AWC 沈 黙 の 森 Z 紫野.


        
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★タイトル (GWN     )  96/ 5/ 9  23:50  (134)
沈 黙 の 森 Z                       紫野.
★内容
          【 沈 黙 の 森 Z 】          紫野

  父は──のちに一族の誰もが今だかつて目にしたことがないと断言したほ
ど面から血の気を失い、しゃがれた声で、どうすればそれを避けうることが
できるかと尋ねました。そのとき彼女がした返答は、十年経た今でもはっき
り覚えています」
  断定できないがそう遠くない未来、イブから十日以内に世にも恐ろしい災
いがふりかかる…?
  体中の血液が一気に足の爪先へ集中するという、寒々としためまいにかろ
うじて堪えながら、口の中で数度その言葉をくり返す。その数瞬の間、わた
しは完全に青年の存在を失念していた。
  言葉を切ったのち、青年が向けてきた、もしや話を聞いていないのではと
の疑いの視線を感じとることにより、他方へ流れかけていた注意をすぐさま
引き戻し、かろうじて意識の端にひっかかっていた彼の最後の言葉を思い出
す。
「──母は、なんと、もうしたのですか・・・?」
  頭の一部が麻痺し、空洞化してしまったような感覚にとらわれた中、必死
に言葉を押し出した。これ以上口を閉ざしていると、衝撃のあまり声も出な
くなっているのだろうと──それは半ば以上真実であったため、それだけに
なおさら──彼の発言は全て事実であると認め、動揺しているのだと思われ
てしまいそうで、怖かったからだ。
  彼の話は必ずしも真実であるとは限らない。あくまで彼が『過去あった事』
と称して話していることであって、それを裏付ける証拠は何一つないのだ。
彼が勝手に作り上げた架空の出来事である可能性もある。なのにこんなにも
動揺していては、彼の話は起こりえそうなことだとわたしも認めていること
になるではないか。
  見知ったばかりの他人がただ述べているだけだ。それが真実であるとの確
証もないのにうろたえてはいけないと、決死の思いで平常を装って訊く。だ
がやはり完璧にとまではつくろえなかったらしく、声の調子からかはたまた
表情からか、青年は敏感にそれと感じて訝しんだようだったが、つくろいで
あるとの確信をもつにも至らなかったのか口に出そうとはせず、わたしの質
問に答えた。
「彼女は少しの間父を見つめ、幾分おちつきをとり戻すと、今度はいかにも
占い師らしい声でこう説きました。
『未来は、大別して二通りの道があります。よく、ひとは、未来は変えられ
るものだと──無数にある道から選びとれるものなのだと言っていますが、
それは半分が真実で半分は虚なのです。そのひとを待ち受ける未来のうち、
いくつかは選択することができ、わたしたちのような者の告げる『もっとも
起こりうる可能性の高い道』を知ることにより、それに添うように努力した
り、あるいは避けようとすることができるでしょう。ですがそれは『変動し
ても全体に不都合のない』程度のものなのです。この場合の全体とは、神の
決めたもうた道です。この世界に生まれおちる命あるもの全て──あなたも
わたしも、己の好きなように生きているように見えて、その実神によって定
められた道・既成輪廻を、定められた役割でなぞっているにすぎません。そ
れは、この世界において、あるいは奇跡とも呼べる複雑な、用意周到な縁と
なって世界中の全ての人々を結んでいるのです。でなければ、なぜわたしの
ような者の言葉があたると思いますか?  悪しき未来と知ればひとは誰も皆
変えようと努力するでしょう。誰も、目の前に崖があると知りながらあえて
落ちようとは思いません。そうして変えられた未来ならば、わたしの占った
結果通りの未来が生じるはずはないのです。ゆえに、わたしの占いははずれ
たことになります。ですが、わたしの占いは今まで一度たりとはずれたこと
がありません。
  ひとは、生まれる前から神によって生から死までの大道を定められ、あら
かじめ用意されてあるいくつかの出来事をこなして通っていくことが義務づ
けられています。いつ・どのようにして通るか、それを定めることはできま
すが、避けることは絶対に不可能なのです。
  この先あなたを待ち受けるのは、そういった出来事。それは、人の意志の
届く域からは遠くかけ離れた災厄。誰にもどうすることもできないのです』
細かな違いはあるかもしれませんが、彼女ははっきりとそう告げました」
  母が彼等に告げたこと。それは、わたしの記憶にもある、母の占い師とし
ての考え方だった。
  ただし、母は特に何かを強く信仰していたというわけではない。ただ、世
の中にはいくら先を知ろうとも決して変えられない未来があるのだと、でな
ければ悪い占いまであたるはずがないと──それは、きっとわたしたち人が
