AWC 川島俊介『通り雨』4


        
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★タイトル (HKM     )  96/ 5/30   1:47  (102)
川島俊介『通り雨』4
★内容
突然目の前が真っ白になった。対向車線を走ってきたトラックが、すれちがいざま
溜まっていた路面の水を跳ねかけて行ったのだ。
「おお怖。こんなところで事故りたくないぜ」
「でも新聞に出るよ。『M大生二人死傷。雨の知多半島道路』って。そしたら有名人
よ」
「おまえそれ冗談になってないぞ。ぼくは嫌だからな。死んでから有名になってどう
すんだよ。ところで死亡するのはどっちなんだ?」
「運転手」
「助手席の方が死亡率高いんだぜ」
「俊介ならかばってくれるもんね」
「いざとなったらわからねえよ」
 由希子と冗談を交わしながらも、ぼくの運転は慎重になった。

 知多半島道路を降りても雨は止む気配を見せなかった。
「ほんとに止むのか。この雨」
 走りながらぼくは少々焦れて言った。この雨が止まない限り星を見ることはできな
い。
「と思う」
「それは期待だろ」
「まあ、ね」
 由希子も少し不安に思っているようだ。
「とにかくどこかに駐めて様子を見るか」
 ぼくは車の通りがほとんどなさそうな道の左端に車を寄せた。

 雨はますます激しくフロントガラスを打ちつける。このまま雨の上がるのを待つの
は退屈である。
「何か聴くか?」
 と由希子に訊くと、尋ね返された。
「何があるの?」
「ダッシュボードの中にCDジャケットが入ってる。好きなの選んで入れろよ」
 由希子はCDジャケットを取り出すと、それをパラパラとめくりながら言った。
「俊介の趣味ってわかんないなあ。ロックにジャズにニューミュージックでしょ。洋
楽もあるしクラシックもある」
「幅が広くていいじゃないか」
「無節操なんじゃない?」
 由希子はそのうち一枚を選んで取り出すとぼくに手渡した。
「これがいい」
 由希子がぼくに渡したのはドビュッシーだった。
「この雨にドビュッシーか。それもいいかも知れないな。ミスマッチで」
 CDをスロットに挿入すると間もなくメロディが流れてきた。雨の音にかき消され
てよく聞こえない。ぼくはボリュームを上げた。シートに振動が伝わってくる。
「わたしこの『月の光』が好きなんだ」
 由希子はそう言って、窓に打ちつける雨を見やりながら、しばらくの間音楽に耳を
傾けていた。ぼくもまた雨の音を縫うように流れるメロディに聴き入っていた。

 CDが二回目の演奏に入る頃になってようやく雨が小降りになってきたかと思うと
ピタリと止んだ。降り始めたのも突然であったが、止むのもまた突然だった。夏至の
近い空は、七時を過ぎても明るさを残していたが、雨雲はどこかに消え去ってしまっ
ていて見えない。

「ほらね。止んだじゃない。もう少し暗くなれば星がよく見えるよ」
「そうだな」
 雨が止んで星が見られそうだと思うと、ぼくは少しホッとした。これで由希子の希
望がなんとかかなえられる。

 あたりがすっかり暗くなると、ぼくたちは車から降りた。月もない漆黒の闇である。
すぐ傍らの木立さえよく見えない。空は満天の星だった。名古屋ではほとんど見えな
い天の川が空をゆったりと横切っている。
 由希子は長い間一言も話さずに空を見上げていた。ぼくもまたそうだった。

 蛙の声だけが響き渡る長い沈黙の時だった。
 ぼくは突然あたたかいものが後ろから回り込んでくるのを感じた。由希子がぼくの
後ろにまわり、ぼくの腰のあたりに腕を回してきた。
「俊介」
 と由希子はぼくの名を呼んだ。
「何?」
「俊介」
 由希子はぼくの名をもう一度口にした。回した腕に力が入っている。
「だから何さ?」
 由希子の手を取って振り向いたぼくの顔を、由希子は見上げているらしかった。そ
れすらよくわからないほどの暗闇だった。
 由希子はもう一度「俊介」とぼくの名を呼ぶと、顔をぼくの背中に押し当てたまま
言った。
「しよ」
 ぼくはそれに答える代わりに由希子の唇を塞いだ。由希子はぼくの首に腕を回して
強く抱きしめてくる。

 狭いMR2の車内でぼくは初めて由希子を抱いた。由希子はいつまでもぼくを離そ
うとはしなかった。黙ったままぼくを固く抱きしめている。
「由希子」
 ぼくは初めて由希子という名を口にした。互いを抱いたまま、ぼくたちは動こうと
しなかった。

 どのくらいの時間が経ったろう。由希子はふいに腕の力を弛めると口を開いた。
「ねえ、俊介。今日はここに泊まろ」
「いいのか?」
 問い掛けるぼくに由希子は黙って頷いた。そして再びぼくを抱く腕に力をこめた。

 窓の外に星を眺めながら、ぼくたちは手を取り合ってシートに横たわった。センタ
ーコンソールが邪魔に思えた。

 由希子が寝息をたてはじめても、ぼくはまだ眠ることができなかった。ただ由希子
の手の温もりを感じて横たわっていた。
 これで良かったのだろうか。そんな思いがぼくを眠りから遠ざけていた。


 計ることのできない時間が流れて、やがて空が白んできた。由希子はまだ寝息をた
てている。何事もなかったような静かな寝顔だ。
 ぼくは静かにエンジンをかけると、由希子のシートベルトをそっと留めた。
 そして、次第に明るさを増していく空の下を名古屋に向かって車を走らせた。

                                                                       (了)




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