#4789/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 3/30 15:10 (196)
そばにいるだけで 34−9 寺嶋公香
★内容 16/10/25 02:45 修正 第2版
目隠しすることで、かえって意識が強まるものらしい。
(どこかで見てるんだわ)
見えない相羽からの視線を意識して、純子は少なからず固くなった。普段の
自分を知っている人に演技する姿を見られるのは、これまでにない種類の緊張
感を運んでくる。
それに比べたら、正面にいる香村の方が、よほど慣れ親しんだものに思える。
去年までは、直接目にすることさえおいそれとかなわぬ存在だったのに。
「どうかした? 動きがぎこちない感じ」
リハーサルの切れ目、香村の囁きが耳のすぐ横から届いた。びくっと震えて、
顔の向きを香村に合わせる。
「う、うん。おかしいな、久しぶりに緊張が戻って来たみたい」
「ふうん? そうか、あいつが来たからだ」
それ見たことかと鼻で笑うような息が、わずかながら耳に届いた。
「相羽君のこと?」
「そうさ。気になるんだったら、出て行かせりゃいい」
「そんなことできないわよ。誰に見られてたって、変わらない演技ができない
と、役者じゃないでしょ?」
「言うようになったね、君も」
先ほどとは別の意味で、鼻で笑う香村。
「あの、ごめんなさい。別に偉ぶってるんじゃなくて」
「いやいや。気に入っちゃったな。僕と同じだ」
「ええ? どういう意味で……」
「生意気だって、僕もよく言われる。同類同類」
肩を急に引き寄せられ、純子はつんのめりかけた。
(からかわれてる気がする。優しくしてくれることもたくさんあるのに……分
かんないなあ)
体勢を立て直してから、また髪の毛をいじられているのに気付いた。息を吸
い込み、静かに警告した。
「――ねえ。いくら香村君でも、怒るわよっ」
* *
怒るわよと言って頬を膨らませた純子を見て、香村はますます調子に乗った。
(かわいいな! まじで、自分の物にしたくなってきた)
本番行ってみようかの声が掛かる。
演技に入る直前まで、香村は別のことを考えていた。
(まずは、あいつ――相羽が鬱陶しいな。差を見せつけるいい作戦、ないかな。
ちょっとやそっとじゃ、ほとんど悔しがる素振りを見せない奴だもんな、やり
にくいったらない。何か……)
カメラが回り始める。途端に役に入れる香村。この年齢にして大きな顔をす
るだけのことはあった。
『成功……したのか?』
『分かんない、まだ』
『俺を見たいんだろ? 俺の面、すげえハンサムだぜ。これ見なかったら、一
生悔いが残るってもんさ』
『そうね……。手の指、細いから、身体もきっとすらっとしてて格好いいんだ
ろうなぁ』
純子の台詞に合わせて、香村は自らの手を純子の手にあてがう。
『初めて会ったとき、ひどい声だったけれど、だいぶよくなったのよね? 会
う度に優しさあふれるようになって』
『よせやい。この声は――生卵を飲んだからだ』
『生卵?』
『何にも知らないんだな。声をよくするには生卵を丸飲みすれば一発』
『えっ、殻は剥かないの?』
『――ははははっ! ばーか』
純子の頭を軽く小突いたあと、大声で笑ってしまったことを後悔するように、
唇を噛みしめる。
――撮影は順調に進んだ。監督の合格が出て、何度目かの休憩に入る。
(やってみるか)
思い付きを実行する前に、香村は相羽の姿を探し、居場所を確認した。
(よしよし、こっち見てるな)
ほくそ笑み、改めて純子に手を差し伸べる。
「気を付けて」
包帯を解けない純子の支えとなり、ベッドから下りるのを手伝う。これはい
つものことだ。
しかし、このときの香村は違う意図を持っていた。
(――今だっ)
純子が上半身を立て、左足を床に着地する寸前。狙い澄まして、香村はそれ
と気付かれぬ程度に純子の手を横に引いた。
「あ」
香村の思惑通り、バランスを保てなくなる純子。一本の細い棒きれのごとく、
否応なしに香村の腕の中へ倒れ込む。
「――危ない」
香村は抱き留めてから、明確な口調で言った。
(ちっ、失敗した)
抱きしめることには成功しても、それだけでは足りない。ハプニングを装っ
て、できれば純子の口に、最悪でもおでこにキスするつもりだったのだ。
(ま、しょうがない。あいつも来ることだしな)
香村は相羽の足音を背中で聞きながら、次を考える。
(目の前で奪うのもいいな。面白そうだ)
香村には自信があった。何をしても許される自信が。
* *
香村がこちらを肩越しに振り返ったとき、嫌な予感が身体を走り抜けた。
(まさかあいつ)
相羽は表面こそ普段と変わりなく、ぼんやりとした眼差しを送って見守って
いたが、内心はそれどころでなかった。夢中で手をポケットに突っ込み、何か
投げる物を探していた。
(――これ)
指先に触れたのは、トランプのケース。もしも見学を禁じられたときの暇つ
ぶしにと思い、持って来た物だ。
いざとなったら、こいつを香村にぶつける意志を固めた。紙製だが、それな
りに痛いはず。
相羽は二歩、進み出た。
その瞬間、視線の先で展開されたのは、純子が前のめりに姿勢を崩し、香村
