AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【42】 悠歩


        
#4718/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:29  (193)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【42】 悠歩
★内容
 身体を起こそうと試みるが、まだそこまでには回復していない。デニスにはた
だ、その夢が不当な者たちの暴力によって引き裂かれるを見ているしかない。歯
噛みする想いを、堪えるしかしなかった。
 その時、デニスの背中から温もりと重みが消えた。
「ばかっ、ルウ!」
 デニスの目に映っていたナイフが消える。視界に飛び込んできた別のものによ
って隠されたのだ。それは、少女の小さな身体だった。
「なんだ、このくそちび」
 絵が裂かれようとするのを阻止するため、飛び出した少女。だがその非力な身
体は、手前にいた別の男によって、やすやすと突き飛ばされてしまう。
 それだけで少女の行動を止めるには充分であった。にも拘わらず、男は自分た
ちの仕事を邪魔しようとした少女へ、さらなる仕打ちを躊躇いもしない。全く加
減する様子もなく、少女へ蹴りが繰り出されようとしていた。
「ちくしょう」
 苦痛に蹲っている場合ではない。自由にならない身体を鞭打ち、デニスは飛び
出していた。
「おお? ちびを庇うか。泣けるねぇ」
 揶揄混じりの声。
 間一髪、少女への暴行は避けられた。その上に覆い被さったデニスが、男の蹴
りを受けることで。
 しかし少女を庇ったデニスの行為が、相手の心を打つことはない。むしろそれ
を面白がり、嗜虐心を煽ることなった。
 デニスには抵抗することも適わない。反撃すれば、それは少女を危険に曝すだ
けとなってしまう。だからデニスは暴行に堪えた。
「だいじょうぶ………心配しなくて、いいからね」
 デニスの身体の下で、泣いている少女へ優しく囁きながら。
 やがてデニスの耳に、キャンバスの引き裂かれる悲しい叫びが聞こえてきた。

「ほどほどにしとけよ」
 デニスを蹴り続ける男に一声掛け、二人は改めて目的を果たそうと絵に向き直
った。
勢いをつけるため、振り上げられたナイフ。ところが、ナイフはなかなかキャン
バスへと下ろされない。
 どうしたんだ、早くしろ。
 本来なら相棒がそう声を掛けるところであろう。だがもう一人の男は何も言わ
ない。
 二人ともに、絵に見入り、自分の仕事を忘れていた。
「おい、どうした?」
「あ、いや………なんでもねぇ」
 デニスへの暴行に飽きた男によって、二人は我に返る。そして顔を見合わせた。
しかしお互いに口にすることは出来ない。これまで何人もの命を、食後に歯を磨
くように、日常のごく当たり前の習慣として平然と奪って来た自分が、絵に感動
し、見とれてしまったなどとは。何か熱いものが胸にこみ上げてきたとは。
「これも、仕事………だもんな」
 男は呟くように言うと、躊躇っていたナイフを振り下ろした。
 よく手入れされた金属は、キャンバスの布地を紙でも切るかのように裂いて行
った。



 マリィが動けるようになったのは、デニスの部屋の喧噪が静まり、なおしばら
く経ってのことだった。
 マリィの部屋に現れた賊は一人だったが、隣りから聞こえた喧噪から推察する
とさらに一人ないし二人はいたらしい。デニスとルウの身が心配だ。
 ベッドに手を掛け、テーブルに体重を預け、壁を伝い、マリィは隣りへと急ぐ。
マリィが賊から受けた暴力は大したものではなかったが、前の傷の上に重なり、
身体が激しく痛む。隣りの部屋という、ごく近くの目的地でさえ、その道のりは
険しくなった。
「デニス! ルウ!」
 ようやく辿り着いた先で見たものは、全身の毛を逆立てるのには充分な光景だ
った。
 床に蹲ったデニス。ぼろ雑巾と化したその姿から、激しい暴行があったのだと
容易に知れた。
