AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【43】 悠歩


        
#4719/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:29  (195)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【43】 悠歩
★内容
「マリィ!」
 見つめるデニスの真剣な眼差し。
 いやだ。
 デニスとこのまま別れたくない。
 いや、マリィとルウがボルドの元へ行けば、デニス一人がここに残ることはな
いだろう。マリィたちを守ろうと、デニスもまたボルドの配下となるかも知れな
い。ことはすでに、デニスへ秘密にしておけるものではなくなっていた。
「ごめんなさい………私、ボルドと約束をしてしまったの………」
 マリィは話すことにした。デニスに助けて欲しい、そんな気持ちもあったのか
も知れない。



「バカヤロウ! 勝手なまねをしやがって!!」
 身を竦ませ、少女がマリィの背へ隠れた。マリィもどうしていいのか分からな
い。
 不当な仕打ちに対し、デニスが怒りを見せたことは何度かある。けれどそれが、
マリィに向けられたのは初めてのことだった。
「私………ごめんなさい。いくら………ボルドでも、そう約束すれば……デニス
の邪魔は、しないと……思って」
「よく考えろ! あいつが約束を守るはず、ないだろう。しかも、ルウまで連れ
て? あいつのことだ、ルウにだって何をさせるか、分かったもんじゃない」
「ごめ………なさい、ごめんな………さい」
 親に叱られた童女のように、泣きながら謝った。激しい後悔。
 良かれと思ってしたことが、かえってみんなを追いつめる結果となってしまっ
た。
 デニスが怒るのも無理はない。全て自分の浅はかな行いのせいなのだから。
「本当に………ばかだよ、マリィは」
 ふと、デニスの口調が和らいだ。そして。
 呼吸を妨げるほどの抱擁。
「なにも分かっていないくせに、一人で先走って。俺を画家にするため? 嬉し
いけど、間違ってるよ」
 マリィを抱いていた手の片方が緩む。代わってデニスとは別の温もりが、そこ
へ加わった。それは小さな少女の温もりだった。デニスはその腕の中に、二人の
少女を抱擁していたのだ。
「勘違い、しないでくれよ」
 拳一つ入れることさえ出来ないほど間近な距離、優しく悲しいデニスの顔があ
る。
「俺は画家になりたい。確かにそれは、俺の夢の一つだ」
 デニスの唇が動く度、熱い息がマリィの顔に掛かった。マリィの隣り、頭一つ
低い位置にある少女の顔はくすぐったそうにしているが、それを避けようとはし
ない。マリィもまた、それを不快だとは思わなかった。ただデニスの唇が動くの
に合わせ、自分の鼓動が高まるのを感じていた。
「だけどそのために、一人でスラムを離れるなら、俺は画家になれなくてもいい。
なりたくなんかない」
「デニス?」
「みんな一緒だよ。一緒にスラムを出るんだ。あの絵みたいに、みんなで笑って
暮らせる家を作るんだ。俺は、そのために画家になりたい………」
 デニスは自分一人の栄誉を、幸せを求めてはいなかった。
 仲間たちの慰めるために絵を描いていたように、仲間たちとともに在るために
画家になることを望んでいた。
 マリィはそんな気持ちを察することも出来ず、勝手な行動を執ってしまったこ
とが恥ずかしく、悔やまれた。
「ごめんなさい………私、ばかだった………デニスがそんなにもみんなのことを
思ってくれてるなんて気がつかないで………」
「いや、マリィはばかなんかじゃない………俺が言い過ぎた」
「でも、どうしょう。私、ボルドと約束してしまった。明日になれば、必ずボル
ドは私を迎えに来る」
 ふれ合った部分を通じて、少女が身を強張らせるのが分かった。ボルドの名に
