AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【38】 悠歩


        
#4714/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:27  (199)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【38】 悠歩
★内容
「まあ、待てよ」
 そんなとき、アルベルトにとっては一縷の望みとも思える言葉が聞こえた。声
の主は三人の中で一番後ろ、アルベルトからもっとも離れて立つ男だった。
「ボルドさんに言われたことを忘れたのか。客は大事にしろとよ」
「けどよぉ」
「いいか、殺して有り金を頂いてもそれきりだ。だが仕事の客なら、何度も金を
持ってきてくれる。金が欲しければ、もっと長い目で物事を見ろと言われただろ
うが」
「ちぇっ、しかたねぇなあ」
 渋々と言った面もちで、ナイフが収められる。どうやら後ろの男が三人の中で
は、リーダー格らしい。
「あんた、俺に着いてきな。ボルドさんのところに案内するよ」
 言われるまま、アルベルトは命の恩人となった男の後ろを追いかけた。足の震
えも治まらないままに。



「うちの者が、とんだ無礼をしたそうで。申し訳ありませんでした」
 丁重に詫びてはいるが、それは形だけのこと。本心などではない。
 ただ相手の身なりから、上客になると判断したボルドはにこやかに対応をする。
「本当に失敬な連中だったぞ」
 アルベルト・ローダンと名乗った青年は、尊大な態度でそれに応じてくる。こ
こまで案内してきた男の話によると、スラムの手荒な歓迎に大層狼狽えていたそ
うだが、すでにその名残すら見せない。虚勢を張っているのかも知れないが、元
々が他人に対し威張り散らすことに慣れきっているようだ。その身分といい、こ
の手の輩は扱いやすく上客となり得る。
「どうか私に免じて、勘弁してやって下さい。あんな奴らでも、仕事の内容によ
っては役立つものでして」
「そうだろうな」
 さりげなく探りを入れたボルドに、アルベルトはいとも簡単に答えた。短い会
話で、アルベルトの頼みたい仕事は荒事になると知れる。もっともお金と身分を
持つ者が、ボルドを訪ねてくる場合、その大半はとても世間に出せないような依
頼であるのだが。
 かなりの報酬が取れそうだ。
 ボルドは密かにほくそ笑んでいた。
「さて、ご依頼の内容をお訊きしましょう」
「しかし………」
 アルベルトは、彼をここまで連れてきた男たちを気にしているらしい。どちら
にしろ荒事となればこの男たちを使うことになるのだが、多額の報酬のため客の
希望には応えることにする。ボルドが目で合図を送ると、男たちは無言で退室し
て行った。
「さあ、これで部屋には私とあなたの二人きりです。どうぞお話し下さい」
「今月、街で絵画のサロン………コンクールが開かれる」
「はい、存じております。主催者はポリッシュ画商、それをアウストラック伯爵
が全面的に支援なされているとか。確かローダンさんはラインバルト・デトリッ
ク賞の最有力候補でしたな」
「貴様、なぜそれを!」
 アルベルトという男は、いかにも貴族然とした頼りない身体つきをしているが、
血の気はボルドの部下たち以上に多そうだ。名乗っただけで素性まで知られたこ
とに、驚くと言うよりは憤慨した様子を見せる。
「まあまあ、お気を鎮めて下さいな。立場上、どうしても街の様々な情報が耳に
入って来るものでして。ましてあなたのような高名な方、存じていても当然でし
ょう」
 相手を持ち上げる物言いに、アルベルトは微かに満足そうな表情を浮かべた。
短気な人間にありがちな、単純という性格も見事に持ち合わせているらしい。
「それが少し事情が変わってしまったのだ」
「と、申されますと?」
「デニス………えー、デニス・ラングレイとか言ったな。どこの馬とも知れんヤ
ツのせいだ」
「デニスが」
「しっいてるのか?」
「あ、いえ、スラムの住人のことなら大抵は。しかしあれはただの似顔絵描き。
ろくな絵を描けるはずもありません。貴族として、最高の絵を学ばれてきたあな
たの気にする相手ではないでしょう」
「そうも行かないのだよ」
 どん。
