AWC 『気分次第で責めないで』2−2<コウ


        
#3063/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ     )  93/ 4/ 6  17: 4  ( 85)
『気分次第で責めないで』2−2<コウ
★内容
言われてみれば、思い当たる節が多々ある。つい先週も、そんな事があった。「そ
んなのは何時でもいい」と言われていたマニュアルの製本を、定時の後になってか
ら、突然に、「まだ出来ていないのか」などと言われて、「しょうがねえ」「仕方
がねえ」などと、ぶつぶつ言われながら、武と一緒に、徹夜で、作業したのだった
。ところが、納品して、二日たっても三日たっても、客からは、何の連絡もない。
俺から客先に電話をして、「何時説明に行きますか?」と聞いたら、「今、忙しい
から、ずっと先。武さんには言ってあるのだけれどもねえ」と言われて、「だった
ら、あの徹夜は何だったんだ!」と頭に来て、「先方では、ああ言ってますけどね
え、どういう事なんですか?」と、武に詰問風に聞いてみたら、盗人猛々しいとい
うか、居直り強盗というか、逆に、俺に怒鳴るのだ。
「納期は納期だ、製品納めないで、納品書きれるか、売上になるか」
その時には、言われてみればそうかも知れない、と思って、これは俺の被害妄想だ
と納得したのだが、被害妄想の不便な点は、本当に被害にあった場合に、それが、
妄想なのか実際なのか、分からないので困るのだ。しかし、あれは、妄想ではなく
て、武が、自分の状況確保の為に、俺を出汁にしたのだ。

思い出している内に、どんどん、頭に血が上る。血圧は200以上だ。俺の頭蓋骨
は圧力釜であって、その中では、ウォッカかウィスキーかガソリンか何かの揮発油
が発酵していて、ワイシャツの静電気や、冷蔵庫のサーモスタットや、テレビを消
した時のブラウン管のパチパチや、その他色々のちょっとした火花で、爆発して、
突然、太陽が黒く見えたりするのだ。こういうのを言わないで放っておくと、精神
衛生上、良くない。ガスは抜かないといけない。

俺は、立ち上がって、武を睨んだ、が、「ま、まあまあまあ」と言って、岩田が俺
の袖を引っ張る。「まあまあ、落ちついて、座って」
座った俺は、すっかり鼻息が荒かった。
「まあ、要領よくやるんだよ」と岩田。
「要領よく、ですか」俺は岩田の方を見た。「要領よく、って、何ですか」

岩田は要領がよくて、いじめられない。いじめられない所か、頼りにされている。
今年度になってから、電算課に来たばかりなのに、もう、頼りにされている。去年
までは土木課にいて、その前は、砂防課にいた。何でそんなに頼りにするのか、武
に聞いてみたら、「だって、土木の連中が頼りにしていたから」と言うから、土木
の連中に、聞いてみたら、「だって、砂防の連中が頼りにしていたから」と言うか
ら、砂防の連中に聞いてみたら、「だって、おたくらの課長が、頼りにしている、
って、言っていたぜ」と言う。雪だるまだ、土地転がしみたいな奴だ。

実際には仕事が出来る訳ではないのに、みんなに、仕事が出来ると思われているか
ら、仕事が出来る事になってしまっているのだ。みんなに大臣だと思われている奴
が大臣であって、みんなにそう思われていないのに、自分一人で大臣だと思ってい
る奴は、大臣ではなくて精神病院にいるのだ。

仕事の事だけじゃない。女の子にも人気がある。岩田は背が185センチもあって
、衿だけが違う色のワイシャツを着ている。袖にはイニシャルの刺繍までしてある
。俺から見ると、いかにもスカした男にしか見えないのに、もてるのだ。社内の十
人と不倫をした、と自慢していた。その内、四人は会社でやったと言っていた。そ
れなのに、誰からも文句が出ない。日野しょうへいみたいな奴だ。演技力抜群なの
だ。俺も、もてようと思って、袖に刺繍を入れたら、「糸屑がついているよ」と女
の子に注意された。電算室に入る時には、白衣を着なければならないのだけれども
、岩田が白衣を着ていると、「わあ、お医者さんみたい」と女の子達にキャアキャ
ア言われるのに、俺が着ていると「ラーメン屋みたい」と笑われる。俺は、笑い者
だ。何時でも笑われている。悔しい。

「わははははは」と聞こえた。
ゾッとした。幻聴か?
「わははははは」

俺は焦って、あたりを見回した。笑い声は、武の机の方からだった。総務の花田さ
んが、ボーナスの明細を配っているのだ。俺にはない。実は俺は、派遣社員なのだ
。他の連中に混じって、知らない間に、岩田もいる。
「どうだった?」
「出勤率控除がなあ」
「有給とっても変わらないんですか」
「当たり前だ、労働者の権利だ」
「扶養家族がいないと税金が高いなあ」
「所得税つらい程、もらってみたいですね」
「わはははは」
「わはははは」

みんな楽しそうだ。みんな、車椅子みたいに、くるくると椅子を回したり、くっつ
いたり離れたりしながら、自分の明細を見ている。思わず、俺は自分の椅子のパイ
プを掴んだ。正社員はUCHIDAの油圧式チェアー(キャスター付き)なのに、
派遣社員だけは、コクヨの塩化ビニール張りパイプ椅子(悪役レスラーの凶器と同
じ物)なのだ。自分で自分が、どんどん、憂鬱になって行くのが分かる。憂鬱に浸
っている俺を見つけて、田丸(自称キャリアウーマン)が、笑っている。あかんべ
ーこそしないものの、ほらほらほら、という感じで、ピラピラピラと賞与明細を振
っている。田丸の横には、花田さんがいる。花田さんは、人を馬鹿にする様な事を
する女の人ではない。花田さんは、うつむいて、判子をもらっているだけだ。夢の
島の薔薇一輪だ。でも、薔薇みたいにケバケバしくない。百合みたいに毒毒しくも
ない。桜みたいに、下品に開いて中身まで見せたりしない。女を花で例えるなぞ、
アホのする事だ。まあ田丸は鬼百合という感じだけれども。田丸は、馬面で、若き
日の朝丘ゆきじみたいだ。

花田さんが行ってしまうと、いたたまれない気分になった。立ち上がったら、パイ
プ椅子が、尻に張り付いて、浮いた。




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