 そしてデニスの下、その身体の隙間からこぼれているプラチナの輝き。少女の
髪。
 動かない二人に、考えたくはない事態を想像してしまう。再度二人の名を呼ぶ
ことが出来ない。
「マリィ………か?」
 最悪の事態をうち消す言葉。それまでぴくりともしなかったデニスが、こちら
へと顔を向けた。それから、不自然にデニスの身体が波打ったかと思うと、その
下から少女が恐る恐ると這い出して来た。
 安堵のため、力が抜けた。
 マリィは駆けるというより、転ぶように二人の元へ寄り、腰を落とした。
「っ………、いててい………手ひどくやられちまった。マリィは?」
「私は………平気」
「そうか。ルウもけがはないみたいだ。本当に良かった」
 身体を起こしたデニスは、両足を投げ出して床に座る。
 デニスの下に庇われていたルウも自由となり、立ち上がる。よほど怖かったの
だろう。その顔は強ばっていたが、マリィを見るなり表情を崩し、泣いてしまっ
た。小さな身体が軽い衝撃を伴い、マリィの胸へ飛び込んだ。痛みはあったが、
マリィはそれを優しく受け止める。二人が無事であったと知り、マリィの涙腺も
緩んでしまった。少女二人が抱き合って泣く。
「良かった………本当にみんな無事で………良かった」
 聞こえて来た喧噪から、この部屋で激しい暴行があったのはマリィにも想像出
来ていた。裂けて汚れたデニスの服からも、その様子は窺える。それにも拘わら
ず、マリィたちを安心させようとしてか、デニスは陽気な笑顔を見せていた。
「デニス、あなたけがはしてない? 手当しなくちゃ」
 薄暗い中、マリィが見たところではデニスの身体に出血は認められない。ただ
し手や顔、服の裂けた部分からは無数の打撲の痕が姿を覗かせていた。しかしそ
れも外から射し込む雪明かりだけでは、はっきりと確認出来ない。
 だがそばに寄ってデニスの傷を診ようとすると、まだ恐怖の冷めやらぬはずの
少女も、おとなしくマリィの身体を離れた。ルウもルウなりにデニスの身体を気
遣っているのだ。
「なに、これくらいなんでもないさ。久しぶりだったけど、ケンカには慣れてる
しね。あ、痛っ!」
 どこまでも強がって見せるデニスだったが、その腕に軽く触れただけで身体を
大きく仰け反らせた。仲間内に対してでも、弱みを見せることに極端に嫌うデニ
スだ。この様子だと、その痛みも相当なものであろう。
 傷の手当をするために、何かないかとマリィは部屋を見回した。その視線が、
ある一点で停止する。
 唇が震えだし、小さな叫びを発したことを意識する。が、実際には叫びは音声
とならない。
 知らぬ者が見たのであれば、元が何だったのか推測するのさえ難しい。ずたず
たに引き裂かれた布。粉々に砕かれた木枠。それはかつて、仲間たちの笑顔を留
めていたキャンバスであったもの。いまは見る影もない。
 マリィは身体を引きずり這いながら、キャンバスであったものの残骸へと近づ
く。
 ささくれた木片が手を傷つけるのも構わず、それを拾いならべようとする。け
れど原型を名残も感じさせぬほどに破壊し尽くされたそれは、どのようにしよう
と、元の姿を蘇らすことはない。マリィの手の中、誰かの笑んだ口元が痛々しい。
 一つ、二つ。
 三つ、四つ。
 雫が笑みに降り注ぐ。
「ごめん………せっかくみんなが協力してくれたのに………守りきれなかった」
 背中から聞こえたデニスの声。
「デニスは………悔しくないの!」
 マリィは悔しかった。
 デニスの夢が。
 それに賭けたマリィの想いが。
 ルウの心が。
 仲間たちの願いが。
 理由も定かではない暴力によって、摘み取られてしまったのだ。脱力感、絶望、
嫌悪、悲哀………ありとあらゆる負の感情が、マリィの心を満たしていく。
 だが振り返った先にあったのは笑顔。
 どこか弱々しく、それでいてマリィの手の中に残されたもの以上に優しい笑み
を浮かべたデニスがいる。
「悔しいさ。だけど、どうしようもないじゃないか。それより、マリィとルウが
無事だったことを喜ばなくちゃ」
 現実になり掛けていた夢が無に帰してしまったというのに、どうしてこうも平
