#4784/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 3/30 15: 3 (200)
そばにいるだけで 34−4 寺嶋公香
★内容
「ごめんなさい。どうしてもうまくいかない……」
謝るのにも疲れるほど、純子は堪えていた。春の日差しの中、心を冷や汗が
伝う。休憩に入っても、基本的に包帯は外せない。一旦ほどいてしまうと、同
じ形に巻くのが面倒で時間を要するからだ。目ざとい視聴者の指摘――「一瞬
で包帯の巻き方が変わった。おかしい!」――を避けるための最善の策である。
「謝る必要ないよ。まるっきりの新人なんだから、仕方ないさ」
春休みに入り、撮影が本格化してからというもの、香村は何かと優しい言葉
をかけてくる。純子が頼る前に、フォローしてくれるのがよく伝わってきた。
「どこがいけないんだろ」
ベッドの縁に腰掛け、嘆息する純子。
最初の数回までは、どこをどうすればいいのか細かなアドバイスをもらえた
のだが、失敗を重ねる内にそれは段々と手短な指図となり、ついにはノーコメ
ントに近くなっている。
「台詞の調子を直そうとすると、表情がおろそかになっちゃう。表情を作るの
に注意を向けると、逆に棒読みになって」
「あれだけできれば上等だと思うんだがな。目を隠して表情を作るのって、難
しいよ。監督ったら本当にうるさいんだよな。気にせず、楽にやればいいさ」
「次は成功してみせる、絶対に」
「気負わなくても、最後の手段、アフレコってのもあるんだし」
隣に座る香村が純子の肩へ手を添えようとしたとき、第三者が現れた。
「相も変わらず、仲がよいのね」
加倉井の気取った調子の一言に、純子は急いで頭を強く振った。相手の姿が
見えないだけに、純子の動きはオーバーアクションになっている。
「私が下手だから、教えてもらってただけです」
「それはまた勉強熱心ですこと。ま、最低限そのくらいしないと、とても着い
て来られないでしょうから、当たり前ね」
「……どうせそうです。私はこれが初めての新人なんですから」
開き直ってみたけれど、表情はどうしようもない。ふてくされてしまう。加
倉井の表情が見えない分、想像が悪い方へ膨らんだ。
香村は何も言わずに、押し殺した笑い声を立てるのみ。さぞかし、にやにや
した表情になっていることだろう。
「……あなたって」
加倉井がため息をつくのを、純子は初めて見たような気がした。ううん、見
てはいないが、確かに聞こえた。思わず、素早く顔を起こす。
「はい?」
「何をいつまでもかしこまってるのよ」
「別にかしこまってなんか」
「言葉遣いが変。同い年の上に、何回もこうして顔合わせてるんだから、もっ
とため口になってよ」
「はあ……」
案外いい人かも。純子が印象を改めようとした矢先、加倉井は純子の動きに
合わせたオーバーさで肩をすくめ、
「でなきゃ、口喧嘩もまともにできないわ。噛み合わなくって」
と言い放った。
「な、何よ、それーっ」
「初めて会ったときの元気のよさは、どこへ行ったのかしら? 生意気だった
のがしぼんじゃってさ」
「初めて会ったときって、何かあった?」
ようやく口を挟んだ香村。純子には見えなかったが、このときの香村は唇を
内に噛みしめ、不可解そうな目つきで加倉井を見上げていた。
虚を突かれたように間が空いたが、加倉井は程なくして理解したらしく、唇
の両端を上に向けた。
「顔合わせのときじゃないわ。私とこの子は一年も前に会っているのよ。そう
ねえ――某スタジオにおいて」
「奇偶だな。面白そう、詳しく聞かせてくれよ」
「大したことないけど」
そう前置きしながらも、加倉井は短くまとめて話をした。加倉井にとって都
合のいい強調並びに省略が多少なされている。
もちろん純子にも言い分があったが、一年も前のことだし、今は言い争う気
力に自信がないのでやめておく。
対照的に、加倉井は元気満々のようだ。