どうにかできるような小道ではなく、人を超越した何かの意志が働いている
に違いないと言っていた。それを『神』と表現したことはなかったような気
がするが、彼の父親やその場にいた人達に認識しやすく説くために用いた表
現なのかもしれない。人の意識が遠く及ばない出来事に関するものは、大抵
が『神の仕業』と表され、諦める理由としては適当だ。
  だが、おかしい。
「本当に、母は、そんなことを告げたのですか…?  あの、何が起きるかも
告げずに・・・?」
 おいそれとは信じ難い思いで訊いたわたしに、彼は迷うことなく頷いた。
「はい。たしかです。それでもなんとかならないものかと必死に訴え──お
恥ずかしいことですが、頭に血がのぼった父は、周囲の目もかまわず彼女を
突き飛ばし、先の言葉をとり消せと、そして我が一族の繁栄を口にしろと・・
・・そうしなければおまえもただではすまないと、おどしまでかけたのですが、
彼女は無言で父を見つめ続けるだけでした。
  先までと打ってかわり、茫然とその場に両手をついた父の姿に、ではせめ
て何が起こるかだけでも教えてはもらえないかと、会場を立ち去る彼女に兄
が尋ねたのですが、彼女は
『地が裂けて家屋を飲みこむから、海が荒れ狂って船を沈めるからと、それ
を知ったところで一体何ができましょう。地の震えをとめられますか?  海
を静めることができますか?  それはもはや神の領域なのです』
と答えただけでした。
  回避不能な出来事は、知ったところでより絶望を深めるだけだと言いたかっ
たのでしょう。
  その夜以来、父は狂ったようにひたすらおびえ続けました。日一日と近付
くイブの日、そして新年。昼の間は妄想におびやかされ、夜ともなれば悪夢
が父を襲い、片時も平静ではいられないようでした。猜疑心もますます強ま
り、自分に近寄ろうとする者があればその者が誰であれ、自分を油断させて
寝首を掻くつもりなのだと本気で信じていたのです。はては、他人に奪われ
てなるものかと銀行の金庫に預けてあった貴金属や絵画・預金を全部今すぐ
届けろなどと命じたり、ひとに奪われるくらいならといきなり棒で殴りつけ、
館中の物を破壊して歩いたり……当然ながら、企業運営は無理です。完全に
精神を病んでしまった、そんな父の命令に一体誰が従うというのでしょうか?
まして、マリア=フォルストのあの占いは、あの夜のうちにもはや手の打ち
ようがないほど知れ渡ってしまっていたのですから…。
  父は、己の考えた事以外の一切に耳を貸さない暴君でしたが、それでもク
ライザーという巨大な樹木の土台を支えていました。そこがぐらつけばどう
なるかはまだ十五だったわたしでも見当はつきます。母は連日の父の所業に
ただでさえ細かった神経をすっかり擦り減らして、前述しました通り薬漬け
となり、一日のほとんどを寝台の上ですごすようになりました。長男である
兄さえまだ十七で、あの狡獪な父の後を継ぐことは不可能。とすればどうす
るべきか。政治手腕はともかく、個人的に父をきらう者は配下にも仕事仲間
にも大勢いましたから、彼等が動き出すのはそう遅くありませんでした。今
まで働きすぎたからそんな妄想にとり憑かれるのだと言い、療養と称して父
を切り捨て、あの占いは父一人・クライザー家にかかるものだから経営には
問題ないとふれ回ったのです。弱肉強食の世界ですから、生き残ろうとする
彼等の仕打ちも容赦ありませんでした・・・・。
  今までさんざん父の庇護を受け、甘い汁を吸っていながら途端掌を返して
と、当時は憎みましたが、けれど今では彼等は当然の処置をしたと思います。
彼等も養う家族を持つ身。それに、倒産を出して何千という労働者を路頭に
迷わせるわけにもいかないでしょうしね。わたしでもそうしたでしょう」
  話の途中、わたしが眉を寄せたことに気付き、補足して浮かべた苦笑は、
今口にした言葉が彼の本心から出た言葉であると納得させるに十分のものだっ
た。
  ああ今の彼は静かだと、悲しみも憎しみも消化してしまっているのだと、
そう思って青年の澄んだ瞳を見つめるわたしを見て、青年は先を続けた。
「その頃にはとうに親類縁者のことごとくから見捨てられていましたので、
復帰の道は完全に閉ざされたと言っていいでしょう。慰めは、それがどうい
う意味を持つのか、父自身にはもはや理解できなかったことです。そして幸
いにもわたしや兄名義にあらかじめ分与されていた財産がありましたので、
慎ましやかな生活を送りさえすれば困ることはないだろうという安心も得ら
れました。そしてわたしたちは無意味に広い館を手放し、少しでも父の気を
和らげようと、父や母の世話をしてくれるごくわずかな召使いとともに都か
ら離れ、この森から離れ、レイデザークにある小さな別荘へと移り住んだの
です」


                                                              続.







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