#4788/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 3/30 15: 9 (200)
そばにいるだけで 34−8 寺嶋公香
★内容
「はあ……嬉しいけれど、多分、香村君のおかげ」
「それはあるかも」
臆面もなく、香村は大きな身振りでうなずいた。
「でも、まじでよかった。僕、思わずアドリブで抱き寄せたくなったほどだよ」
「ええっ?」
つい大きな声になってしまい、純子は両手で口を押さえた。病院の建物に反
響している。
「綸、あんまりからかうもんじゃない」
「からかったつもりなんて。まあ、いいや。それよりさ」
星崎から純子へ目を戻した香村。
「今日で山場を越えたろ。打ち上げってわけには行かないけれど、みんなで夕
飯、食べに行こう。近くに名物料理屋があるんだってさ」
「みんなって……みんなで?」
純子の言葉は、スタッフの人も含めて全員で?という意味。星崎がちゃんと
汲み取ってくれた。
「いや、僕らだけ。俳優四人にマネージャーや付き人が……六人になるのかな」
「舞美ちゃんも入ってる。きっとお待ちかねだな。ご立腹させない内に早く行
こう」
香村が純子の手を引こうとした。
「それだと私、家に連絡しないといけない」
「マネージャーに任せとけばいい」
他の俳優にはマネージャーや付き人がいるのに対して、純子にはいない。
一応、モデル仕事を取り付ける関係で相羽の母がマネージャーを勤めている
が、今度のロケには同行できなかった。
相羽の母が無理なときは、代わりに杉本が着いてきてくれることが多い。今
回もそうだ。久住淳のマネージャーは市川であるが、その市川がモデル・涼原
純子にくっついて来るのは不自然。そこで杉本に白羽の矢が立った次第である。
「でも、やっぱり自分の口から言わなくちゃ」
純子は皆に先に行ってもらい、杉本から携帯電話(正確にはPHSだ)を借
りた。
「お母さん? 私、純子」
さすがに母も父もいい顔はしなかったようだが、許しは得られた。
電話を返すや、呼び出し音が軽やかに鳴った。
「おっと。きわどいタイミング」
杉本が出て、やり取りがしばらくなされる。聞いていると、どうやら相羽の
母かららしい。やがて、携帯電話が純子に向けられた。
「純子ちゃん? ごめんなさいね、つきっきりになれなくて」
「いえ、そんなことかまいません」
「明日からは付き添えるから」
「ほんとですか? よかった!」
やはり嬉しくなる。杉本ではどうも頼りにならない気がするのだ。
(杉本さん、悪い人じゃないけれど、軽すぎるのよねえ)
純子はここ数日のことを思い起こした。
演技に関して意見を求めると「いい感じだよー。演技の善し悪しはさっぱり
分からないけれど」といった調子で、気分を盛り上げようとしてくれるのはい
いとしても、あらさまなのだ。一度、「矛盾してません? 分からないのにい
い感じだなんて」と聞き返してみたが、のれんに腕押しだった。
あるいは、「加倉井さんよりうまい?」と、ちょっぴり意地悪な質問をして
みたこともある。当然、勝てるわけないと承知の上。
このときばかりは杉本も腕組みして頭を傾ける。さすがに軽口は慎んだ……
いや、違った。「加倉井さんの耳に入ると角が立つから、言わないでおきます
か」なんて言って、肩を揺らして笑うのであった。
「杉本さんて……調子がいいって言われませんか」
「あれ、何で分かるの? 外見にもにじみ出るのかな。たいていの場合、僕は
絶好調だから」
真顔で言われては笑うに笑えなかった。「調子がいい」と「いい調子」を取
り違えているのだ。
「――純子ちゃん、聞こえてる?」
「あ、はいっ。すみません、もう一度」
ふと我に返る。
「何回か信一を連れて行くけれど、いいかしら? あなたの気になるようなら
やめさせるけれど」
「ううん、いい。全然、かまいません」
即答。理由として、
(同級生に見られるのは緊張するけれど、相羽君がお家に一人なんてことにな
らない方が大事)
とは口には出さなかったが。
「そう、よかったわ。あと少しよ、しっかりね」
「頑張りまーす。――あ、おばさま。信一君の試合、どうでした?」
「それがねえ……ごめんなさい、やめとくわ。明日、信一が直接話すでしょう」
相羽の母の声には、話しにくそうな雰囲気と含み笑いのような響きが混じっ
ていた。
純子は怪訝に感じながらも、明日の楽しみにした。
雨音が窓ガラスを通して聞こえる。通り雨らしいが、ガラスが震えるほどの
相当な激しさだ。
個室での食事が一通りすみ、デザートを味わおうとしているところへ、撮影
が一日延びる模様になったことがプロデューサーからの電話で場に伝えられた。
「ま、いいけどさ」
各人、スケジュールは余裕を持って押さえてあるので、混乱はない。ただ、
オフを予定していた日が潰れるので、ブーイングが起こりもする。
「君は大丈夫なの?」
純子の髪を香村がつんつん引っ張ってきた。何度目だろう?
