#4787/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 3/30 15: 8 (200)
そばにいるだけで 34−7 寺嶋公香
★内容
隙を衝いて、津野嶋が回る方向を逆にした。急な変化に相羽の反応が遅れる。
左袖口を掴まれ、強く引っ張られた。バランスこそ保ったものの、コントロ
ールされる。さらに襟にも手が伸びてくる。
(やばいっ。倒されたら締められるな)
相羽はしりもちをつく要領で体重を落とし、引き込みにかかる。柔道では禁
じられている動きだが、柔斗ではルールの範囲内だ。
津野嶋は待ってましたとばかりに後ろに回り込もうと身体を前に出してきた。
そこへ、一か八かの賭けに出る相羽。
袖口を掴む相手の右腕を両手でさり気なく握ると、間を置かずに、津野嶋の
得意技である飛び付き腕ひしぎを仕掛けてやったのだ。
一流の選手の中には、自分の得意技を反対にかけられても充分に対処できる
者が多くいる。だが、中学生である津野嶋に、そこまでの力はまだ身に着いて
いなかったようだ。
「うっ?」
声が聞かれた。
見よう見真似でやった相羽の技術では、極めるまでには至らない。しかし、
津野嶋は踏ん張って防戦するだけで精一杯の様子だ。何よりも、津野嶋が試合
中に焦りの色をなすこと自体珍しい。
相羽は腕をあきらめ、敵の右足首に狙いを変更。さらに両足を相手の胴に絡
めて前に倒れさせようと力を込める。膝十字固めを極めるチャンス到来。
すると津野嶋は、相羽が気抜けするほど簡単に前に倒れた。力を入れる必要
はなかった。
(? 何か、やばそう!)
あまりの手応えのなさに、膝十字への即時移行をためらい、全身に神経を行
き渡らせる。
果たして直感は正しかった。
津野嶋は故意に前転し、相羽の足首を固めるつもりだ。
察した相羽は攻撃をあきらめ、畳を蹴って、身体を離す。
双方、片膝をつき、にらみ合い。同時に立ち上がった。
噴火のような拍手が一気に起こった。
(――凄い)
逃げることができた安堵のあと、相羽は思った。
津野嶋の強さは、最初に袖口を掴まれたときに肌で感じた。まともにやり合
えばじきにやられてしまうに違いない。望月と戦うまで勝ち残ることを優先す
るなら、相羽は策を弄してねちっこく行くしかない。
しかし。
(こんな強い奴とやれて、ぞくぞくしてくる! 小手先の仕掛けなんて捨てて、
真っ向勝負したいっ)
迷いが生じていた。嬉しい迷い。
そしてもう一つ、気持ちの奥の奥では、少し以前から抱いている付属的な迷
いも膨らんでいった。
(ピアノと武道の両立ができればいいのにな)
二度に渡る時間切れ、ポイント差なしの判定ドロー、延長の繰り返しに、相
羽も津野嶋もばてが来ていた。肌に汗が玉となって浮かぶが、それも熱気で消
えていく。
そして再びの五分延長もやはり時間切れに終わった。都合、三試合分闘った
ことになる。異例の状況に主審と二人の副審が集まり、何ごとか相談を始めた。
相羽は定位置に仁王立ちし、会話をかすかに聞けた。どうやら、対戦者が中
学生であることから体力面を考慮。これ以上の延長はなしとし、些細な点でも
優劣を付けようという申し合わせが行われた模様である。
副審二人は試合場の縁に置いた椅子に戻った。主審を含めた三名が赤と白の
旗を左右の手に取る。
赤が多ければ相羽、白が多ければ津野嶋の勝利だ。これまでは引き分けも認
める、つまり、二本の旗を交差させて掲げることで優劣なしを宣せられたが、
今回はない。赤か白、いずれか一本を高く掲げねばならない。
主審が手の仕種で相羽と津野嶋をきちんと立たせる。
二人だけでなく、会場全体が勝敗の行方を固唾を飲んで待っている。独特の
張り詰めた雰囲気が漂った。
「――判定っ」
主審の、初老にしては張りのある声と同時に、三者の旗が動く。
