AWC そばにいるだけで 34−2   寺嶋公香


        
#4782/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 3/30  15: 0  (200)
そばにいるだけで 34−2   寺嶋公香
★内容
「あっ、まさか?」
 一人の少女の姿が、愛美の脳裏に浮かんだ。一番辛かった時期に、友だちの
なかった愛美のそばにいた少女が。
「ん、なにか言った? 愛美」
「ううん、なんでもない」
「でも、愛美って、こういう細いタイプが好みだったんだ。どうりでチビ健や
栢下がモーション掛けても、靡かないはずよねぇ」
「ばか言わないで。それよりもうこんな時間よ、私、そろそろ帰らないと。奈
々恵はそのCD、全部買うつもりなの?」
「まさか。私だって、そんなにリッチじゃないわ。二枚………もシンドイなあ
………愛美、ちょっと融通してもらえないかな」
 手を合わせ、愛美を拝む真似をする奈々恵。
「だめよ。私だってリッチじゃないから」
「仕方ないか。んじゃ他は戻して、さっさと会計を済ませて来ましょうか」
 大げさに肩を落として見せ、奈々恵はアルバムのコーナーへと戻って行った。
六枚のCDを返し、一枚の会計が終わるまではまたしばらく待たされるだろう。
 愛美も手にしていたCDを棚へ戻した。
 それから奈々恵が帰ってくるまで、その写真の顔を見つめ続けながら。

           *           *

 気まぐれに春めいた日差しが降り注ぐ教室の中は、誰もがいつになく真面目
な態度で授業を受けていた。期末試験を目前に控えているためだ。特に、この
牟田先生はヒントをさり気なく出すこともあるので、聞き逃すまいとして身が
入ろうというもの。
「――と、これで解けることは解けるんだが、実は、昔々に話した公式を応用
するともっと簡単に解ける」
 教科書のページを遡り、該当する箇所を捜す先生の手がふと止まった。
「ん? おおい、涼原。起きてるか」
 ほぼ全員の視線が純子の席へ注がれる。中央に位置するだけに、一層目立つ
のだ。忍び笑いの声もひそひそと響いた。
「涼原さん」
 隣の相羽に呼ばれて、意識がはっきりする純子。授業中の居眠りから目覚め
るスピードは、光速ロケットよりも速いんじゃないかと思える。
「あ、はい!」
 目の前に急に開けた教室の風景に幾度も瞬きをしながら返事した純子は、無
意識に立ってしまった。
 その行動と声のトーンの高さに、今度ははっきりとした笑いが教室いっぱい
に渦巻く。荒れた海の波のようにしばらく続いたあと、腕組みのポーズで嘆息
した牟田先生が、指し棒で黒板の角を叩いた。一転、潮が引くように静かにな
るが、ごく潜めた声のお喋りがそこかしこに残る。
「立たなくていいんだよ」
 顔中をリンゴみたいに赤くした純子に、相羽の声は届いても、その意味まで
は理解できない。左の耳から右の耳へと抜ける感じだ。
「あの……すみませんでした」
 身体の前で両手を揃え、丁寧にお辞儀する。頭は覚醒しても、身体の反応が
まだ鈍いような気がする。
「とにかく今のところは座りなさい」
 牟田先生が再びため息混じりに言った。
 純子が真っ直ぐ、落下する小石みたいにすとんと椅子に収まると、先生は改
めて短い注意を与えてきた。
「お疲れなのは分かるが、今、大事な点を話している。頑張って聞いておくよ
うに。いいな」
 口調は厳しいものの、柔和な表情が純子にとって救いだ。
「それと昼休み、職員室に来なさい」
「はい」
 ああ、やっぱりお小言なのねと落胆してから覚悟を決め、純子は授業に集中
を試みた。

