AWC ルーペの向こう側 4    永山


        
#2962/3137 空中分解2
★タイトル (AZA     )  93/ 3/10   8:40  (182)
ルーペの向こう側 4    永山
★内容
時森邸の殺人(承前)    香田利磨
「犯人は永室だぜ、刑事さん」
 鳥丸が真向いに座るなり、朝日田は言い出した。左手には煙草がある。
「どうしてです? 理由を」
「理由は簡単、毒を入手できるのは、医者をやってるあいつだけさ」
「それは私も考えていました。まだ永室さんに話を伺ってはいませんが、あの
人が毒を入手できるのは間違いないと思っています」
「じゃあ、早いとこ逮捕したらどうだい?」
「いいえ。凶器・毒物を準備できたら犯人なんて公式はありません。少なくと
も、他の方が毒を入手できないということを証明しなければなりません」
「ふん、なるほどね! さあ、何でも聞きな」
 時森譲が死んで、朝日田の言葉遣いはどんどん乱暴になっているようだ。
「早速ですが、あなたは毒を手に入れることができますか?」
「随分、ストレートな聞き方だ。いいねえ。そうだな、小説を書く上で、薬品
会社や薬局、メッキ工場に取材に行ったことはあるな。もちろん、そこでくす
ねたなんてことはないが」
「一応、信用しましょう。でも、可能性は」
「あるよ。まだるっこしいんだな、警察ってのは」
「次です。犯行時刻あたりに、何か物音を聞きませんでしたか?」
「さあて。夢み心地だったからな。聞いてない」
「お酒は飲めますよね」
「そりゃ飲めるさ」
「結構です。静かに待っていて下さいよ」
 と、鳥丸が言い置いて、部屋を出て行こうとしたら、
「分かりましたって」
 朝日田は芝居めいた物言いをした。

「いきなりで失礼かもしれませんが、あなたは青酸系の毒を入手することは可
能ですね?」
「はは。そうですな、認めざるを得ないでしょうなあ。薬学系の大学にも出入
りしているし。だがね、私が毒を入手できる立場にあるからこそ、毒は使わな
いとは思わんかね?」
「それは、私が判断します。今回、医療道具を持って来ていますか?」
「いや。そりゃ、簡単な胃薬・風邪薬程度なら持って来ているし、聴診器もあ
る。何せ、ここは離れ小島だから」
「いい心がけですね。その薬ですが、盗まれたなんてことはないですか?」
「ない。薬の管理はしっかりしている。だいたいね、医者が持つ薬というのは
刑事さん、外側に風邪薬だの胃薬だの、明記されてないもんだよ。素人には何
の薬品か分かるはずがない」
「そうですか。勉強になります」
 相手のことを立てて真相を引き出すつもりか、下手に出る鳥丸。
「犯行推定時刻を割り出した訳ですが、その頃、物音を聞きませんでした?」
「聞いてないなあ。ここは結構、防音がいいしね。毒を盛るたって、そんな音
をたてるもんでなし」
「お酒は?」
「いける口ですがね。医者として節制に努めてますよ」
「どうもありがとうございました」
 そう言うと、鳥丸は永室の部屋を後にした。

「休み中とは言え、こんな事件に巻き込まれたとなると、上への印象が悪くな
らないかと、心配でたまりません」
 弱々しい笑みを浮かべ、吉林は言った。眼鏡の奥に、疲れたような目がある。
「犯行推定時刻の午前0時からの二時間、何か物音を聞きませんでしたか?」
「聞いていません。壁が厚いせいでしょうかね」
「お酒は飲めますよね? あまり飲まれるのを見たことがありませんけど」
「飲めと言われりゃ、飲めます。まあ、すぐに顔に出るタイプですが」
「酔いが残る訳ですか?」
「残りますね」
「それでは吉林さん。あなたは青酸カリといった毒物を、手に入れることがで
きますか?」
「どうしても手に入れろって言われりゃあ、やるかもしれません。泥棒でも何
でもしてね。ですが、今度の事件の場合、そこまでしやしません。ああ、余計
なことを言ってしまったな」
「仲々正直で、いいですよ。じゃあ、これで」
 鳥丸刑事は部屋を出ると、今までのことをメモに記した。

