AWC 天使の名探偵  7   永山


        
#5347/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/12/24  01:47  (201)
天使の名探偵  7   永山
★内容

「何でもいいです、聞かせて」
「一つ目は、教会の事後処理がどうなるかは、この人に聞きなさいって、刑事
さんがメモ書きを残していってくれたの。町内会の役員の一人で、神父さんと
特に懇意にされていた方ですって」
 伯母はそう言いながら、ペン立てを持ち上げ、そこに敷いてあったメモ用紙
を取ると、香苗に渡した。羽田真澄という名前と、自宅住所が記してある。
「ミサを行えるか否かの判断や、葬儀のことなんかも、その人が取り仕切るだ
ろうって話よ」
「はい。分かりました」
「もう一つは、どちらかというと励ましの言葉かしら」
「励まし?」
「教会の敷地へは、当分立入禁止が続くだろうけれど、鐘は生きている。いず
れ復興されるんじゃないかって」
「……あの刑事さんが、そこまで心配してくれたんですか」
 嬉しい反面、ちょっと合点が行かない。そんな香苗を見て、伯母は苦笑しな
がら打ち明けてくれた。
「車中、うちの浩樹から、香苗ちゃんが火事に対して恐怖心を持っている理由
を散々訴えられて、耳がおかしくなりそうだったとこぼしていたわ。刑事さん
も気の毒に」
 香苗の頬も、少しほころんだ。

 事件翌日のニュースでは、クリーニング店店員を重要参考人として取り調べ
ている旨が報じられていた。顔写真こそなかったが、実名を明かしている物も
少なくない。
「七井良次、二十歳……この人が荻崎さんを」
 朝刊を食い入るように読む香苗。そこへ浩樹がやってきて、香苗の頭を手で
くしゃくしゃっとやる。
「な、何を」
「学校遅れちまうぜ」
「は?」
「飯を食えっての。それに冷える」
 指差した先には、まだ湯気を立てているご飯に味噌汁のお椀。確かに浩樹の
言う通り、香苗は教会放火殺人の記事に没頭するあまり、食事を手つかずのま
まにしていた。
「注意なら、先に口でしてよね。髪の手入れに時間が掛かるじゃないの。身だ
しなみが」
「ほー。そんなおっさんみたく新聞を読んでいたくせして、身だしなみも何も
ないもんだ」
「言ったわね」
 新聞を折り畳み、テーブルの脇に置きながら言い返す香苗。
 と、伯母の視線に気付いて、ご飯に取り掛かる。伯母の目は、「仲がよくて
いいわね」、そんな風に物語っている。
 伯母は香苗が浩樹と親しげにやり合うのを、好ましく思っているのは周知の
事実。ただ、香苗からすれば、浩樹と伯父伯母とを区別しているような自分の
言動を気付かされ、少なからず嫌気が差す。およそ七年、一緒に暮らしても、
依然として違和感が抜けきらない。伯母夫婦を両親と呼ぶのは、死んだ両親を
忘れようとしているみたいで、香苗自身認めたくない。かと言って、伯母夫婦
の「お父さん・お母さん」と呼んで欲しいという思いを否定することも気が引
けた。
「さあ、食おう。いっただきまーす」
 普段はしない食事前の合掌をすると、浩樹は景気よく食べ始めた。
 対面に座る香苗は、よく言えば上品に、悪く言えばもそもそと口を動かし、
少しずつ食べていく。その最中、浩樹を「ねえ」と呼んだ。
 口を動かしながら、浩樹は目を向けてきた。声を出すには、口の中がいっぱ
いらしい。
「今日、お花を買って、教会に行こうと思うの」
「――ふーん」
「浩樹も来てくれるわよね」
「昨日の今日だぜ? 平成刑事も昨日、もっとあとの方がいいとか言ってたじ
ゃないか」
「あの刑事さん、“へなり”って言うのね」
「……そうだよ。平成って書いて、“へなり”だとさ」
 あきらめた風に吐き捨てる浩樹。そのまま、食事に戻ってしまった。香苗は
急ぎ、改めて尋ねた。
「それで、着いてきてくれないの?」
「わーったよ」
 お茶で口中をすっきりさせてから、投げ遣りな調子で応じる。
「一緒に行きはするさ。ただ、今日は時間の約束ができない。帰りがいつにな
るか分からないから、そっちは一旦家に帰って待っててくれよ」
「ありがと。そう言ってくれると思ってた」
 香苗の台詞が聞こえなかったみたいに、浩樹はご飯をかき込むと、機敏に席
を立った。