「どうしてあのとき、名乗らなかったのよ」
ベッドが軋む。詰め寄られたのが分かった。その直後に目の前がむずむずす
る感覚に襲われた。指差されているのかもしれない、と思った。
返事の口を渋々開く。
「あの頃は芸名なんてなかったし、本名も出したくなかったから」
「何よ。芸名がないってことは、本名が芸名なんでしょ」
「そうじゃなくって。本当に名前なしでやってたのよ」
事情をかいつまんで話したが、加倉井に納得してはもらえなかったようだ。
「分かんないことするのね。この世界でやってるからには、突き詰めたら有名
になりたいっていう願望があるはずよ。なのに、隠す?」
「……名前は大した問題じゃないと思う」
たった今、頭の中に降りてきた考えを言葉に乗せる。
「名前がなくたって、自分ていう存在を知ってもらって、必要とされる。それ
でいい――って、急に思ったわ」
加倉井を見返しながら――そうしたつもり――、真っ直ぐに言った。
反応がすぐには返って来なかったので、隣にいるはずの香村へ向き直り、助
けを求める。
だが、加倉井の方が早かった。
「それで今度も顔を出さない役を一生懸命やってるわけね。あはは。ほんと、
あなたって面白いわ」
「え?」
「僕も同感だな。ますます興味が湧いた」
香村まで言い出す始末。純子は思わず首を傾げた。
(へ、変なこと言ったかしら……?)
確かめようとした刹那、休憩終わりの合図が轟いた。
再開後は、曲がりなりにも加倉井らと打ち解けた甲斐があったのか、何度も
躓いていたシーンに一発でOKをもらった。その後もまずまず好調で、最初こ
そだめを出されても、アドバイスを咀嚼することでたいていの場合は早い修正
に成功するようになった。
卒業式当日は三年生を送り出すために集まりはするけれど、正規の活動を行
うのは、調理部としては異例である。
「後輩が順調に育っているようで、おねーさん達は嬉しいよ」
久方ぶりに顔を合わせた南ら先輩部員は、送別会中に奮闘する後輩を微笑み
ながら見守っていた。
「――よし、成功」
焼き上がったばかりのチェック柄のクッキーを味見し、相羽は指でOKサイ
ンを作った。早速、大皿やバスケットへの盛りつけに掛かる。よそでは、卒業
式前に作り終えていた様々な形のサンドイッチからラップを取って、やはり盛
りつけていく。
「あのぅ、紅茶はこんな感じでいいんでしょうか」
一年部員に呼ばれ、相羽はコンロの方へ向かった。本格的なミルクティに挑
戦しているところだ。
「お待たせして済みません」
町田が濡れた手を拭きながら、南達に頭を下げる。できれば卒業生が家庭科
室に着くまでに準備を終えていたかったのだが、在校生もまた式には出席しな
くてはならないだけに、無理があったようだ。
「気にしなくていいよ。真面目な話、上達ぶりが窺えて頼もしい限り。安心し
て卒業できる」
「あ、どうも……」
卒業生の物腰や表情から気を悪くされてはいないと分かり、ほっとする。
「特に相羽君が大車輪の活躍ね。彼、上手になったんだ?」
「はい。元々、クッキー作りはうまかったですけど。――あの、先に召し上が
りますか」
「全部準備できてからにしておくわ」
それからきっちり三分後、用意完了。
現部長の町田のやや緊張混じりの挨拶に対し、元部長の南も出だしは真面目
だったが、最後に来て雰囲気を和らげるように「ま、活動に熱中するあまり、
太りすぎることのない程度に頑張って」と言い、送別会のスタートとなった。
始まってからは、唯一の男子部員が大人気。あっちこっちから呼ばれるので、
一所に落ち着く暇なく飛び回っている。
「本当ならホワイトデーのお返しだったのにぃ」
嬉しさ半分といった風情の富井は、クッキーを口中に放り込んだ。
純子は紅茶を吹き冷ますのを中断し、応じる。
「それは言いっこなし。日が詰まってたんだから」
「仕方ないのは分かってるよ。でも、別々にしてもいいと思わない?」
「みんなそれぞれ都合があるものよ。四月からまた頑張ろ」