 興奮したアルベルトが、拳で机を叩く。苦虫を噛みつぶしたような形相で。
 部下を退室させておいたのは正解だったと、ボルドは思う。この場に連中がい
たなら、発砲はしないまでも、拳銃をアルベルトに向けていたかも知れない。
「理解出来ないことだが、伯爵がそいつを妙に高く買っているのだ。それにポリ
ッシュも、影響されかけている………」
「つまりはデニスの絵に、あなたは勝てそうにもない。だからなんとかして欲し
いと言われるのですな」
 ボルドはデニスにそれほどの実力があるとは思っていない。そのデニスの実力
に恐怖しているアルベルトは滑稽でしかない。少々からかい気味の言葉を投げて
やる。
「勘違いをしないでもらいたい」
 その意図を読みとったのか、アルベルトはボルドを睨みつけた。
「いいか? 芸術とは崇高なものなのだ。だからこそ価値があり、見る者を感動
させる。その崇高さを守るためには洗練された気品と、膨大な知識が必要なのだ。
貴族として生まれ育った俺にはそれがある。それが出来る。
 ましてや我が国の誇りである、ラインバルト・デトリックの名を冠した賞を下
賤の者に与える訳にはいかないのだ。それは彼の偉大な名に傷をつけるばかりか、
崇高な芸術を貶めることにもつながる。
 俺は自分が賞を取りたいと思っているのではない。ただ芸術を守りたいだけな
のだ。そして伯爵さまにお目を覚まして頂きたいと切に願って止まないのだ」
「仰りたいことは、よく分かりました」
 要はライバルを蹴落としたいということを、いかにも理屈をつけて奮う熱弁に
辟易し、ボルドは途中で口を挟んだ。
「で、私どもにデニスをどうにかしろ、と言うご依頼ですね」
「まあ、そう言うことだ。受けてもらえるか?」
「それは報酬次第です」
 ふん、と鼻を鳴らし、アルベルトはいかにも大仰そうに懐から膨らんだ袋を出
し、机に投げ置いた。重い金属音を鳴らした袋の口から、数枚の金貨がこぼれ出
る。
「五十枚ある。若僧一人に、コンクールへの出品を諦めさせるには過分な額だろ
う」
 恩着せがましい言葉が、ボルドの耳に届いた。
 確かに五十枚の金貨は、大層な報酬だった。幾度目にしても飽きることのない、
金色の輝きはボルドの心を弾ませる。だが狡猾さだけで凶暴な男たちのボスに成
り上がったボルドは、簡単には仕事を引き受けない。
「五十枚ではどうにも………引き受けがたいですな」
「不足だと言うのか」
 アルベルトにしてみれば、ボルドの反応は意外だったに違いない。その半分、
それどころか十分の一でも人を殺すための人間を探し出せる金額なのである。彼
は揉み手でボルドが仕事に応じると信じていたはず。
「あと五十、追加して頂かないと。デニスという男は、なかなかに凶悪なヤツで
してね。その仕事を引き受けるには、こちらとしてもかなりのリスクを負うこと
になるんですよ」
「何を言うか。人の足下を見やがって………ならばいい。他に人を探すまでだ」
「それは無理だと思いますよ。自分で言うのも口幅ったいですが、私は街とスラ
ムに広く情報網を持っています。裏社会には、それなりの影響力もあります。一
度私のところに持ち込まれた仕事を受けるバカはいませんよ」
「くっ………」
「それにね、話をしてしまった以上、あなたは私に頼むしかないんですよ。でな
ければ、明日には先ほどの話を伯爵さまや画商が耳にしないとも限りません」
「貴様、俺を脅迫しているのか」
 いまにも噛みついてきそうな目がボルドを睨んでいた。ボルド自身体格のこと
もあり、喧嘩は得意でない。アルベルトと組み合いになれば互角、あるいは不利
かも知れない。ただし相手を見る能力には長けているつもりだ。尊大に振る舞う
だけで、アルベルトは自分の拳を使える男ではない。
「いえ、決してそのような………ただ部下どもの口止めも難しいものですから」
 こうしてボルドはアルベルトの逃げ道をふさいでしまう。造作もない。世間知
らずの金持ちほど扱いやすいものはない。
「二十だ。あと二十払う」
「弱りましたな。しかしまあ、初めてのお客様ですし、これからもご利用頂くと
言うことであと三十で手を打ちましょう」
「………分かった。ただしそれは成功報酬だ。お前たちが俺の納得する仕事をし
た後で払おう」
「はい、承知致しました」
 商談は成立した。

