#4756/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 1/31 3:29 (200)
そばにいるだけで 32−6 寺嶋公香
★内容
この質問に対する柳葉の答は、「かっかっか」という笑い声で始まった。
「ふん、現時点の話をすれば強いとまでは言えんね。しかし彼にはよい資質が、
才能があるよ。口幅ったいが、私らの役目はその才能を指導で引き出すのだね。
彼の場合、面白いほどするすると出て来る。練習すればするだけ、成長して強
くなるだろう」
「へえーっ」
感心してしまった。お世辞には聞こえなかった。こんな率直に称えられるほ
ど、相羽は頑張っているに違いない。
「私からも一つ聞きたいことがあるのだが、いいかね」
にこにこしながら、柳葉が了解を求めてきた。異存あるはずもなく、純子は
帽子を握りしめながらうなずいた。
「彼、相羽君は、他に何かスポーツをしているのかな?」
「多分、やってません。学校の部活動は調理部だし。体育は全般に得意みたい
ですが……あ、サッカーはとても上手です」
「ほう、サッカーか。なるほどの」
目を細め、しきりにうなずく柳葉。
純子は、「なるほど」と納得するようなことを言った手応えがなく、目をし
ばたたかせた。
柳葉はそれに気付き、説明を始めてくれた。
「相羽君は子供にしては持久力があって、大変よろしい。長い間、動き回れる
身体はサッカーで培われたのものかもしれんね」
「は、はい……」
「さらに、とてもバランスがいい。特に立っているときの姿勢には、目を見張
るものがある。その理由が分かった気がしたんだよ。これもまたサッカーに秘
密があるのでは、と」
「私なんかには、関係ないように思えますけど……教えてください、気になり
ます」
「先ほどと違ってこれは耳学問なんだがね。サッカーでは敵選手のアタックを
右に左に、あるいは上へとかわしつつ、ボールをキープしなければいけない。
そのためには、体重移動が重要だそうだ」
「何となく理解できます」
「身体の重心を常に移しやすいようにすることで、軽いフットワークが生まれ、
巧みに相手をかわせる。この動きを確かジンガと言って、実は武術にも一脈通
じるものなんだ」
「ジンガ、ですか? それって、どういう武術に……」
「サッカーが強い国の一つ、ブラジルにはカポエイラという格闘技があってね。
現在では一見、踊りみたいになってしまったが、元は黒人奴隷が自由を奪われ
たままでも戦えるようにと、蹴り技が特異に発達した格闘技なのだよ、お嬢ち
ゃん。このカポエイラのすり足――ステップをジンガと言う。相羽君はサッカ
ーに打ち込む間に、ジンガの動きを自然と身に着けたんではないかな」
話を聞き終わって、純子は思った。
(今度、聞いてみようっと。もし知らなかったら、教えてあげる。私が武道の
ことなんか喋ったら、びっくりするかもね)
と、そこまで考えて、頭を振る。当初の目的を忘れてはいけない。
「それで、最近の相羽君は何か悩んでいませんでした?」
「悩む、か。どうだろう。上達を夢見て悩んでいるかもしれないがね。こうい
う意味でいいのかな」
顎先に片手を当て、目をぎょろりとさせながら考える風な柳葉。
「ううん、そういうのとちょっと違って、たとえば……伸び悩んでいるってい
うんですか? やりたいことがうまくできなくて苦しんでいるような……」
「はっはっは。ないよ。お嬢ちゃんも分かると思うが、あの子は中学生にして
は落ち着き払っている。焦らない。一つ一つ、段階を踏んで着実に体得してい
く人間だなあ。それでいて独創性があるから凄いんだが。ああ、話が逸れた」
柳葉は純子を促すように視線を送ってきた。
「じゃあ……他の道場生というか門下生の方達と、仲が悪いなんてことは」
「私が知る限り、全員が和気あいあいとやっとるよ。確かに相羽君らの年齢の
子は少ないから、友達感覚ではいられないだろうがね。そうそう、同い年の望
月君と実に仲よくやっているから、うん、心配ない」
望月の名前を出されて、純子は合点が行った。顔を合わせたのは以前、試合
のあった日の帰り道での一度きりだが、気さくな感じの人柄はしっかり印象に
残っている。
純子は最後に考えていた可能性を質問した。
「去年の十一月に試合があって、そのときに相羽君、相手から反則をされたん
