AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【28】 悠歩


        
#4704/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:23  (198)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【28】 悠歩
★内容



 造りの悪い上に、戦闘の爪痕による傷みの激しいアパート。少し耳を澄ませば、
隣人の生活も筒抜けになってしまう。
 ドアを閉じる音、足音。そしてベッドに入って毛布を掛けたのだろう、微かな
衣擦れの音。
 自分もひどく疲れていて早く寝たかったが、それらの音を確認してしばらく、
マリィはじっと息を殺して時が過ぎるのを待っていた。その横に椅子を並べて座
っている少女も、マリィを真似てまだ起きている。だが少女にとって、眠気はマ
リィが感じている以上に強敵らしい。起きていようとする意志に反し、瞼はひと
りでに下りてしまい、小さく舟を漕ぎ始める。が、その振幅を増大させ、テーブ
ルの角に額を当てて瞼を開く。開いてはまた閉じてしまう。そんなことを二回ば
かり繰り返した。
「そろそろ、デニスも寝ちゃったよね?」
 デニスに気づかれたくないが、これ以上ルウを起こしていては可愛そうだ。そ
う思ったマリィの言葉に、少女は三度(みたび)閉じかけていた瞼を開き、小さ
く頷いた。マリィと二人きりの秘め事に、期待を膨らませた瞳が輝く。
 少女が頷くのを確認したマリィは、羽織っていたコートのポケットから取り出
したものをテーブルに並べる。
「ひい、ふう、みい、よ………」
 窓から射し込む星明かりに、マリィの数えるテーブル上の小銭が鈍く輝いた。
 デニスにはなかったと言ったが、それは今夜マリィの稼いだお金だった。ボル
ドの圧力が強くなったことはマリィにも感じられたが、影響はデニスほどには大
きくなかった。ほとんど相手の決まっているデニスの仕事に対し、マリィの仕事
は不特定多数の男性がその対象になる。さすがにその一人一人にまではボルドも
圧力は掛けられないらしい。さらには暗い場所での客引きが、客に対してこちら
がどこの誰であるのか特定させないことも幸いしているのだろう。今夜も数人、
街の女より安く、さらに若い娼婦を求めた男たちがマリィの客となっていた。
 その日の稼ぎを確認すると、マリィはベッドへ向かった。その後ろを、少女が
仔犬のようについて来る。
 ベッドの下の、すっかり綿の抜けたマットをめくり、マリィは今夜の稼ぎをし
まう。そこにはこの三日間のマリィと、そしてルウの稼ぎが全て隠されていた。
「もうちょっとで貯まるよ」
 マットを元に戻し、マリィは少女をベッドへと抱き上げた。それから着ていた
ものを脱ぎ捨てると少女を壁側に寝かせ、その身体を包み込むようにして自分も
横になった。
「このまま行けば、あさってくらいにはなんとかなりそうだね。きっとデニス、
びっくりするよ」
 この言葉は、最後まで少女の耳に届いたのだろうか。マリィが話している間に
も、微笑んでいた少女の瞼は静かに閉じられ、今度こそはそのまま寝入ってしま
った。
「そうだね………お腹が空いてるのをがまんしてるんだもの。せめてぐっすりと、
寝たいものね」
 マリィは足下の毛布を少女の身体へと掛けた。その時、微かに手が少女の背中
に触れる。
「………」
 あることを思い出したマリィは、今度は意図的に少女の背中を撫でる。それか
ら、一度その手を自分の頬に充て、外気に奪われていた温もりが回復したを確か
めた後、少女の下着の中へと忍ばせた。
 その指が見つけた感触に、マリィは眉を曇らせた。
 初めてルウと逢ったあの日、その背中に見た無数の傷跡。あれから経過した時
間と、小さな子どもの回復力を考えれば、もう消えてもいいはず。けれどマリィ
の指は、いまだ消えない傷跡と、痩せた身体の骨をはっきりと感じ取っていた。
 豊かではない食生活が、回復させるための栄養も不足させているのだ。
「ごめんね、ルウ………」
 デニスのためのお金が貯まったら、その後はもっとルウに食べさせてやろう。
マリィは自分も空腹であることを忘れ、そう誓った。
「おやすみ、ルウ………おやすみレナ」
 少女と、レナが最期に見たベッドの上の水彩画に呟きかけ、マリィも眠りに就
いた。



