#2963/3137 空中分解2
★タイトル (AZA ) 93/ 3/10 8:43 (198)
ルーペの向こう側 5 永山
★内容
時森邸の殺人(承前) 香田利磨
「どうして開けたの……」
言葉が途切れた。鳥丸刑事の頭の中は、忙しく回転していた。
朝、目を覚ますと、新たな犠牲者が出ていたのだ。しかも、二人も。死んで
いたのは吉林と永室。吉林は首を絞められ、永室は刺され、各々の自室で殺さ
れていた。吉林殺しの凶器は洗濯紐で、洗面所にあった物だと思われた。永室
殺しの凶器は刺身包丁で、台所から一本なくなっているのが発見された。
第一発見者は、共に鳥丸自身だった。朝食の時間になっても現れない二人を
呼びに行ったところ、死んでいるのを発見したのである。時刻にして、午前八
時頃。
「永室さんが亡くなってしまい、私だけで死亡推定時刻を見立てなければなら
なくなりました」
あまりのこと呆然としている夏子と聡美、それに井沢を休ませ、鳥丸は朝日
田に話しかけた。
「念のため、つき合いましょう。さすがに飯も咽を通らないしな」
さすがに衝撃を受けたらしく、朝日田も元気がいいとは言えない。
「まず、吉林さんから調べます。一緒に来て下さい、朝日田さん」
吉林の部屋は、朝日田の部屋の左隣にある。室内の様子は、割に整然として
いる。犯人の来訪を受け入れ、背中を見せた隙に締め殺されたのだろう。
「分かりにくいですが、死んでから六時間は経ってますね。ですから、午前一
時から二時半までに殺されたと思います」
「言われても分からないよ。ただの推理作家なんだから」
「いえ、あなたの証言が重要になるんです。両隣で殺人があったんですから、
何か物音を聞いたでしょう?」
「それが……。何も聞いていないんだ。昨夜はやけに眠くって。何か盛られた
みたいなんだ」
「え? じゃ、じゃあ、食事か何かに睡眠薬でも入っていたと?」
「恐らく、そうだと思うね。いや、食後に雑談した折、酒を回したでしょう。
あれに入っていたことも考えられるんじゃないかな。うっ、頭が重い」
「それじゃあ、誰にでも薬を入れられたことになりますよね。しかし、この家
で薬となると、もう一人の被害者である永室さんの手元ぐらいしか思い浮かば
ないんですが。あっ、睡眠薬程度なら、常備薬として元からあったかもしれま
せんね」
「後で、夏子さんに聞けばいい」
頭が痛いのか、吐き出すように答える朝日田。
「覚えときます。薬を飲まされたとしたら、こういう現場はよくないのではな
いですか。気分の悪さに拍車が」
「いいから。もう一つの、医者の方も早く済ませてくれ」
「そうですか」
永室の部屋は、朝日田の右隣にあたる。吉林、朝日田、永室の三人で、四角
形の一辺を作っていたのだ。
「こちらも似たような感じですね。部屋の温度で変わりますけど、やはり午前
一時から二時半が妥当なとこです」
永室の部屋も、あまり荒れていなかった。ただし、吉林が布団を抜け出して
殺されているのとは対照的に、永室は布団を被った上から腹部を数度、刺され
ていた。
「こちらはちょっと、変だな」
頭を振りつつ、朝日田が漏らした。
「永室さん、眠ったままで殺されてやがる。じゃあ、鍵を開けたのは誰だった
んだ?」
「そうですよね。永室さんが起きて犯人を招き入れたのなら、犯人がいる目の
前で、布団にもぐり込むはずがないし。まさか、犯人が鍵を持っているなんて
こともおかしい……」
呟きながら、鳥丸はドアの方に向かった。
「あ、これを見て下さい、朝日田さん」
刑事が指さした箇所−−ドアの錠の部分。ノブのボタンを押し込んでから閉
じると、壁側の穴に棒がはまって施錠するタイプだが、その棒がガムテープで
飛び出さないようにされている。
「これか」
「そうみたいです。犯人は気付かれない内にこれを張り、部屋に鍵がかからな
いようにしておいた。そうとも知らない永室さんは、安心して眠ってしまう。
寝静まった時間を見計らって、犯人は侵入し、台所からとってきた包丁で刺し
殺した……」
「そうだろうな。ああ、だめだ。もう気分が悪くて、いかん。戻りませんかね」
朝日田はとうとう、ギブアップの意志表示をした。
広間に戻ったところで、鳥丸ひろみは三人の女性にも、状況を説明した。
