#2998/3137 空中分解2
★タイトル (BCG ) 93/ 3/18 23:50 (188)
行き止まりの誘拐(2) くじらの木
★内容
昼にサンドイッチを食べた後、たいして役に立つとも思えなかったが、直美
に近くの電気屋で電話機とテープレコーダーをつなぐコネクターを買って来て
もらい、電話機にセットした。そしてかかってきた電話をすべて録音するよう
に言った、まちがい電話も、セールスの電話もすべて。
それといっしょに、何かが起こったり変化があったときは、その事を時間を
入れて正確にメモを取っておくようにと言った。
最初の電話は直美の夫の福原俊介からだった。
録音のスイッチは電話が鳴ると同時に押してある。
テープレコーダーのモニタースピーカーを通して俊介の声が聞こえた。
「直美か、俺だ、その後何かあったか、どうにか四千万だけ集めた、やっぱり
明日銀行が開かないとどうにも話にならないな」
俊介はどうやら朝から身代金の金策に出ているようだった。
直美は私が来たことや、この電話が録音されていることなどをかいつまんで
話し、電話を切った。
二月十三日、午後二時三分、福原俊介より電話、とメモに書いた。
その後間違い電話が一本と、不動産の売込の電話が一本掛かってきたが、ど
ちらも怪しいところはなかった。
四時過ぎに美佐子が少し横になってくると言って二階へ上がり、居間には私
と直美が残った。
「やっぱり滝川さんに来てもらってよかったわ、わたしたちだけじゃあ心細く
て」
直美は軽く笑い、所在無げに右手でボールペンをもてあそんだ。
「まあ、実際のところ、いれば心強い程度のことしかできないだろうな、二億
円の十分の一もだしてやることもできないし」
私は空になった煙草の箱をひねりつぶし、テーブルの上に置いた。
「滝川さん、さっき何であんな事言ったの」
直美がぽつりと言った。
「滝川さん、早苗ちゃんのお父さんが犯人じゃあないかと本当に思ってるの」
「その可能性は少ないとは思っているがまったく無いわけじゃあないと思って
る」
「自分の娘を誘拐して二億円要求する父親がいるかしら」
「自分の実の娘に保険金をかけて殺す親もいれば、小学生の娘をレイプする親
だっている、育てたこともない娘を誘拐して身代金を要求する親がいても私は
驚かないね」
直美は信じれないとていった顔で私を見た。
「お金が欲しいなら誘拐しなくったって姉に直接言うんじゃあないかしら」
「金が目的ならね」
私はそれを言ったことを後悔した、直美の顔色がさっと変わったからだ。
「殺すことが目的だって言うの、なぜ」
直美が鋭い目で私を睨んだ、想像しうる殺す目的は山の様にあった、早苗の
父親は何らかの理由で早苗を産んで欲しく無かったのに美佐子がどうしても堕
ろさずに産んだからかもしれないし、それを美佐子が強請ったのかもしれない
、だが私は「そんなことはわからない」と答えた。
直美は顔を両手でおおい、大きく息をついた。
その時電話機に付いている緑の通話ランプが点灯した。
とっさにテープレコーダーの録音ボタンを押そうとして、それが外からかか
ってきたのではなく、こちらから外にかけていることを表示するものだという
ことに気が付いた。
おそらくこの電話機はコードレスの親機で、もう一台の子機から外に掛けて
いるのだろう。
美佐子が二階でかけているのだ。
直美に気付かれないように、コーヒーをいれてくれないかと頼み、直美が台
所に行ったのを確かめてそっと受話器をとった。
ツーという音が聞こえただけだった。秘密をたっぷり持った思春期の子供の
ために秘話ボタンというものをつけた電話機ががあるというのを思い出し、い
まいましく受話器を置いた。
緑のランプは二分ほどで消え、再び点きまた二分ほどで消えた。
その後もやけにぬるいコーヒーを飲みながらじっと通話ランプを見つめたが
それきり通話ランプは点かなかった。
六時頃に美佐子が下りてきたが、私は何も聞かなかった。