「きっとデニスは、立派な絵描きさんになると思うわ」
 石になってしまったかと思われていたレナが、突然そんなことを言い出した。
「だって、私なんかを描いて、こんなすてきな絵が出来るんですもの」
 紅潮した頬と、広げられた一枚の絵がマリィの眼前に迫ってくる。マリィの顔
を、その絵で包み込んでしまおうかという勢いで。
「レナあ、いくらなんでも、こんなに近づけられたら見えないよ」
「あっ、ごめんなさい」
「ふふっ、貸して」
 慌てて引っ込められた絵が、改めてマリィへと手渡された。
 それは額に収められ、部屋に飾るような絵ではない。切り取られた画帳の1ペ
ージに即興で描かれた鉛筆画であった。
「ほんと、すてきな絵だね………でもデニスだって、モデルがよかったからこそ、
こんな絵が描けたんじゃないかな」
「そんな………わ、私なんか………」
 頬を赤らめ、レナは視線を逸らしてしまう。絵の中と同じような表情で。
 絵に描かれたレナは、椅子に腰掛け恥ずかしげに微笑んでいた。内気なレナは、
絵を描いているデニスを真っ直ぐと見ていられなかったのだろう。伏し目がちな
視線が、いかにもレナらしい。
「もう、レナったらもっと自分に自信を持ちなさいよ。あんたは、充分に可愛ら
しいんだから」
 そう言いながらマリィが絵を返すと、レナはそれを大事そうに胸の中に抱いた。
「マ、マリィったら………すぐそうやって、私をからかう」
 小さな拳が、マリィの肩を軽く叩いた。そんなレナの様子を見て、マリィはも
う心配はないと安堵する。今朝方まで高い熱を出して寝ていたレナだったが、も
うすっかり元気になっている。
 それもデニスのおかげだと、心密かにマリィは感謝した。仕事に出かける前、
レナの様子を見に来たデニスは、他に自分には見舞いの品を用意出来ないからと、
絵を描いてくれたのだ。デニスが訪ねて来るまでは、辛そうにしていたレナだっ
たが、寝ている姿を描かれたくはないと起き出した。無理をしてデニスが去った
後、さらにレナの病気が悪化するのではないかと心配したマリィだったが、それ
は危惧に終わった。マリィの予想以上に、デニスに絵を描いてもらったことで、
レナは元気を取り戻したのだ。
「からかってなんかいないって。あなたは可愛い、ううん、これは私だけが言っ
てるんじゃないよ。男の子たち、ネスやデニスもそんなことを言ったんだから」
「えっ、デニスが………」
 デニスの名前を出したところで、レナは一際敏感に反応を見せた。「からかっ
ていない」と言ったマリィだったが、ついその言葉を撤回してしまいたくなる。
「あなた、やっぱりデニスのことが好きなのね」
「あっ」
 レナの返事を聞くまでもない。耳に至るまで顔中を紅く染め上げた表情が、す
でに答えを告げていた。
「初めて会ったときは、あんなに怖がっていたいたくせに」
「………から」
「え?」
「デニスは優しいから………」
 聞き返してようやく確認できた、蚊の鳴くようなレナの声。
「あ、マリィもアネットもみんな優しいから好きよ」
 しばらくしてから、慌ててそんな言葉が追加される。その前のものに比べ、は
っきりと聞き取れる声量は、かえってそれが自分の感情をごまかすためのものと
知れてしまう。
 それから、すうっとレナの顔から紅みが退いた。
「それに私、病気ばかりして、みんなの役にたたないし………誰かのこと、好き
だなんて言う資格、ないもの」
「本当にばかな子なんだから」
 思わずマリィはレナを抱きしめた。
「レナにはレナの価値があるんだよ。そんなに自分を責めることばかり言うなら、
私怒るからね」
「ありがとうマリィ………でも、でもね。ううん、これは自分を卑下してるんじ
ゃないの。だけど私、これ以上デニスのことを、好きになっちゃいけないと思う
の」
「どうして?」
「だってデニスは、こんなすてきな絵を描くんですもの。きっといつか、本物の
偉い絵描きさんになるに決まってる。きっと一番最初に、この街から出ていくの
はデニスだわ。
 これ以上好きになってしまったら、デニスが出ていくときに辛いもの。せっか
くのデニスの成功を、心から喜べなくなってしまう………私、そんないやな子に
なりたくないの」
「レナ………」
 どこまでも純粋であろうとするレナの心が愛おしくて、華奢な身体を抱くマリ
ィの腕に力が込められる。
「ちょっと………苦しい……」
 しばらくはマリィに抱かれるままに任せていたレナだったが、つい先ほどまで
発熱のため寝込んでいた身体にはきつかったようだ。けれど慌ててレナ身体を解
放したマリィに対し、彼女は嫌そうな顔は見せない。マリィの瞳が捉えるのは、
儚げな少女の笑顔だけだった。
「マリィだって………マリィだってそうなんでしょ?」
「えっ?」
 レナの口から出た言葉の意味が分からず、マリィは聞き返す。
「マリィだって、私と一緒なんでしょ。私なんかより、ずっとはっきりした性格
のマリィがデニスに好きだって言わないのは、私とおんなじ理由なんだよね?」
「そ、そんな」
 否定の言葉が続かない。思いもよらないレナの言葉に、マリィはそれを否定し
きることが出来なかった。
 デニスのことは嫌いでない。どちらかといえば、好ましい存在であるのには違
いない。ただレナの言うような意味で、好きだと考えたこともない。いや、意識
したことがないのだ。しかし改めてレナに言われ、自分がデニスに対して他の男
の子たちとは別の感情を抱いているようにも思えたのだ。それはまだ、マリィが
生まれた村にいた頃、同じ学級の男の子に抱いていた感情とはどこか違う。それ
よりもさらに強いもの。
 それでもいま、レナの言葉にイエスともノーとも答えることが出来なかった。
一日一日を、ただ生きていくだけが精一杯のマリィに、自分の感情を冷静に見極
めるゆとりはなかったのだ。
「マリィって、純情なのね」
 答えあぐねいているマリィに、レナがいたずらっぽく笑い掛ける。
「マリィの態度を見ていれば、一目瞭然なのにな。デニスのこと、好きだって」
「こおら、あんまり人をからかうもんじゃないよ」
「さっきのお返しだよ………あん、やだ、痛いってば………もう、マリィたら、
男の子みたいに力が強いんだからあ」
 マリィはレナを叩く真似をし、レナは大げさに痛がって見せる。仲間たちとと
もにあっても、なかなか笑う機会の少ない二人が、久しぶりにその歳相応の表情
で笑う。
 逃げるレナ、それを追うマリィ。身体が弱く、体力のないレナは少し駆け回る
と、もう疲れてしまう。ベッドにうつ伏せに倒れ込むと、追っていたマリィはそ
のままレナの上に覆い被さった。
「………だから、一緒に応援してあげようよ、マリィ。私に出来ることなんて、
ないかも知れないけれど、もしあるのなら、なんでもする」
 マリィの下には、ひどく真剣なレナがいる。そんなレナに対し、マリィもまた
真剣に応えた。
「ええ、私も出来る限り、精一杯の応援をするよ」



