#909/1336 短編
★タイトル (BYB ) 97/10/ 4 7:42 (159)
お題>幽霊(上) つきかげ
★内容
『幽霊』 あるいは SUPERLOVERS IN THE SUN
「心の中でなら、なんでも壊せるのよ
この目に映るなんでも、愛で殺す」
「ひさしぶりだね」
私が部屋に入るなり、彼はそう言った。一人ぐらしには広すぎる大きな洋館。
早くに両親を無くした彼は、両親の残したその古めかしい館に住んでいる。
「よかったわ、あなたがつかまって。これなの、お願いしたいのは」
私は、バッグからMOを取り出して、彼に渡す。痩せて長身の彼は、少し皮肉
な笑みを見せてそれを受け取った。
「やれやれ、相変わらずだね、君は。これかい、そのメモリダンプとは」
彼はMOを受け取ると、自分のデスクに置いてあるマシンに接続された、ドラ
イバへ差し込む。
「まあ、全く会いに来てくれないよりはいいけど、普通、用件の前に世間話くら
いは、するだろう」
ディスプレイに十六進のデータが表示される。彼は、思索にふける哲学者の顔
で、覗き込んだ。
「急いでるの、私は」
「判るけどね。さてと」
ディスプレイに表示された数字の羅列を、新聞でも読むようにすらすらと読み
解いていく彼は、私の理解を絶した異能者である。彼の名は朝倉皓平。元、私の
上司であり、私とほぼ同時期に大手コンピュータメーカを辞めた友人である。
そして、相変わらずコンピュータ業界の中小ソフトウェアハウスでトラブルシ
ューティングに駆け回っている私は、自宅に引きこもり売れないイラストレータ
となった彼に、未だに助けを求めにゆく。
何しろ大手コンピュータメーカで、OSの開発を中心になってやっていた人で
ある。大抵のトラブルは、魔法使いのように解決してしまう。
彼が解析している間、私は手持ちぶさたになる。相変わらず殺風景な彼の部屋
を見回した。
無造作に壁へ、彼の作品が並べられている。アクリルガッシュで描かれた繊細
な色彩のそれらの絵は、全て同一のモチーフであった。オフィーリア。発狂して
水死した少女の姿を、何が気に入ったのか、それとも気に入らないのか、ひたす
ら描き続けている。
「ええっと、システムジェネーションのリストは持ってきたかい?」
私は慌てて、リストを彼に手渡す。彼はデスクから赤ペンをとると、ふんふん
と追ってゆく。
「ああ、これだよ、これ。ここの指定が小さいとセッションが大量に開設された
時に、メモリ上に送受信キューが確保できなくなる。ここをこの値に変えれば、
サーバは動くよ」
ひょいと、彼は赤丸をつける。私は、大きくため息をついた。
改めて、彼の顔を見つめる。彫りが深く、日本人ばなれした容貌の彼は、酷く
窶れて見えた。
「痩せたわね、あなた。ちゃんと食べてる?」
彼は苦笑した。
「やれやれ、何を言い出すかと思ったら。ちゃんと食べてるよ。最近、寝不足ぎ
みでね。そのせいで、頬がこけたように見えるんだろ」
へぇ、と私は感心した。
「あなたでも、忙しいことがあるの?」
「いや、恥ずかしながら暇でね」
彼は、友人のデザイン事務所で溢れた仕事を、回してもらっている。元々生活
に困らないだけの遺産を相続している彼は、月に数本の仕事しか受けていない。
「寝不足なのは、ゲームにはまってるせいだ」
私は吹き出した。
「何よ、ゲームって」
「コンピュータゲームだよ。よくあるじゃないか」
私はまじまじと彼の顔を、見直した。
「どうしたの一体。あなた私以上に、ゲーム音痴だったじゃないの。ドラゴンク
エストを知らない唯一の日本人と、思ってたのに」
「まあ、そうなんだけど」
「で、どんなゲーム?」
「ああ、それがね。よく覚えてないんだ」
私は苦笑する。彼は、困った顔をして言った。
「何しろいつもゲームの途中で寝てしまってね、起きたら内容を覚えてないんだ」
彼らしいといえば、彼らしいのだが。
「どこで買ったの、パッケージとかあるの?見せてよ」
「いや、そういうんじゃないんだ」
彼は、ますます困った顔になる。慣れてるとはいえ、時々彼ののほほんとした
調子に腹が立ってくる。
「じゃ、どういうのよ」
「パソコン通信のサーバからダウンロードして来るんだ、自動的に」
私は、絶句した。
「どうもファームウェアのレベルでタイマー監視しているらしくて、夜中の零時
を回ると自動的にパソコンが立ち上がって回線を接続してダウンロードしてくる。
ダウンロードされたゲームは、これがまた自動起動されてくるんだ。すごい事に、
電源を落としていても、電源が自動で立ち上がるんだよ」
さすがに、私は蒼くなった。
「ちょっと、呑気に構えてる場合じゃないわよ。それってやばいウィルスにやら