ごく弱い力だったので痛くはないが、押さえながら振り返る。
「やめてよね」
「だって、きれいな髪だから、つい、手が伸びちゃうんだよね」
にやつきながら香村が言い訳する。
最初は純子を馴染ませようとしてやっていたのだろうけど、目的を達成した
今、もはや香村の癖となってしまったらしい。
「それで、スケジュールは?」
「お仕事なんてそんなにないもん」
少しすねて見せた。そこへ本音を足す。
「どちらかと言うと、家族や友達と会える機会が減っちゃって残念。寂しいな」
「ホームシックにかかったなら、何人でも現場に呼んでいいのよ」
加倉井が横合いから言った。
「撮影の邪魔にならないようにさえすれば」
振り返ったが、加倉井はそっぽを向いたまま水を飲んでいた。デザートに手
を着けないのは、ダイエットでもしているのだろうか。
彼女のことを、純子は相変わらず掴めない。この場にはいないけれど川内ら
ベテラン陣とは接してみて、役のイメージ通りの人柄だと感じた。香村は予想
していたよりも子供っぽかったものの、親しくしてくれる。星崎に至っては本
当の妹みたいな扱いをしてくれるので、こちらもつい甘えてしまうほどだ。
「もうじき終わるんだし、仲よくやってよ」
マネージャーの一人が心底懸念したような顔付きになっていた。当の純子と
加倉井は特に反応しなかったが、香村が「心配無用だっての」と切って捨てた。
「一番会いたい友達っていうのは、やっぱり彼氏かい?」
星崎が顎を触りながら言った。夜を迎えて、髭の伸びを気にしているのかも
しれない。
「いたらそうなるんでしょうけどねー」
純子は気にしてもらえるのが嬉しくて、軽快な調子で応じた。
「いないの?」
星崎と香村、二人のアイドルタレントが意外そうな声を揃って上げた。台本
があるかのように息ぴったりで、笑いを誘う。
「いません」
「事務所から言われたから、作らないとか」
「ちがーう! それ以前の問題なんですっ。もう、私のことなんかどうだって
いいでしょう」
「君ぐらいにしか聞けないんだよ。聞く楽しみがない」
首を回してこりをほぐそうとする身振りの香村。
「この世界だと、さっき言ったように事務所の禁止令が出ているか、記事にさ
れるのを恐れてだーれも喋ってくれない。ヒントさえね」
「新人さんを肴に、盛り上がろうと思ったのに」
加倉井はさもつまらなさそうに言い捨てると、爪の手入れでも考えているの
か、手を表向けたり裏向けたりして指先に目を凝らした。
「加倉井さんにはいるの?」
言われっ放しも癪だったから、だめで元々と聞いてみた。
加倉井は面を起こし、急な笑みを作った。
「もちろん、いるわよ。――百人ぐらいね」
そしてくっくっくと押し殺した笑いをこぼしながら、再度、指先に見入る。
「聞いても無駄だよ、と言おうと思ったのに」
星崎が肩をすくめていた。
「サービスで、琥珀の話をしたらどうかな?」
杉本が突然言い放った。アルコールが入ったわけでもないのに、顔が赤らん
でいる。上気しているようだ。
場全体が「琥珀って?」と純子に注目する。
「杉本さあん!」
この人にまで琥珀の話をしたのは間違いだったかも……と後悔してももう遅
い。杉本は両手の平を合わせる仕種だけで、一向に反省の色がなかった。
「面白そう。何なに?」
隣の香村がはしゃぎ気味に深く聞いてくる。純子は肩を落としてあきらめた。
全員に聞こえるよう、落ち着いた口調で始めた。
「お守り代わりにしてるんです。小学生のとき、男の子からもらった琥珀を」
