
たかもしれないが、いまさら言ってみても詮無いことだ。
3
目印は町の外れでふいにとぎれていた。近くには神殿が地震でつ
ぶれたままになっている。氏子たちは自分の生活で復旧どころでは
ないのだろう。おそらくは被害にあっているとき一番その名を口に
しただろうに。
ほかには崩れかけた裏山と、ずたずたになった参道、それを取り
囲むちょっとした林が見えるだけだった。
まさかルースが捕らえられるとは思えない。ほかに目印がない以
上は……。
目印の消えたあたりの地面を注意深く探してみると、小さな足跡
がいくつか途中でなくなっているのがわかった。すぐそばには倒れ
た鉄の扉がある。
扉の正面に立たないようにしてゆっくりと持ち上げた。地面に穴
が開いていた。下り階段が見える。地下室のようだ。しかし、神殿
の近くに民家のあった形跡はない。とすれば、神殿の地下への入り
口ということになる。
もう一度あたりを見回し、ルースからの通信文がないのを確認し
て、地下に降りる腹を固めた。中に入ってから扉を元どおり閉じて
おく。
入り口が少しつぶれていて、背嚢を背負ったままだと入りづらい。
地下室の中に地震でできた岩の裂け目があり、足跡はその中に消え
ていた。かなり深い。そこを抜けると降りたところは立派な地下道
だった。岩壁が滑らかに続いていて、賊を見逃す気遣いもないかわ
り、こちらが見つかった場合の逃げ場もなかった。
暗いのかと思いのほか、奥の方から漏れてくる薄明かりで足元は
よく見えた。こんな昼間から照明を使うとは、よほど燃料に不自由
していないのだろう。それにしては煙のにおいがしないのが不思議
だった。
いくどか角を曲がったところで地下道が終わっていた。地上でい
えば方角と距離から神殿の入り口あたりだ。出口が四角く輝き、そ
の先が広がっていることを示している。目に見える範囲に誰もいな
いのを見定め、出口から少し顔を出した。やはり人影はない。
そこは広間のような場所で、やけに天井が高かった。四方を取り
巻く壁には何度か見たことのある遺跡特有の装置が埋めこまれ、人
の手の届かないところは滑らかな暗い平面になっていた。これまで
の遺跡と違っているのは、埋めこまれた小さな水晶玉が光り、小さ
な穴から音が聞こえていることだ。こんな遺跡は見たことがない。
さらに驚いたのは天井だった。全体が光を放っているのだ。中で
火を焚いている様子はない。それに熱もほとんど発していないよう
だった。地下道に漏れていたのはこの光だったのだ。
「生きてる遺跡は初めてかしら?」
突然若い女の声がした。振り向くと少女がひとり立っていた。
「ようこそ地下神殿へ、司法神官様」
人のいる気配はなかったはずだ。驚いているわたしを少女はにや
にやと笑いながら見つめていた。黒い巻き毛の下で緑水晶のような
瞳が天井や周りの遺跡の光を受けて輝いている。その服装に見覚え
があった。
「あなたが……『飛魚』さんですね?」
「物覚えはいいようね。さすがだわ」
わたしを小馬鹿にするような薄笑いを口元に浮かべた。
「お尋ね者の怪盗『飛魚』が女の子だったとは意外でした」
あせりを悟られまいと平静を装う。それに、さきほど一本取られ
ている精神的不利を背負ったままではまずい。なんとか相手の平常
心を奪って、動きだけでも殺さなくては。
「あたしも司法神官がこんなおばさんだとは思ってもいなかったわ」
むかっ。
たしかに年増には違いないが、そんな呼ばれ方をされるほどの年
齢差はないはずだ。
「司法神官は才能さえあれば誰だってなれます。年も性別も関係あ
りません」
違う。こんな話をしている場合じゃない。『飛魚』への対抗心ば
かりが先走ってしまう。
「才能はともかく度胸だけはほめてあげるわ。さっきの今なのによ
くひとりでここまで来れたわね、おばさん」
やはりこちらのことを承知の上でのふるまいだったわけだ。しか
し、心を乱されては相手の思う壷だ。気を静めなくては。
「年上に対する口の聞き方を知らないようですね、お嬢さん。しつ
けが必要ですか?」
「あーら、まだ遊んでほしいの、おばさん?」
挑発しているのは十分わかっていた。しかしすでに歯止めが利か