反応しているのだ。今夜の出来事は、少女にとってより一層ボルドを恐ろしい者
と思わせることになったのだろう。
「逃げよう、ここを」
「えっ」
 それはマリィにとって、予想外な言葉であった。
 スラムを出たい。ここから逃げ出したい。幾度考えたことか分からない。しか
しそれは所詮叶わぬ望み。
 母と妹を失い、このスラムにたどりり着くまでに、マリィは幾つかの街や村を
彷徨った。しかしそのどれもが、いまだ戦争の爪痕である貧困から立ち直っては
いない。住人の大半が貧しい土地では、マリィのような者が生きることは難しい。
大きく豊かな者が住む街が近くにあるからこそ、マリィたちのように保護されな
い子どもたちも、そこからのこぼれものにありつくことが出来るのだ。
 それを知っているからこそ、マリィはどんなに辛くてもここにしがみついて来
たのだ。ここを離れ、生きていく術など考えられはしない。
「俺、なんでもするよ………いままで以上に、どんな仕事だってする。もちろん、
悪いことはなしでだ。マリィとルウと、俺との三人くらい、きっと食べていける」
 考えもしなかったことだが、それは心地よい想像でもあった。しかしマリィに
は決断することが出来ない。
「無理よ………ここを離れて仕事なんてある訳ないもの。きっと私の、いままで
の仕事なんて、余所に行ったら出来ないわ」
「それでいい。その方がいいよ」
 不意打ちであった。
 熱く柔らかい感触。
 それまで心地よく、実現の不可能と思われる言葉を語っていた唇が、マリィの
唇へと重ねられた。
「……………」
「俺、その方がいいんだ。本当はずっと、マリィにあの仕事を辞めて欲しいと思
ってた。だけど俺、甲斐性がなくて………代わりに養ってやるから、って言えな
かった」
「でも………」
 デニスの行為をどう理解すればいいのか。マリィはまだ感触の残った自分の唇
を、手で覆い隠した。身体が震えている。突然の行為に怒っているのか、戸惑っ
ているのか、マリィ自身にも分からなかった。
「仲間だから?」
「違うよ…………俺、好きなんだ。マリィのことが。仲間としてじゃなくて、一
人の女の子として」
「違うでしょ」
 マリィは泣いていた。
 悲しい訳でもないのに。
「ごめん………怒った?」
「怒ってなんかないわよ」
 怒ってないと言いながら、マリィの語調は荒くなる。気がつけば、隣りにあっ
たはずの温もりが消えていてた。マリィに怯えたのか、少女は少し離れてこちら
の様子を窺っている。
「でも、違うもの………明日のことを相談してるのに、なんでキスするのよ。ど
うして、いま、好き、だなんて言うのよ」
 分からない。
 デニスの行為が、言葉がではなく、なぜ自分がこんなにも興奮しているのかを。
マリィには昂ぶっていく自分の気持ちを抑えることが出来なかった。
「ごめん、ごめよ、マリィ」
 狼狽えているデニス。そうさせているのが自分だと思うと、マリィは悲しかっ
た。
「なんで謝ってるのよお………私だって、私だって、デニスのこと、ずっと好き
だったのに」
「マリィ?」
 ああ、そうか。
 マリィは得心する。
 自分もデニスのことが好きだったのだと。仲間としてではなく、一人の男の子
として。ただ娼婦としてその身をお金で売ることしか、生きる術がなく、そんな
感情はずっと無意識に押し殺して来たのだ。それがデニスに告白されたことで、
自分にも抑えの効かない形で吹き出してしまったのだ。
「私も好きよ………デニスのこと」
 自分の気持ちを理解したことで、マリィの興奮は収まっていく。と同時に別の
異変が始まった。
 デニスが、ルウが、部屋の全てが波打ちだした。
 まるで嵐の海に、一人小舟で乗り出したかのように。
 やがて舟は沈んでしまう。深く暗い海の底へと。
「マリィ! マリィ!」
 遠くから自分の名を呼ぶ、デニスの声が聞こえて来た。
 小さな手が、身体を揺すっている。ルウの手だろう。
 全ては遙か遠くに消え、やがてマリィの意識は途絶えた。



