AWC 川島俊介『通り雨』2


        
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★タイトル (HKM     )  96/ 5/30   1:40  (195)
川島俊介『通り雨』2
★内容
「そう言うおまえだってバイトもしてないじゃないか」
 と言うぼくの言葉には答えずに、由希子はもの珍しげに車の中を覗き込んでいた。
「まだ新しいね。あれっ、この車二人乗りなんだ。デートにうってつけじゃない。ね、
今度ドライブしよ」
 由希子は冗談とも本気ともつかないことを言ってから、最後に付け加えた。
「今日はごめんね。無理に呼び出しちゃって」
「いいって。貸しを作っておくのも悪くないからな。さて、それじゃ今日の用事とや
らを片付けるとしようか」
 と言って、ぼくと由希子はワープロのコーナーに近付いた。この店は家電製品を専
門に扱っているので、ワープロといってもそう多くは展示されていない。
 由希子はひとわたり見回してから、
「俊介の使ってたのは?」
 と訊いた。
「ぼくのは、ここにはないなあ。あれはビジネスワープロだから」
「そうかあ。同じのはないのか」
 と由希子は残念そうに言ってから、
「どこのメーカー?」
 と改めて訊いた。
「N社だよ」
 ぼくが答えると、由希子は展示棚を見渡しながら、
「あったよN社のが、ミニ5ってのとハイパー7ってのが。これならどっちがいい?」
 と意見を求めた。
「そうだなあ、フロッピーディスクドライブが二つあった方が使いやすいな。バック
アップとるときに便利だから」
「そうなの。じゃあこれにしようかな」
 と由希子はやけにあっさりと決めようとする。
「二十万もするんだから、もっと真剣に選べよ」
 とぼくは言ったが、
「いいの。俊介が使ってたのと同じメーカーのがいいんだもん。で、フロッピーが二
つ入るのがいいんでしょ? だからこっちのハイパー7てのにする」
 と決めてしまっている。
 そしてぼくが口を挟む間もなく、
「ちょっとすみませーん」
 と店員に声をかけた。
「このワープロお願いします」
 と頼んでしまってから、
「使うのに必要なものって他にある?」
 とぼくに訊いた。
「とりあえず、フロッピーにインクリボン、それから印刷用紙ってとこかな」
「じゃあ、そちらの方もあわせてお願いします」
 と重ねて店員に頼んだ。
 店員が奥に入ってしまうと、
「よかった。選ぶのつきあってもらえて」
 とぼくに言った。
「随分あっさりと決めるんだなあ。選ぶ楽しみってものがないじゃないか」
 呼び出されたわりには出番がほとんどなかったぼくは、少々不満げに言った。
「俊介は前に使ってたから好みがあるかも知れないけど。わたしはほんとに全く初め
てだもん。だから、これで良かったの」
 由希子は答えてから、ぼくの顔を覗き込んで、
「ほんとだよ」
 と言った。

 釣とレシートを受け取ると由希子は言った。
「悪いけど、これ運ぶの手伝ってくれる?」
「そのために呼んだんだろ? 車で行くけど、駐めるところはあるよな?」
「うん。わたしのアパートのあたりって一方通行の広い道で、駐禁じゃないの。だか
らいくら駐めておいても大丈夫」
「これ結構重いぜ。やっぱり車じゃないと運べないや」
 持ち上げるだけならともかく、それを提げて家まで持ち帰るのは結構大変そうだっ
た。(今日の役割はただの運び役だったかな?)と思いつつ、ぼくはトランクにワー
プロを積み込んだ。


     3
 由希子の言うアパートは、鉄筋五階建てのいわゆるマンションだった。あわいベー
ジュ色の外壁がまだ新しかった。玄関ホールも広々としていて大きな観葉植物が植え
られている。エレベーターはなく、玄関ホールの脇に階段があった。
「わたしの部屋は三階なんだ」
 と言って由希子は、ぼくを導くように先に階段の方に歩んで行った。彼女は消耗品
入りの袋を提げて先に階段を昇り、ぼくはワープロの箱を抱えて後に続いた。箱は案
外重くて、階段を昇るのに息を切らせてしまった。
 ドアの前につくと、由希子は錠を開けながら言った。
「疲れたでしょう。ちらかってるけどちょっと上がっていって」
「じゃあちょっとだけ」
 本当に少々疲れてしまったぼくは、遠慮なく言った。
「ささ、どぞどぞ」
 と言ってドアを開ける由希子の声は、心なしかはずんでいるように聞こえた。

 由希子にドアを押さえてもらいながら、ぼくはワープロの箱を抱えて彼女の部屋に
入った。部屋はエアコンが効いていて涼しかった。汗ばんだ身体に、その空気が心地
好かった。
「机の横においてくれる?」
 という言葉通りの場所に箱をおくと、ぼくは不自然に思われない程度に由希子の部
屋を観察した。
 そこはいわゆるワンルームマンションという類いのもので、ユニットバスと調理コ
ーナーがある以外は、全く壁のない十数畳くらいの空間になっていた。置いてあるの
は、机と本棚とタンス、それにシングルベッドと二人用の応接セットで、部屋はすっ
きりとまとまっている。生活の匂いが感じられないほどであった。本棚とパソコンに
埋もれたぼくの部屋と較べるから余計にそう見えるのかも知れない。
 ソファに腰を下ろして、(カーテンとベッドカバーと絨毯の色が揃えてあるところ
が、女の子らしい部屋ということかな)などと考えていると、
「コーヒーと紅茶どっちがいい?」
 と由希子が訊いた。
「今はコーヒーがいいかな。小島は?」
「わたしもコーヒーがいい。じゃコーヒーいれるから、もうちょっと待っててね」
 と由希子は言って、ひとり暮らしにしては大きめのコーヒーメーカーにミネラルウ
ォーターを注いだ。
 そしてぼくの方に向き直って、右手の人差し指を立ててポーズをとり、
「今日は奮発してブルマンだよ」
 と付け加えた。