なくなっている。
「小さい子を泣かしてはかわいそうだから遠慮したまでですよ」
「まあ、とっくにあがっちゃってる人はさすがにいいわけもお上手
ね」
『飛魚』の少女はそういってけらけらと笑った。
「どうしたの? 手が震えてるわよ、お・ば・さ・ま」
「おだまりっ」
鉄杖を振るった。怒りというより一度打ち負かされた相手と二人
きりという不安だった。だがすでにそこには『飛魚』の姿はなく、
体勢を崩したところを横から蹴りつけられた。足の出た方に向き直
って身構えたとたん、背中に衝撃を受けた。相手が速すぎるのだ。
神官服の下に装甲板を入れてあるのでたいした被害はないが、逆に
それが動きを鈍くしている。常に死角に回られ、わたしの動きでは
付いていけない。
鉄杖を横薙ぎにして進路を確保し、前転で壁際にたどり着いた。
壁を背負っておけば、とりあえず後ろからの攻撃はない。
「あらあら、あたしを捕まえに来たんじゃないの?」
言われなくてもわかっている。
「あなたは人間ですか? それともエルフ?」
『飛魚』の人間離れした動きに、いつしか亜人種のルースを重ねて
いた。
「さあねえ。どっちがいい?」
「別に答えてもらわなくてもいいんですよ」
「そうね。知ってもどうなるものでもないし」
「どういうことかしら?」
「あたしがなぜあなたに顔を見せたかわかる、おばさん? 闘いや
すいというだけじゃなくて、ここから帰す気がないからよ」
『飛魚』が一歩前に進んだ。右手にはいつのまにか短剣が握られて
いる。
わたしは完全に『飛魚』に飲まれてしまっていた。まったく勝て
る気がしない。相手の前進に合わせてずるずると後退し、壁に背中
を押しつけた。
背嚢が何かに当たって金属音がした。皮袋から空気が漏れるよう
な音とともに壁の一部が動いた。一瞬『飛魚』の注意がそっちに向
けられた。今しかない。
壁を蹴った。空中で向きを変え、床と平行に足から『飛魚』の左
膝に当たっていく。並の人間なら関節がひとつふたつ増えそうな危
険な攻撃だが、相手が相手だけに手加減している余裕はない。
「ぎゃっ」
なんだ、『飛魚』も攻撃を受ければ悲鳴をあげるじゃないか。
関節破壊まではいかなかったものの、靭帯をかなり痛めたようだ。
左足を伸ばしたまま引きずっている。これで右手に持つ短剣の威力
が半減するはずだ。
鉄杖の石突きを繰り出して『飛魚』をのけぞらせておき、浮いた
左足を右足で払った。当然痛めた左足をかばうために右手で受け身
を取る。その瞬間を狙って右手を鉄杖で打った。短剣が宙に舞う。
体力と敏捷性以外では『飛魚』はまるで素人だ。機動力さえ奪って
しまえば、実践訓練を積んだわたしの敵ではない。
『飛魚』に馬乗りになり、鉄杖を使って首を押さえこんだ。一瞬、
『飛魚』の深緑色の瞳が奇妙な光を帯びたように見えた。背筋が総
毛立った。勘と経験が警鐘を鳴らしている。
立ち上がろうとしたとき、さっき動いた壁のむこうから複数の足
音が聞こえた。
「仲間がいたのか」
手をゆるめたわたしを弾き飛ばして『飛魚』があとずさった。そ
の『飛魚』の前に立ちふさがったのは二十人を超える子供たちだっ
た。
4
「レックス姉ちゃんになにするんだ」
「レックスをいじめちゃダメ」
「帰れよ、ばか」
三歳ぐらいの女の子がとことこと歩いてきて、わたしのむこうず
ねを蹴飛ばした。慌てて逃げさり、『飛魚』の背中に隠れてこちら
をにらむ。
「あなた、レックスっていうの。意外と人望がありますね。この子
たちは?」
「見てのとおり、災害孤児たちさ」
子供たちはまちまちの服を身にまとっていた。垢じみたり擦り切
れたものもある。さっきの市場で見かけた食べ物を手に持っている
ものも何人かいた。
「あなたが派手に立ち回ってるあいだに、この子たちが物を盗むわ
けですね」
「危ないからめったにやらないんだけどね。たまには暖かいものも
食べさせてやりたいし」
「盗賊したお金があるのではありませんか?」
「そんなもん、あっというまさ。子供だと足もと見られるからね。
警戒はどんどん厳しくなるし、町が落ちついてくるにつれて動きに
くくなるし」
「盗賊もそう楽な稼業じゃありませんね」