「井沢先生、誰がおじいちゃんにあんなことをしたと思う?」
 荒木聡美は、回転椅子を半回転させ、後ろにいた井沢純子の方を向いた。鳥
丸の訪問はまだない。
「……やっぱり、勉強できるもんじゃないわね」
 質問に答えない井沢を、聡美はちょっとにらんだ。
「答えて! いつも質問してくるくせに」
「そういうきわどい問題は、口にしたくないなー、先生。……何て言っても、
しょうがないか。私は永室さんが一番怪しいと思っているわ。毒を入手し易い
のは彼が一番だし」
 井沢の答をそしゃくするように、聡美は首を振った。
「ふうん。私はね、朝日田さんが怪しい感じ」
「どうしてかしら?」
「勘だけなの。でも、推理作家だから、毒だって手に入るかもしんないし、殺
人を計画するのもお手の物でしょ」
「かなり偏見が入ってるわね。聡美ちゃん、お母さんの再婚相手、少なくとも
朝日田じゃなければいいと思っているでしょう?」
「やっぱり分かった?」
 舌をちらっと出す聡美。内心では祖父の死で混乱しているのだが、努めて明
るく振舞おうとしているのだ。
「思うに、夏子さんは朝日田なんかは選びはしないわよ。あの人の好きなタイ
プは、三人の中にはいない気もするんだけど、強いて選べば、永室さんかしら」
「やだぁ、それじゃ、先生が考えた犯人になっちゃう」
「あら、そうね」
 そうして二人でひとしきり笑ってから、急に静寂が訪れた。聡美は何気なく、
窓から景色を眺めた。景色と言っても、同じ建物の部屋が見えるだけだ。傾い
た太陽の光を浴びて、向かいの部屋の窓は鏡のようになっている。確か、あそ
こは推理作家の部屋。
「何時かしら」
 景色を見ている内に、ふっと気になったので、聡美は時計を見た。
「六時前ね。そろそろ夕食の準備しなくちゃね」
 聡美の声を聞いて腕時計を見たのか、井沢が答えた。
 そのとき、部屋のドアがノックされた。
「鳥丸です。いいですか?」
「はい」
 その声が届かなかったのではと思われるくらいに、すぐに鳥丸が入って来た。
「あ、井沢さんがいらしたんですか」
「いけませんか?」
「ん、他の方も一人ずつ聞きましたから。できればお部屋に戻っていてもらい
たいのです」
「分かったわ」
 井沢は短く応答すると、テキストを持って出て行った。
「ねえ、鳥丸さん。お願いがあるんだけど」
「何?」
「今夜、お母さんと一緒に寝たいの。駄目かな?」
「そんな。いいに決まってます」
「よかった。勝手な行動はいけないっていうから、確認したかったの」
 ほっとする聡美。心細かったのだ。
「そこまで考えていたんですか。私も罪なことを言いましたね。ごめんなさい」
「いいのいいの。鳥丸さんはそれが仕事だから」
 頭を下げた刑事に対し、聡美は慌てて言った。
「じゃあ、質問を。昨日眠ってから、何か物音を聞かなかった?」
「物音って?」
「誰かが夜中に動き回っているみたいな音って言えばいいかな」
「うーん。聞こえなかったわ」
「そう。聡美ちゃんは、お母さんに再婚してほしくないんだったよね」
「うん」
「でも、もし選ぶとしたら、誰がいいの? 誰がお父さんになってほしい?」
「今は誰も嫌よ」
 聡美自身、声が高くなるのが分かった。
「じゃあさ、聡美ちゃんが二十歳になってからならいいんだったよね。その場
合、どうなの?」
「井沢先生にも言ったんだけど、朝日田さんは嫌い。とにかく、お母さんを悲
しませない人がいいわ」
「財産目当ての人ばかりって言いたいのか?」
「そう……かも」
「こんな質問したら怒られるかもしれないけど、聞いて。夏子お母さんは、お
金に困ってる様子があった?」
「全然」
「それならいいんだけど」
「まさか鳥丸さん、お母さんも疑ってたの?」
「……そう」
 咽が痛くなった。それから胸が痛くなるのを聡美は感じていた。
「……しょうがないもんね。それが仕事なんだから、鳥丸さんは」
「ごめんなさい」
「二回も続けて謝るもんじゃないわ。刑事はもっと威厳がないと。性別も年齢
も見かけも関係なしにね」
「聡美ちゃんも元気出してね」
 そう言うと、鳥丸は聡美の部屋を退出して行った。

「あなたが最後になります」
 鳥丸は、井沢の部屋に入る鳴り、そう切り出した。この部屋の主は、毅然と
した態度を保っているように見える。
「犯行時刻の頃に、何か物音を聞きませんでしたか?」
「何も。熟睡しちゃってたから」
「そうですか。井沢さん、毒物には縁がありませんよね?」
「私が塾講師だったから? それは甘いというものよ。いい? 私は某国立大
学の出身なの。当然、総合大学で、薬学部もあったわ。その線で行けば、毒を
入手するのも絶対に無理とは言えないんじゃなくて?」
「考えも付きませんでした。……でも、疑ってほしいんですか? そんなこと
を言うなんて」
「とんでもない。ただ、隠しごとをしているとロクなことがないって、知って
いるからよ。ドラマでよくあるじゃない。隠していたがために、無実の人間が
取調べを受けるっての」
「それは誇大宣伝ですけども、まあいいです。ついでに動機も伺いましょう。
時森さんのあなたに対する扱いに、あなた自身は満足していましたか?」
「満足していたわ。これは事実よ。講師時代より高額の給料を払ってくれてい
たの。それが条件で、家庭教師を引き受けたんだけどね」
「では、あなたから見て、聡美ちゃんはどういう子ですか?」
「何か意味深ね。それはつまり……聡美ちゃんがおじいちゃんを殺すことがあ
るかってことかしら?」
「……ご自由に受け取って下さい」
「そうねえ。殺しかねないかも、とは言えるかもね。それだけ意志の強いとこ
ろがある子よ、聡美ちゃんは。でも、実際に殺すなんてのは、想像もできない」
「私もです。後になって、捜査に私情を差入れたなんて陰口を叩かれたくない
から、確かめたまでです」
 そこまで言うと、鳥丸は大きく伸びをし、表情を崩した。
「さあ、夕食の準備を始めましょうか」
 鳥丸の提案に、井沢も大きくうなずいた。
 食事は何事もなく進み、そのまま雑談になだれ込んで行った。ここまでは昨
夜と一緒だったが、やはり精神的疲労が蓄積していたのだろう。すぐに、誰も
が無口になっていた。結局、早いが床に着くことになった。
「戸締りはしっかりとしといて下さい。私が来たとき以外、どんなことがあっ
ても−−少なくとも夜の内はドアを開けないことをお願いします」
 鳥丸は命じるように全員に言った。

−続く




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