AWC 『気分次第で責めないで』1−2<コウ


        
#3061/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ     )  93/ 4/ 6  17: 1  ( 90)
『気分次第で責めないで』1−2<コウ
★内容
ニュースステーションのスポーツコーナーがブラウン管に現れると、みんなは一応
画面を見た。解説の江川が、くるくるよく回る舌で、ぺらぺらと解説していた。俺
はこの男が大嫌いなのだ。昔、この男が記者会見でやっいていた、下手糞な田舎芝
居を思い出すと、ムラムラして来る。「中国針ヲ肩胛骨ニ打テバ、試合デハ投ゲラ
レル、ガ、選手生命ハ終ワリダ」とはどういう事だ。野球の監督というものは、普
通は、怪我を隠せ、と言うものであって、ところが、監督よりも、ファンに愛され
たい選手は、怪我をしながらの力投、というイメージの方が都合がいいのであって
、江川なんて、どうせ、名球会になんて入れないから、監督を裏切って、ファンを
客として選んで、タレント活動への布石を打ったのだ。そうして、今度はトーク番
組で、文化人や漫才師に突っ込まれると、ハハハははは歯歯歯、と、道化を演じて
誤魔化す。状況や時間に応じて、ころころと、客を変更するのだ。気が付くと、江
川は、機転の利く頭のいい人間になっていて、最初の演技・嘘・偽りを真面目に追
求しているこっちが、しつこい、粘着質な、偏執病みな人間、という雰囲気が醸成
されている。それで、こうやって、今でもブラウン管の中で、ハハハははは歯歯歯
、と笑っている。一億玉砕が、一晩にして、憧れのハワイ航路に気分転換されてし
まう、忘れっぽい日本人は、あんな奴に騙されるのだ。しかし最後の一人まで騙す
事は、決して出来ないのだ。竹一にワザワザと言われて、びっくりした太宰治と同
じで、こういう男は、俳優合格でも人間失格だ。その様な演技では、決して騙され
ない男がここにいる!

「馬鹿みたい」と妹が言った。
「馬鹿?」
「さっきから新聞とかテレビとかに苛々しちゃって、人生コーロンか」
「お前の方こそ馬鹿だ」と言って、それから、日本人の淡泊さと戦争責任について
言及しようと思ったら、妹が言葉をかぶせて来た。
「テレビはテレビ、現実は現実、その区別が出来ないのは、小学生以下だよ」と妹
が言った。
「小学生以下だとっ」
「小学生だって、ブラウン管の志村ケンの真似をして、ケーキに顔を突っ込む様な
真似はしないんだから」
「放っておけ、放っておけ」と親父。
「いい加減にしなさい」とお袋。
「志村ケンが気に入らないなら」と妹が言った。「高倉ケンの映画をみてヤクザに
憧れる馬鹿でもいいけれども」
「うっ」俺は言葉に詰まった。
妹から、こんな洒落た台詞が出てくる筈はない。この台詞自体、テレビか雑誌の請
け売りに違いないのだ。マスメディアに毒されている妹を注意してやろうと思った
。しかし、妹は、とどめを刺す様に、独りごとの様に言った。「だいたい矛盾して
いるじゃない。お父さんに世界情勢が関係ないなら、お兄ちゃんには江川は関係な
ーい」これは言外に「自分の頭の蝿でも追っていろ」という意味を含む。

しかし、それは誤解なのだ。俺は矛盾している訳ではない。俺は、要領が悪くて演
技が下手で、何時でも、もっと上手いやり方があったのではないのか?と迷ってい
る。俺が迷っている内に、江川みたいな要領のいい奴が、どんどん先に進んでしま
う。だけれども真似する事が出来ない。だから、ドアを閉じて我慢をしている。デ
ィズニーランドでも、もっといい見せ物があるのでは?と悩むよりは、スモールワ
ールドに行く。それを説明しようと思ったが、急に、自分が女々しく思えてきて、
付け合わせのミックスベジタブルを箸でつついていた。

ブラウン管では、「それでは次のニュースをコミヤから」と、吹けば飛ぶ様な久米
宏が言った。

「警視庁八王子署は二十九日までに、通りがかりの女子中学生に突然飛びかかり、
殴る蹴るの乱暴をはたらいていた、東京都八王子市の自称小説家鈴木幸一(二十八
才)を、暴行の容疑で逮捕しました。同署の調べによりますと、鈴木は、先月三日
、八王子市子安町の路上を歩いていた女子中学生三人に、ぶっ殺してやる、などと
叫びながら襲いかかり、内、二名は肩、腹部に軽い怪我を負いました。調べに対し
て、鈴木は、変なおじさん、と言われた事に、カッとなった、と供述しています。
なお、鈴木は、過去に精神病院に通院歴があり」

シーンとした。沈黙、約五秒間だ。(時計で計っていたら、五秒だったのだ。誤り
を犯さない為に「約」を付けた。形が醜くなっても、曖昧を避ける!)演技をして
いるのはテレビや新聞の中だけじゃない、と、俺は思った。見ている連中も演技し
ているのだ。実は俺は、境界例の精神病なのだ。それだから、テレビでこの手の事
件がアナウンスされると、みんな貝みたいになるのだ。それから、どうでもいい様
な、その場を繕う様な、当たり障りのない会話を始めるのが、何時もの事だ。親父
は、ニュースの声をかき消す様に、わざと、新聞をぐしゃぐしゃさせて、音をたて
ている。「新しいタイプの工作機械が発売されるらしいぞ」とか「この記事は切り
抜いて保存しておかないといけないなあ」とか親父が言うと、「そうそう、そろそ
ろスクラップブックが無かったわね、明日の買い物のメモに書いておかないと」な
どとお袋が言って、妹は妹で、「どのタイプがいいかなあ」と、誰ともなしに言っ
ているのだけれども、破けてビリビリになったアルペンのチラシは、平静を装うの
には全然ふさわしくないのだ。全く白々しい連中だ。

昔から、この家庭はタブーの塊だった。中学生の頃には、ドラマの濡れ場が流れる
と、気まずかった。これは、まあ、微笑ましい。高校に入ってからは、刑事物の万
引きシーンが、タブーになった。俺が、忠実屋でコンビーフを万引きして、上げら
れたからだ。コンビーフというのは、パチンコ屋でキャッシュに替える為だったの
だ。それから、高校を出た時に、俺は、境界例になったのだ。以来、JALの逆噴
射事件や、フランスの人肉事件や、深川の通り魔事件や、その他色々の精神分裂者
の起こした事件が報道される度に、気まずい沈黙が訪れるのだ。

俺は、親父とお袋と妹の顔を見回した。全く空ぞらしく、誰も俺の顔を見ようとし
ない。「む」とか「ぬ」とかいう字を、ずっと見ていると、「こんな字あったっけ
?」と思えてきて、変な気分になる、そんな気分だ。糞!俳優どもめ、俺はうなっ
た。お前らは一体何を考えているのだ。妹は「私が結婚するまでは発狂しないでく
れ」と思っているのか?親父は「金属バットで殺されるんじゃないか」と心配して
いるのか?母方の親戚にも、一人、気狂いが出ている。お袋は、自分の血のせいだ
、と、自分を責めたりしているのか?こいつらは、俺のいない時に、こういうテレ
ビをみたら、どういう会話をするんだろう。




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