AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【39】 悠歩


        
#4715/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:28  (196)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【39】 悠歩
★内容
 独り想いに耽ってしまった老伯爵は、いたわる視線に気づいた。婦人の寂しげ
な瞳が、老伯爵を見つめている。
「いえ、何も悲しむことばかりでもないのです」
 沈んだ顔を見せてしまったことを後悔し、老伯爵は出来得る限りの笑顔を作る。
老伯爵以上に、深い心の傷を持つ婦人の前ではそうすることが礼儀であると考え
た。
「若く瑞々しい才能が育ちつつあるのも事実です。私はそれこそが、我が国の未
来を担ってくれるものと信じています」
「それは、素晴らしいことですね」
 少しだけ、婦人の寂しげな表情が和らいだ。
「滞在中、おいおいファルネッタさまもそれをご覧になられることでしょう。ま
ずはサロンの落成式ですな。きっとご満足頂けることと思います」
「はい、私もそれを楽しみにしております」
 冷たい北風が吹き、葉の落ちてしまった庭の木々を揺らす。しかし地に落ちた
枯れ葉たちは、まだ溶けたばかりの霜の水分を含み、風に舞うことはない。それ
でもいまの季節を思い出させるには充分な寒さだった。
 こんな所で立ち話をして、ファルネッタに風邪を引かせては一大事である。老
伯爵は暖かな邸内へと、高貴な婦人を誘った。

 二つの国の指導者たちが、終戦の調印を行ってから二年。まだ苦しい生活をす
る者たちは多かったが、戦火という恐怖、徴兵という負担がなくなり、ほんの少
しだけ余裕が出来た。
 その余裕は人々に考える時間を与えた。
 百七十年の長きに渡った戦争の意味が、何であったのかを。
 家を、土地を、親しい友人を、愛する者たちを失うことになった戦争の意味を。
 多くの者が、同じ答えにと到達した。
 あれは無意味であったと。
 失ったものの多さに比べ、得るものは何一つなかった戦争。とうに忘れられて
しまった発端がなんであったにしろ、それは全く意味のない行為であった。
 さらに人々の中には、その先へ考えを及ばす者がいた。
 ただ国を、人々を疲弊させただけの戦争の責任を問うべきであると。
 初めは中央から遠く離れた村々だった。復興の遅れた村では生活の苦しさゆえ
に、戦争を起こした者への、いや正しくは戦争を起こした者の後継者への責任追
及が叫ばれるようになった。そしてある時、領主である貴族の邸が襲撃された。
 戦争の原因を憶えている者などいない。はたして貴族がどれほど関与していた
かも定かではないが、身近な権力者として憤懣の矛先が向けられたのだ。
 やがて騒ぎは中央へも飛び火して行く。村とは違い、曲がりなりにも治安を与
る部隊が存在する首都ではまだ、具体的な騒動には及んでいない。しかし戦争責
任を追及する声は確実に高まっていた。それは貴族に向けてだけに留まらず、彼
らの支配者である国王までを対象とした。
 不穏な空気が、首都に充満する。それは極限まで膨らませた風船にも似て、わ
ずかなきっかけさえあれば容易く破裂してしまう状態にあった。
 そんな緊張感は国王も知っていた。しかし知っていながら、打倒国王を唱える
者を探し出し、捉えようとはしない。彼は圧制を敷く王ではなかった。人々の怒
りは充分に理解出来ていたのだ。ただ一つ、国王を弁護するなら戦争は彼が生ま
れる前から始まっていたのだ。
 世が世なら名君と謳われていたであろう国王だが、いまは戦時中より危険な立
場に置かれていた。敵兵ではなく城を取り囲む国民たちが、明日にでも国王の命
を狙う暴徒と化すかも知れないのだ。
 国王には一粒種の娘がいた。名をファルネッタという。王妃の死後、彼は妻の
分まで娘を愛していた。自分が国民の怒りを買い、死することは仕方ない。だが
娘だけは、何としてでも助けたい。それは国王としてではなく、一人の父親とし
ての願いであった。しかしひとたび暴動が起これば、そんな願いは踏みつぶされ
てしまうだろう。ましてファルネッタには悪い噂もあり、事態によっては国王よ
り先にその命が狙われかねない。
 そこで国王は彼の最も信用する友人、アウストラック伯爵にファルネッタの身
柄を預けることにした。貴族が憎しみの対象とされる中、アウストラック伯爵の
