AWC 天使の名探偵  5   永山


        
#5345/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/12/24  01:41  (201)
天使の名探偵  5   永山
★内容

 教会とその周辺の風景と、そして荻先神父の姿とが、一緒になって、頭の中
をぐるぐる回る。本当にめまいを感じた。久しぶりの感覚に、不意に吐き気が
こみ上げ、喉元に手を当てた。我慢はできた。
「香苗ちゃん、顔色が……具合でも悪いみたいよ」
 声に気付いて、視線を合わせる。その先に、伯母の顔が結ばれた。最前の慌
てた様子は、もうなくなっている。元々看護婦をしていただけあって、落ち着
いている。香苗が何も言わないでいると、救急箱の方に飛んで行きそうだ。
「あ、平気、です。ただ、少し、気分が優れなくなって……」
「本当に? とにかく、座って。火事の話がいけなかったのかしら、ごめんな
さい。お水、あげましょうか?」
「いえ……はい、いただきます」
 頭の中が、まるで、テレビの砂嵐の画像みたいだ。考える気力が失われてい
くよう。テーブルに両肘をついて、こめかみに指を当てる。揉もうとすると、
鈍い痛みが起きた。やめて、深呼吸を試みた。息は乱れていないようだが、心
臓の鼓動が激しい。
「はい、ここに置くわよ。こぼさないよう、気を付けて」
 着付けの意味を込めたのか、伯母の声には一本、芯が通った感じだ。
 香苗はコップの位置を確認すると、引き寄せ、持ち上げずに口の方を近付け
た。縁からすする。一口だけ飲んだ。
「落ち着いた? 熱は――」
 伯母の手の平が、額に当てられる。ついさっきまで水仕事をしていたせいか、
冷たく、気持ちがよい。
「――ないようね」
「もう、大丈夫だと思います。火事の話にショックを受けただけだから」
「私が不用意だったわ」
「いいんです。それより、その火事で神父さんが亡くなったというのは、確か
なことなんですか……?」
 伯母の目が、不思議そうに丸くなる。品定めするみたいに香苗の顔色を窺い、
一つ、うなずいた。火事の話を続けても、問題ないものと判断したようだ。
「確かではないわよ。ただ、一人、亡くなった方がいるというのは、間違いな
いらしくて」
「そうなんですか」
 曖昧な情報に、まだ安堵できないが、落ち着きを取り戻すには役立った。頭
の中の嫌な渦が、徐々に勢いを失い、やがて収まる。
「学校へは行ける? 無理しなくていいのよ」
「問題ありません。随分、楽になりました」
 水の残るコップを押し戻し、伯母に精一杯の表情を作ってみせる。
 ちょうどそのとき、伯父と浩樹が、相次いで起き出してきた。この話題を打
ち切るのに、グッドタイミングだった。

