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★タイトル (TRG ) 96/ 6/22 21:31 (200)
感想を書こう>私家版・司法神官ドラクーン(1/5)松虫
★内容
司法神官ドラクーン
原作:みのうら
翻案:宵寺 松虫
プロローグ
山が身震いした。
アロザ=ウルスは思わず尻餅をついた。確かにしこたま飲んで、
支払いが足りなくなって店を蹴りだされたが、足のろれつが回らな
くなるほどではない。家までの近道にこの山中の隘路を通ってもま
だ大丈夫な分量だ。
顔を上げて、思わず呻いた。山が立ち上がろうとしていたのだ。
アロザの目の前の丘から巨大な人の腕のようなものが突き出て、上
体を起こそうとするようにあたりを探っている。
「飲みすぎちまったか?」
すこし後悔した。この道を通るときはいつもひとりだ。というよ
り、ここを知っているものは地元でもあまりいない。のびてしまっ
たら最後だ。
慌てて起きあがろうとするところを揺れの第二波が襲った。足元
が崩れ、崖下へすべり落ちた。上から土砂が降ってくる。夢中でそ
ばにあった横穴にもぐりこんだ。肩や足腰をしたたか打っていたが、
それどころではない。
横穴の入り口からのぞくと、巨大な腕が大地を押さえて胴体が出
てくるところだった。腰のあたりが輝いている。腰が外へ出るにつ
れてじわじわと光が広がった。土埃を照らして光のカーテンを作っ
ている。
地面から持ち上がった人の胴体に当たる丘の向こうで頭と思しき
岩の塊が、南天の三日月に向かって吠えた。
「月だと? ばかな、今日は朔日だぞ」
もっとよく見ようと入り口に近づきかけたとき、巨人の足元から
火柱が立った。続いて轟音が届く。火柱の立ったところから真っ赤
に輝く液体が流れだした。巨人の周りにいくつもの火柱が踊りはじ
めた。
焼けた岩石がアロザのいる方にも飛んできた。慌てて横穴の奥に
逃げこむ。大地の激震で、なかなか進めない。頭の上が崩れはじめ
た。目の前に岩塊が落ちてきた。頭を抱えてうずくまった。
地面につけたあごや手足を濡らす感触に顔を上げると、岩塊が割
れて中から液体が流れだしていた。背後にある入り口からさす噴火
の光に照り映える液体は、血の色に見えた。
轟音の中に呻き声のようなものが聞こえた。岩塊の方に目を凝ら
すと、割れた部分の縁で何かが動いていた。こちらは普通の大きさ
の人の腕だ。
恐る恐る伸び上がって上からのぞきこんだ。岩塊の窪みを満たす
液体の中に全裸の少女が浮かんでいた。アロザが見つめる中、少女
がゆっくりと目を開けた。
1
「どう思うかね、ルース神官長?」
温厚な声で主席司祭が尋ねた。
「正確なところは現地を調査してみないとなんとも申し上げられま
せんが……」
ルースはさすがに慎重な物言いをした。わたしに対するいつもの
自信たっぷりな口調とは大違いだ。
「さしあたって問題なのは、どうしてこの報告書が今まで埋もれて
いたのかってことですね」
「うむ、あの大惨事だったし、いかにティシュトリヤ大公のお膝元
とはいえエサウは田舎町、中央から離れるほどに規律が緩むのもや
むを得まい」
「それならば案ずることもありませんが、ティシュトリヤ大公家は
とかくのうわさのあるところ。あまり報告を額面通りに受け取るの
もいかがかと」
「それが私の仕事でもあるからなあ」
顎鬚をなでながら主席司祭が目を閉じた。
「心得おります。それを補佐するのも私の役目」
「頼む」
「は。では……」
ルースがちらとわたしの方を見た。
「このマイラを連れてまいります」
