#4781/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 3/30 14:59 (200)
そばにいるだけで 34−1 寺嶋公香
★内容
加倉井舞美の記憶力は相当なものに違いない。この分なら、今まで出演した
ドラマ全ての台詞だってすらすら言えるんじゃないかと思える。
「まさか、あなただったとはね、名無しの権兵衛さん?」
「――これから、よろしくお願いします」
むっとしたが、いきなり口喧嘩を始めるなんてとんでもない。純子は前回と
同じ文句を言われぬためにもとりあえず挨拶した。
先ほどの関係者が一堂に会しての顔合わせで、純子は紹介された。だから、
加倉井は純子の名前を知っている。まさかもう忘れたなんてこともあるまい。
約一年前に一度会ったきりにも関わらず、今でも純子の顔をはっきりと覚えて
いるほどなのだから。
「どういう手を使ったのか、教えてくれないかしら」
「え?」
反射的に聞き返したが、その直後に意味を察した純子。嫌でも顔色を曇らせ
てしまう。
「新人さんがいきなりヒロインの役を射止めるのって、大食いコンテストで優
勝直後に美人コンテストにも優勝するぐらい難しいと思うんだけどなあ。さぞ
かし根回しをされたんでしょうね」
「何もしてません」
こんなことではいけないと思うのだけれども、ぶしつけな言葉にはきつい物
腰で反応してしまう。
「あらら。じゃあ、どうしてこんなことになるわけよ」
何故かほくそ笑みながら、加倉井は肩をすくめた。ドラマの中の彼女と違っ
て実にわざとらしく、鼻につくポーズだ。
気乗りせぬまま純子が答えようとしたそのとき、香村が話の輪に飛び込んで
きた。撮影を前にドラマ用の衣装をまとったためか、香村の外見はずっと大人
っぽくなっている。
「何を話してるんだい? おや、難しい顔をしてるな」
しかし、口を衝いて出る言葉は、子供らしい響きを明白に残していた。
「この子がヒロインになれた秘密を聞こうとしただけよ。それなのに、教えて
くれないんだもの」
「秘密なんてないって。答は単純明快の極地、僕が推薦したのさ」
得意そうに胸を張る香村。加倉井は彼の正面で顔をしかめた。使用済みのナ
イロン袋みたいに歪む。怪訝を通り越して、嫌そうな表情。
「心外だわね。この子と比べて私のどこが劣っているのかしら。あるんだった
ら一つでも教えてほしいわ、香村君」
腰に手を当て上体をやや前屈みにし、睥睨する加倉井。迫力あるその態度は、
演技混じりなのか百パーセント本当なのかの見分けられない。
「舞美ちゃんに負はないよ」
「非はない、でしょ。言葉知らないんだから」
香村の言い間違いに加倉井は機先を制せられたか、頭を片手で抱え込んだ。
もしかすると、香村はわざと誤った言い方をしたのかも。純子の内にそんな
思考も浮かんだ。
(加倉井さんの怒りを静めようとして……私の考え過ぎ?)
気を揉みつつ、香村の反応を待った。
果たしてこの少年アイドルは相好を大きく崩し、口を開く。
「そうそう、非はない、だったっけな。忙しくてまともに勉強できないんだよ」
「常識よ、これくらいは。さ、それよりも早く答えて」
「舞美ちゃんのせいじゃない。僕が新しい人とやってみたいなと思っただけで
さ。どうせ気分一新するなら、全くの新人さんがいいような気がしたんだよね。
だいたい、君、顔が出ない役なんてって、初めは嫌がってたくせに」
「あれは事務所が悪いのよ、勝手に。それよりも! もう言っても始まらない
けれど、最低限、演技力だけでも確認しておくべきじゃなかったかしらね」
先ほどよりも深刻な色で頭を抱える加倉井。答を聞いた途端、これ以上この
話を続ける気が薄まった、そんな感じだ。
「あの、私」
純子がとにかく何か喋ろうとしたのを手で制すると、加倉井はきっ、と鋭い
視線を向けてきた。
「まあいいわ。私、学芸会芝居に出る気はないから。あなたがいつまでもちん
たらやってたら、降りさせてもらうわね」
「そんな」
トーンに違いはあったが、純子と香村が声を揃えた。
かまわず続ける加倉井は親の仇に対するみたいに、純子へ左の人差し指を向