 今朝は、登校の途中まで、浩樹が着いてきてくれた。彼の前では、火事の一
件を一言も喋らなかったのに、何やら妙な雰囲気を感じ取ったものと見える。
その証拠に、道中、しきりに気分はどうかと、聞いてきた。
「何ともないわよ、もう」
 マフラーを整えながら、大丈夫なことをアピールする香苗。しかし、浩樹は
言葉尻をとらえてきた。
「もうってことは、朝早くには、何かあったんじゃないのか? やけに早起き
してたみたいだけど」
「そんなことないってば。普段より、ちょっと早かっただけよ。変に勘ぐらな
いでほしいわ」
「嘘っぽいなあ。はっきり言って、香苗の顔色、いつもより青白いぜ。見れば
それと分かるくらいにな」
「え、ほんと?」
 香苗は焦り、頬に両手の平を当てた。真顔の彼女の目と鼻の先で、浩樹がに
んまり、頬の筋肉を緩める。それで全てを悟った香苗。
「鎌を掛けたのね」
「そうだよ」
 悪びれた様子のない返事に、香苗は好感を抱く。しょうがないかと、あきら
めた。そして、しばし考えて、朝火事のあった話をする。
「香苗が、火に苦手意識を持つのは、承知してるけれどさ」
 聞き終わって、浩樹は難しげに眉間にしわを作った。首を捻りつつ、香苗に
確認を取る。
「教会の火事には、別の思い入れみたいなもんが、あるみたいじゃないか」
「ええ……今は時間がない。それに、私もまだよく把握できていないから、帰
りしなに話すわ。終わる頃って、分かる?」
「あん? まあ、大体は。今、期末試験直前週間に入ったところで、部活がな
いから、計算しやすい」
 落ち合う時刻と場所を決めて、二人はそれぞれの学校に向かう。浩樹は駅の
方へ、香苗は郊外に通じる並木道に――やがて、教会の尖塔が目に入った。
 一瞬、ほんの一瞬だけ、香苗は思った。思ったことを、口にする。
「火事なんかなってないんだ? たちの悪い噂だった」
 そう錯覚するほど、鐘の塔は毅然としたたたずまいを誇示している。何事も
なかったかのように、町を見守っている。
 だが、よく見ると、全体に黒ずんでいる。煤だろうか。
 香苗は顔を背けた。塔のあの有り様を続けて見ていると、朝の不調がまたぶ
り返してきそうな悪い予感がある。
 香苗は歩を早め、うつむき加減に通学路を急いだ。そうすることで、平静を
保てる。事実を確かめるのが恐かった。
「あ、釣島さん」
 学校まで、このペースならあと五分強という頃になって、香苗は同級生から
声を掛けられた。面を起こして、挨拶をする。
「村瀬さん。おはよう」
「あ? ああ、おはよう。ねえねえ、釣島さんも隅に置けないね。日曜日、ど
こかにお出かけじゃなかった?」
「ええ、買い物に」
 見られていたのかな、と香苗は考えた。そのとき声を掛けてくれたらよかっ
たのに。いえ、それよりも、こっちは彼女に気付かなかったことの方が、問題
だ。友達だったら、見つけられるはずなのに。
「一緒にいた背の高い男は、彼氏?」
「え?」
 意表を突かれて、言葉に詰まる香苗。
「遠目からだったけれど、格好いいのはようく分かったわ。ちょっとマッスル
な感じかなあ、肩幅があって、眉も太かったような。あれ、誰? 私達の学校
では見かけない顔だったわよ。そうそう、足長かったよねえ」
 相手が一気に喋る間に、香苗は体勢を立て直した。と言っても、ここは毅然
とした態度で否定する他にないのだが。
「村瀬さん。盛り上がっているところを悪いのだけれども、あの人は、彼氏で
も何でもないわ」
「本当にぃ?」
 疑いの眼で返してくる村瀬に、香苗は、つんと前を向いたまま。
「嘘じゃないわ」
 声にも刺が生えてきた。こんなとき、笑いのオブラートに包んで、柔らかい
会話のできない自分が、少し嫌になる。
 村瀬は気にした風もなく、嬉々として質問を重ねてきた。
「じゃあ、どういう関係? 友達とか言われても、納得できないからね」
「……」
 香苗は深呼吸をした。今お世話になっている家族のことを、第三者に話すの
は、なるべく避けたい。現に、これまでも言わないできたし、友達を家に招い
たこともない。
 しかし、村瀬の間違った思い込みを解くには、正直に話すのが一番手短に済
むし、逆に適当な嘘で糊塗するのは不誠実というものだ。
 再度大きな息をついて、香苗は決意とともに口を開いた。校門を通るのと、
ちょうど重なった。
「従兄弟なのよ」
 必要最小限にとどめる。一緒に暮らしている云々は、言うこともないだろう。
「従兄弟? へえ? で、従兄弟と一緒に、何しに出かけてたわけ?」
「ちょっとした買い物に。彼に、品物を選んでほしいと頼まれたの」
「……あ、なあんだ。ていうことは、その従兄弟には、恋人がいるのね?」
「そうみたいね。ただ、恋人と呼べるほど、深い仲じゃないと思うわ。詳しく
は知らない」
 生徒昇降口をくぐって、下駄箱の前に立つと、上履きに履きかえる。会話が
途切れたのを機に、香苗は若干早足になった。
「あ、ねえねえ。従兄弟の名前は? それに年齢も」
「同い年よ。名前は、浩樹って言うの」
「浩樹君かあ。覚えておこうっと」
 あとから着いてくるクラスメートの反応が、気にならないでもない。
(ひょっとしたら、一目惚れをした? 絶対ないとは言い切れないわよね。浩
樹と何とか言う女の子が、どれほどうまく行っているのか知らないけれど、波
風立ててほしくないなあ。穏やかにクリスマスを過ごさせてあげたい。……私
達の方は、ちょっと暗雲垂れ込めてきた感じだけど)
 教会が焼けたとなると、ミサ中止は間違いない。致し方ない事情ではあるが、
姉妹三人が揃う出鼻をくじかれた感がある。しかも、そうなった発端が火事と
は、何という嫌な因縁だろう。
「釣島さん?」
 村瀬の声にはっとし、我に返る香苗。せめて学校の中では、いつもの自分を
通そうと気を引き締めた。