赤一、白二。
「白、津野嶋!」
審判の右手が横に差し出され、津野嶋の勝利が告げられた。
(負けちまったか。ふうっ)
深く頭を下げて畳の上から去ろうとした相羽。だが、中途で動作を止めた。
津野嶋が不服そうに首を振っている。主審に数歩近寄って、表情険しく、だ
が静かに抗議している。
「決着するまで闘わせてください」
「判定で決着したではないかね」
「彼との間に、そんな差はありませんでした」
真剣な会話が漏れ聞こえてきた。勝者が判定に文句をつける異常事態に、観
客にはざわめきが広がっていく。
(ふふ。頑張った甲斐があったかな)
相羽は話が終わるまで待つと決めた。もちろんまだ闘いたい気持ちもあった
が、判定が取り消されることは期待していない。ここでさっさと帰っては、津
野嶋に恥をかかせる。それだけの理由だ。
(それに、握手してエールを送りたいな。優勝してくれって。あ、望月先輩に
悪いか)
あれこれ考えていると、口元がほころんできた。悔しいはずなのに、それを
遥かに上回る爽快感を確かに感じる。
津野嶋が元の位置に戻った。話が着いたようだ。ただし、唇を尖らせ不機嫌
そうな顔から想像するに、納得していないが大会進行の都合もあるし、師匠の
顔を立てて渋々引っ込んだ、そんな風情である。
改めて礼をし、相羽と津野嶋は互いに近寄った。
左手を出す津野嶋に対し、相羽は両手で握り返した。
「ありがとうございました。――優勝してくれよ」
「ああ……すまなかった。いつかもう一度、手合わせしよう」
「何度でも」
約束して別れた。
畳を下り、控え室に戻る道すがら、望月が走り寄ってきて肩を叩く。
「凄く惜しかったぜ。あの津野嶋相手にやるじゃんか」
「負けて悔しいけれど、自分の力を試せてよかった気がする」
前回、勝って悔しい思いをしただけに、その感慨は一際大きい。
「何だよ、淡々とするなよ」
望月は下手すると相羽以上に興奮しているところがあった。
「最後だって、どっちが勝ってもおかしくなかったぞ。もっと悔しがれ」
「はいはい、悔しい悔しい」
「俺も悔しい。相羽が津野嶋を潰してくれたら、俺が優勝しやすくなったのに」
控え室のドアを真正面にして、望月はうなだれた。直角に首を曲げて、まる
で釘抜きのような形だ。
ドアを開けて中に入り、汗を拭きにかかる。
「望月先輩、津野嶋に勝てる自信は?」
「こら、先輩付けはよせって言ってるだろうが」
「あ……つい」
頭をかいたが、傍目には汗を拭く仕種と区別着かなかっただろう。
「根っこのところで礼儀をわきまえてたら、呼び方なんてどうでもいいさ」
大きめのタオルを両手で広げ持ち、風を相羽に送ってやる望月。
「じゃ、ニックネームでもいいのかな? モチさん、とか」
「……それは嫌だ、この」
突然タオルを被せられ、髪をくしゃくしゃにされる。相羽はその場から飛び
退いた。
「話を戻すが、ま、さすがの俺も自信ない。さっきの闘い方、参考にするぜ」
「同じことやってたら負ける」
「だから、俺流にプラスするってこと」
目算ありげに片目を瞑った望月であった。
津野嶋の勝ち上がりぶりは凄まじかった。二回戦以降、三試合連続で一本勝
ち。時間にして二分強。一試合ではなく、三試合の合計が、だ。再三再四判定
までもつれ込んだ相羽との一回戦は、単に身体が温まっていなかっただけでは
ないかと思わせるほどだった。
無論、今回のトーナメントはキャリアによる区分けではなく、中学生以下で
体重の近い者が争っているわけだから、たまに実力差のある対戦が実現しても
不思議ではない。が、それを差し引いても、津野嶋の強さが際立つ。
「おまえが火を着けたんじゃないかねえ」
やれやれといった体で、望月が嘆息した。準決勝を前に、会場隅で相羽を相
手にタックルや組み手のシミュレーションを繰り返す。
「一回戦はエンジンかかっていなかったのが、何度も延長していい調整になっ