 ほどなくコーヒーの香りが部屋に漂い始めた。

「お待たせ」
 といって由希子がテーブルに置いたのはウェッジウッドの品のいいカップだった。
「いいカップ使ってるな」
 とぼくが言うと、
「俊介って目が肥えてるね」
 と笑顔を見せてから少し照れたように由希子は言った。
「ほんとはねこれ今日買ったばかりなんだ。午前中に栄の三越で買ってきたの」
「高かったろう。なんでまた急に?」
「値段は、ひ、み、つ。俊介を引っ張り込もうと思ってたから。この部屋だって昨日
一日がかりで掃除したところなんだ。いつもはもう少し散らかってるんだけどね」
 ぼくは答えに詰った。その表情を読み取って由希子は付け加えた。
「人が来るって時、ちょっととりつくろうってことない?」
「ぼくは特にないなあ。それほど気の張る客も来ないし」
 ぼくはいつも本があちこちに積み重ねてある自分の部屋を思い出して言った。
「どうして?」
「とりつくろうには一週間はかかるだろうからな」
「まさかあ」
 と由希子は笑ってから続けた。
「俊介のところって誰が来るの?」
 そう訊かれて、ここ半年あまり誰も来ていないことをぼくは思い出した。
「そう言えば、ここんとこずうっと誰も来てないなあ」
「ねえ、時々寂しいって思うことない?」
 由希子が訊いた。
「このごろはないな」
 (人が来ない方が面倒でなくていいや)と思ったけれども、それは口には出さなか
った。
「前は寂しかったの?」
 こんな話になぜ興味があるのか、由希子は身を乗り出してきた。
「高校までは親兄弟と一緒だったからな。大学に来てから、急にひとり暮らしになっ
たわけだろう。いわゆるホームシックってやつじゃないかな。それも一年の五月まで
だったけどな」
 ぼくのホームシックは、大学で由希子たちのような親しい友人ができた五月祭の頃
には完治してしまっていたのである。
「俊介って信州だったよね?」
「ああ。小島は……」
 と言いかけて、ぼくは小島の出身地を思い出そうとしたが、由希子がすぐに話を継
いだ。
「わたしは豊橋。通ってる人もないわけじゃないけどさ、遠くて疲れるからアパート
借りたの。時々は帰ってるけどね」
「そういう小島は寂しくないのか?」
 ぼくはさっきの由希子と同じことを尋ね返した。
「前はね」
 と由希子はぼくと反対のことを答えてから続けた。
「わたし淳とつきあってたでしょう。だから、ひとり暮らしなんて全然寂しくなかっ
たよ。ていうより、ひとり暮らしの方がよかったのかな」
「今は違うのか?」
「今? 今はねえ、ちょっと寂しいかな」
「どうして?」
「別れたから」
「脇田とか?」
 ぼくには初耳だった。
 それに「うん」と一言だけ答えてから、由希子はコーヒーを一口飲んだ。
 しばしの沈黙があった。

「うまくいってたように見えたけどなあ」
 それは世辞ではなかった。
「最初はね。うまくいってた。でも、だんだんそうじゃなくなったみたい。わたしの
方は
変わらなかった。でも淳がわたしのこと好きじゃなくなったみたいなんだ」
「なんで?」
「わたしがね、愛しすぎるんだって。それが負担なんだって。淳はそう言ってた」
「愛しすぎてなぜ悪いんだ?」
 愛されることがどうして負担になるのか、ぼくには理解し難かった。
「そう。わたしはね、淳って人間をわたしの一部にして、淳のために生きてたの。彼
はそれが嫌なんだって。別個の人間なんだから、もっと自由に生きられる部分が欲し
いって。別れようって言われたの今年の二月くらいだったかなあ」


 学部に進学してから、脇田が「同級会」に一度も顔を見せなかったこともそれでわ
かったような気がした。
 ぼくは去年の五月祭のときに脇田が言ったことを思い出していた。
……どうだ。小島とうまくやってるか?
 ぼくが声をかけると、脇田は少し戸惑ったような顔をして言った。
……まあまあ、ね。でもつきあうのって結構疲れるもんだよな。
 あの時に脇田はもう、由希子との関係に行き詰まることを予感していたのかも知れ
なかった。

 由希子は思い出話をするように語り続けた。
「わたし、淳のいない人生なんて考えられなかったから、別れるのは絶対にいやだっ
て言ったけど、わたしが悪いのなら努力して直すからって言ったけど、淳は言うの。
人はそんなに簡単に変わるもんじゃないって、二年近くつきあってきてそれが分かっ
たから、ぼくの意志はもう変わらないよって」
 その時のことを思い出したのか、由希子は目を潤ませていた。
「それでも最初はね、わたしのこと心配して電話してきてくれたりしたんだよね。学
部に進んでからかなあ、その電話もなくなった。わたしも電話したんだけどさ、いつ
も留守番電話で一度も出てくれないんだ。専攻も違うから大学でも会わないし。そん
なに嫌われたんなら、わたしももう諦めた方がいいのかなって思うようになった」
 そう言って由希子は目を拭った。
「でもさ、愛しすぎるっていうわたしが好きって人だってきっとどこかにいるんだっ
て、そう思うようにしてるんだ」
 由希子はおそらくはまだ誰にも話していなかっただろう別れの顛末を語って、コー
ヒーをもう一口飲んだ。




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