福原俊介が四千万の現金を持って現われたのは午後の六時を少し過ぎた頃だ
った。
百七十センチそこそこの身長で、太ってはいないのだが何かふっくらした印
象を与えるのはいつも彼がひとなつっこい笑いを浮かべながら話すせいかもし
れない。
人に警戒心を与えない顔というものは確かにあるものだ。
それが小さいながらも公告代理店の社長を務めるために彼が苦労して身につ
けた処世術の一部なのか元々の彼の性格なのかはわからなかった。
歳は確か三十九だったはずだ。
彼はアタッシュケースを開けて現金を取り出し、テーブルの上に乗せた。
百万円の束を十束で太い帯封がしてあり、銀行の判が押してあった。
福原俊介が吐き捨てるように言った。
「まったく、三日で二億円だなんて、そんなすぐに金を作れる奴がいったいど
のくらいいるって言うんだ」
美佐子がこらえるように下を向いた。
「ああ、美佐子さん、そんな意味じゃあないんです、ただ犯人の奴が」
「わかってます、俊介さん、無理なお願いしちゃって、ここの土地を担保に入
れる以外やっぱり方法はないわ」
「わかりました、その線で、明日何としても作りますよ、残りの一億六千万」
「早苗さえ無事に戻ってくれば私は何にもいらないわ」
美佐子がまた涙ぐんだ。
その後四人で直美の作った料理を食べたが、美佐子は相変わらずほとんど口
にしなかった。
九時を過ぎて直美が自宅に戻り、私と福原俊介で電話番を引き受けた。
誘拐犯が三日以内に二億円といった以上、今日のうちは連絡してくることは
ないと思われたが、何があってもすぐに対処できるようにしたかったのだ。
福原俊介と二人で札のナンバーをノートにメモした後、すっかり憔悴しきっ
た美佐子になるべく寝るようにと言って二階に行かせ、面白くも無い連続物の
テレビドラマを一緒にながめて時間をつぶした。
ドラマのなかの若者たちは、一生に一度、酒を飲んでなければとても言えそ
うもない歯の浮くような台詞を機関銃のようにしゃべりつづけ、目の醒めるよ
うなマンションに住み、デザイナーだとか、テレビのディレクターだとか、な
んとかコンサルタントだとかの職業を持っていた。
福原俊介に話すべきことは多くなく、彼が私に話すことも多くなかった。
私はもしかしたら早苗の父親がだれであるのかを彼が知っているのではない
かと思ったが、たとえそれを知っていても彼が話すとは思えなかった。
彼にしてみても、美佐子の家庭のことや、金の調達方法についての詳しい話
を私にするつもりがないのが何となくわかった。
ドラマの合間に「無事でいますかね」と彼が聞き、「そう簡単に人は殺人を
したりしないものですよ」と私が答えた。
意味の無い質問に意味の無い答えを返すのは不誠実とは言えない。
十二時を過ぎても電話はかかってこなかった。
福原俊介は居間の床の上に布団を敷き、そこで寝ることにし、私はソファー
の上で寝ることにした。
私がうとうととした頃、また電話機の緑のランプが点いた。
時計を見ると十二時四十分を指していた。
福原俊介はかすかにいびきをかきながら眠っていた。
翌朝六時半に目が覚めると、福原俊介はもう起きていて、ぼんやりとした様
子で新聞を読んでいた。
明けたばかりの朝は快晴で、低い太陽は透通る様な光を部屋の中にまきちら
し、すべての物をぼんやりとした色に漂白させた。私はつい今まで見ていた夢
を思い出せなかった。
その時私はふと妙な考えに取りつかれた。
美佐子が二階で首を吊って死んでいるような気がしたのだ。
私はソファーから飛び起きると、受話器を乱暴に取り上げ、内線ボタンを押
した。
るるるるると呼び出し音が聞こえた。
私が待ちきれずに二階へかけ上がろうとした瞬間美佐子の声がした。
「何かあったの」と美佐子が言い、「朝だ」と私が言った。
福原俊介が怪訝そうに私を見た。
八時少し前に直美がやってきて、四人分の朝食を作った。
私たちは打ち合せをしながらそれを食べた。
「犯人からの電話があるとしたら、今日か、明日だ、電話には必ず美佐子か、
直美さんが出てほしい、テープレコーダーのスイッチを押すのを忘れないこと
、なるべく相手に多く話させてほしい、それからどうしても早苗ちゃんの声を
聞かせてくれと言うことだ」
私はそれを説明しながら、この事件に警察が介入したならば今度かかってく
るはずの電話が犯人にとって命取りになるはずだったのにと思った。
現在の電話交換機はほとんどの地域でデジタル化され、電話の逆探知は受話
器をこちらが上げたとたんに可能なのだ。古いテレビドラマの様に相手の電話
を延々と長引かせる必要はない。
一通りの打ち合せが終わってから、煙草を買いに近くのコンビニに行くと言
って笹神家を出た。
煙草は一本もなかったし、会社に電話もしなければならなかったが、それよ
りも美佐子と福原俊介の間で私には聞かれたく無いもろもろの話があるように
感じたからだ。
ハイライトを四つ買い、松戸で詩吟のサークルを作って毎日のように出歩い
ている叔母を危篤にして一週間の休みを取った。これで叔母は知らない間に三
回危篤にされたことになる。
近くの喫茶店でしばらく時間をつぶし、家に戻ったときには福原俊介は出掛
けた後で、美佐子と直美が居間のソファーに座っていた。
「犯人は私たちが警察に知らせていないということを本当に信用してるのかし
ら」
そう直美が言った。
「信じきってはいないだろうな、犯人というのは何にも信じきることはない、
奴も不安でしかたないはずだよ」
「身代金の二億円の受け渡しはどうやってするつもりなのかしら」
「ある日犯人が玄関に現われて、はいお金をくださいっていうはずはないな、
当然警察が張り込んでることを予想して、それなりの方法を考えているだろう
、残念ながらそれがどんな方法かは予想はできないが」
美佐子が私を見つめて言った。
「まさか、あなた犯人を捕まえようなんて思ってないわよね」
「思ってるなんて答えたら、この場で刺し殺されるかもしれないな」
「殺すわよ、冗談で言ってるんじゃあないわ、あたしにとっては二億や三億の
金なんかどうだっていいの、早苗さえ無事に戻ってくればそれでいいの」
「俺はただの番犬か」
私は美佐子を睨みつけ、美佐子も私を睨みつけた。
「滝川さん」
直美が私を諌めるように言った。
「何もしないよ、俺の手に棍棒がたまたまあって、犯人の奴がたまたま後を向
いて、その距離がたまたま二十センチしか離れてなかったとしたって、何もし
ないさ、後できみに殺されるのがわかってるからな」
冗談を言ったつもりだったのだが、直美も美佐子も笑わなかった。
午後になって、直美が近くのスーパーに買物に行くので何かついでに買って
くるものはないかと聞いた。
私はカセットテープを何本か買ってきてくれるように頼んだ。
直美がドアを開けて出ていってから三分たったのを確かめて、あわてた調子
で、美佐子に言った。
「ああ、忘れてた、所沢市の地図を買ってきてもらおうと思ってたんだ、失敗
したなあ、美佐子、悪いけど直美さんまだそんな遠くへ行ってないだろう、追
いかけてちょっと頼んできてくれないか」
美佐子が直美を追って門を出たのを確かめてから、電話機の内線呼び出しを
押し、二階へ急ぎ足で上がった。
階段を上がったところは四畳半ほどのスペースがあって、その向こうにゆっ
たりと幅を取った廊下が続いていた。
その両脇にいくつかのドアがあり、いちばん手前の部屋の中から内線の呼び
出し音が聞こえた。
私はそっとドアを開け、部屋の中に入った。
八畳ほどの広さの部屋の窓際にベッドが二つ置いてあった。布団の絵柄から
一つは美佐子ので、もう一つが早苗の物らしかった。
広い家の中で美佐子と早苗が一つの部屋で寝ている姿を想像し、胸が痛んだ
。
ベッドの枕元の受話器を取り、内線呼び出しを切って、リダイアルのボタン
を押した。
呼び出し音が五回鳴ったところで、相手が出た。