に抱き留められるシーン。香村の手が不自然に動くのを目撃した。
(香村、芝居は終わってるぜ)
叫びたいのを飲み込んで我慢し、足早に駆け付ける。
「大丈夫か、純子ちゃん」
「相羽君?」
純子がうろたえたような響きで言って、相羽の方を振り向く。
「僕が受け止めたから、平気だよねえ」
香村が頬の筋肉を存分に使って、にやりと笑った。そして腰を屈め、目の見
えない状態にある純子の口元へ顔を寄せる。
(こいつ――)
相羽は右手を短いモーションで突き出し、純子の唇の前に壁を作った。
「う?」
香村は戸惑いのうめきを上げ、目を何度もしばたたかせる。
相羽の手の先にはトランプカードが一枚。そいつが笑うジョーカーなのは、
偶然だ。
「うちの大事なタレントに傷をつけないでほしい」
相羽の低い調子の声に、香村が斜めに見やってくる。
「――と、母さんが言っているから。気を付けてくれよな、カムリン」
相羽は香村が姿勢を正し、純子から手を離すまでトランプをかざし続けた。
「な、何?」
ベッドに再度腰を落とした純子が、不思議そうに顔をきょろきょろさせた。
「どうかした? 傷って、私、怪我なんかしてないわよ。ほら」
「香村君にお願いしただけだよ。どうせ手助けしてくれるなら、細心の注意を
払ってほしいってね」
「そんな。私も不注意だったのよ」
純子が香村をかばったのが、少しばかり悔しかった。相羽は香村を見据えて
から純子へ手を伸ばし、繊細な造りのガラス細工を扱うよりも大事そうに、そ
っと引き寄せた。
「僕がいるときは、僕がやる。人気アイドルに付き人みたいなことさせるなん
て、もったいなくて」
「……オーケー」
いつもに比すと甲高い声で答えた香村。
「えっと、相羽君だっけ。一つだけ聞いていいか」
「何?」
「君は彼女の付き人なのかい? そうだとしたら、撮影が始まってから今日ま
で姿を見せないとは、お粗末だねえ」
「付き人なんていないって言ったでしょ」
我慢できなくなった風に、純子が唇を尖らせてる。
「相羽君は――」
「そう、付き人じゃない」
相羽は純子の語尾を強引に受け取り、言葉をつなぐ。
「ボディガードってところ」
「ああん、何だって? 守るんだったら、なおさら最初から……」
相羽の返事が予想外だったのだろう。香村の勢いが鈍った。
「気付いたのがつい最近だったもんで。純子ちゃんを狙う奴がいるってことに」
「何のこと?」
純子が不安げな口調と共に見上げてきたが、それには答えず、相羽は彼女を
導いた。
* *
わけが分からないまま、純子は支えられて歩き出していた。
「ね、相羽君」
「何?」
「あなたって、香村綸が嫌いなの?」
感じたことを率直に問い質してみた。相羽の表情が窺えないだけに、声だけ
が頼りだ。
「何でそう思うの」
「さっき、二人が話してるとき、何となくぎすぎすしてた。香村君の方もいつ
もと違う感じで」
「そう? 僕はいつもの香村綸なんて知らないから。あれが普通だよ」
相羽は答えてから、右手をポケットへやった。トランプカードのことを、純
子は気付かずじまいだった。
「純子ちゃん、撮影はどんな感じ?」
相羽の母の声がした。スタジオの端っこまでたどり着いたんだと判断できた。
「毎日、怒られながら頑張ってます」
「他の人達とは仲よくやれてるのかしら」
「さあ……最初の頃はぎくしゃくしてたけれど、今、やっと慣れてきたかな。
演技やしきたりなんかも教えてもらえたし」
純子の返事に、相羽の母は「そう、よかったわ」とうなずいた。
と、相羽がふと思い出した口調で尋ねてくる。
「香村のこと、顎で使ってる?」
「――ああ。まさか。でも、何にも言わなくても優しくしてくれるのよ。私が
新人だから気遣ってるのね」
「そうかな」
「そうよ。星崎さんも川内さんも、色々アドバイスをくださって。問題なのは、
まちまちなことを言われるのね。こんがらがっちゃって」
「星崎譲は……どんな感じ?」
純子の台詞を遮って、相羽が聞き返す。
「うーん、役のせいもあるんだけれど、お兄さんのイメージ。声がソフトで心
地いいから、喋ってて疲れない。他の人だとまだ緊張があって、気疲れしちゃ
う。それより、ねえ、私のことばかり聞いてないで、そっちの話も。春休みに
入って何かあった?」
「えっと、椎名さんに推理小説を渡した」
流すように答えた相羽。純子は聞きとがめて、
「できたの? ずるい、私も読みたい」
と声を張り上げた。顔が見えないと、霞を掴んでるみたいで頼りないが。
「忙しくなくなったら渡すよ。それで、椎名さんから君のこと聞かれて。正直
に教えるわけにいかないから、友達と遊びに出てるみたいだって言っておいた
けれど、まずかったかな」
「それは……いいと思う。連絡入れとかなくちゃ。ありがと。他には?」
「練習ばっかりで大したことしてなかったからなあ。四月になったら唐沢達と
一緒にサッカー観に行く予定。――あ、あれがあった」
「あれって」
急いで問い返す純子。もうすぐ休憩が終わる。
「ほら、口紅のポスター。完成して、見せてもらったんだ」
「口紅――」
純子は包帯をしていてよかったと思った。
――『そばにいるだけで 34』おわり