ですよね」
「ああ、あれはよろしくない出来事だった。見ていたのかい?」
「いえ、あとから聞いただけです」
純子の返事に、柳葉は安堵したように頬を緩めた。
「そりゃあ幸いだった。目の前で見ていたら、心が痛くなっていたと思うから」
「そんなにひどかったんですか」
いよいよ不安が募る。
「そのときのことで、相羽君がショックを受けたって、考えられませんか」
「もちろんショックだったと思うよ。しかし、それは長くても試合後数日間の
ことで、現在は吹っ切っている。私はそう信じているがね」
答えて一拍置くと、言葉を重ねる柳葉。
「お嬢ちゃん。涼原さんだったね。君は相羽君のことを心配しているようだが、
学校での彼の様子がおかしいのかい? 道場では元気いっぱいでやっていると
しか見えないのだよ」
「学校では変なんです。今までは普通に話し掛けてくれてたのに、新年になっ
て何だか素っ気なくなった……」
「それは相羽君がお嬢ちゃんのことを好きだからではないのかい」
柳葉のごくあっさりとした口調に、純子はしばしぽかんとし、はっと気付い
てかぶりを強く振った。
「そんなことありません! ただのお友達ですっ」
叫ぶように言いつつ、純子の内を別の感想が駆けめぐる。
(そ、そりゃあね、私の方はあいつのこと段々見直してきて、いいかもって思
えるようになったけれど。でも、それはまだまだで。だ、だいたい、向こうが
私にこと何とも思ってないのは小学校のあれで明らか……)
これまであった様々な出来事が一度に思い起こされ、脳裏をぐるぐる飛び回
る。あと一押し、事情を知る者から冷やかされでもしたらパニックに陥っても
おかしくない状態だった。
当然ながら、目の前の武道指導者はそんないきさつを知っているはずがない。
「ふむ。では、何があるのだろう? 今年に入ってからも、彼に特段の変化は
見られないねえ。他のことに原因があるんではないかな」
柳葉の意見を幸いに、純子は退出を決めた。
「今日は、し、失礼をしました。あの、ありがとうございます。また日を改め
て、見学させてくださいっ」
「ええ、もちろん結構だとも。女の子の道場生も少ないながら、いるにはいる
から安心して――」
「え、えーと。さよならっ」
遠回りして、植え込みの合間を駆け抜ける純子。転ばないようにするので精
一杯だった。
ルークの事務所の会議室は笑い声に包まれた。
芸能活動関連なのに、特に目的もなしに集まり、お喋りをするなんて滅多に
なかった。友達と遊びに来た先で時間を忘れて話している、そんな楽しさを純
子は感じていた。
無論、テーマが全くなかったわけではない。
市川を筆頭とするルーク関係者に鷲宇を含めた面々が集まれば、自ずとテー
マは特定される。次回曲の話し合いだ。久住淳ではなく少女バージョンで行っ
てみよう、いや、好調な久住を続けるべきとの意見がぶつかり合い、調整に手
間取っていた。
そんな閉塞を打破しようという狙いか、鷲宇が「今日は堅苦しい話はやめた。
適当に喋ってみよう」と宣言し、現在の状況に至る次第。
「まだあるんだ。メイスンが女にもてようとして、ワインの銘柄の暗記を始め
た。そればかりかカクテルを作れるようにとバーテン学校にも通いたいと言い
出した。まるっきり下戸の奴がだよ。僕は言ってやったさ。やめておけ、石川
五右衛門がジャクジーに入る以上に似合わないって」
場に笑いがまた起こった。
米国での同居人・チャーリー=メイスンのエピソードを語る鷲宇は、楽しげ
な表情の中に懐かしさを滲ませている。
「石川五右衛門なんて、アメリカ人は知ってるんですか?」
「もちろん、メイスンは知らなかった。イシカワゴエモンサン? フー?って
聞き返してきたから、釜で煮られた大泥棒だと教えてやった」
「あはは! それで通じた?」
「日本のミッキーマウスの仲間か?と尋ね返されたよ」
「日本のミッキーマウスって?」
「ねずみ小僧次郎吉のことさ。勝手にマウスマンと呼んでる」
マウスマンと聞き、ほっかむりしたミッキーマウスを想像してしまい、一層
おかしくなった。純子は笑いすぎて浮かんだ涙を拭いつつ、
「面白い人なんですね」
と、もっと聞きたいというおねだりを含めて言った。
「そうだなあ。多分、彼らの誰もが日本の文化に触れたとき、程度の差こそあ