「うむ、きみたち二人ならめったなこともあるまい」
「そう願いたいものですが、この報告書の暗に示すところが真実な
ら、最悪の場合エサウは壊滅でしょう」
一瞬主席司祭が悲しそうな目をした。
「せっかく復旧が進んでいる町だ。何とかしてあげておくれ」
「できうる限り」
言いながらルースが立ち上がった。わたしもそれに倣う。
「では出発いたします」
ひと月ほど前、帝都から陸路で七日程のところにあるティシュト
リヤ大公領の火山が噴火し、麓のエサウという港町が壊滅的被害を
被った。家屋の四分の三が溶岩流で焼失もしくは火山性地震で倒壊。
夜間のことで避難が遅れ、住民の半数に当たる約七千人が死亡した。
この中には災害の夜以来行方不明のティシュトリヤ大公も含まれて
いる。帝都の貿易の何割かをエサウが担っているため、大公の娘・
アルドヴィーの要請によって帝都からも災害派遣軍と救難物資が送
り込まれ、最近ようやく貿易港としての機能が復旧しつつあるとい
う。
そのときの被害報告の中に、つい最近までエサウ軍の災害対策本
部すら把握していなかった情報が含まれているのが数日前に発見さ
れた。
「でも、あれは酔っぱらいの目撃報告なのでしょう?」
背嚢の肩当てを直しながらわたしはルースに尋ねた。歩くペース
は落とさない。わたしたち司法神官の訓練を積んだものなら、エサ
ウまでは二日もあれば徒歩で着ける。
「うん。だけど内容が気になってね」
わたしよりはるかに小柄で歩幅もそう広くないはずのルースの方
が、ともすればわたしより速いペースで歩いていく。ただでさえ女
としては背の高いわたしだ。はたから見ればまるで小さな子供にひ
っぱられる母親の図だろう。
普通に結婚していたとしたら、二十三にもなればもう七・八歳の
子供がいてもおかしくはない。行き遅れと思われるのはかまわない
が、何とはなしにそんな連想をしてしまうのが情けなかった。
「溶岩を泳ぐ巨人を見たと言うことでしたよね。たしかにしらふの
人間の証言なら『遺跡』の可能性もありますけど……」
「僕の気になったのは、別の証言の方さ」
「え? ほかに何かありました? ああ、山で女の子を拾ってきた
とか」
「じゃなくて、三日月を見たと言ってたろ」
「あれですかあ? だってあの日は新月ですよ。わたし、それで酔
っぱらいのたわごとだと思ったんですけど」
「酔っぱらいの職業を覚えてる?」
「ええと、確か……漁師……」
「漁師が月を間違えると思うかい?」
「あ」
月の満ち欠けと潮の干満時間は連動している。漁師にとっては月
齢は生活の一部だ。なのに彼は新月でも月を見たと証言した。
「漁師としての常識を疑われてまでそんな証言をするのは、彼が確
かにそれを見たから?」
「と、僕は考えたんだけどね」
「だとすると可能性は大きいですね」
「危険性もだ」
「ルース、急がなくては」
「急がなきゃいけないのはマイラの方だろ?」
気が付くと、ルースは二十歩も先を歩いていた。
その昔、人は神になろうとしていたという。馬の力を借りずに大
地を駆け巡る馬車に乗り、鳥よりも早く空を飛び、星に手を触れる
までになっていた。そして自分たちの代わりに働く生命を作り出す
に至ってついに神神の怒りを買った。天空から雷と流星が降り注ぎ、
大地は裂け、嵐と津波と洪水が世界を飲み込んだ。
生き残った人びとはすべてを失い、知恵を捨ててひたすら生きる
道を選ばざるをえなかった。夜を照らしていた光が消え、この世の
すべてがいながらにしてわかる鏡や地上をくまなく結んでいた声を
運ぶ箱も言い伝えになっていった。書物もなくなり文明は急速に衰
