AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【41】 悠歩


        
#4717/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:29  (197)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【41】 悠歩
★内容
 ぽん、と置かれたデニスの手に頭を撫でられ、少女も仔猫のように目を細める。
「それにしても、なんかほっとしたな………ルウとマリィに気に入ってもらえれ
ば、たとえコンクールが駄目だったとしても、もう満足だよ」
「こら、自信を持ちなさいって言ったはずよ。それにまだ、仕上げが残っている
んでしょう? まだ気を緩めちゃだめよ」
「あ………ああ、そうだな。よし、いっちょ気合いを入れて、最後の仕上げと行
くか!」
 マリィは思う。
 自分の考えは間違っていなかったと。
 この絵でデニスは必ず認められる。画家になりたいという夢に向かって、道は
開かれる。
 それを見届けることが出来ないのが残念だが、これで明日、安心してボルドの
元へ行ける。



 夜は更けていく。降り続ける雪は、その勢いを増すことも衰えることもしない。
ただ寒さだけは一層鋭さを増していた時間、ようやく今夜の作業を終えたのだろ
う。アパート一室から明かりが落とされる。
 それからさらに三十分ほど待つ。
「そろそろいいだろう」
 投げ捨てた煙草の火を踏み消しながら、男は相棒たちに向けて言う。
 それを受け、他の二人もくわえ煙草を捨てる。
 ただ煙草を吸っているだけで、貧しい者の暮らすここでは目立ってしまう。し
かも明かりの少ないスラムの夜、煙草の火は遠くからでも見られてしまう。密か
に標的を監視していた男たちにとって、それは不都合であるはず。だが彼らは気
にもしない。目的を遂行する前に、相手に気がつかれてしまったのなら、その時
はその時。むしろ荒事になった方が、彼らの好みには合っていた。だから彼らは
この時間まで煙草を吸い続け、それぞれの足下には十指を超える数の吸い殻が雪
に埋もれていた。
「あーくそ寒みぃ。酒でも持ってくりゃあよかったぜ。こんな時間まで待たせや
がって、あのくそガキ、一発二発殴るぐらいじゃ気が済まねぇ」
 雪の上に唾を吐き、男の一人が毒づいた。
「俺たちの仕事は、デニスの野郎をいたぶることじゃない。忘れるなよ」
 三人の中でもリーダー格である男は、血の気の多い仲間へ本来の目的を確認さ
せる。男たちの間に明確な上下関係は存在していないが、辛うじて他の二人より
は冷静さを持ち合わせた男が、自然と仕切り役となっていた。
「へいへい、んなコタァお前に言われなくたって分かってるさ。さあ、とっと仕
事を片づけるとしようさな。いつまでも突っ立っていたら、凍死しちまう」
「ああ」
 住人たちも寝静まり、生活の証である灯火が消えたアパート。息苦しいだけの
闇が周囲を支配するはずだったが今夜は違う。雪明かりによって、外壁に陰惨な
傷を持つアパートも幻想的に照らされていた。
 けれどこれから起きる出来事は、幻想的と呼べるものではない。その序章とし
て、魑魅魍魎のごとく凶悪な面を持つ者たちが、外よりなお暗いアパートの中へ
消えて行った。



 疲れていたのだろうか。それとも緊張が緩んでしまったのか。
 マリィたちが部屋に戻ったあと、絵に最後の筆を入れたデニスはすぐにベッド
へと身を滑り込ませた。絵の完成に興奮していたため、寝付くのには時間が掛か
ったが、いざ訪れた眠りは深いものだった。
 普段のデニスであれば、どれほど疲れて眠っていようと、些細な物音にも敏感
に反応して飛び起きていた。以前はネスら数人の男の子たちと分け合っていた、
女の子たちを守るという責任をいまは一人で担っていたためだ。
 今夜の満ち足りた食事も、顔には出さなくても常に持ち続けていた緊張感を緩
めたのかも知れない。
 ただデニスを弁護するなら、彼らも上手(うわて)であった。大きな身体で、
傷みの激しいその廊下を物音立てずに進んで来たのだから。
 とにかく、デニスが気配を察して目を覚ましたのは、部屋に賊の侵入を許して
しまった後だった。
 目を覚ましてすぐに、事態を把握する。賊は二人。その一人が壁に立て掛けた
キャンバスへ手を伸ばそうとしているところだった。
 賊が何者か、おそらくはボルドの手下であろうが、いまは分からない。もした