れ、変な反応をするんだろうけど、特にメイスンは予想を遥かに超えたリアク
ションをよこしてくれたっけ。そう、こんなこともあった。正月、しめ飾りを
用意していた僕に、『鷲宇、君は息子を相撲取りにしたいんだね』と言ってき
たんだよ。わけが分からなくて聞き返すと、『それはヨコヅナの化粧まわしと
いう物だろう? ミニチュアサイズでかわいらしい』だってさ。腹がよじれた
よ、まったく……。だいたい、中途半端に日本を知ってて。ししおどしを間違
えてこけおどしって覚えてるし、空手形のことを空手の技と信じて、僕に教え
を請うんだ」
この時点になるとほとんどの者が声を殺し、息も絶え絶えに笑っていた。若
い男性スタッフの中には「もうやめてくださいよー」と、ひきつったように音
を上げる者までいたほど。
「鷲宇さんの向こうでのお知り合いって、みんなそんな感じですの?」
市川がハンカチを畳み直しながら聞いた。
「ひどいな。そんなことはありません」
「しかし以前に伺ったグレアさんも、ファッションモデルをしていたのにいき
なりボクシングに目覚めたというお話でしたわね」
「ははは。ま、こちらの判断基準では彼女も変わった部類に入るでしょうがね。
個性豊かなんです」
「それじゃあ、質問を変えて……日本的な基準で、まともな友人はいます?」
含み笑いをする市川へ、鷲宇は即答した。
「いくらでも。中でも誇れるのは、ニーナ=カレリーナ」
「ロシア系ですか」
「そう。女神みたいに美人ですよ。J音楽院出身の若手ピアニスト」
「ははあ。J音楽院となると一流のお墨付きだ」
杉本が相づちを打つ。そこへ鷲宇は平然と付け加えた。
「今は法律の勉強をするためにH大学に通ってますけどね」
「……やっぱり、どこか変だあ。J音楽院のピアニストにしてH大学学生で、
法律家? 天才じゃないですか!」
「法律家はまだ」
注意を発するがほとんどの者は聞く耳持たず。
(メイスンさんはプログラマーで、グレアさんは元モデルの女性ボクサー、そ
れにピアニストのニーナさん……顔が広い)
仕事を除けば学校ぐらいしか世界を持たない純子にとって、これは驚異だ。
「どうやって知り合えたんですか?」
「ん? ニーナとはJ音楽院で」
「ええっ? 鷲宇さん、J音楽院に通った……?」
驚いたのは、思わず指差した純子だけでない。テーブルに着く全員が総毛立
ったように背を伸ばし、鷲宇を注視している。
「う、そ」
鷲宇は手を組むと、そこへ顎を乗せて笑った。自分の言葉で脱力する空気を
楽しむように、にこにこしている。
「真面目な流れのときに、いきなり嘘を挟まないでくださいよっ」
「――くっくっくっ。簡単に信じるなあ。僕のプロフィールは知れ渡っている
はずなのに。で、本当のところは、僕が様々な音楽に接してみようとしてた頃
の話になる。J音楽院出身の音楽家達による合同コンサートに足を運んだとき、
ニーナ=カレリーナの名を初めて知った。彼女の持つ二つの特性に惹かれた。
つまり、演奏と美貌にね。その日の内からマネージャーやらプロダクションや
らを通じて、接触を図ったんだが、同じ音楽畑でも全然違うんだな、これが。
冠婚葬祭に集まる見知らぬ親戚のように、頼りないつながりでしかない。それ
でまあ、あきらめたんだが……」
期待を持たせるように間を取る鷲宇。聞き手の方もいい加減慣れたので、じ
っとこらえて続きに耳を澄ませた。
「あきらめてから一週間と経っていなかったろう。ある日の昼間、新装開店し
たベーカリーで偶然見かけたんだ。僕は店の入口できびすを返し、通りを横断
して花屋に飛び込んだ。そして五分後、ニーナに『ファンです。会いたかった』
との台詞とともに花束を渡した。焼きたてパンの薫りに、薔薇の匂いが混ざっ
て大変だったよ」
「プロポーズみたいですね」
純子がストレートな感想を述べると、鷲宇の目元が若干赤くなった。
「そうだったかもしれない。ただ、必死さのなせる業だった気もする。その頃
の僕は自分が東洋人であることにもやもやしたコンプレックスを感じてたんで、
とにかくよいように印象付けたかった」
自嘲気味に表情を歪めると、鷲宇はそれでも楽しそうに語った。
「幸い、彼女は気に入ってくれた。翌日のランチに同席して、お互いのことを
話したんだ。プライベートでだが、彼女の演奏で唄ったこともある。気持ちよ
かった」
−−つづく