#3060/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ ) 93/ 4/ 6 16:59 (102)
『気分次第で責めないで』1−1<コウ
★内容
俺と親父と、お袋と妹で、夕食を食っていた。夕食の献立は、ステーキ(と言って
も西友の安くて固い輸入牛肉)と、冷凍のミックスベジタブルと、玉葱とじゃがい
もの味噌汁だ。親父は、ビールを飲みながら、日本経済新聞を読んでいるのだが、
親父だけには、おかずの他にも、ビールのおつまみの鮭缶とハインツのゴールデン
ピースが付いていて、それを食うスプーンや箸を、テーブルの上に直接に置くので
、テーブルの上に汁がたれて、汚ない。箸休めのタバコに火をつけると、親父は、
二三回プカプカやって、それから言った。
「宮沢首相は、普段は英字新聞を読んでいるけれども、そいう事は嫌味に見えるか
ら、新聞記者が来ると、日本語の新聞に交換するだって、ヨ」
「へえ、何処?」と、お袋は、箸と茶碗を持ったまま、親父の読んでいる新聞をの
ぞき込んだ。
親父は、タバコをくわえタバコにすると、煙たそうな顔をしながら、紙面を背中で
折り返して、差しだした。「ほーら」
その時、火星人(そんな物は見た事は無いが)に似ていて、なおかつ、ニヤニヤし
ている、内閣総理大臣の写真が、チラッと見えて、俺は、急に、ムカムカして来た
。国民は、不況や失業に苦しんでいるのに、何が嬉しくて、笑っているのだ。それ
とも、天然的に、ああいう顔であって、兵隊に取られたら、上官に殴られるタイプ
なのか?そうじゃない。あの男は、我々国民を馬鹿にしているのだ。その他色々の
大衆なんて、あの程度のニコニコで、騙せると思っているのだ。
顔の事は、どうでもいい。俺も、顔には自信が無いから、どうでもいいのだ。しか
し、英字新聞の話しは許せない。「普段ハ英字新聞ヲ読ンデイルガ、ソレハ嫌味ナ
ノデ、記者ノ前デハ、日本語ノ新聞ニ交換スル」とはどういう事だ。本当の所は、
普段から日本語の新聞を読んでいる癖に、記者が来ると、慌てて、英字新聞に交換
して、わざと、記者に気付かれる様な具合にして、日本語の新聞に交換するんじゃ
ないのか?一粒で二度美味しい演技じゃないか。そうでなければ、新聞記者もぐる
に違いない。多くの人々は、つまり、英字新聞が読める程度でステータスになると
思ってしまう様な、西部ススムの言う所の愚かな大衆は、あの程度の演技で、簡単
に騙されてしまうのだ。ところが、その様な安っぽいトリックでは、断じて、この
俺は、騙されはしないのだ!
親父も親父だ、と思いつつ、俺は、親父の顔を見た。考えてみれば、考えるまでも
なく、親父は、日本経済新聞なんて読む柄では無いのだ。従業員十五人のトランス
屋のオヤジだ。あまりにも会社が大きくならないので、徳川家康の伝記を読んで、
自分は大器晩成型の経営者なのだと慰めている。それでも、自分は実業家だと信じ
て疑わないで、新聞屋の拡張員に「社長さん、社長さん」と言われて、騙されて、
日本経済新聞なんてとっている。お袋はお袋で、洗剤で騙されて、二年も先まで、
サンケイ、読売、毎日の順番で契約している。しかも、洗剤は、友達に騙されて買
わされたアムウェイが大量にあるので、必要ないのだ。親父もお袋も、もっと家計
の事を考えろ。日本経済新聞なんて読むな。ガットウルグアイラウンドのドンケル
事務局長のインタビューや、ベンツェン財務長官の発言は、町工場のオヤジには関
係ない!「世界情勢なんて、お前には関係ない!」興奮の余り、最後の言葉は音声
になって出てしまった。自分で自分の声を聞いて焦ったが、後の祭だ。
「お前」親父がビールのコップを、炬燵の上でドンと鳴らした。「今、なんて言っ
た」泡が飛んで自分の頬にくっついているのに、拭おうともしないで俺を睨んでい