けた。真っ直ぐ伸びた指が、ナイフのよう。
「私はね、ヒロインにこだわってなんかないわ。それに、あなたの失敗があな
ただけで終わるなら文句言わないわよ。下手をすれば一人のミスでドラマ全体
が滅茶苦茶になる、そんなのって耐えられないだけ」
「迷惑にならないように、い、一生懸命やるわ」
「当然ね。とにかくお手並み拝見。高みの見物をさせてもらうから」
加倉井は嘲笑を浮かべるでもなく、真摯な表情で純子をまともに見つめてき
た。あるいは今見せた彼女の言動全ては、計算尽くの演技なのかもしれない。
しかし、ドラマの出来を真剣に考えていることだけは確かなようだ。
いくらかの静寂のあと、純子が黙ってうなずく。と、加倉井はようやく笑み
を作った。と言っても、それは香村に向けられるものだが。
「じゃあね」
加倉井の自信溢れる目つきに、純子は不安を募らせた。
(今日は簡単に台詞合わせとカメラテストだけだから乗り切れるとしても、こ
れからが大変そう……)
身体が少し震えた。
* *
雪景色の描かれたカレンダーをめくると、パステル調の彩色が施された絵が
現れる。
三月。暦の上ではもう春である。
だが実際の気候は、めくったカレンダーの絵が変わるように、一瞬にて春と
なるわけではない。二月の間に降った雪が、日陰はもちろんのこと、日なたに
もまだ残されていた。
それでも三月の声を聞くと、気持ちはもう春を迎えてしまう。そんな心が先
走りをしているのだろうか。昨日までは、ただ冷たいばかりだった吹く風にも、
微かな温もりが感じられるように思えた。この分なら土の上の雪が溶け、一面
の花畑が現れるのも、そう遠いことではないかも知れない。
実際には三寒四温を繰り返し、本格的な春が来るのはまだしばらく先のこと
である。それでも、少し長くなったボブの髪を風に靡かせながら、少女は近づ
きつつある春の予感に、心をときめかせていた。
「こらあ、なに一人でたそがれてんのよ。んな、明るいうちじゃ絵になんない
よ」
陽気な声に、愛美は一人想いを中断させられた。声の主を求め、愛美の視線
は雪に埋もれた空き地から、自分の立っている道の前方へと移動する。
五メートルほど先、校則違反のソバージュヘアーの少女が腰に手を充て、こ
ちらを見ていた。少し左に傾けられた顔が、立ち止まりもの思いに耽っていた
愛美に、呆れた表情を送っていた。けれど口元に浮かんだ笑みは、それが冗談
であることを語っている。
「ん………ごめん、奈々恵。もう、春なんだなあ、って思ったらつい」
笑顔を以て愛美が応えると、気心の知れた友人は大げさなアクションで両掌
を掲げ、肩をすくめる。
「またあ、トボケたことを言い出すんだから、愛美は。こんな寒い中で、何が
『もう春なんだなあ』よ」
いつでも必要以上に陽気な奈々恵が、一部を静かな口調で語り返す。それが
自分を真似たものだと愛美が気づくのは、少し間をおいてのことだった。
「だって、ほら。風も昨日よりちょっとだけ暖かいでしょ?」
「ぜんぜん変わんないわよ」
即座に応え返す奈々恵は自分の肩を抱き、震えて見せる。
「ほら、愛美お得意の大ボケはそのくらいにしてくんないとさ。次の上映時間
に、間に合わなくなっちゃうよ」
懐中から二枚のチケットを取り出し、奈々恵が言った。それは彼女の父親が、
勤め先でもらったという映画の招待券だった。有効期限が本日までの。
「12時半の電車に乗り遅れたら、アウトなんだからね。もう走るよ」
「うん。え………あっ」
駆け寄って来た奈々恵に手を握られ、愛美の足は自分で動かそうとするより
先に、彼女に引かれることで前に進み出す。
「ヘンな道草させたバツ。映画のパンフ、愛美のおごりね」
「う、うん」
運動神経に勝る奈々恵のペースで走らされたため、愛美は短く応えるのが精
一杯だった。
劇場を出た二人はしばらくの間、無言で歩いていた。映画を観終え、すっか
りと言葉をなくしてしまったのだ。だがそれは、映画による心地よい感動に浸
ってではない。
「ミスった………」
最初に口を開いたのは、奈々恵だった。
「フツー、観る前に調べとくよね、映画の内容。ごめん、私のミスだわ」
「だけど………私も知らなかったら………おあいこよ」