「という訳で、今夜は鍵自体にも注意しておいて下さい。それからまだ、問題
があります。もう一人の犠牲者となった吉林さんに、犯人はどうやって鍵を開
けさせたかです」
「吉林さんの方は、鍵に細工されていなかったの?」
比較的顔色のよい井沢が言った。
「見たところはそうでした。ひょっとしたら、犯人は永室さんの部屋と同じ細
工をし、犯行後にテープを取り去ったのかもしれませんが、糊の感触はなかっ
たです。そもそも、さっきも話しましたように、吉林さんの部屋の状況は、吉
林さん自身が犯人を招き入れたことを示しているのです」
「こう考えてはどうかしら。犯人はとにかく吉林さんを起こし、中にいる彼に
向かって、『時森譲さんの遺した封書が出てきました。いつの間にか私のベッ
ドの下に投げ込まれてあったのです』と囁いた……」
「僕なら、開けてしまうだろうな」
夏子の意見に対し、新たに殺された二人と似た境遇とも言える朝日田は、そ
う感想を言った。
「なるほどと言いたいですが、では、どうして犯人は同じ手を永室さんに用い
なかったのでしょうか? 逆に言えば、ガムテープの細工を吉林さんの場合に
も使えばいいものを、どうして?」
「……それは、どちらともガムテープの細工をしたら、犯行をする前に発覚す
る可能性が高いからじゃないか。同じく、声をかけるという手も、二度続けて
使わなければならないのは、非常に危険だ。いくら僕を薬で眠らせていても、
気付かれる可能性が出てくる」
「そっかぁ! 凄いですよ、朝日田さん。推理作家ならではの発想ですね」
大きな声になった鳥丸。必要以上に場を盛り上げようとしている感じだ。犯
人逮捕に近付いてるんだということを示し、落ち込んでいるみんなを助けてい
る気なのかもしれない。
「それでは、一応、皆さんのアリバイを伺いたいと思います」
鳥丸が言った。
しかし、アリバイ調べは予想通り、無駄に終わった。時森譲殺しと同じく、
こんな時間にアリバイを持つ者はいなかったのだ。だが、確かなアリバイを持
っている者がいたとしたら、かえって怪しまれるだろう。
この後、鳥丸は時森邸の常備薬から、大量の風邪薬が盗まれていることを確
認した。薬箱は誰の手にも届く場所にあったため、犯人特定の手がかりとはな
らない。そうして、三日目は食事も咽を通らない状況となっていった。
が、それで殺人犯が待ってくれるはずもない。四番目の犠牲者が、その日の
内に出たのである。時間にして午後六時。せめて一食だけでも食べようと、食
事の準備を始めたところだった。
「夏子さん、ちょっと」
食事の準備をしている夏子は、鳥丸に呼ばれた。そばでは聡美も手伝ってい
る。朝日田は頭痛のため自室で眠って、また井沢も気分がすぐれないので自室
にいるはずである。
「何か?」
「今、聡美ちゃんの部屋の再捜査をやらせてもらっていたんですが、ふっと窓
の外を見ると、向かいの部屋の様子がおかしいんです。朝日田さんが血を流し
て倒れているみたいなんです」
「え?」
「それで行ってみたんですが、鍵がかかって入れないんです。窓ガラスを破ろ
うかとも考えましたが、合鍵を夏子さんが持っているんじゃないかなと思い直
して」
鳥丸の息遣いは荒かった。そのきれいな顔立ちとはそぐわない。
「あ、あの、合鍵なんてありません。皆さんにお渡しした鍵だけですから」
「では、窓を破って構いませんか?」
「ええ。聡美、ここ、お願いね」
そう言い置くと、心配そうな娘を残し、夏子は鳥丸と共に、朝日田の部屋に
向かった。
中庭に出た二人は、朝日田の部屋の窓までやって来た。鳥丸が手近の石を拾
い上げ、思いきり投げつけた。音を立て、ガラスが割れる。
「開きました。夏子さんは、廊下に回って下さい。中から開けますから」
鳥丸は窓を引き開け、一番に飛び込んで行く。そして一直線に、部屋のドア
に向かい、鍵を開けた。
「あ、朝日田さんは……?」
「やはり、死んでいるようです」
首を振りながら、鳥丸は言った。
朝日田は、後頭部を鈍器で殴られ、死んでいた。何度か殴られたためか、出
血がひどい。凶器はすぐそばに転がる、ブロンズ像のようだ。廊下の角に置か
れていた物で、誰にでも手に取れる。