 昼食をいつもよりずっと急いで終えると、純子は富井の心配と応援を背に受
けて職員室に向かった。
 定期試験前になると生徒の入室を禁じる旨の貼り紙がなされるが、今日はま
だそれに該当しない。純子は口の中で「失礼します」と言いながら、頭を巡ら
しつつ中に入った。
「涼原さん、こっちよ」
 牟田先生の机に向かおうとしていたのに、案に相違して小菅先生に呼ばれた。
振り返ると手招きする担任の姿が目に入る。しばらく体調万全とは言い難い様
子だった小菅先生だが、ここのところ顔色もよく、だいぶ回復したように見受
けられた。
 山積みのファイルの影になってよく見えなかったが、近寄る途中で、牟田先
生が小菅先生のすぐ隣にパイプ椅子を持ち出して座っているのが分かった。
 先生二人を前に、何と切り出していいものやら。純子は立ち止まってからし
ばらく考えた。牟田先生一人ならお詫びの言葉で始めればいいのだが。
「えっと、言われたので来ました」
 間が持たずに、簡単に言った。先生に促され、回転椅子に腰を下ろした。
「牟田先生から伺ったわよ。授業中に居眠りしてたんですって?」
「はい……」
「珍しいわね。と言うよりも、初めてじゃないかしら」
「え、ううん、今までも色んな授業で三回ぐらい」
 そこまで言ってしまってから、はっとして目を見開く。急いで両手で口を覆
った。が、遅い。
 小菅先生は目をまん丸にして呆気に取られ、牟田先生にいたっては豪快に笑
い飛ばす始末。
「はっ、はははっ。正直もんだなぁ、涼原は」
「す、すみません……」
 使い捨てカイロを当てられたみたいに、顔中が火照ってくる。自然と床を見
つめてしまった。
 小菅先生は一つ咳払いをして、口調を改めた。
「呼んだのは、もちろん居眠りのことでなんだけれど……涼原さん」
「はい、何でしょうっ」
「モデルで疲れているんじゃないの?」
「え……っと」
 当たらずとも遠からず。純子は答に窮した。
「先生ね、勘違いしていたわ。あなたがモデルをやっていることを聞いたとき、
デパートのチラシみたいな簡単なものだとばかり思い込んでしまったのね。そ
れが牟田先生から詳しいことを教えてもらって、この間、やっと」
「少し前から授業に身が入らなくなっているようだから、気になったもんでな。
特に注意して見ていたんだ。それでだ。雑誌に載るだけじゃ飽き足らず、ファ
ッションショーにでも出るようになったか?」
 牟田先生の問いに思わず吹き出しそうになったが、表情が真剣そのものだっ
たので、危ないところで我慢した。
(いずれ打ち明けなくちゃいけないし、もしも春休み中に撮影が終わらなかっ
たら、学校を休むことになるかもしれない)
 純子は逡巡のあと、今この場で言おうと決めた。
「じっ、実はですね――あのっ、信じてもらえないかもしれませんが、私、テ
レビドラマに出ることになって」
「……」
 先生二人は固まったような視線を純子に向け、次に互いに顔を見合わせた。
「そうなの? 凄いじゃない」
 小菅先生は喜んでくれた。が、その次にどんな言葉を続ければいいのか、戸
惑っている心理がありありと窺える。両手が拍手する形で止まったのが何より
の証拠だ。
「……涼原。聞き間違いでなければ、今、テレビドラマと言ったか?」
 額に片手を当て、目を閉じたまま、牟田先生が言った。
「はい」
「ふうむ……それでだ。真面目なおまえが授業中に眠るほど疲れるってことは
だ。出番がたくさんあるのか?」
「はあ、一応。台詞もあるんです」
「……先生は何にも知らないからおかしなことを言うかもしれないが、笑わん
でくれよ。番組の終わりに文字で名前が出るぐらいか?」
 今度ばかりは、小さくだが、本当に吹いてしまった。前もっての断りがなけ
れば、もっと盛大に笑ってしまったに違いない。
 純子は唇を拭ってから続けた。
「多分、名前も出ます。ヒロインてことになってますし」
 顔は出ないかも、とまでは言わずにおく。これはどうでもいい話だ。
「ヒロイン。ほお」
 椅子を軋ませ胸を反らすと、しっかりと腕を組んだ牟田先生。感心してはい
るが具体的には想像がつかない、そんなところだろうか。
「共演者に有名な人がいるのかしらね?」
 ミーハーな質問をしてきた小菅先生だが、その表情からは、牟田先生ほどの
困惑の色はもはや消え去っていた。生徒のことをより詳しく把握しておこうと
いう気持ちの表れなのかもしれない。
「ご存知かどうか分かりませんが、香村綸君と加倉井舞美さんが出ています。
それに星崎譲さん」
 星崎さんも素敵だったなぁ、物腰が柔らかくて優しくて……なんて思い出し
つつ話した純子だったが、先生からの反応は感度がよくなかった。小菅先生は
名前を知っている程度のようで、牟田先生はきっぱり「分からん」とつぶやい
た。
「子供ばかりのドラマなのか」
「いいえ、そんなことないです。川内琢磨(かわうちたくま)さんや辰巳秀子
(たつみひでこ)さん達が出演なさってます」
 川内はマイホームパパ、辰巳は嫌みなおばさんがはまり役で、テレビでもお
馴染みのベテラン俳優だ。名脇役として知られる両人の名を出したことで、牟
田先生もようやくうなずいた。
「全く、夢みたいな話ね」
 ここらが潮時と見たか、小菅先生の口調は再び真剣味を帯びる。
「あなたが自分の将来のことをどう考えてるのか、私は知らない。ただ心配な
のよね。勉強の方も頑張れる? 涼原さんは成績もいいから先生としては勉強
に力入れてほしいんだけれど、せめてどっちつかずにならないようにね」
「自分では、両立してきたつもりなんですが……授業中に寝ちゃったら説得力
ありませんよね」
 照れ笑いを浮かべて頬をかく純子。
 そこへ、牟田先生が普段よりも厳しい口ぶりで尋ねてきた。
「口出しはなるべくしたくないんだが、今の涼原の本分は学校生活だろう。ど
うしても無理が生じるようなら、芸能の方をやめることだ。そもそも高校、ど
うするんだ? 進学希望だったようだが今も同じか?」
「はい、行きたいです。両親にも伝えてます」
「ならば頑張れ、としか言い様がないな。一人だけ特別扱いはできないし、し
ないから。とりあえず、授業中に寝てくれるなよ」
「頑張ります」
「よろしい。――まあ、文句つけられんほどのモデルぶりだし、成績もそこそ
この線をキープしとるし、できるだけサポートしてやりたいとは思っとるんだ」
 牟田先生の言葉に担任の小菅先生も同調する。
「そうそう。先生として当たり前に過ぎるけれど、授業で分からないところが
あったら遠慮なく聞きなさい。それに必要があれば早退だっていくらでも」
「小菅先生、そこまで言ってしまうのはまずいでしょう」
「あら、すみません」
 苦笑を通り越し、呆れ顔の牟田先生に小菅先生はぺこりと頭を下げた。
 純子はほっと一息つけて、自然に笑顔になっていた。雷を落とされることな
く済みそうだ。