たってこと? かもしれないな」
相羽も素直に認める。今さらながら津野嶋の強さを目の当たりにし、自分が
ほぼ互角に渡り合えたのが信じられないのだ。
準決勝開始のアナウンスが流れた。
「そろそろ行ってくるか」
通路に向かって歩き出す望月。セコンドが認められていないこともあり、相
羽は観客の後ろから見守るしかできない。
(二人とも頑張ってくれ)
熱戦に期待する相羽の気持ちを、一方が打ち砕いた。
試合開始の合図からジャスト一分。送り襟締めで参ったを奪ったのは津野島
だった。
望月のタックルを切り、四つん這いの状態にさせると同時に襟を掴むと後ろ
に回り込む。そこから極めるまでに二十秒を要さなかった。
「速い……」
対戦では握力の凄さに驚かされた相羽だったが、加えて準決勝での津野島に
はスピードもあった。
(望月先輩のタックルを切ることはどうにかできるとしても、あんなに素早く
後ろに張り付くなんて信じられない。何にもさせずに……)
相羽の疑問は、引き上げてきた望月によって解き明かされる。
「ああっ、全然だめだ」
望月が意外とさばさばしていたのは救いだったが、それでも相羽は掛ける言
葉を見つけられずに戸惑った。
「何て言うか……残念だったな」
「残念て言うほどのものもないぜ。完敗だ」
控え室に戻る。準決勝の段階で控え室の利用者は多くて四人。閑散としたも
のである。
「だけど、望月のタックル、よかったのに」
「相手を倒せなきゃ意味なしだな。その上、切られたあとがまずかった」
「津野島の動き、確かに速かった。でも、逃げられないほど?」
「さあ、そこだ」
首周りを撫でながら、望月は平板な口調で語る。
「偶然かわざとか知らないが、あいつの足が俺の片方の袖を踏んづけてたんだ。
ただ踏んづけただけじゃない。足の指で袖を固定しやがった」
「ばかな」
相羽は望月の胴着の袖口に視線を落とした。余計なゆとりはなく、仮に足で
踏み付けようとしても難しいだろう。ましてや、足の指で掴むなんて。
「だから、偶然かもしれないって言っただろ。でもな」
望月は苦笑いを浮かべ、タオルで頭を覆った。続いて聞こえてきた声は、く
ぐもっていた。
「津野島のことだから、恐らく、やろうとしてやったんだ。足の指の力なんて
たかがしれてるから、多分、動こうと思えば動けた。だが、何と言えばいいか
……予想外の方向から力を加えられたせいだな、焦った。反応が遅れた隙にや
られちまったよ」
ため息が漏れ聞こえる。
相羽は部屋を出た。
――津野島が優勝を決めたのは三十分ほどあとのことだった。
* *
『一人で部屋に戻れるか?』
『平気、すぐそこだから。あなたこそ見つかったら――気を付けて』
互いに捲し立てるような勢いで台詞を言い、窓際を離れる。少女は薄明かり
のみの廊下を壁伝いに、少年は暗がりの中、植え込みを飛び越えて、別れ行く。
香村演じる少年に連れ出され、夜の病院を抜け出し、二人で歩き回るシーン
のあとの大詰めだ。
「――ようし、上出来。OK、お疲れさん」
病院側に遠慮して、監督の声は小さかった。しかし、OKがもらえることの
嬉しさは変わりない。
パジャマ姿の純子はほっとして、その場で立ち止まった。包帯の様子を念の
ため写真に撮ってもらってから、ようやく外せる。自分が演技していた空間を、
今さらながら丹念に見回した。
建物の外に出ると、香村に加倉井、星崎の三人が待っていた。周囲では撤収
が迅速かつ静かに行われている。
「今のはよかったわね」
加倉井はそれだけ言うと、突然の誉め言葉に返事が遅れた純子を置いて、き
びすを返し、暗がりに姿を消してしまった。
「彼女、素直じゃないから」
星崎が振り返りながら言った。
「さっきの撮影のときは、本当に感心してたよ。あの一言のために、わざわざ
待っていたんだ」
――つづく