退した。人は皆その日の糧を求めることだけで精一杯で、過去を振
り返る余裕はなかった。
人が少し増えはじめると、人は他の人少しでも多くを得ようと争
うようになり、戦乱がこの世を支配した。戦いはより効率的な殺戮
手段を発展させる。強力な武器や兵器の研究・開発、そのための資
源調査が偶然『遺跡』を発見させた。見つかった大多数の遺跡は壊
れていたが、中には一部が機能したり暴走したりするものもあった。
機能するものは農耕地の水源確保などに利用できたし、暴走したも
のは付近の村や町を破壊した。
今回の報告にあった「巨人」もその遺跡の暴走の可能性が高かっ
た。十四人の神官長のなかでもわたしの神殿付属学院の恩師・ルー
ス=リンクスは特に遺跡に関心が強く、報告を知るや否や主席司祭
に現地調査を申し入れたのだ。
2
「かっぱらいだあ、捕まえてくれえ」
エサウの街に入ったとたん、怒号が耳に入った。
行政監督部署などの町の中心部と港湾施設優先で復旧作業が進め
られているため、市場や繁華街はまだ掘っ立て小屋やテントのまま
営業をしている。それでもある程度の復興景気で人通りは多い。
その人ごみが波のようにうねっていた。うねりを作り出している
のは、仮設店舗とその店員や通行人の上に時折身を躍らせる影だっ
た。影は人ごみの間を縫い、追っ手をかわし、取り囲まれると宙に
舞った。テントの柱を、人の頭を、積み上げた荷物を蹴って飛ぶそ
の姿は、立場を忘れることができたなら、華麗な演舞を鑑賞してい
る気分にさせてくれただろう。
「どうします?」
ルースに尋ねた。いちおう窃盗犯人逮捕も司法神官の任務の範囲
だ。しかし、今回は完全に目的が違う。治安より優先すべき任務を
控えていた。
「もう遅い。通行証がいらないと思ってこのいでたちで来たのは間
違いだったよ」
白い神官服を目にとめて、人が集まってきていた。
「神官様、あいつを、『飛魚』を捕らえてくだされ」
「ご覧になったろう。屈強の男が何人がかりでもらちがあかん」
「市場だけじゃねえ。隊商は襲われる、船の積み荷はやられる、手
がつけられねえ」
「この町のエーリック神官は、復旧の方が忙しくて手が回らないん
だ」
くちぐちにわめきたてる人びとを手をあげてなだめた。
「落ち着いてください、皆さん。そう一度に申し立てられても困り
ます」
口髭を貯えた頑強そうな初老の男が進み出た。
「わたしがこの市場の元締めをやっておりますディップ=ロドーク
と申します」
ディップは値踏みするようにわたしたちを眺めた。
「失礼ですが、息子さんで?」
司法神官は原則として結婚はできないが、子供を産んでから神官
になるものもいれば、正式に認知できない子供を持つものもいる。
前例は多くないものの、還俗して結婚できる道も残されてはいる。
「いえ、わたしの上司、ルース=リンクス神官長です。わたしは平
神官のマイラ=ジェネリーズ」
人びとの間にざわめきが起こった。明らかな失望の声を漏らすも
のもいる。しかたがないこととはいえ、やはりルースの外観に威厳
を感じるものは少ない。成長の遅い亜人種は三百歳を越えていたと
しても見た目にはただの子供だ。わたしだって初対面のときには痛
い目にあっている。
「賊を逃がします。手短にお願いします」
気にもとめずにディップを促す。
「そうでした、そうでした。実は奴はお尋ね者の盗賊で『飛魚』と
呼ばれておりまして、噴火からこっち、あのすばやさ、神出鬼没の
機動力で暴れまわっております。これが手配書で……」
ディップが懐から紙切れをひっぱりだした。ルースが受け取る。
上からのぞきこむと、目つきの鋭いやせぎすの男の顔が描かれてい
た。