#4786/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 3/30 15: 6 (200)
そばにいるだけで 34−6 寺嶋公香
★内容
「あ、あの、偉そうなこと言ってすみませんっ。それ以外が簡単だって意味じ
ゃないんです。その、病気の人の気持ちも分からないのに演技するなんて、と
ても傲慢な感じがして。それにこうして迷惑かけてる――」
「分かるよ、そんな慌てなくたって」
星崎はゆっくりうなずいた。撮影を離れても、本物の兄のように振る舞って
くれている感じがする。
「ドラマ初挑戦にして大変な役だよ。それにしてはよくやってると思う。調子
はどう?」
初日に比べればわずかでも進歩したつもりだが、絶好調ですと答える勇気は
もちろんない。
「分かんないですけど、今の自分の精一杯を出してるつもりです」
せめて元気よく返事した。
「その意気なら、後半も期待できそうだね。君はモデル出身だって?」
「あは。そんな言い方されたら、モデルで大活躍したみたい。出身と呼べるほ
どじゃありません」
照れ隠しに微笑むと、星崎もつられたように笑って長髪をかき上げた。男に
してはきめの細やかな肌が間近に見られる。
「確かに。僕も今度の撮影で会うまで知らなかったもの。綸のご指名だそうだ
けど、何のモデルをしてたんだい?」
星崎は香村のことを下の名で呼ぶ。表面上は親しそうだが、内実は判然とし
ない。と言うのも、香村の口から星崎をライバル視する発言を純子は何度か耳
にしていたから。
(星崎さんは香村君をどう見てるのかしら。人気は今のところ香村君の方が上
よね。でも、俳優としての実力は星崎さんが圧倒してると思う……なんて、二
人に言ったら叱られちゃうわ)
考えていたら返事が遅れた。
「涼原さん? 答えたくなかったらいいよ」
「あ、そうじゃないんです。正直に答えると恥ずかしいかなって思って」
「笑いやしないよ」
言い繕った純子に、星崎はストレートに反応した。
申し訳なく感じ、身を縮ませる思いでモデル歴を伝える。
星崎は聞き終わると拍手する形を作った。
「AR**の仕事をやったなんて、凄いじゃない。全然恥ずかしがる必要ない」
「そうなんですか」
「ああ。詳しくは知らないが、多分、あそこの子供向けと大人向け、両方をや
った人って少なかったはずだ。それだけ君は期待されてる。自信持っていいん
じゃないかな」
「そんなこと……。でも、ありがとうございまーす。星崎さんに言ってもらえ
ると素直に喜べちゃうな」
両頬を手の平で包むように押さえた純子。そこへきつい一言。
「演技の方はまだまだだけどね」
「はぁ、やっぱり」
瞬間的に落ち込んだのは事実だが、遠慮なしに言ってくれたことに感謝もし
たい。気を取り直して尋ねる。
「星崎さんはどんな風にして上手になれたんですか?」
「はははっ、僕もこの世界全体から見れば若造なんだけど。聞くのなら川内さ
ん達にした方が」
「ロケにはいらしてませんよ」
ベテランの川内や辰巳らがロケに加わっていないのは出演場面がないためで
あり、至極当然。
「今この場で、うまくなるためのこつを掴めたらいいなって思うんです」
「じゃ、あくまで僕流の話になるよ。いいね?」
前置きすると、星崎は左右の足を順に伸ばした。
「折角の休憩なのに、お時間はいいんでしょうか」
「暇と言えば暇だからね。それに、ここで少しでも君の力を引き上げることに
成功すれば、このあとの撮影がスムーズに行く」
「すぐに効果が出ればいいんですけど」
精一杯背伸びした返事をすると、相手は優しげな苦笑を浮かべた。
「涼原さんは演劇の経験はないんだったね」
「はい。劇団に所属したこともなくて。こんなので皆さんの中に入って演じる
なんて、図々しいですよね」
「全くの白紙から始めてあれだけやれたら上出来だね。今後はどちらに力を入
れるつもりなのか、聞いていいかな」
「えっ、答えにくいな。事務所の言う通りにしてきたから、先のことなんて。
このドラマも最初は断るつもりが、周りの人から丸め込まれたというか」