然としていられるのか。マリィには納得が行かない。やり場のない怒りが、つい、
被害者であるデニスへ向いてしっまた。
「なんで………なんでよ。どうして、平気な顔をしていられるの!」
 無意識のまま、マリィの手はデニスの襟をつかんでいた。
 そんなマリィの手に、そっと少女の手が添えられる。
「なに? ルウ」
 興奮したマリィは、その語気も荒くなってなってしまう。言葉を持たない少女
は悲しそうな顔を見せ、それから視線をゆっくりとデニスの方へと移動させた。
 それを追い、マリィもデニスへと視線を戻す。相変わらず、笑ったままのデニ
ス。だが、マリィは気がついた。
「あ………」
 つかんだ襟元を通して、マリィの手に伝わる小さな振動に。
 デニスの震え。痛みのためか。
 いや、違う。
 注意して見れば、デニスの目に光るものがある。
 デニスもまた、悔しかったのだ。悲しかったのだ。
 想いの全てを掛けて。
 仲間たちの希望を背負って。
 明日を夢みて描いた絵が失われ、誰よりも悲しかったのはデニスでなかったの
だろうか。
「デニス………」
「ははっ、いや、ちょっと傷が痛んでさ。平気だよ………俺は」
 不器用に袖で涙を拭い、弱々しい笑顔を続けるデニス。彼はさらに言葉を続け
た。
「だからさ………悔しいだろうけど、マリィも忘れてくれ。このことでやつらの
ところへ、文句を言いに行こうなんて、考えないでくれよ」
 デニスの気持ちが分かった。
 今夜のことが、誰の差し金であるかは考えるまでもない。もしそれが、マリィ
や少女を痛めつけるのを目的とした行為であったのなら、報復に出ようと血気に
逸っていたのはデニスだったはず。マリィはそれを懸命に止めようとしていただ
ろう。
 デニスは何よりもマリィたちの身を案じていたのだ。このままマリィが怒りに
委せ、ボルドの所へ抗議に行っても相手にはされない。それどころか無事でいら
れる保証すらない。だからこそデニスは、己の無念を押し殺し、マリィに平然を
装って見せたのだ。
 思えば絵は壊され、デニスも痛めつけられている。それにも拘わらず、少女が
ほとんど無傷でいたのは、デニスが身を呈して庇ったからではないだろうか。き
っと、デニスは咄嗟に絵よりも少女を守ることを選んだのだ。
「ごめん………ごめんなさい、デニス。私、あなたの気持ちも考えずに」
 つかんでいた襟を手繰り寄せるようにして、マリィはデニスを抱いた。微かに
鉄臭い香りを帯びた温もりが、愛おしい。
「謝るのは俺の方だよ。俺のせいで、マリィやルウにまで、怖い思いをさらちま
ったな………その上、お前らがあんなに頑張って協力してくれた絵、だめにしち
まった。本当にごめんな」
 デニスの言葉が、マリィの胸に痛かった。
「ううん、違う………悪いのはやっぱり私だわ」
「なんでだよ。マリィに悪いとこなんて、あるもんか」
「油断してたんだもの…………あいつが約束なんて、守るはずなかったのに」
「約束? なんだよ、それ」
 乱暴にマリィの身体がデニスから離される。そして強く問いただす眼差しが、
マリィの視界に現れた。
「あっ」
 マリィはようやく、デニスには秘密にしていたことを思わず口走ったことに気
づいた。
「約束って、どういうことなんだ? 話してくれよ、マリィ!」
 懇願の言葉ではあったが、それは黙っていることを許さない気迫が込められて
いた。
 話すべきだろうか。マリィは逡巡する。
 だが自分は平気で破っても、人が約束を果たさないことを、ボルドは許さない。
明日になればマリィと少女は無理矢理にでも連れて行かれる。今夜のことを盾に
抗っても、命を落とすことになる。デニスと別れることになる。
 デニスの夢を叶えてやりたかったから、デニスがスラムを抜け出ると信じてい
たから、ボルドと約束をしたのだ。それを踏みにじられ、マリィのみがボルドと
の約束を果たさなければならないのは、死よりも苦痛であった。




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