 昨夜からの雪は、朝を迎えてもその勢いを保ち、煉瓦も石畳も白壁もその境を
曖昧にしていた。街の至る所で、立体感が失われている。
 晴天であったなら、その真新しい姿が青い空に栄えていただろう美しい建物。
しかしいまは見上げても、絶え間なく舞い続ける雪に煙り、その輪郭も定かでは
なくなっていた。
 辛うじてその前の広い通りだけは、早朝からつぎ込んだ人手によって、朱色の
石を銀世界の中のアクセントとして見せていた。しかしそれも、時間の経過とと
もに元の白色に染め戻されようとしている。
 雪の舞い続ける通りに立ち、老伯爵は待っていた。視線を白く煙る先に固定し
たまま。厚手の黒いコートの肩に積もった雪が、老伯爵のそうしていた時間を物
語っている。
「まだ現れませんか」
 背後からの声に、老伯爵はゆっくりと振り返る。帽子と肩の雪が滑り落ちた。
 画商ポリッシュと青年画家アルベルト・ローダンが、近づいてくる。
「うむ」
 短く応える老伯爵。落胆の色は隠しきれない。
「これ以上は限界です。そもそも出品受付の締め切りは昨日でした。それを彼に
限って、少しでも制作時間を与えようと、本日の朝までとしたのです。ですが、
ついに間に合わなかったようですな」
「仕方………ないか」
 老伯爵は、もう一度通りの先を見遣る。けれど待ち人の影さえ、見出すことは
適わなかった。
「私も残念です。同じ若手の画家として、切磋琢磨出来るライバルの登場を楽し
みにしていたのですが」
 アルベルトは残念がるというよりは、老伯爵を同情するかのような目を向けて
いた。
 必ず現れると信じていたデニスだが、ついにその姿を見ることは出来なかった。
やはりこの短い期間では、絵を仕上げることは無理だったのか。いやしかしあの
娘たちが、デニスの尻を叩いてでも描かせるものと思っていたが。あるいは何か
彼らの身にあったのだろうか。
 いま、それを知る術はない。知ったところで、間に合わなかったという事実は
変わらない。
「確かに彼には私も才能を感じましたが。しかしながら、約束の期日を守ると言
うのは、画家を目指す者に限らず、人として大切なことだと存じます。それを果
たせなかった者のことは、諦めた方が良かろうと思いますが」
 デニスの才能を惜しんでか、あるいは老伯爵へ気遣いか。遠慮がちではあるが、
毅然とした言葉が画商の口から発せられた。
「分かっているよ、ポリッシュさん」
 老伯爵は身体の雪を払い落とす。ついいまし方まで待っていたデニスへの期待
をも、払い捨てるかのように。
「私は一旦、邸に戻らなければならない。その間のこと、お願い致します」
「はっ。準備はほぼ調っておりますが。ファルネッタさまのお越し、心よりお持
ちしております」
「うむ、それでは」
 名残は忘れて、老伯爵はその場から歩みだした。冷え切った身体は、酷く重た
く感じられる。
 老伯爵を見送り、画商と青年が深々と頭を下げていた。



「へへっ、雪かあぁ、結構だねぇ」
 早朝から男は上機嫌だった。先刻まで過ごしていた女のところで、たらふく呑
んだ酒が全身に回り寒さも感じない。雪上に不規則な跡を刻む千鳥足は、歩数ほ
ど前に進んではいない。
 どさり。
 歩くことが面倒になった男は、街角の雪上に尻を落として座り込んでしまう。
「アルベルト・ローダン、ばんざあああい、とくりゃ」
 大声で喚き散らすが、もともと人通りの少ない場所であったことと、雪の持つ
音を吸収する特質のためか、それを気にする者もいないようだ。
「ふうっ、とうとう俺にもツキが回って来たぞ。あのボンボンの面倒を見るのは、
そりゃあ並大抵じゃあなかったが………辛抱した甲斐があったってもんだ」
 冷たい雪上に座り込みながらも、男は満足そうにほくそ笑んでいた。




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