#4757/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 1/31 3:31 (200)
そばにいるだけで 32−7 寺嶋公香
★内容
「その音が残っていれば、鷲宇ファンにとっては感涙物じゃありませんか。も
ったいないわ」
商売気を覗かせたのは市川。表情などから判断して、冗談ではないようだ。
無論、鷲宇自身の歌曲に口出しする権利はないのだが。
「頼めばやってくれますよ。商品にする気はないですけどね」
少年に返ったみたいに白い歯をこぼす鷲宇。
(鷲宇さんにとってニーナさんて、大事な人なのかなあ。思い出を聞けただけ
でも得した気分)
そんなことを感じている間に、話題は多少、仕事の線に引き戻されたらしい。
「新曲はさておくとしても、デビュー曲のプロモーションはどうしますの?
あと一ヶ月もすれば消費者の記憶から薄れてしまう可能性大。私としては新曲
の目途が立たない今、久住淳を売り込むべきだと考えます」
デビュー曲発売後の宣伝は、テレビCMや誌面、店頭ポスターなどで継続的
に行われたが、純子自身の動く姿やインタビュー記事は一切出していない。
「注目を浴びてる内に、歌手の存在感を印象付ける手ですね。宣伝しないこと
が宣伝になる時期も過ぎたことですし、いいですよ」
一枚目の切り札を開けるときが来た、という宣言に他ならなかった。
「それじゃ、久住淳」
鷲宇はマイクを向ける仕種を作った。
「君の誕生日は?」
「え……と、十月の」
「それは涼原純子の生まれた日じゃないかい?」
当然とばかり首を縦に振った純子に対し、市川から注意が飛んだ。
「涼原純子と久住淳はあくまで別人なのよ。生まれた日も趣味も好きな食べ物
も、みんな異なっているの」
「それじゃあ、いつ生まれたことにするんですか」
「あなたの覚えやすい日でいいわ。本当の誕生日と一緒はまずいけれど」
任されたので、純子はひととき考えてみた。数字的に覚えやすいゾロ目や祝
日など、様々な日付が浮かんだが、最後に落ち着いたのは。
「十二月二十一日でいいですか?」
「あなたの考えに従うわ。その日にした理由でもあるの?」
「決まってます。デビュー曲の発売された日ですよ。あの日、久住淳は生まれ
たんですよね。生まれ年は私と同じってことでいいでしょう?」
得意満面という言葉が似合う純子の今の表情。市川はうめくように返事をし、
うなずいた。
こんな具合にして、久住淳のプロフィールを練り上げていった。
そのあとは受け答えに際して低めの声を出す練習を少しやってみる。本人は、
こんなのすぐばれると嫌でも痛感しているにも関わらず、周りは上出来だと言
ってくれた。単なる感じ方の食い違いなののか、それともお世辞なのか分から
ないけれど、笑えた。
久住淳の件に一区切り着くと、市川はドラマのことを話題にした。
「絶対に受けるべきよ。ガイアプロと言ったらかなりの力を持っている事務所
だしね」
「会うことだけは決めました」
今のところ、それぐらいしか言いようがない。純子は早く切り上げたくて、
鷲宇の方を向いた。
「ドラマに出るのは純子と淳のどちらなんだろう?」
案に相違して、鷲宇もドラマ出演の話に関心を示す。純子は肩を落としてか
ら面を起こし、髪を後ろになでつけた。
「久住淳だとしたら、演技っぷりもイメージを作っておかないといけない」
「それだったら問題ないです。私自身ですから」
答えたあとで自己嫌悪が襲ってきた。これではまるっきり、出演依頼を受け
るつもりの言葉になっているという意味で。額に一本だけ掛かる前髪のごとく
些細なことではあるが、気にしてしまう。
黙り込んでいると、鷲宇からさらにびっくりするようなことを言われた。
「涼原純子としての歌手デビューもあり得るのだから、少なからず気になるん
だよね。個人的には、久住に神秘性を持たせたんだからその正反対、元気なキ
ャラクターで行ってほしいな。あっ、ちょうどいいのか。普段の君のままだ」