治める街ではそうした動きがまだ見られない。人々からの信頼も厚い伯爵の元で
なら、ファルネッタの身も安全だろうと考えたのだった。



 赤々と炎が揺れている。
 決して暖かくなることなどないのだと思っていた部屋。けれど違うのかも知れ
ない。
 雪なんて嫌いだった。あれを天からの贈り物など言える人は、どうかしている。
白く冷たい雪は、震えながら街角に立つ自分を惨めにさせるだけだ。食べるもの
もなく、氷のように冷えたベッドで丸くなって眠る自分を、嘲笑うだけのものだ。
そう思っていた。それも違うのかも知れない。
 雪が降っていた。白く冷たい雪が。
 先日の雪とは違い、今度は本格的な降りだった。痛ましいスラムの街並みを、
白く染め上げゆく。
 暖炉には、ふんだんに薪がくべられる。そばに寄れば、汗をかくほどに。吹き
込むすきま風に負けないようにと。
 欠けたところを、板や紙で補った窓ガラスが曇っている。常に外気と変わらぬ
室温だったこの部屋で、窓ガラスが曇るのは初めてかも知れない。部屋は、マリ
ィが感じているより暖かくなっているらしい。
 湯気が立っている。白い湯気が。
 豊かとは言えないテーブルだったが、その湯気が幸せな気持ちを運んで来るよ
うな気がする。
 湯気は香りを運ぶ。スープ皿に満たされた、液体の香りを。透明で、皿の底が
見えるスープではない。ミルク色の液体には、ちゃんと野菜も入っている。ほん
の少しだけだが、肉も入れた。問題があるとしたなら、それは調理人の腕前だけ
だろう。
 それだけでもこの二年間、目にした記憶のないご馳走だった。くわえて白いパ
ンに、黄色いチーズ。一つだけだが、デザートにりんごもある。もしかするとこ
んな贅沢は、これで最後かも知れない。
「食べてみて」
 窓が曇っているのに、寒く感じるのはきっと柄にもなく緊張しているからだろ
う。マリィはデーブルの横で、惚けたように立ち尽くす二人にご馳走を勧めた。
「え、あ、ああ………けど………」
 デニスとルウは顔を見合わせ、なかなか席に着こうとはしてくれない。二人に
しても見慣れないご馳走に、臆しているようでもあった。
「私、料理って得意じゃないから、あんまりおいしくないかも知れないけど」
「いや、そうじゃなくてさあ………なあ」
 慌てながらそう言うと、デニスはまたルウと見つめ合う。そして二人で何かを
納得して頷く。
「見たこともないようなご馳走なんで………どうしたのかと思って」
「どうしたって、今夜中に出来るんでしょう? デニスの絵」
「ああ、明日の朝には持って行かないとならないから。マリィたちのおかげで、
なんとかなりそうだよ」
 初めてデニスが笑顔を見せた。
「だからさ、前祝いって訳じゃないけど、クリスマス・イヴをかねて。デニスに
は栄養をつけて、今夜はがんばってもらわないといけないでしょう」
「それにしても、こんなご馳走……お金は、だいじょうぶなのか? わ、肉まで
入ってる!」
「ふふっ、その代わり明日からは前の生活に逆戻りよ。今夜の分で、残っていた
お金、終わっちゃったから。それとも、デニスの絵が出来るのを待って、クリス
マスの夜にご馳走にした方がよかったかしら」
「そんなことはないけど………」
 そう、これで良かったのだ。コンクールがどのように行われ、結果が発表され
るのかマリィは知らない。受賞者のスケジュールも分からない。だから明日もデ
ニスはここを出ていくことになるかも知れないと思っていた。そうでなくとも、
ボルドとの約束があった。デニスと過ごせる最後かも知れない夜。マリィは自分
に出来る精一杯のことをしてやりたかった。
 もちろん、デニスはそんなことを知らない。ただ少し、照れくさそうに笑った。
「前祝いなんて言われると大げさだよな。確かに絵は間に合いそうだけどさ、そ
れだけのことで、賞が獲れるとは限らないし」
「だいじょうぶよ、私が保証するから」
「けど………詳しくは知らないけど、国中から絵の上手い連中が集まるんだぜ」
「もう、デニスらしくない。もっと自信を持たないと、承知しないぞ」
「へいへい、仰せのとおり致します」
 戯けて、手を胸に深くお辞儀をするデニス。その笑顔を見ていると、涙が出て
しまいそうだ。マリィは視線を、デニスを見つめる半分ほどに下げ、少女へと向
ける。
 少女も、デニスとの別れは知っている。そんなことを考えてしまうのは不謹慎
と分かっていたが、少女が言葉を持たないのはいまに限って幸いだった。幼い少