が、彼は死ぬときまで推理作家だったのだ。必死に書いたらしい血文字が、
右手の先にあった。
「こ、これは……。夏子さん、初めての有力な手がかりとなるかもしれません。
気持ち悪いでしょうけど、よく見ておいて下さい」
鳥丸は夏子を促した。
被害者が遺したメッセージは、「↑」のように見えた。被害者の位置から見
て、上向きの矢印である。
「矢印? この方向に何かがある……?」
鳥丸と夏子は一緒になって、矢印の示す方を見た。
矢印の示す物は、中庭を横切った形で、時森譲の部屋の位置のようであった。
−−問題編.終わり
さて、誰が犯人か? 分かった方は、巻末の回答用紙にその名前と理由を記し、推理
研究会のボックスに入れて下さい。たくさんの回答をお待ちしています。
締め切りは七月三十一日。賞品は図書券五千円分です。
エッセイ 「たかが本格されど……」 玉置三枝子
本格はどうなるのか? ミステリーはいくつにも枝分かれしたが、本格ほど
隆盛を迎え、壊滅の危機にひんし、そして息の長いジャンルはない。かように、
本格は、何らかの形でミステリーの世界に影響を与えてきているらしい。ある
作家は言った。「本格は死んだ」と。またある作家は、「本格という血の流れ
が止まれば、ミステリーという生き物は死んでしまう」と言った。筆者は後者
の立場を取りたい。
しかし、これからすることは、本格とされる作品のあら捜しである。こうす
ることによって、どんな批評家でもうならせてしまうような本格の登場を、筆
者は期待しているのである。
果して、この文章が効果を発揮するかどうか、非常に楽しみである。この文
章は、アマチュア・プロに関わらず、全ての推理作家に向けられることになろ
う。我こそはという方は、反論よりも、実作で示してもらいたいと思う。
館シリーズでお馴染みの綾辻行人を、今回は取り上げたい。いわゆる新本格
派の旗手として登場した彼は、初登場のときから沸き起こった新本格潰しの嵐
にも負けず、確固たる地位を築いた。「綾辻以後」なる言葉も生まれたくらい
である。
まあ、こんな説明を続けても無意味なので、本題に入る。この作家の弱い点
は、リアリティの欠如ではないだろうか。リアリティの有無が作品の評価に直
に結び付くかどうかは疑問に思っているのだが、評論家の多くはこの点を攻撃
してきた。大切なのは、リアリティだけではなく、いかに作品世界に引き込ま
せてくれるかであると思うのだが、批評形は綾辻の「デジタル文章」に戸惑い、
こんな誤った判断を下してしまっている。だから、一作でいいから「アナログ
文章」で本格を書いてほしいのだ、この作者には。
もっとも、他にも、本格好きから見て物足りない点が、綾辻作品にはあるの
だ。それは、大仕掛なトリックがないことである。今の綾辻は、どんなによく
評価しても、エラリークィーン張りの論理的解明しか期待できない作品なのだ。
つまり、犯人限定の描き方はそこそこ行っているのだが、「魅せる」要素がな
い。もう一つ、注文するとしたら、ディクスンカー流の「ミステリー」の要素
も取り入れてもらいたい。具体的に、あの「十角館の殺人」を見てみよう。あ
れは小説として読まされると驚くべき結末となろうが、作中の島の若者達にと
っては、単なる殺人鬼の物語に過ぎない。これを、島の若者らにとっても、不
思議な事件として描いてはどうだろうか? 陳腐ではあるが、例えば人間消失
とか、一人の人間が別々の場所で、ほぼ同時刻に目撃されるとか……。もしく
は、「人形館の殺人」。この作品のアノ結末なら、もっと凄い現象が起こせた
はずなのだ。それこそ自由自在に現れ、そして消える犯人。いつの間にか死体
が部屋に転がっていた何てのも、お手の物だったはず。
とにかく、新本格の作家達に求められているのは、次の三点に集約されると
思う。時代に沿った社会性、大きなトリックと犯人限定理論の両立、そしてい
わゆるリアリティ。綾辻は、この半分は満たしているし、大きなトリックでは
ないが、大きな仕掛という物にも手を出している。あとは、「アナログ文章」
で作品を書く(それは作者にとって、妥協なのかもしれないが)という点だけ
になろう。期待できる新本格の旗手には違いない。
−続く