#3015/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ ) 93/ 3/21 6:30 (104)
児童文学探訪「へちまのたね」(4) 浮雲
★内容
*
先日、「子どもと本の出会いの会」が、代表に作家の井上ひさしをいただいて
、発足しました。まことに喜ばしいことです。詳しくは、3月12日付朝日新聞
朝刊・家庭欄などをご覧下さい。
ところで、これまでになんどか紹介してきたとうり、戦後、日本の児童文学は
、なんどかの「花盛り」と「停滞」の時期を交互に経験してきましたが、こんど
の「危機」ばかりは、どうやらホンモノのようです。これまでのように、やがて
また「花盛り」がやってくるといった一過性のものとは思われません。
ですから、少し本気になって、この「危機」はいったいなにによってもたらさ
れたものなのか、そのことを考えなければ、取り返しのつかないことになるかも
知れません。
戦後、日本の現代児童文学は、二つのチャンスを取り逃がした、それが、こん
にちの「危機」のそもそもの原因だと考えてよいと思います。
その一は、
「近代童話」との決定的な対決を逸してしまったこと−結論からいえば、両者
がそれを回避したのですが。年代的には、1950年代後半のころです。
その二は、
「テーマ主義」の克服が中途半端に終わったこと−なぜかは、第一のことに制
約されているのですが。年代的には196年代後半から1970年代はじめ。
*
では、まず第一の問題について考えてみましょう。
戦後、現代児童文学の書き手たちがしたことは、格調高い文語体を捨て、散文
によって、しかも、長編を書いたことでした。ありのままの子どもたちを描くに
は、散文はぴったりの文体であったし、しかも長編でなければならなかったので
す。いわゆる長編創作という分野が登場したのです。
一方で、戦後の児童文学は、その出発にあって、児童文学作家ではない作家た
ちによって子どもたちを魅了する作品が生み出されたのですが、それも、実はそ
の作家たちが散文による小説の書き手であったことがそれを可能にした、といわ
れています。
また、現代児童文学を背負って立った、若い書き手たちの多くは、未明らの「
近代童話」が、「子どもに向かっていない」「暗い」ことを自明のこととして批
判を投げかけるだけで、なぜ、を明らかにすることを怠ったのでした。「自明の
こと」というのは、実は、なにも説明したことにはなりません。そのものの本質
を明らかにすることができないがために、別のものでそれを置き換えようとした
といってよいでしょう。現代児童文学の担い手たちの多くが、「戦後民主主義」
と「子どもの人権」をふりかざして、一方の言い分に耳を貸すことを忘れてしま
ったのは、その当時としては、仕方のないことだったのかも知れませんが、やは
り、悔やまれることでした。
「近代童話」の側にも、問題があります。十分に反論したとは思われないから
です。もっとも、「戦後」という重石がいかに巨大なものであったかが考慮され
なければならないし、日本文学ぜんたいの問題でもあったのですから、「近代童
話」だけを責めるわけにはいかないでしょう。
しかし、それでもなお、「近代童話」は、「逃げた」と言わなければならない
と思います。
《当時(大正初期)、子どもたちは社会的にまったく力のない存在であった。
いまの子どもたちのように、自分を主張することなど考えも及ばない時代だった
のだ。代弁してあげることしかできなかった、いや、それだって進歩的なことだ
ったのだ。》そう反論するべきだったのです。そうして、現代児童文学に対して
決定的な対決を迫るべきだったのです。当時の時代背景、客観情勢、日本の近代
文学の限界、子どもたちの居る場所、etc、それらを言い募り、徹底的に「近
代童話」を擁護すべきだったのです。
しかし、彼らは、「戦後」の前に、すごすごと引き下がったのでした。
それに対して、現代児童文学の側も、これ幸いと対決を回避してしまったので
した。古田足日が、「近代童話」とはなんだったのかを明らかにしようと、「さ
よなら未明」を書きましたが、その刺激的なタイトルだけが一人歩きし、論争の
発展は見られませんでした。どうしてか。日本の児童文学内部の主体的な弱さ、
といってしまえばかんたんなのですが、現実には、もっと様々な要員が絡み合っ
誌から輩出したこと、本の買い手である親たちの読書体験が、まさに「近代童話
」と重なっていたこと、現代児童文学の主流が、児童文学運動として民主主義勢
力と深く関わりを持っていたこと・・・、などなど数え上げればきりがないでし
ょう。
もちろん、朝鮮戦争、日韓条約、高度経済成長・・・などの政治的・経済的な
要因も忘れてはなりません。
*
アメリカが、ベトナムに対する北爆を強化し、ついには50万を超す地上兵力
を送り込み、ドル危機を迎えるにいたった、196年代後半から1970年代は
じめにかけての時期は、日本においては、高度経済成長の歪が一気に吹き出した
ときでもありました。
政治や社会悪を告発するたくさんの児童文学が書かれたのは、とうぜんといえ
ばとうぜんのことでした。しかし、それらは、一般に、「テーマ主義」呼ばれ、
永く児童文学に携わってきた人たちから眉をひそめられたのです。とくに、幼年
・小学低学年向けの作品に対しては、『幼児、小学低・中学年のための、イマジ
ナティブな分野に、超自然力を利用しての安易な公害防止や、政治、社会悪の摘
発などがあらわれる作品を、進歩的で必要な文学とみなすことは、ひじょうに危
険である』(神宮輝夫「現代日本の児童文学」P101)といった批判が投げつ
けられました。もっとも、神宮にしても、「安易な」と断わっているように、何
がなんでも政治や社会悪をテーマにした作品を書いてはならない、といっている
わけではありません。しかし、当時にあって、児童文学評論家としての第一人者
であった神宮のこの発言は、とくに若い作家たちを失望させ萎縮させてしまった
ことは疑いありません。
いずれにしろ、神宮の発言は、日本の児童文学が、内的なところから発展する
というよりは、外的な要因、つまり、政治や社会、とくに国際情勢の変化にその
つど敏感に反応し、右に左にと揺れ動く主体のなさに対して警告を発したものと
みてよいでしょう。
国際情勢に敏感であること、政治や社会悪に常に関心を寄せ、その視点を持ち
ながら子どもたちとの関係を深めていこうとする姿勢そのものは、評価されなけ
ればならないのは当然です。しかし、児童文学作家として子どもたちに向かって
書くのであって、大学生に向かって講義するわけではありません。神宮があえて
指摘しようとしたのは、そのことではなかったでしょうか。
児童文学作家として、主義主張を信念として持ち合わせてもらわなければなら
ないのは、言うまでもありません。その上で、幼年向け、低学年向けの作品の質
とスタイルが問われるのです。本を読む楽しみ、それが欠けた「テーマ主義」は
、やはり批判されなければならないのです。
*
日本の児童文学は、どうして、日本の政治が、アメリカがくしゃみをすると日
本は風邪をひく、とたとえられるのと同じ様な体質をもっているのか、神宮の提
起した問題は、実は、本質をついていたし、「近代童話」との対決が両者の側か
ら回避されてしまったことと、どこかでつながっているように思われてなりませ
ん。しかもそれは、たんに児童文学の分野だけの問題ではなく、日本文学全体の
「危機」の原因とも重なる問題であると思います。
−つづく−
3/20