れてるのよ。あなたらしくないわね、早くなんとかしないと」
彼はいまいましい程ぽよんとした顔で、答える。
「うーん。でも、ログを見るかぎり、妖しげなところにアクセスしてる訳じゃな
いんだけどな。多分僕が自分で、変な設定したんだろう」
「とにかく。うちの会社にウィルスに詳しいのがいるから。ダウンロードしたデ
ータを貸してよ。調べてみるわ」
彼は面倒くさそうに、MOへデータをコピーする。私は自分の持ってきたMO
と合わせて2枚受け取ると、バッグに収める。慌ただしく立ち上がった。
「じゃ、いくわ」
「やれやれ、お茶くらいださせてよ」
「急いでるの、ごめんね。今度は仕事抜きでくるわ」
「といいながら、トラブル抱えて半年後にくるんだろ、ま、いいよ。期待しない
で待ってるから」
私は彼の部屋を出る。そして愛車のハンドルを握ると、機嫌を損ねたサーバが
待つ客先へと向かった。
「お帰りなさい」
疲れ果てて、マンションの部屋へ変えるとルームメイトの樹理がエプロンをつ
けて待っていた。
「つったく、あのゲーハの課長。障害報告朝いちでいいからって。午前3時にい
うな、ぼけ」
樹理はくすくす笑いながら、言った。
「ねえ、ご飯食べるんでしょ。豚の角煮、うまくできたのよ」
私は午前4時に食べる食事を夕食というのか、朝食というのか考えながら、樹
理に声をかける。
「それより、ビール!」
私は最後の気力を振り絞って、パソコンを立ち上げる。ワープロソフトを起動
すると、障害報告のための文章をうち始めた。樹理からビールの五百ミリリット
ル缶を受け取ると、ごくごく呑む。傍らにいる樹理を見て、ふと思ったことを口
にする。
「樹理って、お嫁さんみたい」
「ばかね」
ふふん、と笑うと、樹理はキッチンへ戻った。売れないながらもミュージシャ
ンをする傍ら、占い師をやって暮らしている樹理が、ストーカーから逃れるため
に私の部屋へ来てからもう半年がたつ。
真性のレズビアンを自称する彼女をルームメイトにするのはいくら部屋があま
っているとはいえ、どうかと思っている。しかし、一緒に暮らしていると樹理は
変な話私を、同性として認めていないことが判った。
樹理は女の子が好きなのだ。日曜日にはレモンパイを焼き、魔法のような薫り
のするブレンド紅茶を飲みながら、一緒に彼女の愛するアイリッシュトラッドを
聞けるような。
私は週末には朝まで飲み続け、カラオケとゲームセンターでストレスを発散し、
休日には泥のように眠る生活である。聞く音楽も間違ってもトラッドではなく、
デッド・ケネディーズや、プッシー・ガロアのようなジャンク、ガラージュ系統
でヘッドバンキングをしながら踊るパターンが多い。
ようするに、樹理とは世界が違う。私たちは、互いに交わることのない世界で
暮らしていながら、妙にうまがあった。それに、樹理は料理が上手い。
突然、食器の割れる派手な音がした。私は、手を止めて振り返る。
樹理が、幽霊のように蒼ざめた顔で立っていた。パニックが私にも、伝染する。
「ななな、何よ、一体、どどど、どうしたのよ」
豚の角煮や鰺の開きが床に、散らばっている。普段なら樹理はそういうのに我
慢ができないはずだが、気にも止めていない。樹理は私のバッグを見つめていた。
「明美、あなたいったい」
明美とは私の名前だ。
「何を持って帰ってきたの」
へっ?となった私は、バッグの中を覗く。持って帰ったといえるのは、MOが
2枚。私は、彼からもらったMOを取り出して見る。
「それよ」
樹理は、私が今まで見たことのない表情で言った。多分、占い師としての樹理
が、そこにいるのだ。
「それは、よくないものだわ。とても」
「そういっても、ただのゲームよ。ウィルスに汚染されているかもしれないけど」
樹理はちょっと待ってというと、手早く散らかった食事を片づける。片づけが
終わると、樹理は私の隣に座った。
「ねぇ、見せてそれを」
樹理の催促に、私は躊躇した。ウィルスに汚染されてるかもしれないものを、
見せろといわれてもねぇ。結局、樹理の気迫におされた形で、私はデータをイン
ストールする。
そのゲームは、十のファイルに分かれていた。ようするに、十回ダウンロード
したのだろう。
私は、インストールしながら、大体の事情を樹理に説明した。樹理は心を別の
場所に置いてきてしまったような顔で、言った。
「憑かれてるわね、その人」
「どういうこと?」
「とにかく、ゲームを起動してみて」
私ため息をつくと、ゲームを起動する。初期画面が立ち上がってきた。
「あら、ヴェルセヴァルクじゃないの。新作は久しぶりだわ」
樹理の言葉に私は少し、驚いた。
「知ってるの、このメーカ」
「ええ。結構有名よ。ちゃんとしたゲームを造ってるメーカだわ」