だの物盗りの類であれば、デニスの部屋に金目のものなどない。このまま寝てい
るふりをして、やり過ごすことも可能だ。出来ることであれば、デニスも危険は
極力避けたい。
 だが、その目的が絵にあるらしいとなれば別である。あの絵はデニス一人のも
のではない。マリィやルウ、それからいまはボルドの監視下にある仲間たち、み
んなの夢と希望の結晶なのだ。下種な連中の手で犯させる訳には行かない。
 デニスは獣のような俊敏さで、音を立てずにベッドから飛び出す。威嚇のため
の声を張り上げたのは、賊の寸前に迫ってからだった。
「うおおおおっ!」
 突然の大声に怯んだ相手の足を、間髪入れずに蹴り払う。すると相手は踏ん張
ることすら適わず、面白いほど派手に転ぶ。
「こいつ!」
 しかし賊は二人。一人を倒すまでものの三秒と掛かってはいなかったが、もう
一人はすぐに事態を理解し、対応して来た。デニスの倍近くはあろうかと思われ
る巨体が、両腕を広げてデニスを捕らえようと迫ってくる。
 デニスは身体を倒してそれを避ける。その時床に突いた手の反動を利用し、身
を跳ね上げさせ、男の脇を抜け後方に回った。デニスをつかむつもりでいた男は、
その体重を支えるために脚を大きく開いていた。そこからデニスは、男の股間を
渾身の力で蹴り上げる。
「うぐっ!」
 男の急所に膨大な打撃を受けた相手は、声にならない悲鳴を上げて前に倒れよ
うとする。が、その先にはデニスの守るべき絵がある。デニスは倒れ込む男の身
体を、横から押してその軌道を変えさせた。
 先制攻撃が功を奏し、瞬間的にはデニスが優位に立っている。たが数の上では
二対一と不利であり、腕力でも相手には劣るだろう。デニスとて、生きるため命
を賭けた喧嘩は幾度も経験を積んでいる。そこで培った力をも凌駕する素早さだ
が、時間が長引けばこちらの勝機は薄くなってしまう。ことは素早く終わらさな
ければならない。
 仰向けに倒れた男の背に馬乗りとなり、右腕をねじ上げる。体格的には不利で
あっても、身体の要所さえ押さえれば相手の自由を奪うことは可能だ。と、これ
はマリィと出逢う前の荒んだ暮らしの中で憶えたことである。
「動くな! こいつの腕をへし折るぞ」
 一人の男の動きを封じながら、デニスはもう一方の男を牽制する。これは賭け
でもあった。もう一人の男が仲間の腕が折られることも構わず、向かって来るよ
うなら、デニスの勝機は断たれる。このスラムでは徒党を組んでいても、いざと
なれば仲間を見捨てることを何とも思わない輩は少なくない。
 が、幸いにもデニスの狙いは的中した。
「クソガキめ」
 唾を吐きながらも、男はデニスを睨んだまま向かって来る様子はない。デニス
の下敷きとなっている男も、わずかに呻き声を発しただけで抵抗をしようともし
ない。がっちりと極められた腕は、下手に動くと本当に折れてしまうと知ってい
るのだろう。
「ここに金目のものなんて、何もない………おとなしく帰れ。おまえが素直に出
ていくのなら、仲間も解放してやる」
 スラム内で起きる犯罪について、街の警察は一切介入をしない。そもそもスラ
ムを人が住む地域として認めていないのだ。従ってこの男たちの罪を問うことは
出来ないが、逆にデニスがこの男をどれだけ痛めつけても、たとえ殺してしまっ
ても罪にはならない。だがデニスにそこまでするつもりはないし、二人が本気で
抵抗して来れば自分も無事では済まない。デニスは二人がおとなしくここを去っ
てくれれば、それでよかった。
「さあ、どうする!?」
「があっ!」
 返事を促すため、デニスは組伏した男の腕を少し締め上げた。デニスと対峙し
た男が口を開きかける。しかしデニスの期待していた答えは返らない。代わりに
聞こえてきたのは、短い悲鳴だった。
「マリィ!」
 デニスの全身を悪寒が走り抜けていく。聞こえてきたマリィの悲鳴に。
 賊は二人だけではなかったのか。自分の見通しの甘さを、激しく後悔した。
 すぐにも隣りの部屋に駆け出して行きたい。けれどそんな衝動をデニスは必死
に堪える。いまこの手を離せば、自由になった二人の男にたちまちデニスは痛め
つけられてしまうだろう。この二人をどうにかしない限り、デニスはマリィたち
の元へ駆けつけることすら出来ないのだ。
 焦りと不安がデニスを襲う。喧嘩で自分が傷つくことは怖くない。だがもしマ
リィとルウの身に何かあったら………想像することも恐ろしかった。
「へへっ、どうしたい? 手が緩んできてるぜ」