「神父さんと知り合ったって、いつの間に?」
 下校時間を調節して、浩樹と合流した香苗は、まず、荻崎神父とのことから
話し始めた。それを受けての、浩樹の反応だ。
 香苗が細かく説明すると、浩樹は「ふうん」とつぶやき、口元を拭った。香
苗を見る目が、いつもと違うような。
「なあに? 変かしら?」
「いや。ただ、まあ、俺には縁がないからな、教会だの神父だのって。よく分
からない」
「クリスマスは毎年、祝ってるのに」
「あれはイベントみたいなもんだろ。いかにして好きな相手と二人きりで過ご
すかに知恵を絞るだけで、今さら神様に感謝してる訳でなし。ああ、でも、試
合のときなんか、精神集中して、たまに神様に祈ることあるな。キリスト教じ
ゃないけど」
 言って、自分で笑う浩樹。そしてまた真顔に戻る。
「それにしても、香苗は前は、無神論者みたいなこと言ってなかったか。祈っ
ても、助けてくれやしないって」
「……」
「あ、悪い。思い出したくないなら、いいよ。話を換えようか」
「ううん。別に、かまわない」
 冬の夕暮れどきの冷たさを肌でひしひしと感じつつ、香苗は平気な顔をして
言った。首を振った拍子にずれたマフラーを、巻き直す。
「それで、亡くなったのが荻崎さんかと思うと、凄く……痛い」
「まだ決まった訳じゃないんだろ、その人が死んだと」
「お昼過ぎ、職員室で、先生達が話しているのを聞いた。テレビのニュースで、
報じられたんですって。警察消防も、荻崎神父である可能性が濃いと発表した
みたい」
 うつむく香苗。浩樹は持て余したか、見てられないのか、とにかく口をもご
もごさせ、やっと行った。
「……知り合って間もないおじさんが死んだだけで、そこまで心を痛めるのは、
どうかと思うけどな。逆に、知り合いじゃない奴が死んでも、見捨てていいの
かってことにもつながるぞ」
「強引な理屈ね」
「何だよ。香苗、おまえ、その神父さんに惚れてたのかよ」
「違うわ。ただ、最後に荻崎さんと会ったとき、喧嘩別れしたみたいになって
しまって……。次に行ったときに謝ろうと思ってた。でも、“次”がなくなっ
て、謝れなくなった」
「……」
「後悔してる。とてもつまんないことで、私が一方的に機嫌を悪くしただけの、
口喧嘩とも呼べないような喧嘩だったけれど、もう謝れないと思ったら……悔
しい」
 言い終わると同時に、涙がこぼれた。二筋。手の甲をあてがう。
 浩樹が正面に立った。自身のマフラーを手に取って、香苗の目尻や頬の涙を
拭った。
「安心しろ、香苗。神父さんも神様も心が広いものと、世間一般に相場が決ま
っている。それに、全てをお見通しだ。おまえの気持ちなんかも、当然見抜い
ている。だからきっと、許してくれるさ」
「……そうだといいんだけど」
「そうに決まってる。間違いない」
 また泣き出した香苗を、浩樹が悪態混じりに慰める。
「みっともない。泣くなよ。台無しじゃないか」
「――しばらく、こうさせておいて」
「往来で、他人目があるんだぜ」
 そう言ったものの、浩樹は香苗の希望通りにした。
 何分か経過して、心の波が収まってきた香苗は、ハンカチで顔をごしごしこ
すった。濡れた痕をなくすと言うよりも、気恥ずかしさをごまかすため。
 それも終わって、香苗は浩樹に切り出した。
「これから、教会に行ってみようと思っているの。付き合ってくれない?」
「聞かれるまでもない。今の香苗を、一人で行かせられるか。危なっかしい」
「あ……ありがと」
 礼を述べた香苗を置いて、浩樹は歩き始めた。
「こっちでよかったんだっけか?」

――続く




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