#5346/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/12/24 01:42 (190)
天使の名探偵 6 永山
★内容
鐘の塔だけが、最後の砦として踏ん張っているかのように、雄々しく屹立し
ていた。実際の高さ以上に、高く見える。そのおかげで、何も知らない人が焼
け跡を見ても、ここに教会があったのだろうなという想像はできるに違いない。
無論、教会の施設全てが焼け落ちた訳ではない。事務処理を行うために使っ
ていた小部屋は酷いが、礼拝堂や居住スペースはそれぞれ少しずつ、部分的に
残っている。ブロック塀にしても、消火をスムースに行うため、打ち壊された
ものらしい。生垣の方はさすがに全滅だ。
敷地は、警察が張り巡らされたロープで覆われ、立入禁止となっている。そ
の中に、ガレキが山積みされていた。現時点で、調査をしている様子の人影は
なく、見張りの制服警官と、後片付けか何かをしている私服の人がちらほら。
「あー、君達。入ってはいかん。それに、じろじろ見るもんじゃない」
寒空の下、若い刑事が年寄り臭い言い回しで、注意してきた。やる気がある
のかないのか分からない、のっぺりとした表情をしている。きびすを返そうと
する彼に、香苗は急いで声を掛けた。
「あの……刑事さん。亡くなった方は、こちらの神父さんなんですか」
「――君は、教会に通っていた一人かね」
足を止めて振り返り、欠伸をこらえるような手つきのあと、刑事は無遠慮に
香苗を見つめてきた。
「いえ、通っていたんじゃありませんが、荻崎さんと知り合ったばかりで、こ
んなことになったから……」
「それなら、神父さんのために祈ってあげるこった」
「っ! じゃ、じゃあ、やっぱり……」
覚悟していたとは言え、刑事の口からはっきり聞かされると、ショックが新
たに襲ってきた。膝の力が抜け、くずおれそうになったとき、浩樹が両方の二
の腕を掴んで支えてくれた。
「しっかりしてくれよ。――刑事さん、もうちょっと穏やかな言い様ってもの
があるんじゃないか」
「……あいにく、今ので精一杯なんだ。すまんな」
浩樹の反発も受け流し、再び立ち去ろうとする刑事を、香苗は今一度呼び止
めた。
「こちらの教会の関係者の方にお会いしたいのですが、連絡先をご存知ありま
せんか」
「知らんよ。と言うよりも、私の聞いた話じゃ、ここは神父さん一人で切り盛
りしてて、他に関係者なんていないそうだ」
「それでは、荻崎さんの親族の方に」
「天涯孤独の身だとよ。両親はすでに亡くなっているし、兄弟姉妹もいない。
それ以上の親戚については、まだよく分かってない」
「じゃ、じゃあ……お花をここに備えていいですよね」
少し離れた位置にある電信柱、その根元を指差す香苗。刑事はかすかに笑み
のようなものを覗かせ、
「かまわんさ。でも、今日はよした方がいいぞ。人の出入りが、まだまだある
からな。踏み倒してしまいかねん。長持ちさせたければ、明日以降に」
と無愛想に言い放った。そうして、会話を一方的に打ち切り、今度こそ奥へ
と歩いていった。
「感じ悪いな」
「しっ」
低く吐き捨てる浩樹に、香苗は自らの唇に右人差し指を縦に当てた。
「そんなこと、言ったらだめ。あの人はきちんと本来の仕事をしているだけじ
ゃないの」
「しかし……ま、香苗がそう言うのなら、いいよ。俺が口出しする筋合いじゃ
ないよな、ああ」
自らに言い聞かせる口ぶりの浩樹。教会のあった敷地に背を向けた。
「もういいんじゃないか? 早く帰ろうぜ」
「え、ええ。明日か明後日、また来るから、付き合って」
「そこまで拘束されるのは、はっきり言ってきついんだけどな。試験近いのは、
香苗も一緒だと思うんだが」
「お花を供えるだけよ。お願い」
香苗の頼みに、浩樹は「しゃあねえな」とつぶやき、前髪をかき上げた。両
手をポケットに突っ込み、歩き出す。
とりあえず、気持ちに一区切りつけられた香苗も、浩樹に続いて立ち去ろう
とした。そのとき――。
「遺体があった場所と火元が、かなり離れていますね」
「となるとやはり、死んだあと、火が広がったか……」
耳に飛び込んできた刑事のつぶやき。
(火事になったのは、荻崎さんが亡くなったあとってこと? まさか、それっ
てつまり……)
“殺人”という太い単語ブロックが、香苗の脳裏を右から左へ、スローモー
ションで駆け抜けていく。
「ま、生きながら火に巻かれるのに比べたら、ちっとはましか」
刑事の口調は、無理に虚無的であろうとしているように聞こえる。
(荻崎さんは、殺された……?)