「あ、そ、そうですね。あはは」
もはや苦笑いを返すしかない。
五日続けて冷え込みが厳しくなっていた。
(この間の成人式、出た人は大変だったろうな)
道端に残る雪を見て、そんなことを思った。と、油断したわけでもあるまい
が、アスファルト道のくぼみにできた氷に足を取られそうになる純子。
「きゃっ」
叫びも短く、手近の物を掴もうと宙をかく。
そして幸運にも何かに縋り付くことができた。屈み込んでしまいはしたが、
転倒だけはまぬがれた。
「……あっ」
安堵する間もなく、縋り付いたものの正体を知って、純子は口があわあわし
てしまった。何しろ、純子がしっかり掴んでいたのは、ややくたびれた感じの
スーツに包まれた腕だったのだから。ちょうど逆光になって顔は見えないが、
手の肌の様子などからそこそこ歳を召している風に思われる。
周りの通学生達がくすくす笑っているのが聞こえてきた。
純子はこんなときこそ落ち着こうと、しっかり足場を固めて立ち上がり、相
手の男の人に頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
「誰かと思えば、二年生の涼原さん」
聞き覚えのある声に、背筋が長い物差しを入れられたみたいにぴんとなる。
関屋先生だった。
「す、すみません。失礼しました……」
再び頭を低くし、そのままの姿勢で思い切り上目遣い。表情を窺おうとする
も、やはり光の加減がよくない。
「おやおや、そう何度も謝る必要はありませんよ。転ばなくてよかった。怪我
はないですか」
「はい。先生はご無事ですか。急に引っ張ってしまって」
隣に並んでみて、ようやく先生の顔色が覗けた。豊かな髭がある割には寒そ
うに首をすくめているけど、布袋さまみたくにこにこしている。
「幸い、何とも。年老いたとは言え、まだまだ。君ぐらいの体重なら楽に支え
られる――しまった、君達の世代に体重の話は禁句かね?」
「い、いえ、別にこだわりは」
首を急いで振った純子。とまれ、何ごともなかったようで安心できた。
これでおしまいにして、さっさと行ってしまうのも気が引ける。何となく一
緒に登校。
「たまには歩いて来てみるもの。偶然だが、思わぬところで人助けできた」
「……先生、車は?」
「うん。今朝起きてみたら、ちょっとした故障で動かなくなっていてねえ。お
かげで普段以上に早く家を出る羽目になって、いやあ、足腰に堪えました」
腰に片手を当て、とんとんと叩く身振りの関屋先生。
その様子を目の当たりにした純子は、思わず口走っていた。
「按摩しま……」
台詞の中途で、恥ずかしさが急に沸点を迎える。赤面してうつむくと、口ご
もってしまった。
「ん? どうしました?」
「いえ、何でもないです。そのぉ……先生、お身体を大事になさってください。
先生の授業、好きですから」
「ははぁ。この程度では参りませんよ。ただねえ」
至極残念そうに先生は目尻を下げた。学校まであと少し。
「じきに定年を迎えてしまうんだ。こればっかりはどうしようもない」
「退職……なさるんですか」
「そうなるかな。ありがたいことに、他校で受け入れてくれる口はあるんだけ
れど、もうのんびりしてもいいかなという気もするしねえ。でも、生徒から授
業が好きだなんてお世辞でも言われると、また色気が出てくる」
「お世辞なんかじゃないです、決して」
下を注意しながら歩いていた純子は、顔を起こして首を振った。氷の張った
水たまりを避ける。
「他の学校でもいいですから、続けてください」
「これはこれは……嬉しいことを言ってくれる」
校門を通り抜けて、もうそろそろ別れなければいけない。職員用と生徒用の
玄関は別々なのだ。
「ときに、相羽君はどんな感じですか」
「は? あ、ああ。相変わらずマイペースで……でも、この頃おかしいような
気もします」
「ほう。それは意外。どんな風に」
「同じ部活動なんですけど、何となく、避けられている気がするんです」
「あなただけを避けている?」