「どうされるつもりなんです?」
「んん、何がだ」
 この世の中で最も愛するお金の感触に夢中だったボルドは、アルベルトと入れ
代わって部屋に戻った男の言葉を聞き返す。
「あのアルベルトとか言う野郎の、仕事を引き受けちまって」
「はて? 何か問題があったかな」
 散々弄び充分に満足すると、ボルドは金貨を数枚男たちに渡す。その仕事を彼
らに任せるという合図であった。お金に汚いボルドではあるが、手下にはそれな
りに払う。そうすることで、自分に従っていれば旨い目を見られると教えるのだ。
「しかしマリィと約束したんじゃ? 二十五日までは、ヤツらに手を出さないと」
 そう言いながらも、男たちはそれぞれに金貨を懐に納める。仕事を拒む気など
はないのだ。
「約束は守るさ。俺は律儀者なんだ」
「えっ、それじゃあ………」
 困った三つの顔が、全てボルドへと集中した。ボルドの意図が理解出来ないこ
とより、金貨を返すことになるのかと不安なのだ。
「あの時、俺はマリィにこう言ったんだぞ。『私は二十五日まで、決して君たち
には手を出さない』ってな。手を出すのは俺じゃないだろう? お前らだ。違う
か?」
 ボルドを含む四つの顔は、どれも満足げに歪んでいた。



 その日来客を待つ伯爵邸は、朝から忙しなかった。
 正しくは数日前より準備が行われ、全て万端整えられている。だが、いよいよ
当日となり使用人たちの緊張も高まっていた。
「支度は整っているのだ。皆、緊張せずともよい」
 そんな中でただ一人、邸の主である老伯爵だけはいつもと変わらぬ様子でいた。
老伯爵には自信があった。邸の者たちは皆、礼儀作法をよく心得ている。それも
形だけでなく、誠意をもって行ってくれる。如何なる客人を迎えても、必ずや充
分にもてなしてくれると。事実、これまでに邸を訪れた客には使用人の躾を賞賛
されたことはあっても、不満を聞いたことなどなかった。
「お着きになられました」
 客人の到着を告げる声に、門から玄関までを整然と並び立つ使用人たちは、さ
らに背筋を伸ばす。
 開かれた門を一台の馬車がくぐる。ゆっくりと進む馬車と連動するかのように、
使用人たちが頭を下げていく。
 それは小さな馬車だった。老伯爵が普段一人で出かける際使っているものより
は、やや大きい。大理石を思わせる白い外観が、陽の光を受けて眩しく輝いてい
た。全体的には地味な造りであったが、所々に繊細な彫刻が施されている。誰の
目にも高い地位にある人物の所有と知れるが、見る者によってはそれが並大抵の
地位でないと分かっただろう。ただ所有者を具体的に示す、紋章の類は一切ない。
それは今回の訪問がお忍びであるがためだった。
「ようこそおいで下さいました。歓迎いたします」
 正面玄関の前では、老伯爵自らが馬車のドアを開き、客人の降車に手を貸した。
「ありがとう、お世話になりますね。アウストラック伯」
 馬車から降り立ったのは、プラチナの髪も眩しい、うら若き婦人であった。
 婦人の手を取り、膝をつく老伯爵。それは単に婦人に対する紳士の礼儀ではな
い。臣下の者がその主に見せる礼であった。
「馬車の中から見せていただきましたが、ここは良い街ですね。愚かな戦いが終
わって、まだ二年と言うのに、その復興ぶりは首都以上かも知れません。まるで
統治されるアウストラック伯のご尽力とお人柄を表すようでした」
 覇気のない笑顔が老伯爵を労う。
「皆、街の者たちの手柄です。私は何もしておりません。恥ずかしいほどに、私
は街のことを知らないのです。街の復興もまだ表面上だけのことで、その裏では
辛い思いをする者たちがまだまだおります。最近、それを痛烈に知らされました」
 老伯爵の脳裏には、先日出逢った二人の少女のことが浮かんでいた。まさか自
分がよかれと思い、デニスに勧めたサロンへの参加が彼女たちの負担となってい
たとは。絵の具一本を高価なものと感じたことのなかった老伯爵には、想像だに
出来なかった。そんなことも知らず、街の再建や芸術の復興と騒いでいた自分が
恥ずかしい。
 また、あの後で調べさせたところ、マリィと名乗った少女と同じ年頃の娘が己
の身を売って生計を立てている事実があると知った。あの少女もそうであるとは
限らない。だが、あの時身体中に傷を負っていたマリィの姿が忘れられない。あ
るいはそれが、男から暴行を受けた痕かも知れないと考えると、夜も眠れないほ
どに胸が痛む。
「まあ………」




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