我に返ったときには、再び教会の塀まで走っていた。先ほどの刑事に、大き
な声で尋ねようとする。だが、すぐには発声できなかった。
「どうした?」
小さな異常に気付いた刑事が、訝しげに首を傾げながら、道路に出て来た。
その刑事の台詞に、浩樹も引き返してくる。
香苗は何か叫んだつもりだったが、あとのことはよく覚えていない。
帰宅してからはしばらく放心状態で、何をするにも無気力。しまいには、寝
込んでしまった。
夢を見ていた。昔の夢だ。絵に描いたような幸せな一家を、突然の火事が襲
い、父と母を奪い去っていった。
楽しい思い出のシーンから、悪夢としか言い様のないシーンへ、腹立たしい
くらいにスムースに切り替わる。
リアルタイムで火事の現場を見た訳ではないのに、香苗の想像の中で、恐ろ
しい光景が増幅されて、克明である。色はもちろん、音声や匂い、温度といっ
た細部まで、生々しい絵が形作られる。
小学校から中学校へ上がった頃が、一番ひどかった。火事のあとの、親族間
のもめ事までもがセットで付いてきていた。その後はあまり見なくなったし、
夢のディテールもわずかずつではあるがぼやけていった。
それが今夜、ぶり返したらしい。
夢の中では、荻崎神父も父母と一緒に死んだことになっていた。
「――」
目が覚め、がばっ、と跳ね起きた。
「……夢」
つぶやき、大きく息を吐き出す。
予備灯の明かりが、薄暗い部屋を浮かび上がらせていた。両親を亡くした直
後は、このオレンジ色の光にさえ動揺して、落ち着きをなくしていた。とうに
克服したけれど、かつて恐がっていたという記憶が、こんな悪夢のあとは、香
苗を憂鬱な気分にさせる。
いつ自分のベッドに横になったのが、はっきり覚えていない。寝巻を身に着
けているところを見ると、自分の意志で横たわったのだろうけれど。
時計に目をやると、午後十一時十分だった。伯父はともかく、伯母と浩樹は
まだ間違いなく起きている時間帯。
このまま眠りにつくには、疲労感がありすぎる。再び悪夢にさらされるのが
おちだ。香苗は歯を食いしばり、寝床から起き出した。
廊下を行くと、浩樹の部屋のドア下方から、白い光が筋となって漏れていた。
一丁前に、勉強しているものと見える。香苗は足音を忍ばせ、階下に降りた。
「あ、目が覚めた? 大丈夫?」
声を掛ける前に、伯母が気付いてくれた。家計簿を付けていたらしい。テー
ブルを離れ、棚から電子体温計を取り上げると、香苗に渡す。
「さっき計ったときは、平熱だったんだけれど、一応」
銀色の先端を脇の下に挟み、本体のボタンを押す。三十秒ほどで電子音がし
て、数値が小さな画面に表示された。やはり平熱だ。
「うん、よかった。じゃあ……お腹空いてない? お夕飯、ほとんど残してい
たでしょ」
言われてみても、実感がない。でも、今、目の前に食べ物を出されたら、入
るような気はする。普通なら、こんな時間に物を食べることはないのだが。
それよりも。
「すみません、折角作っていただいた物を、残してしまって……」
香苗が頭を下げ、また起こすと、伯母は怒ったような顔つきになっていた。
「何を言うの。調子悪いときは、誰にでもあるのだから。うちの人なんか、体
調いいときでも、好き嫌いが激しいの、知ってるでしょうに。余計な気遣いと
いうものよ、それは」
「……ごめん。じゃ、じゃあ、いただきます」
気分が優れないのは事実だったから、固い物や脂っこい物は避けて、伯母の
用意してくれたお粥を食べた。そのあと、時機を逸した冬のアイスクリームも
食べた。冷たくて気持ちよかった。
「やっと回復したみたいね。浩樹と一緒に、刑事さんの車で帰って来たときは、
何事かと縮み上ったわ」