なるべく冷やかされぬよう、手短に伝えることを心がけた。
その成果が出たわけでもないだろうが、「ふうん、いい思い出話じゃないの」
「まるでドラマね」なんて感想が返って来た。本気かどうか疑わしいものの、
同級生に話したときのように騒ぎ立てられることがなかったので、一安心。
唯一、香村が「そのときの相手のこと、いいと思ってるんだ?」と念押しす
るかのように聞いてきた。やはり、香村の実像は子供っぽい。
「頼りにはしたけれど、理想の相手なんて意識は全然ないってば」
「そうかなあ? 話聞いてると信じられないな。琥珀、見せてくれよ」
「だーめっ。思い出は自分の胸だけに秘めておくと、どんどん膨らんで大きく
育つのよ」
強く言い切って、純子は他の話題を探す。顔が赤らむのを感じ、汗を拭う素
振りで隠そうとした。
「皆さんの星座は何ですか? 私、ギリシャ神話には少し詳しいんですっ」
話のつなぎに、かなり無理があったかもしれない。
相羽の答を聞いて、やめておけばよかったと思った。
「一回戦負け」
撮影スタジオに向かう車中で、純子は相羽に昨日の試合について尋ねた。
相羽の単語による返答に、純子は次をどうしようか迷う。横顔を見ただけで
は、そんなに落ち込んでいないように感じられるのだが。
(でも、強がっているのかもしれないし……)
沈黙しているのもまずいと思うのだが、言葉が思い浮かばない。
逆に、相羽の方から口を開いた。さばさばした調子だった。
「自分のこと、それなりに運のいい奴だと信じてたのになあ。昨日は最悪。優
勝した選手と最初に当たってしまってさ」
「……え? ということは、凄く強い人に負かされたの?」
「う、うん。結果論だけど」
いくらか言い淀んだ相羽。説明すればするほど負け惜しみになってしまいそ
うなのを恐れているのかもしれない。かと言って、純子の問いに、ただ負けた
と答えてへらへら笑うのもできない……。
「負けたけれど、充実感あった。すっきりした。二回も延長になって、判定で
及ばなかったのは……悔しい。でも、やってて嬉しくなってくるんだ。相手が
仕掛けてくるのを切り返して、そうしたら向こうはそれをさらに、ってね。あ
んな経験、滅多にできないと思う」
「――よかった」
純子は顔全体をほころばせた。語る相羽の様子を見守る。そうする内に芽生
えた心持ちは、寒風吹きすさぶ外から家に帰り、暖を得たときに似ているかも
しれない。
「相羽君、全力が出せたのよね。次、勝てばいいんだから」
「はは、そう簡単に勝てるかどうか」
「次は絶対に見に行くからね。力いっぱい応援する。だから勝ってよ」
純子に両手を取られたまま、相羽はかすかにうなずいた。
「やっぱり、結果を出すまでやめられないか」
「うん? じゃあ、やめるつもりだった?」
「いや、決心してたわけじゃない。ただ、もう一つやりたいことが……」
語尾を濁す相羽に代わって、その母がつないだ。
「信一はピアノをやるつもりなのよ」
「ピアノ! いいじゃない、相羽君。やりなさいよ。今でも上手なのに、練習
すればとびっきりになるね。いいなあ、聴いてみたい」
相羽は両手の指で髪を梳くと、疲れたような息を吐いた。
「両立って厳しいんだぜ。それに……ま、いいか」
「何が?」
「言っても仕方ないよ」
今度は怒ったみたいに口をつぐむ相羽。純子は首を傾げる思いで、相羽の母
に尋ねてみようかと考えた。しかし、撮影所が見えてきたので取り止めざるを
得なくなった。
――つづく