声が小さくなっていく。話す内に恥ずかしくなった。
「じゃあ、この仕事、嫌々やってる?」
「と、とんでもないです、選ぶ立場じゃないから。それよりも、どんな仕事も
初めてでわくわくできて、楽しみ」
「あぁ、僕も始めた頃はそうだったな。何でもかんでも受けた。今は演じるこ
とが楽しみで仕方ない」
「あれっ、星崎さん、歌を出されてますよね。賞も取るほどなのに、俳優のお
仕事の方が……?」
「歌は若気の至り」
そう言って苦笑いを浮かべた星崎。純子もまたおかしくてくすっと笑った。
「星崎さんの年齢で若気って言われても」
「ははは。でもほんとに、歌はなあ。歌唱力を評価されたんじゃない気がする
から。アイドルやってるとよくも悪くも正当に評価してもらえない」
そういうものかしら。分かるような気もする。
純子が感想を抱いているところへ、第三者が足早にやって来た。
「こんなところにいた。星崎、ちょっと」
星崎譲のマネージャー・柏田翔子(かしわだしょうこ)だ。彼女は、見かけ
る度に髪型が違う。と言ってもまだ数回しか純子はお目に掛かっていないが、
それでも初見時にパーマで波を付けていたのが、ロケではドレッドヘアと来ら
れると違和感さえ覚える。目がもう少しぱっちりしていて鼻が高ければ、この
人自身タレントを張れそうな個性派である。
(香村君達が、あの人は敏腕だって言ってたけれど、だからこそこんな自由奔
放な真似ができるのかな)
目で礼をしてきた柏田に返礼しながら、純子はそんなことを思った。
星崎は大儀そうにオーバーな動作で立つと、純子に囁き口調で言った。
「こつの伝授がまるでできなかったね。また話をしよう」
「いえっ、こちらこそ」
純子がこうべを垂れる間に、星崎はマネージャーと急ぎ足で行ってしまった。
(――星崎さんとこんなにお話しできちゃった)
純子は心臓の辺りに手をあてがった。
* *
相羽は一人だった。
昨秋と比べると観客は倍ほどになり、にぎやかさは増していたが、相羽は落
ち着いて試合に臨めそうである。
「友達は応援に来るのか?」
会場に入る前に望月から話を向けられた相羽は、首を横に振った。
「何だ。じゃあ、あの子も来ないのか、涼原さん。かわいかったなあ。もう一
度会えると楽しみにしてたんだが」
「集中できてる、望月?」
呼び捨てにする仲になって以来、ますます遠慮が取り払われた会話を交わす
ようになった。
「俺は気分の盛り上げ方を心得てる。この点だけなら断言できるぞ。おまえと
は年季が違う」
「そりゃ当たり前」
会場となる建物を視界に捉え、歩みを早めた。望月が追う。
「急くなよ。アドバイスをやろう。いいから、聞けって。相羽は無理に集中す
るよりも、自然に構えた方が力を発揮するタイプ」
「そうかな?」
「と、師範が言ってたぜ」
「……なるほど」
「それからもう一つだ。これは正真正銘、俺からのアドバイス。この間のワン
マッチと違って、トーナメントは肉体的にも精神的にも配分が難しいから、相
応の覚悟をしとけ」
「うん。アドバイスは実にありがたいが」
建物内に入り、館内案内図と掲示を頼りに控え室を目指す。受け付け役の門
下生――と言ってもれっきとした大学生だ――が玄関そばにいるぐらいで、ま
だ時間が早いためか闘う場とは思えぬほど静かであった。
「具体的にどうすればいいのやら、さっぱり」
「うーむ。人それぞれだが、俺に合ってるのは目標を高く置く、だな。たとえ
ば、自分が一回戦レベルだと思うなら三回戦まで勝ち抜くぞ!ってなもんさ」
「……それって、うまく三回戦に進めたとして、そのあと、がたっと来そうだ。
達成感から」
着替え始めた相羽は、真剣にそう思った。
望月はロッカーにバッグを押し込みながら応じる。
「それだったら、おまえ、優勝するつもりで、やれば?」
「自分の対戦相手、一回戦から強敵なんだけどな。それに、望月とは同じ階級
だし、優勝なんておこがましくて」
相羽は自らと望月とを交互に指差した。
一拍遅れてその仕種に気付いた望月は、振り返って指を差し返す。