女が隠し通すには、大きすぎる秘密。けれど言葉を失った少女は、最後の瞬間ま
で、それをデニスに話してしまうことはない。
 もっとも、少女の目下の関心はテーブルの上のご馳走にあった。その誘惑に、
明日に訪れる別れのことは失念されているようだ。
「でもやっぱ、もったいない気がしちまうなあ。これだけのものを揃えるお金が
あるなら、これからの数日間、一日一切れずつでもパンが食べられるだろう」
『ううん、デニス。あなたはもう、食べ物の心配なんかしなくていいの。明日、
その絵を届けて、夢だった画家への道を歩くんだわ………私の思いこみなんかじ
ゃない。だって、私、デニスの描いた絵を見ていると、なんだかとても胸が熱く
なるんだもの。
 そんな素敵な絵が、みんなに分からないはずはない。画商の人がコンクールに
誘って下さったのも、伯爵さまが道具を買い与えて下さったのも、デニスの絵が
みんなの心を動かしたからなんだよ。だから絶対、デニスの絵は認められる。あ
んなに尊敬していた、ラインバルトと同じ、ううん、デニスならもっと凄い画家
になれるよ。
 デニス………いままでありがとうね。デニスは気づいてなかったかも知れない
けど、私、辛くていっそ死んでしまいたいって、何度も思ったんだよ。でもね、
そんなとき、デニスの描いてくれた絵が、私を勇気づけてくれた。
 私ね、デニスの絵が大好きだよ………ううん、だんだん分かって来たの。絵だ
けじゃないって………私、私ね………デニスのことが………』
「そんなこと言ったって、もう手遅れだわ。明日のことは明日心配すればいいじ
ゃない。それより、早く食べてくれないと、せっかく私が腕を振るった料理が冷
めちゃう」
 身体が震えてくるのは、涙を堪えているからだろう。だからこそ、マリィは元
気を装う。
「そう、だよな………じゃあ、食べようか?」
 デニスの言葉に、小さな少女が大きく頷いた。跳ねるようにして、自分の椅子
へと飛び乗る。古く、傷みの目立つ椅子が、ぎぎっと軋みを上げた。
 デニスも、それからマリィも少女に倣い、ただし跳ねたりはせずにそれぞれの
席へとつく。
「それじゃあ、いただきます」
 デニスが言うより先に、少女はもうスプーンを口へと運んでいた。
「あっ、ルウ。ちょっと待って」
 可愛らしい唇がその上の液体を啜ろうとスプーンに触れる寸前に、マリィは少
女の手を止めさせた。
「熱いかも知れないよ。急いで食べたらやけどしちゃう」
 スプーンを持つ少女の手に、マリィの手が添えられる。それからマリィは顔を
少女へと寄せて、ふうふうとスプーンの上の液体に息を吹きかけた。
「これでたいじょうぶかな」
 マリィが離れると、少女は何か難しそうな顔をして、マリィの手を目で追って
いたが、その声に改めてスプーンを口へと運んだ。
「うん、旨いよ、これ!」
 必要以上に大きな声は、デニスのもの。見ればまるで幼子のように、スプーン
を丸ごと口の中に収めている。
「本当に?」
「ほんと、ほんと。俺、こんな旨いもん、初めてだよ」
 ネスたちには改めて感謝しなければならない。彼らの集めてくれたお金がなけ
れば、こんな贅沢は出来なかった。けれどその、ネスやアネットたちはボルドの
下でこんな贅沢をすることはないのだろう。それを思うと、後ろめたい気もする。
 これで最後だから、とマリィは心の中で詫びていた。
「だけど………」
「えっ?」
 何やら言いかけて、口ごもるデニス。マリィは気になり、聞き返した。
「なに、どうかしたの」
「いや、ちょっとね。些細なことで、別に気にするようなもんじゃないんだ」
「もう、気になるわね………はっきり言ってよ」
「これ、凄く旨いよ。だけど、こいつは入れない方が良かったかもな」
 ニタア。
 言葉で表すとしたらそんな表現が、ぴたりと来る。笑顔のデニスは掌を口元へ
添え、何かを吐き出した。
「えっ………なに、じゃがいも?」
 デニスの掌に載っているは、噛み残されたじゃがいもの一部らしい。けれどマ
リィには、それに何の不都合があるのか分からない。
「固かったの? 煮込みが足りなかったのかしら………」
「いや、煮込みは充分だと思うけどね」
 少し困ったように、デニスが苦笑を浮かべている。
「これ、じゃがいもの芽の部分だぜ。普通、取るだろう」
「あら、そうだったの………じゃがいもの芽って、美味しくないんだ?」
「えっ」




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