「多分。思い過ごしかもしれませんが、わけを尋ねてもうやむやにされてしま
うし……」
立ち止まる純子。いい加減、方向転換しなければ、どんどん遠回りになって
しまう。
関屋は歩みを緩めつつ、顎髭を撫でた。
「この間聴いた彼のピアノは前と変わりない弾んだものでしたから、恐らく、
継続的に抱えている悩みではありませんね。彼があなたを目の前にしたとき、
某かの影響を受けて心に変化が生じているのかもしれない」
「はぁ……たとえそうだとしても、どうしたらいいのか……」
私のせいなの?と、純子の頭の中は疑問符で溢れる。
「放っておけば元通りになる、とは思うものの、どうしても心配なら、相羽君
の男友達に聞いてみれば、何か分かるかもしれないよ」
関屋先生は人懐っこい笑みで話を締め括った。
(そっか。私達女子には言えない悩みだとしても、男子には伝わっているかも)
教室で聞いてみようかなと思いを巡らしながら、純子はきびすを返した。
「相羽君の様子、最近少し変だと思うんだけど、何かあったの?」
本人が来ない内にと、男子数人にそれとなく――いや、かなりあからさまに
聞いて回った純子だったが、その精力的な活動はまったくの空振りに終わった。
「そうかな? 普通だぜ」
今また唐沢が否定的な回答をよこしてきた。
「具体的にどう変なのさ?」
「部活なんかで、私を……女子を避けるのよ」
自分だけが避けられていることを強調したくなくて、言い直した。
果たして唐沢は怪訝そうに眉を寄せた。
「調理部で女子を避けるってことは、相羽の奴、孤立状態なのかい?」
「あ……違う違うっ」
慌てて否定し、前言撤回。
「ほんとは私だけを避けているようなの、相羽君」
「へえー! そんなこと、地球が逆回転したってあり得ないと思っていたが」
「それってどういう意味?」
「いやいや、こっちのこと。そうかあ、あいつが涼原さんをねえ。信じられな
いな、仲よく喋ってたじゃんか」
「私だって信じられないわ」
「ま、心配するこっちゃねえと思うけれど」
「別に、心配とまでは……。気になるっていうだけ」
語尾を濁す純子は唐沢から目をそらした。
唐沢の方は軽く笑んで、面白がる風な口ぶりになった。
「どうしても気になるのなら、俺からあいつに聞いてみるよ。できるだけさり
げなーく」
「――うん。お願いね」
純子が頼むと同時に、教室に入って来る相羽が見えた。
今日になって急に元の相羽に戻っていたら意味がないわと思い、純子は観察
に入った。と言っても、じっと目を凝らす程度だけれど。
すると、相羽は純子の視線に早速気付いたらしくて、顔を背けてしまった。
そのまま幾分不自然な姿勢で歩く。
(どうせ隣の席なんだから)
と高をくくっていたら、相羽は席へ直行せず、友達に声を掛け始めた。大き
な動作で手を振りかぶり、相手の肩を叩いて振り向かせる。その様子がやけに
積極的かつ芝居がかって見えるのは、気のせいではないだろう。
「……うむ、なるほど。明らかに変だ」
純子の話を信じていなかった唐沢も納得の体。
「こりゃあ、気になるのも無理ない。よし、あとで聞き出してやる」
「私が聞いてくれるよう頼んだって言わないでね」
純子が手を合わせると、唐沢は親指を自らの胸に強く当てた。
* *
放課後を迎えて部活もなく、相羽はほっと一息ついていた。帰っても武道の
練習に行く必要はなく、ゆったりできる。
そんな状態だったため、後ろから突然聞こえた唐沢の大声に身体をびくんと
震えさせてしまった。
「おおっ、相羽! やーっと見つけた」
「な、何だ?」
振り返った刹那、徒競走みたいに突っ込んでくる唐沢が見えた。相羽は壁に
背を合わせて道を空けた。
前傾姿勢だった唐沢は、足でブレーキを掛け、相羽のちょうど真ん前に立ち
止まる。何を急いでいたのか、息こそ切らしていないものの、額に汗していた。
「掴まえた。終わった途端、出て行くから焦ったぜ。話をしようと思ったら、
あっと言う間に消えやがって」
「約束でもしてたっけか?」
−−つづく