「おお、いいぜ。練習ではよく引き分けに持ち込まれるようになったが、試合
となれば違いを見せてやる。おまえも全力で来い」
「――当たると決まったら考えるよ」
穏やかに答えつつ、相羽は脳裏にトーナメント表を思い浮かべた。いや、思
い浮かべるまでもない。組み合わせを知ったときから、勝ち進めば望月とは準
決勝で対戦することを意識していた。また、もう一つの点も気になっている。
――それらの意識は、年代別の各階級一回戦の始まった現在もなお引きずっ
ている。
(江口主税。あいつが出てないのは気に掛かるけれど……今は関係ない。自分
の目標は望月“先輩”を一本で倒すこと、これだ)
プラス思考に転換した。相羽は手首や足首を入念に回し、ウォーミングアッ
プの仕上げにかかった。
(その第一関門にして最大の難関、か)
緒戦の相手の名は、津野嶋清栄。
(支部道場間でも噂になるほどの強さで、優勝候補筆頭。こいつに勝って勢い
に乗るか)
津野嶋を倒す――こちらの方は無意識ではあったが、やはり目標に違いない。
「よしっ」
相羽は頬を叩いた。
開始からおよそ二十秒後、相羽の腕に津野嶋が飛び付くと、会場の方々から
歓声が起こり、一つの渦となった。館内には、優勝候補の華麗な技を期待する
雰囲気が充満していた。ほとんどの者が喜んでいることだろう。
(しめた)
対戦相手で、餌食になるはずの相羽も少しだけ喜んでいた。
危険を承知の上で、相羽は敢えて右腕を取らせた。
津野嶋の得意技の一つが飛び付いてからの腕ひしぎ逆十字固めであると噂で
知り、その後、師範から見せていただいた練習風景を映したビデオで確認した。
相手の強さに関係なく、研究を怠らない。津野嶋が強いおかげで、かえって
情報が手に入りやすかった側面もある。
(腕を取って十字に行く、この動きは分かっているのだから対処できるはず)
相羽は津野嶋の動きに着いていき、覆い被さる風にして体重を預けた。
畳に背を着け、身体を海老のように丸めざるを得なくなる津野嶋。左足のふ
くらはぎで相羽の首を刈るように押し込み、腕ひしぎに持っていこうとする。
しかし、相羽は自分の右手首を左手で、左手首を右手で掴んで防御。それこ
そ接着剤で固めたみたいに強く。
津野嶋は多少乱れた息を整えつつ、左足を相羽の首から離し、また密着させ
た。今度はすねや膝といった固い部分をあてがってくる。
(さすが、冷静)
敵の対応ぶりに感嘆しながらも、ここで手のロックを外さないよう自分に言
い聞かせる。膝で押されて頬骨に痛みが走るが、これを払いのけようとして左
手を使うと十字固めを決められてしまうに違いない。
相羽は足の置き場を確認すると、タイミングを測った。津野嶋が一休みに入
った瞬間、左足を浮かせる。バランスのよさを発揮し、片足立ちの姿勢で、左
足をそのまま相手の両足の間にねじ込む。そして右脇腹のすぐ横に着地。
場内が低くどよめく。津野嶋の速攻勝利を信じて疑わなかったのだろう。
十字狙いを切り崩した相羽は、津野嶋の腹に跨ろうと、今度は右足を浮かせ
た。
そこを狙って津野嶋が動いた。相羽の右腕を解放すると、手を空にすること
なく新たに右足を捉える。相羽を横倒しにし、アキレス腱を絞り上げる戦略だ。
片足を掴まれてはさしもの相羽もバランスを崩す。しかしただでは転ばない。
津野嶋の右腕を取り、その肘を伸ばして腕固めを試みた。津野嶋がいかに強か
ろうとも、左手一本でアキレス腱を決める術は持ち合わせていないらしい。
試合開始から動き回った二人が、初めて膠着状態に入った。およそ十秒後、
待ちかねた様子の審判が、待て!の声を上げる。拍手が起きた。
開始前の立ち位置に戻され、審判の合図により再スタート。
同じ作戦を使うのは恐くてできなかった。相羽は両腕をしっかり身体に引き、
出方を窺う。相手も同様の心理状態らしい。全く同じと言っていい構えで、両
者はゆっくりと右に回り始めた。
(さっきの腕固め狙いが、最後のチャンスだったってこともあり得るか)
悪い予感がよぎり、相羽は後悔した。すぐに気持ちを切り換える。頭を小さ
く振って、弱気を払う。
――つづく