自分の声に力がないと感じながら、愛美は言った。もしすぐに鏡を見ること
が可能だったのなら、非常にやつれた自分の顔と対面出来ただろう。
二人の入った劇場で上映されていたのは、アメリカ製のホラー作品だったの
だ。しかも俗にスプラッタ物と称される、血肉の飛び交う類の映画であった。
愛美はもちろん、奈々恵も好むジャンルの映画ではなかった。自分でお金を
払うのであれば、望んで観ることなど決してない作品である。
ただただ、有効期限一杯のチケットがもったいない。その一心で最後まで観
た映画だったが、後に残されたのは「止めておけば良かった」という後悔だけ
だった。唯一、救いがあるとしたなら、奈々恵に約束させられたパンフレット
を奢らずに済んだことだろう。
「愛美、お腹空いてない?」
「パス………私、しばらく何も食べられそうにない」
「良かった、私も………」
いつもは愛美が羨ましく感じるほどに元気な奈々恵だが、さすがにいまはそ
の声にも張りがない。
「ね、ちょっと気分転換しない?」
ふと立ち止まった奈々恵の視線は、駅前のデパートに向けられていた。それ
は以前愛美の住んでいた街のものに比べれば小規模であったが、この周辺では
もっとも大きなデパートだった。
「なに? お買い物?」
「うん、買いたいCDがあるんだ」
愛美にとって、そこは馴染みの薄い空間であった。陳列棚に所狭しと並べら
れた、色とりどりのCDジャケット。そこには聞き覚えのある名前も幾つか見
られたが、大半は全く愛美が知らないものであった。
愛美くらいの年頃であれば、生活の中で音楽を聴く習慣があって普通だろう。
けれど父と二人、ぎりぎりの暮らしを長く続けていた愛美にはそれがない。叔
母の元で他の中学生と同じような生活を送るようになって、音楽を聴く機会も
増えてはいたが、友だちとアーティストについて語るほどの知識はまだない。
気の多い奈々恵は、目的のCDを発見した後もいろいろと目移りしてしまう
らしい。果たしてそれを全て買う気でいるのだろうか。五枚に及ぶアルバムを
抱えてなお、別のCDを物色し続けている。彼女の買い物が終わるには、まだ
当分時間が掛かりそうだ。
愛美もこれといった目的はなしに並べられたジャケットを眺め歩いていた。
アルバムのコーナーを過ぎ、シングルの陳列棚へ移る。嫌いではないが、洋楽
は特に耳にする機会も少ない。愛美の視線は、自然と邦楽を中心に動くことに
なる。
「あれっ?」
流れるように移動していた愛美の視線が、一枚のCDジャケットに釘づけら
れる。棚の一番上、新譜のコーナー。
「この人、どこかで?」
手に取ったジャケット写真に首を捻る。詳しくないとはいえ、愛美とてテレ
ビも見れば雑誌も読む。マスメディアに登場する機会も多いアーティストに見
覚えがあっても、何の不思議もない。だが愛美の感じたジャケット写真の主へ
の覚えは、それとはどこか違っていた。
「へえ、愛美、もう彼に目ぇつけてたんだ。意外」
いつの間にか奈々恵が背後へと、立っていた。手にしたCDアルバムは七枚
に増えている。
「彼?」
「『そして星に舞い降りる』の久住淳。あのなんとかってジュースのCMに出
てた男の子でしょ。CMじゃセリフもなかったけど、いい声してるのよね」
「ああ、ハートのコマーシャル………」
「あらら、知っててそのCD、見てたんじゃないの?」
既知感はそのコマーシャルで見ていたためか。そう思いながらも、愛美には
まだ納得出来ない気持ちが残された。何よりも奈々恵の言った、「男の子」の
言葉に。確かに胸で手を交差させ、佇む姿は男の子に見えなくもない。けれど
最初に写真を目にしたとき、愛美はその華奢なシルエットを女の子だと思った
のだ。
いや、たぶん愛美より芸能人に詳しい奈々恵が言うのだ。そちらの方が正し
いのだろう。
「ほらほら、いいタイミング! いま掛かってる」
奈々恵に三回肩を叩かれ、傾けた愛美の耳へ店内に流れる曲が届く。スロー
テンポなバラードだろうか。
『この声、やっぱりどこかで………』
聞き覚えのある声。コマーシャルではない。コマーシャルでセリフはなかっ
たと言うのだから。
――つづく