言って、純子は富井の肩を叩いた。
それと同じくして、部屋の前方では歓声が上がった。見れば、相羽が背の高
いグラスを片手で掲げ持ち、遠い目をして何やら気取ったポーズ。グラスには
ストレートの紅茶らしき液体が半分ほど入っている。
前髪を整え、片目にかかるようにした相羽は変にかしこまった調子で始めた。
『ワインは人を潤します』
途端にどっと湧く。純子達もすぐに理解した。少し前のテレビドラマで奇妙
な味を出して人気を博したソムリエ役、それの物真似だと。
『喉だけではなく、目を潤し、心をも潤します。ワインさえあれば、争いはな
くなり――』
「何やってるんだか」
純子が呆れて息をつく横で、富井や井口はきゃあきゃあと声援を上げた。
「隠し芸って言われて、ぱっとできるとこは凄いよね」
先輩の話相手から解放されて、町田が戻って来た。
「あ、南さん達から求められたからやってるの?」
「そりゃそうよ。何だと思った?」
「勝手に始めたんだと……盛り上げるために」
語尾を濁す純子の横で、町田はけらけら笑った。
「そんなわけあるはずないでしょうが。よほどのお調子者じゃない限り」
純子が納得していると、家庭科室内は拍手で溢れた。ワインならぬ紅茶を飲
み干した相羽が、本物の給仕か執事みたいに深々とお辞儀していた。
「次は誰にやってもらおうかなっと」
三年生の目が純子達に向けられた。
一、二年生の部員が送別会の後片付けに取りかかる中、純子は南に手招きさ
れて廊下に出た。人であふれていた教室とは違って、肌寒い。
「何でしょう? 忘れ物でもありました?」
「忘れ物と言えば忘れ物かな。大事なことを聞き忘れてたから」
気になって室内の方を見る純子を、南の台詞は振り向かせるのに充分。
「大事なことって」
「涼原さん、北村君から告白されたんだって?」
「……」
絶句。何か言おうとしたものの、陸に上がった魚みたいに口をぱくぱくさせ
るだけだった。
「それで断ったとか」
「――どうしてご存知なんでしょう?」
やっと聞き返せた。
そして家庭科室とは反対側の壁に身を寄せる。他の者、特に同じ二年生部員
には聞かれたくない気持ちが起こり、家庭科室から少しでも離れようという努
力の現れだ。
「じゃあ、やっぱり本当の話なのね。はぁー、あの北村君がねえ! 思いも寄
らぬ積極的かつ直接的な行動だわ」
「誰が喋ったんですっ?」
「北村君の友達の友達ってところよ。もち、男の友達でね、口が軽いって言う
か、噂流すのが好きなタイプ。半信半疑だったんだけれど、あなたが認めたん
だから真実だったのかぁ。いやあ、びっくりびっくり」
他人事として笑い声を上げる南の斜め前で、純子は両方の手を力一杯握った。
「北村先輩、ひどい……」
「あ、それは誤解してると思うわ」
間髪入れず、注釈を付ける南。右手の人差し指を上向きにぴんと伸ばし、穏
やかな笑顔をなしている。
「北村君は言い触らすような人間じゃないし、そもそもが北村君にとっても恥
ずかしいことじゃない? 後輩に告白してふられただなんて」
「……」
「多分ね、極親しい友達にだけ話したんだわ。何でも相談できるような仲間に。
その中の一人がちょっと口を滑らせてしまって、噂になった。こういうことだ
と思うよ」
「それはまあ……私の知ってる北村先輩は、噂を言い立てる人じゃないですか
ら、信じます。あの、南さん」
純子が強く見据えると、南は瞬きを忙しなくした。口をつぐんだまま、目の
かすかな動きで続きを促してくる。
純子は強い口調で言い切った。
「誰にも言わないでくださいねっ」
対する南は口をすぼめ、しばらく唖然としていた。が、不意に頬を緩めると、
「――ええ。胸の内に仕舞ってお墓まで持っていくわ」
と、くぐもった笑い声混じりに答える。
純子は疲れてため息をついた。
「そこまで言ったつもりはないんですが……」
「ふふ。――こうして見ると、あなたってやっぱりかわいいわね。と言うより
も華のある美形」
――つづく