 平成刑事の言葉に加え、天気予報が今夜から雨だと言っていたせいもあって、
花を供えるのは延期した。
 その代わり、教えてもらった羽田真澄という人を訪ねてみようと決めた。
「さみー。予報じゃ、夕方から温くなるって言ってたのになあ」
 自転車を漕ぎながら、両手をハンドルから離し、腕組みをしてみせた浩樹。
「危ないわよ。やめなさい」
 先を行く香苗は、振り返ってそれを見つけ、すぐさま注意した。浩樹は肩を
すくめるポーズのあと、それでも素直にハンドルを握った。
「てれてれ進むのが、かったるい。もうちょっとスピードアップできないもん
ですかね?」
 初めて行く住所だから、電信柱にある番地表示をいちいち見やりながら向か
っている。必然的に、速度は落ちる。
「分かんないのだから、仕方ないでしょう。それに、スピードを出せば、寒く
なるわよ」
「空手で鍛えた精神集中をもってすれば、本当は全然平気なんだよ。心頭滅却
すれば火もまた涼し」
 関係ありそうでなさそうなことを言って、浩樹が笑い飛ばす。香苗はメモを
片手に、ため息をついた。
「それにしても、いきなり行って、大丈夫なのかねえ?」
「それは、私だって、電話番号が分かっていれば、事前に入れておくわよ。で
も、刑事さんは電話番号までは書いてくださらなかったんだもの」
「電話帳は?」
「調べてみたわ。なかったから、きっと自分の意志で載せてないのね」
「それほどプライバシーに拘る人か。突然訪ねたって、徒労に終わる可能性大、
って気がますますしてきた」
 あきらめムードの浩樹の背中を言葉で押し、ようやく羽田家を見つけて到着
したのは、午後四時半を過ぎた頃だった。
「ああ、聞いていたよ。お嬢さんのことだな、あれは」
 玄関先で香苗が名乗り、事情を伝えると、羽田は予想に反して愛想よく応対
してくれた。年齢は荻崎とさほど変わらないように見える、五十を越えたぐら
いの男性で、小柄だが、全体にふっくらとした印象の持ち主だ。目だけは細く
てきつい感じだが、それ以外は暖かみのある雰囲気を有している。
「あれとは、一体……」
「話す前に、ここでいいかね? 今、ちょっと立て込んでいて、上げる訳にい
かないんだよ。時間もあまり取れそうにない」
「え、ええ、もちろんかまいません。忙しいところを、お邪魔してこちらこそ
申し訳ありません」
 頭を下げる。後ろをちらと一瞥すれば、浩樹も静かにお辞儀をする様が見て
取れた。
「ほんと、寒くて悪いんだが……。ええと、何日前だったかよく憶えとらんの
だが、荻崎神父から数量の変更を頼まれて、印象に残っているんだ」
 まだ話が見えない。香苗達は黙ったまま、待った。
「彼から聞いているかな? クリスマスのミサでは子供達にお菓子とキーホル
ダーを配るのが、恒例となっていてね。その数が、どうも足りなくなりそうだ
からと、追加注文をされてきたんだよ」
 説明はなかったが、羽田はこの手の品の卸し問屋の仕事をしているらしい。
「その際に聞いてみると、新しく女の子達三人が確実に増えるんだと。急な話
だったが、まあ、特注品という訳でもないし、間に合ったがね。まとめて搬入
したんだが、あの火事で全部だめになってしまった。まったく、無情なことよ」
 うつむきがちになり、首を振る羽田。瞼の上から指で両目を揉む仕種に、憔
悴が覗く。
(あのとき、箱に入っていたキーホルダーだ)
 香苗ははなをすすり、声がかすれそうになるのを必死にコントロールしなが
ら、本来の質問をした。
「今後のことで、決まっていることがあれば、教えていただきたいんです。お
葬儀やミサについて……」
「葬儀は、全然目処が立ってない。荻崎さんが戻ってくるまで、やる訳にいか
ないからねえ。ミサは、集まるだけでも集まろうかという方向で、話を進めて
いるよ。別の神父さんが来られるかどうかは、分からないんだが。と言うより
も、決めかねているのが実状だね」
「そうなんですか」
 悲しみが一つに、喜びが一つ。香苗は複雑な表情をなした。
 と、それまで後方で大人しくしていた浩樹が、ずいと前に出る。
「何か新しく決まったら、連絡してもらえないでしょうか? ここに電話番号
と住所を書いておきましたんで……お願いします」
 浩樹の手には、生徒手帳のページを破いたらしい、紙切れが握られていた。
 羽田はそれを受け取り、即答した。
「いいとも。君らも試験なんかで忙しい時期だろうし。そうだ、こちらも電話
を教えておこう。もし私が、つい忘れてしまっていたら、まずいもんなあ。そ
ちらからも電話してくれてかまわないよ」
 羽田から電話番号を記したメモ用紙をもらい、香苗と浩樹は重ね重ね礼を述
べて、辞去した。