「刑事? そうだったんですか?」
こめかみを押さえながら、口をぽかんと開けてしまった。伯母は伯母で、半
ば呆れた体で、眉間にしわを作る。
「まあ。それも覚えてないのね。火事の現場を見に行ったのが、よっぽどショ
ック……香苗ちゃん、話をしても平気かしら?」
「え? ええ、多分。話を聞かせてください」
香苗はしっかりうなずいた。伯母の様子から、教会の火事の件に関して、刑
事がある程度知らせたらしいと見て取れた。
「先に聞いておきたいのだけれど、あそこの神父……荻崎さんと知り合いだと
いうのは、本当? 浩樹がそう言っていたわ」
「はい。今度のクリスマスミサに、誘ってもらってて……妹達も一緒に」
ちょっぴり後ろめたい気持ちが起きる。そのせいでうつむき加減になった香
苗だが、伯母は特段気にした風もなく、続ける。
「そう。今度のことは残念ね……。言いにくいのだけれど、神父さんはね、殺
されたそうよ」
想像できていたから、心の準備はしていた。ちくちくと痛むものの、それで
取り乱すことはもうない。
「でもね、誰がやったのか目星が付いたから、安心してくださいと仰って、刑
事さんは帰って行ったわ」
「ほんと?」
にわかには信じられず、思わず聞き返す香苗。伯母は明瞭な発音で、「本当
よ」と応じる。
「出入りしていたクリーニング屋の店員が怪しいって。夜のニュースでもやっ
ていたのよ。火が出る前、恐らく最後に教会を訪ねたのが彼――若い男の店員
で、神父さんとはある程度の顔見知りらしいわ。教会からお金がなくなってい
て、一方、その店員はお金に困っていたから、動機もあったという言い方をし
ていたわね。まだ聞き込みを始めたばかりだけれど、神父さんを慕う人には次
次と巡り会っても、悪く言ったり恨みを持ってたりするような人は皆無だった
そうよ。容疑者となり得る人が、その店員の他に浮かんでこないって」
近くで起きた殺人事件ということで神経が高ぶっているのか、伯母の話の順
序は、分かりにくかった。頭の中で組み換え、整理してから飲み込む。
「その店員の名前は、公表されたの?」
「それはまだだったみたい。でも、私が見落としたかもしれないから、確かな
ことは言えないわ」
「その人、どうして……教会に出入りしてる人が、そんなことをするなんて、
普通じゃ考えられない」
神を信じているとは言いがたい香苗でも、不可解に思えてならない。
「お金に困っていたのなら、荻崎さんに正直にわけを話して、頼めばよかった
のに。荻崎さんなら、きっと工面してくれたわ」
「それもそうね。だけど、頼んだのを断られたのかもしれないわよ。教会も、
クリスマス前で何かと入り用でしょう? 絶対貸してくれると信じ込んでいた
犯人は、逆上して、神父さんを後ろから燭台で殴り付けた、とも考えられるか
らねえ。とにかく、香苗ちゃんはもう心配しなくて――」
「殴られて、いたんですか」
息を飲む香苗。伯母は、口が過ぎたと後悔したらしく、唇をしっかり結んだ。
そのあと、下で唇を嘗め、話を慎重に再開する。
「香苗ちゃん、もうよした方が」
「いいえ、かまいません。聞いておきたいんです。私には、妹達に説明する義
務もあるし」
恐らく中止になるであろうミサ、その理由を伝えなければいけない。妹達を
納得させられるように。それには真実を知っておく必要があるだろう。たとえ、
真実が、そのままでは妹達に聞かせられない内容であっても、知っておかなけ
ればいけない。そんな気がする。
伯母は、ゆっくりと鼻息をつき、両腕を伸ばした。
「私も、刑事さんから教えてもらったことは、あと二つだけなの。それも、事
件そのものには関係のなさそうな」
――続く