#3062/3137 空中分解2
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『気分次第で責めないで』2−1<コウ
★内容
翌朝、俺は、会社で、コンピュータをいじっていた。コンピュータの端末を覗いて
いる時が、一番落ちつく。コンピュータの優点は、演技をしない事と嘘をつかない
事だ、などという事を言うと、い・か・に・も、今日的典型的な若者の雰囲気だが
、俺は、全然そんな感じの人間ではなくて、むしろ、江戸時代の頑固な大工さんみ
たいな感じなのだ。ノミ一本しか使えないが、使えるノミに関しては誰よりも上手
に使えるという感じの、職人気質の人間なのだ。コンピュータのプログラムが俺に
向いているのは、絶対にこれしかない、という雛形があるからだ。もっといい組み
方があるかも知れない、と思ったら、全然先に進まない。あれでもいいが、これで
もいい、というのが気に入らない。
そうは言っても、お客も人間、上司も人間だから、そこには腹芸の様なものがあっ
て、要領の悪い奴は謂われなきいじめにあう。
昨日も、お客から腹芸的なFAXが来た。
「今日は百百君の送別会なので、定時で帰ります。5時以降に電話をしても誰もい
ませんので、宜しくお願いします。オリエント測量電算課関口様」
「関口」とは俺の戸籍名だ。何を「宜しくお願い」しているのか、全然解らない。
だから、机の上の書類箱の中に入れっぱなしにしておいたのだ。そうしたら、今日
のさっきから、課長の武が、俺の背中に立って、腹芸的FAXを覗いている。だけ
れども、まだ、何も言わない。
俺は、ディスプレイの反射を利用して、武を観察していた。武は東大卒だが、三十
八才独身で、男子単身者用公団住宅に住んでいる。ワイシャツはポリエステル八十
%のダイエー製品で、ランニングシャツが透けて見える。ネクタイはキオスクにぶ
ら下がっていたものだ。やっと最近になって、何の為に働いているのは分からなく
なってきたけれども、今更遅い。せいぜいの楽しみは、下請け業者いじめと部下い
びりだ。それで、よく俺をいじめるのだ。
「早く行ってしまえ、シッシッ」と思いつつも、キーボードをカチャカチャやって
いたら、とうとう、武が、腕を伸ばしてきやがった、肩ごしに。手首の鎖がジャラ
ジャラいった。ジャラジャラいっているのは、金のブレスレットではなくて、時計
の鎖に、アルミのカレンダーが、三枚もついているのだ。保険屋のババアからもら
ったものだ。FAXを掴むと、武は、俺の机の上に半ケツを乗せてきた。
武が言った。「お前、これ、何時来た」
「昨日ですけれども」
「昨日だって」と言うと、わざとらしく舌をならして、いかにも重大なしくじりを
したみたいに、大きなため息をついて、「お前、何年サラリーマン、やってんの?」
「来年で6年になりますけれども」
「そんな事を聞いているんじゃねえ」
そんな事を聞いているんじゃない、って、今、確かに、そんな事を聞いた。
「よく読んでみろ」と言うと、武は、俺の鼻先に、FAXを突きつけた。
「5時以降には電話をするな、と書いてありますけれど」
「リードビトゥイーンザラインだ、リードビトゥイーンザライン」
俺は、穴のあく程、FAXを見つめた。
「それは餞別を持って来いって事じゃねえか」と武。
「ええ?」
「解らないのか。馬鹿、間抜け」
どうして、5時以降に電話をするな、が、餞別を持って来い、に読めるのか?俺に
はさっぱり理解出来ない。金が欲しいなら「金が欲しい」と書けばいいのだ。雨が
降ったら「雨が降った」と書きなさい、と、チェーホフも言っている。チェーホフ
は関係ないが、この様な、曖昧もことした言い回しは大嫌いだ。
武は、(短足だから、尻を乗せるのもやっとの事で、足がぶらぶらしていたのだが
)机から飛び降りると、「昨日の事は昨日の内に言ってくれ」とか「勝手に判断す
るな」などと言って、それでも訳が解らないでぼーっとしている俺から、FAXを
取り上げると、「もういい」と怒鳴って、ぶりぶりと尻を揺すって、自分の机にた
どり着くと、乱暴に電話のボタンを押して、相手が出ると、急に声が裏返えった。
なんともイケスカナイおっさんだ、と思いつつ、俺は、睨んでいた。
隣の席にいた岩田が、吹きだした。見れば、受けに受けて、笑いに笑っている。
「何がおかしいんですか」と俺が言った。岩田は笑いが全然納まらないで、呼吸困
難になって、ひーひーしている。「人の不幸がそんなにおかしいんですか」
「だって」とだけやっと言うと、岩田は、ハンカチを出して涙を拭った。「武さん
、あのFAX、昨日、見ていたぜ」
「え。どういう事ですか?」
「武さん、昨日、お前の机の上、漁っていたもの」
「だったら、何で、昨日の内に言ってくれないんだ」と、誰ともなしに言ってみる
俺。
「そりゃあ、お前をいじめたいから放っておいたんだよ」と言うと、再び笑いだし
た、が、俺が睨んだので、奥歯を噛みしめた。
「いじめたい、って、そんな事したら、客にも迷惑がかかるじゃないですか」と俺。
「お前、解ってないね」
「解ってませんよ。教えて下さいよ」
「武さんの理想はね、お前みたいな馬鹿がいるけれども、自分が有能で、自分がい
るからこそ、課が上手く行っているのだ、というイメージを醸し出す事なんだよね」
「なんですか、それ」
「部下のみんなが上手くやったら、中間管理職の存在意義がなくなっちゃうじゃな
い」と言うと、あー苦しかったと、ため息をついて、ハンカチをたたんだ。「消防
署が、火の用心、と言うのと同じだよ、医者が、おだいじに、と言うのと同じだ。
本当におだいじにしたら医者は困るじゃん」と言ってから、再び爆笑した。