る。「お前とはなんだ、お前とは。お前にお前と言われる筋合いはない!」既に鼻
息は荒く、口の端をピクピクと痙攣させている。
お袋は、箸と茶碗を持ったまま、おろおろしながら、俺と親父を交互に見ている。
妹は、スキー屋のチラシに熱中している。
「どうせ下請けじゃないか」と俺が言った。
「下請けだろうがなんだろうが、俺がこうやって勉強しているから」と親父は新聞
をパンパンパンと叩いた。「不況にだって、ビクともしないんじゃないか」
俺は、歯茎むき出しのイメージで、輸入牛肉を、噛み噛みしていたが、そしゃくし
きれないで、湯呑みに手を伸ばした。
「その水から」と親父が言った。「小便を流す水まで、みんな俺が稼いでいるんだ」
「さっき、トイレの電気がつけっぱなしだったあ」と妹。
「お父さんの電気を無駄使いして御免なさい」と俺が言った。
「そういう言い方が生意気なんだ」と親父。
ここでムカッと来た。言い方次第では生意気ではなくなるのか。
「お父さんの言う通りよ」とお袋。「お父さんに謝りなさい」
「二十八にもなって、親のスネ、かじりやがって。アパートに帰れ!」と親父。
「好きで帰ってきたんじゃない」と俺は言った。
俺は、普段はアパートに住んでいて、週末だけ実家に帰って来る。だけれども、何
か家で事件の起きた場合には、呼ばれるのだ。今回は、玄関の吹き抜けの電球が切
れたのだ。
「ママぁ」と、親父は、俺への台詞をお袋に言う。「こんな奴に頼むことはねえ、
電気屋に頼めば金はとられても、よっぽど気持ちいい」
「電気屋なんかに騙されちゃいけない」と俺は言った。
この前も、電気屋に騙されて、パラボラアンテナとWOWOWとSt.GIGAを
契約させられた。だけれども、人工衛星の打ち上げ失敗で見られないのだ。
俺は目線を感じて妹の方を見た。妹は、馬鹿にした様に、上目遣いで俺を見ていた
が、目線が合うと、アルペンのチラシに目を落とした。長い睫の影が、電灯の光線
でひらひらしている。妹は気に入らない。俺なんて、東は日光、西は京都、それは
、両方とも修学旅行なのだけれども、それより遠くに行った事はないのに、妹は、
ハワイなど、何回も行っていて、カリフォルニアにも行っていて、田舎の親戚がき
て、東京ディズニーランドの話しをしていると、自分も、東京ディズニーランドに
行った事がある癖に、自分では、ロスのディズニーランドの話しをしていて、だん
だん、話しがズレてきて、田舎っぺいの従兄弟が「馬鹿にされているのだ」と気が
付く寸前に、「ええ、東京にもディズニーランドがあるんだ」と、二回殺してやり
たい程の嫌味を言うのだ。俺は、ディズニーランドではスモールワールドが好きだ
。こじんまりしていて、無駄がなくていいのだ。箱庭を愛する倭心だ。妹は違う。
イケイケムードで、何処までも行く。浦安だけでは満足出来ないで、ロスまでも行
く。その妹が、ハワイの日焼けもあせない内に、今度は、スキーだ。スキー板は、
去年も一昨年も買った。だけれども、今年も買うのだ。ボーナスが出たのだという
。『今年最後の激安市!』と、妹の見ているチラシに印刷してある。「そんな筈は
ない」と俺は呟いた。年があけたら、もっと安くなるに決まっている。
「そんな広告に騙されるな!」と叫んで、俺は、チラシの真ん中を掴んで引っ張っ
た。
「何すんのよ」と俺を一睨みしてから、妹は指の付け根を見つめて言った。「手が
切れちゃったじゃない。見てよ、お母さん」
「謝りなさい」とお袋。
「何で俺ばっか、みんなに謝らないといけないんだ」
「ガキね」
「放っておけ、放っておけ」
「アパートにお篭もり」
「ああ、もう止めて止めて、こんなに争いの耐えない家庭は嫌」と言うと、お袋は
、険悪なムードをかき消そうとテレビをつけた。
妹は指の付け根をなめて、自分の血を吸いながら、三白眼で俺を睨んでいる。親父
は、不機嫌そうに、楊子を噛んでいる。