 デニスの心の動揺は、如実に表へと出ていたようだ。腕を捻られていた男が、
冷汗混じりの笑顔で言った。
「う、うるさい!」
 デニスはねじ上げた男の腕へと、力を込めようとした。腕を折るというのは脅
しのつもりだったが、事情が変わった。この男の腕を折り戦闘不能にすれば、こ
の部屋に残る賊はあと一人。一対一であれば、たとえ肉体的には劣っていても対
等以上に渡り合える自信はあった。早々に相手を倒し、マリィたちの部屋に向か
おうと考えたのだった。
 しかしその計画は、すぐに断念される。デニスが駆けつけるまでもなく、三人
目の男がこの部屋に現れたのだ。
「ったくよぉ。ガキ一人相手に、二人がかりでこのざまたあ、情けねぇな」
 ナイフを手に登場した男は、仲間の危機に遭遇しながらも楽しそうに笑ってい
た。
 男の持つナイフを目にして、デニスは恐怖に身の凍りつく想いがした。ナイフ
が自分に対し、向けられることを恐れたのではない。いま実際に、ナイフの向け
られた先に震えたのだ。
 ナイフの切っ先は、男の胸の辺りにある。そして男の胸には、片手で抱えられ
たルウの顔があった。
「つー訳で坊主、そいつの手を離してやってくれねぇか?」
 少女の顔の前でナイフを踊らせ、男は言う。腕の中の少女はおとなしく、まる
で人形のようだった。
 デニスはすでに少女の命は失われてしまったのではないかと思い、愕然となる。
が、雪明かりを受けて鈍く輝くナイフの光が、少女の瞳にも反射して見られた。
少女は生きている。目の前のナイフに恐怖し、身体を硬直させているのだ。
「なあ、早くしてくれよ。でないとこのちび、本当に刺しちまうぜ」
 切っ先が少女の頬へ宛われた。一瞬、少女の瞳が拡大する。
「分かった」
 男たちがボルドの手下であることは間違いない。闇に目の慣れたデニスは、彼
らの顔も見て取ることが出来るようになっていた。いずれもボルドと一緒にいた
連中である。
 と、なれば少女を人質にした男の言葉も、ただの脅しではないと知れる。
 ボルドが荒事に使う連中は、手下の中でも特に凶悪な者であることが多い。元
は軍人であり、戦場で覚えた人を殺すことへの快感が忘れられないという連中だ。
必要であれば、いや必要がなくとも、人を殺すことに躊躇いはない。喧嘩慣れし
たデニスであっても、実際の戦場で殺し合いを経験した連中にはとても及ばない
部分がある。
 デニスはナイフ男の言葉に従い、組み敷いていた男を解放した。
「なあ、俺の言った通りだろうが。人質を取って置いて、損はないってよ」
「ああ。今回はお前に助けられたな」
 捻られていた腕を振りながら、立ち上がる男。デニスはそれを無視し、ナイフ
男を睨む。
「そっちもルウを解放しろ。それから………マリィはどうした? まさか………」
「あの売女(ばいた)なら心配いらねぇ。俺らも、殺さないように言われてるか
らよぉ。あっちの部屋で伸びてらあ」
 ナイフ男がルウを放した。
 少女を抱こうと、デニスが歩を進め掛けた瞬間。鈍く重い痛みが腹部を襲う。
「これはほんのお礼だ」
 耳元に聞こえたのは、先ほどまでデニスの下にあった男の声。男の拳が、渾身
の力とともにデニスの腹へと打ち込まれたのだ。
「くっ!」
 呼吸が停止する。夕刻、マリィたちと過ごした幸せの時間。いまは胃の中に収
められていた幸福の味が、酸味を伴い、デニスの喉を逆流した。
 苦痛に蹲るデニス。
 その背中を熱い温もりが包む。
 ルウの温もりであろうと思われるが、苦痛から立ち直れないデニスに確認する
術はない。あるいは男が加えようとしてる第二撃から、少女がデニスを庇ってい
るのかも知れない。そう考えると、いつまでも蹲ってはいられないのだが、苦痛
は癒えず、身体を自由には出来ない。
「ふん、このまま叩っ殺してやりたいところだが………それは今日の仕事じゃね
ぇ。命ばかりは勘弁してやるから、感謝することだな」
 頭上から降る言葉に、デニスは安堵した。己の身に、これ以上の暴力が加えら
れないことより、自分を庇っている少女に被害が及ばずに済みそうなことに。
「さあ、いつまでもだらだらしてられねぇ。さっさと仕事を片づけちまおう」
 少し痛みも和らぎ、デニスはわずかにだが顔を動かせるなった。その目に映っ
たものは、デニスと仲間たちの想いの込められた絵に、振り下ろされようとして
いるナイフだった。
「くそっ」




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