           *           *

 学校から帰るなり、テーブルに大型の封筒が山積みされていることに相羽信
一は気付いた。
「母さん、これ、資料?」
「え、ええ。直接行ってもらってきたわ」
 こちらも帰宅して間もない様子の母親は、短い返事を残して脱衣所に消えた。
 ドアの向こうから、少しばかりくぐもった声が届く。
「いい学校なんだけれど……どこも酒匂川(さこうがわ)の寄付を受けている
みたいなのよ」
「……そうなんだ?」
 酒匂川の名を聞いた途端、信一は胸に痛みを感じた。きりきりしてきて、嫌
な気持ちになる。それでも封筒の一つを取り上げ、中から冊子を取り出すと機
械的にめくった。緑に囲まれた近代的な校舎、空調設備の行き届いたピアノル
ーム、大ホール、きれいな寮……音楽環境の充実ぶりが紹介されている。
「もちろん受験はできるはずよ」
 ドアが開き、母が出て来た。ハイネックの黒いセーターに灰色がかったジー
ンズ。家の中での普段着には、黒っぽくて地味な服をほぼ百パーセント選ぶ。
「でも、母さん。向こうの人達に居場所を知られたくないんでしょう?」
 椅子に着いていた相羽は、冊子から面を上げた。
 子の正面に母が座る。
「もしかしたら、向こうに筒抜けになっているかもしれない」
「そうね。あり得る話だわ」
 酒匂川の財力や人脈からすれば、容易に想像できた。
 これまで勤務先には事情を話し、どんなことがあっても外部からの問い合わ
せに社員個人の情報を許可なく漏らさないように頼んでおいたのが奏功したら
しい。数年が経過した今でも、酒匂川の人間から接触はない。

――つづく




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE