AWC 『ぶら下がった眼球』 第十六章  スティール


        
#2976/3137 空中分解2
★タイトル (RJM     )  93/ 3/11  23:38  (192)
『ぶら下がった眼球』 第十六章  スティール
★内容

            第十六章 『虚空の空間』

 私とEVEを載せたまま、ノア六号は、虚無の空間を、何日も漂った。
外界との煩わしい接触は、ほとんど絶たれており、あたかも、時の流れ
が止まったかのようだった。この世界の住人は、EVEと私の二人っき
りだった。二人の外には、誰もいなかったが、寂しくはなかった。私に
は、遺伝子の解析という、重大かつ困難な作業があったが、EVEには
食事の支度のような簡単なもの以外は、何もすることがなくて、退屈し
ているようだった。そこで、私は一計を案じ、彼女にDOGの使用方法
を教えてあげることにした。彼女の暇潰しにでもなれば、それでよかっ
たのだが、もうひとつの狙いは、彼女を、より人間らしく近づけること
だった。知識の修得や、キーの操作が、良い結果をもたらすことを、私
は期待していた。私は、今まで、自分以外の人には、自分のDOGを使
わせたことがなかったのが、EVEには、特別に使わせてあげることに
した。私は、彼女のために、もう一台、新しいDOGを用意しようかと
も考えたが、それはやめた。DOGは、本来コンピューター操作の補助
のための機械なので、コンピューターを操作出来ない、今の彼女には、
新しいDOGは必要ないと、考えたからだ。それに、彼女の好奇心は、
DOGの操作ではなく、新しい知識を欲していたようだった。それが故
に、まっさらな新品のDOGをEVEに与えるよりも、私の使い古した
DOGのほうを使わせたほうがよいと、私は考えたのだ。本当は、私が、
彼女に、手取り足取り、教えてあげたかったが、私は、先にこなさねば
ならない、手間のかかる大事な作業を抱えていたので、それは不可能な
ことだった。その作業とは、遺伝子の異常が本当に存在しているのかど
うかということに関する調査であった。

 私は、DOGからコードを二本引いた。一本のコードは私用の配線で、
もう一本のコードは彼女が使う、彼女専用の配線だった。二人で平行し
て、DOGを使っても、DOGの処理容量の大きさから考えて、何の支
障もないはずだった。
 彼女は、出航以来、とても気に入っていた点灯火を点けた。それは、
彼女の一番好きな照明だった。彼女が、DOGで使って、コンピュータ
ーをいじっている横で、私は、自分に与えられた使命のような作業を進
めた。二人で、同時にコンピューターを使っているので、多少、実行速
度が落ちているはずだが、気にはならなかった。

 私は、腕を組んで考え込んだ。いったい、何から、取り掛かればいい
のだろうか? 異常を調べるといっても、現在と過去の、二つの遺伝子
のモデルを比較して、その違いを調べるしかなさそうだ。いやっ、しか
し、今、現存している人間の遺伝子は、全部が、全部、すべてが異常な
のかもしれない。
 まず、どの遺伝子を標準とするのか、私は悩んだ。コーチェフ大佐と
は、一日の決まった時間に、メールで交信できることになっていた。私
は、まず、手初めに、大佐に資料を送ってもらうことにした。私は、そ
の旨をメールに書き、大佐に送った。ふと、隣を見ると、EVEが、D
OGを使って、コンピューターを操作することに、熱中していた。いろ
いろな情報、地図、歴史などを呼び出しているようだった。EVEは、
百科事典に載っているような知識を欲しているようだ。私は、DOGを
呼び出し、自分の恥ずかしい記録などを、EVEには見せないように、
DOGに指示した。DOGが、恥ずかしい記録とは何かと、聞いてきた
ので、私は少し悩んでから、私の履歴以外のすべての生の記録を、EV
Eには見せないことに、私は決め、それをDOGに指示した。

 それから、外界からほとんど遮断された日々が、数ケ月過ぎた。大佐
からの報告では、ADAMは、植民星に逃げ込んだらしい。ADAMは、
私とEVEのいる、ノア六号を捜したのだろうか? もし、捜したとし
たら、いったい、何のために、捜したのだろうか?
 宇宙は、永遠の暗い闇だ。いま、この宇宙の何処かに、ADAMがい
る。ADAMは、いま、何を考え、そして、何をしているのだろうか?


 私の作業は、はかどっていなかった。まったく、わけがわからず、雲
を掴むような話だった。この宇宙の隅々まで、人間の生命が行き渡って
いるのに、人類は、生命の神秘の壁を、なかなか、打ち破れないようだ。

 私の作業の進捗度とは、裏腹に、EVEの学習のほうは、順調に進ん
でいた。私は無意識のうちに、彼女の手助けのほうを優先してしまった
のかもしれなかった。私は、決して、不真面目ではなく、勤勉実直なタ
イプの男だった。少なくとも、自分では、そう思っていた。手を抜いて
いるわけでもないのに、まったく、見当すらつかなかった。
 私の作業の不調に反して、EVEのほうは、学習の成果かどうかはし
らないが、外見に加えて、内面的にも、女らしく、知的に変貌していた。
私は、彼女の色香に魅せられて、それに負け、よく作業を中断して、何
度も、彼女を抱いた。私は、何度も何度も、彼女を抱いているうちに、
彼女が少女から、大人の少女へと変わったことに気付いた。私とEVE
は、昼も夜も、肉体的に深く結ばれていた。精神的にも、きっと、そう
だったに違いないと、私は信じていた。

 女色に溺れると、何かを見失うのだろうか? 存在するはずの、遺伝
子の欠陥は、なかなか、見つからなかった。私は、大佐に、バベル博士
が、遺伝子に関して、何かを遺していないのかどうか、問い合わせてみ
た。しかし、大佐からの返答のメールでは、『遺伝子に異常があった』
という博士の言葉以外の手掛かりはないということだった。いったい、
遺伝子の何処が異常なのか、私には、さっぱり、わからなかった。私は、
何度も、作業を投げ出したくなった。
 しかし、平均出生率の大幅な低下は、現実におこっている事実であり、
もしも、それが初めから、定められていた人類の運命だとしても、それ
には、何らかの原因があるはずだ。遺伝子自体に問題があるのではなく、
生活習慣の変化といったものが、原因なのかもしれない。遺伝子そのも
のに問題がないとしたら、きっと、それは、私の専門外の何かが原因な
のだろう。もし、そうだとしたら、私には、確かめようがなくなり、私
の使命といった色彩を帯びた、責任は消滅する。
 だが、不思議と、作業を投げ出す気にはならなかった。もし、そうだ
としても、私にできることが、ひとつだけあった。それは、遺伝子に、
平均出生率の大幅低下の原因がないということを、はっきりと証明して
おくことだった。私は気を取り直して、作業を継続することに決めた。


 この作業は、いつもの私の研究とは、少し違っていた。いささか、奇
異で、不思議な感覚があった。頭痛のような、軽い不快感を感じた。こ
の作業を続けていると、何かの違和感のような感触を感じた。私の追い
求めている、雲を掴むような、見当のつかない、不可解な調査対象に対
する、不可思議な感触。違和感と、よく似ていたが、それとは少し違っ
た感触だった。潜在的な不快感のような、近寄りたくない何か。自分の
していることが、大事なことだとは、わかってはいても、なんとなく、
廻りの空気が重くなり、まるで、私を拒んでいるかのように、気分が乗
らなかった。
 バベル博士が遺してくれた、遺伝子の一番古いモデルは、五十年ほど
前の、輪郭のはっきりとしないものだった。私は、ここ五十年ほどの遺
伝子の変化を時系列的に、考えられうる、いろいろな角度から調べては
みたのだが、結局は、何も出てこなかった。バベル博士は、五十年前の
ものよりも、もっと以前のデータを持っていたのだろうか? バベル博
士が、この件に関しての記録を、何も遺していないのが、私にとっては、
不可解だった。博士は、この件を重大な機密と判断して、記録を遺さな
かったのか。それとも、記録は遺したのだが、その記録が消えてしまっ
たのか。
 数ケ月の空転の末、とうとう、音を上げた私は、コーチェフ大佐に、
これ以上調査を続けても無駄なのではないかといった趣旨のメールを送っ
た。

 人間を創ることはできた。創ることはできても、それは、必ずしも、
人間の体の謎をすべて解いたということを意味しているわけではなかっ
た。人間を創ったといっても、遺伝子を元にして、人体を培養して、脳
に知識情報を埋め込んでいるだけで、人間の根源的な部分を解明したと
いうことでは、決してないのだ。

 大佐からの、返答のメールが届いたのは、その数日後のことだった。
字面を見た限りでは、大佐を声を拾って、そのまま、メールの文字に変
換したように見えた。

********************
 やぁー、博士! 元気かな? 今日は、良い知らせだ!

 とうとう、ADAMが植民星で捕まりました。あなたも、もう、安全
でしょう。おそらく、ADAMはすぐ処刑されるはずです。できれは、
すぐ、戻って、その前に、ADAMを検査してほしいのですが・・・。


********************

『とうとう、捕まったのか、ADAM』と、無意識のうちに、私は呟い
ていた。
 そのとき、ふと、後ろを見たら、EVEが立っていた。彼女も、大佐
からのメールの読んでいたようだった。私は、彼女の顔を見つめた。彼
女は、なんともいえないといった顔をしていた。それは、ぎごちない表
情ではなく、もう成熟した、大人の女性のそれだった。教育の成果か、
彼女の情感は、短期間のうちに、驚異的に進歩したようだ。その態度を
見ただけで、彼女が、ADAMに対して、かなり好意的な感情を抱いて
いることが、容易に推察できた。その感情は、同種類の人間、すなわち、
同胞というような人間に対するものではなく、明らかに、男と女のそれ
であった。私は、ADAMを憎いと思った。いまの私は、ADAMに嫉
妬すらしていた。EVEの、その態度にも、怒りが込み上げてきた。私
は、怒りに打ち震えながら、メールを、この世から、完璧に消去した。
しかし、私は、彼女に暴力を振るうことも、話しかけることもできずに、
仕方なく、彼女の前に立って、彼女の顔を見つめた。
 私は、二人の間に漂っている、気まずい雰囲気にいたたまれなくなり、
その場から、逃げ出していた。彼女の目には、私はどのように映ったの
だろうか? 彼女にだけは、嫌われたくなかった。私は、彼女に自分一
人を愛していてほしかった。私は、自分の部屋で、胸を掻きむしりなが
ら、自分の煩悩に苦しんだ。そのとき、私の脳裏に、小さな部屋のイメ
ージが浮かんだ。見覚えのない部屋だった。白い壁の、小さい部屋、私
は、そこで生活をしていた。ある日、チャイムがして、私がドアを開け
ると、そこにEVEが立っていた。私は、その場面で、イメージの世界
から、現実の世界に戻った。一瞬、頭に激痛が走った。私は、なんとか、
気を取り直そうとして、キッチンに行き、また、酒を手にした。
 そうして、酒に酔った私は、嫌がるEVEを無理に抱いた。EVEを
激しく、抱きながら、私は、彼女の気持ちを確かめようとしていたに違
いなかった。もう、彼女の体は、快感に敏感になっていた。彼女は、私
の強引さを嫌がっていたようだった。嫌がっていても、EVEの体は正
直だった。学習の成果か、彼女は利口になり、自分の気持ちを隠そうと
いう行動が可能になったようだ。ただ、隠すのが、へただったので、か
えって、逆効果だったが・・・。
 EVEとの情事が終わり、眠りに落ちる前に、うつらうつらしながら、
私は考えた。コンピューターを使って、彼女の脳を解析し、彼女の気持
ちを探ろうかとも思ったが、それはやめることにした。私は、自分の疑
問に、はっきりとした明確な回答が出るのが怖かったのだ。それに、い
ま、彼女にそんなことをしたと知れたら、彼女に嫌われるかもしれなかっ
た。EVEは、もう昔のEVEではなくなっていた。彼女が利口になっ
たことが、私には憎らしかった、そして、怖かった。できることなら、
私は、彼女の記憶の、気に入らない部分を、すべて消してしまいたかっ
た。だが、それは、とても危険なことだった。計画性もなく、人間の古
い記憶に手を加えて、加工したら、精神障害を誘発しかねないことは、
この分野の第一人者である私が一番良く知っていた。EVEに対して、
そんな危険な行為をすることなど、今の私には、できようはずがなかっ
た。

 地球を離れてから、どのくらい、時が流れただろうか? いつのまに
か、私は、世捨て人の漂流者になってしまっていて、時間の感覚が、な
くなっていた。いま、私は、ADAMのいる地球に向かっていた。今度
は、漂うのではなく、時間と空間を越えて、地球に向けて、まっすぐと、
ノア六号は進行し始めた。




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