「どうだね、作品の進み具合は?」
「はい、思いの外筆が乗りまして………少々時間が掛かっていますが、会心の作
が出来そうです」
「ほう、それは楽しみだ」
 外観はもう完全に出来上がっていた。今日は内装の仕上げが行われている建物
を、画商は一人で見に来ていた。伯爵は他に用事があって来られない。その画商
の元を、アルベルト青年が訪ねて来ていた。
「そう言えば先日、伯爵さまと初めてお会いした折、お二人で気になる似顔絵描
きを見に行くと話されておられましたが、いかがでしたか?」
「ほほう、ライバルが気になるかね」
「いえ、そう言う訳でもありませんが。私は私の絵を完成させるだけ、他の者の
ことは関係ありません。ただお二人のお眼鏡に適うような画家が見つかったとし
たら、それはそれで我が国の絵画界にとって、喜ばしいことと存じますので」
「ははは、君らしいな。いつも私以上にこの国の芸術の発展を気にしてくれる」
 建物の完成が予想より早く、立派であったこともあり画商は上機嫌だった。さ
らに慇懃なアルベルト青年の態度が、それに輪を掛けさせる。
「なに、大したことはない。技術的にはまだまだ稚拙で、とてもアルベルト君に
は遠く及ばないものであったよ。まあ、私としては君の大賞を脅かすようなもの
であってくれれば、嬉しかったのだがな。やはりよりよい作品が生まれるために、
ライバルの存在は大きいものだ。残念と言うべきか、安心なさいと言うべきか、
君の大賞は動きそうにないよ」
「はあ、そうでしたか」




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