 家に戻って、捜査が意外に難航しているらしいと、ニュースで知った。短い
報道でしかなかったが、七井良次の犯行否認を確かに伝えたのだ。
「そりゃ、最初は誰でも否認するよな」
 香苗の顔色を窺い、浩樹がつぶやく。
「でも、刑事さんが逮捕したってことは、証拠があるんでしょう? 証拠があ
るのに否認しても意味がないのに」
「あ? 香苗、知らないんだな。そうとは限らないぜ」
 浩樹がびっくり顔をしているのへ、香苗は首を傾げた。
「気にしてるようだから、色々と聞いたり調べたりしたんだ。まず、逮捕じゃ
ないかもしれない」
「逮捕じゃなかったら、何になるの?」
「多分、重要参考人として話を聞いている段階。警察が七井何とかっていう男
を疑っているのは確かだが、まだ逮捕するだけの証拠や証言を得られてない。
今の時点では、こんなところだろ」
「ニュースであれだけ、犯人扱いして報じているのに。おかしいわ」
「俺もおかしいと思うけど、今の仕組みがそうなってるんだよ。警察の逮捕だ
って、絶対確実な証拠があって、初めて行う物ではなく、捜査で絞り込みなが
ら、特に怪しい奴を引っ張って取り調べる」
「七井って人は、無関係かもしれないってこと?」
「言ってしまえば、そうなる。重要参考人で引っ張られた奴が犯人じゃなかっ
たってことは、割とあるみたいだ。中には、逮捕までしといて、違ってたって
ケースも」
「冤罪、かあ……」
 頬杖をつき、上目遣いになって、単語をかみしめる。すると浩樹が、身を乗
り出す風にして聞いてきた。
「香苗、変なこと考えてないだろうな」
「何のこと?」
「犯人は七井じゃなく、他にいる。私の手で見つけてやるんだ。それが神父さ
んへの供養になる――とか何とか」
「そんな馬鹿なこと、考えてなんかいないわ。七井って人が無実だと分かった
ら、少しは考えるかもしれないけれど、それでも、たとえ犯人が別にいても、
私一人でできる訳ないし」
 空虚に笑って一蹴する香苗。浩樹はまだ不安げに唇を尖らせ、貧乏揺すりの
あと、やがて口を開いた。
「ま、俺が案ずることじゃないな。もう役目は充分果たしたと思うし、次から
は一人で頼む。試験勉強もあるんだから」
「うん。私もテストが終わるまでは、しばらく封印する。花を供えるのは、そ
れからでも遅くないわよね」
「自分で判断しろって」
「そうじゃなくて」
 香苗は浩樹に笑顔を向けた。今度は、本物の笑みだ。
「そのときはまた付き合ってもらいたいな、って。ね、浩樹?」

 本来真面目だし、成績優秀で通っている香苗は、試験を無難に乗り切った。
どんなに他のことが気になろうとも、勉強に集中しようと思えば、訳なくでき
る。ただ一つ、羽田から葬儀が決まったとの連絡を受けたときは、かき乱され
たが、時間を割いて葬儀に参列すると、あとはまた元通り、試験への没頭に努
めた。
 こうした事情により、教会での殺人事件に関して、進展があったと知ったの
は、期末試験最終日、昼前に帰宅したあとである。
「今朝十一時ぐらいに、刑事さんから香苗ちゃんに、電話で問い合わせがあっ
たのよ」

――続く




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