AWC ルーペの向こう側 3    永山


        
#2961/3137 空中分解2
★タイトル (AZA     )  93/ 3/10   8:37  (176)
ルーペの向こう側 3    永山
★内容
時森邸の殺人(承前)    香田利磨
 井沢純子に慰められてか、聡美はすっかり大人しくなって、鳥丸ひろみの説
明を聞いていた態度だった。
「これで状況は飲み込めたと思います。私の許可なく、勝手な行動はとらない
ようにして下さい。
 で、これからすべきことですが、まずは毒薬の探索をすべきと考えています。
犯人は譲さんを毒で殺しました。まだ毒を持っているかもしれません。それを
捜すことで真相究明に近付くことができるかもしれません」
「よし、捜そう」
 叫ぶように言って立ち上がった朝日田を、鳥丸は止めた。
「待って下さい。捜すと言っても、てんでばらばらに捜すんじゃ、犯人がどさ
くさに紛れて毒を始末することも可能です。そこで、皆さん一団となって、一
人々々の部屋を調べることにしたいと思います。調べる役は私がやりますから、
皆さんはお互いの動きを見張って下さい。こんなこと、本当は嫌なんですけど」
「いいえ、それが当然だわ。早速、そうしましょうよ」
 井沢が言った。
 お互いの身体検査から始まった捜索は、結局は芳しい結果は得られなかった。
どの部屋にも毒らしき物はなく、また食堂や調理場、風呂といった共同の場所
も調べられたが、発見されなかった。最後には屋敷の周囲、雨樋の中、そして
亡くなった時森譲の部屋までもが捜査対象となったが、それでも見つからなか
ったのだ。
「これは、見方を転じれば、よかったのかもしれません」
 自分も含めて、全員を勇気づけるためか、鳥丸は元気よく言った。
「毒薬がどこにも見つからなかったということは、犯人は毒を所持していない
ということを示しています。つまり、これから食べ物や飲物なんかを口にして
も、まずは安心だと言えましょう」
「すでに飲食物に毒を入れてあるかもしれん」
 鳥丸の身体検査をした朝日田が言うと、
「じゃあ、昼食を兼ねて、遅い朝食をとりましょう。私から口を着けますから」
 と、鳥丸は言った。
 食事は確かに何ともなく、鳥丸が口を着けたのを最初に、全員がとることが
できた。
「これからするべきことですが」
 あらかた食べ終えた鳥丸は、口の周りを丁寧に拭きながら切り出した。
「皆さんのアリバイ調べ、動機調べです」
「動機と言えば」
 すぐに反応したのは、例によって朝日田である。
「僕達三人の、夏子さんに対する想いってのがある」
 自分の名前を口にされ、夏子の顔が赤くなった。
「……それは認めざるを得ないでしょうな。それが殺人の動機となるかどうか
は別問題だが」
「いや、永室さん。いい子をする必要はないぜ。選ばれることに自信のなかっ
た奴が、譲さんを殺し、多数決を成り立たなくさせようとした。充分、考えら
れるさ」
 朝日田が言った。推理作家らしい意見と言えよう。
「その線で考えますと……。選ばれることに自信はあったが、早く財産を手に
したい者が、手っとり早く−−こんな言い方してすみません−−時森さんを亡
き者としたとも考えられませんか」
「その考え方は、行き過ぎだと思います、吉林さん。いえ、これは私がそう思
いたいだけなのかもしれませんが……」
 鳥丸が刑事らしからぬ言い方をした。そしてしばらくおき、また口を開いた。
「動機は他にもあると思いますが、今は先にアリバイを調べさせていただきた
いんです。時森さんが亡くなったのは午後十一時から午前二時までの間と思わ
れます。青酸は速効性の毒物で、どんなに遅くても一時間以内には死んでしま
います。一時間も時森さんが苦しみ続けたのであれば、誰か他の者が気付いて
もいいと思いますから、時森さんは毒を摂取後、すぐに亡くなったと見なし、
死亡推定時刻イコール犯行時刻と考えてもらいましょう」
「ふん。そんな時刻にアリバイか。昨日は、午前0時になるまでは、皆さんご
一緒だったんじゃないですかね? もちろん、時森譲さんと聡美ちゃんを除い
てですが」
「そうでしたわね、朝日田さん。広間でおしゃべりをしていたんでしたわ」
 井沢が同意する。
「確かにそうでしたね。それ以後のアリバイを思い出して下さい。まず、私か
ら述べておきますと、あれからすぐに自分の部屋に戻り、眠ったとしか言いよ
うがありません」
 鳥丸は全員を見渡すようにしながら言った。
「刑事さんのアリバイはなしか。ま、これは冗談として、僕も似たようなもん
ですよ。すぐに寝たとしか言えないな。いや、実際は起きていたんだが、ベッ
ドにもぐり込んでいたのは事実だ。で、いつの間にか眠っちまって、気付いた
ら朝だったと」
 朝日田がそう申し立てたのを筆頭に、誰もが同じ様なものだった。途中、ト
イレに起きた者もいたが、それとて証人がいる訳ではない。なお、荒木聡美に
ついては、午後十一時に自分の部屋に入り、午前0時にならないうちに眠りに
ついたとのことだった。これも証人はない。ただし、聡美は当然ながらアルコ
ールは飲めないので、犯人としての条件は満たしていないと考えられる。
「これでは捜査は無駄になりますねえ、刑事さん。ああ、せめて、何か一つ、
作品でも抱えてりゃあ、僕のアリバイは完璧だったのにな」
 こう朝日田が笑うと、井沢が文句をつけた。
「仮にあったとしても、そんなのはアリバイにならないわよ。元々殺人を計画
していた推理作家が、アリバイのために小説を用意していたのかもしれないん
ですからね。あなた、携帯ワープロで執筆してるんでしょう?」
「そりゃま、そうですが」
 いつかみたいに、大きく肩をすくめる朝日田。
 そんなやり取りを無視するかのように、鳥丸は口を開いた。
「動機の問題に移りたいと思います。さっき、少しだけ動機の議論がありまし
たが、私の考えていたのは、実はそういうことではなくて、時森譲さんが文書
の形にしたためたはずの、夏子さんのお相手の書かれた封書。それがどこに行
ったのか、ということを問題にしたいのです。毒捜しであれだけ引っかき回し
たにも関わらず、封書のような物は出ませんでした。夏子さん、どこか隠し場
所に思い当たりますか?」
「いえ、全く」
「そうですか。それじゃあ、問題の封書か何かは犯人の手によって処分された
と考えるのが妥当ですね」
「誰の名前が書かれていたかは、重要じゃないかな」
 永室が言った。
「犯人が封書を見つけたとします。もし、そこに犯人自身の名前が書かれてい
たとしたら、犯人は封書を処分しやしないでしょう。処分したということは、
封書には犯人の名はなかったとなる」
「ちょっと待って下さい、永室さん。それは早急に過ぎませんか。容疑の枠を
あなたを含めた三人のお相手候補に限ってしまっては」
「おや、刑事さん。では、他にどんな理由があると? 封書を処分する理由が」
「例えば……。そう、飽くまで例として考えていただきたいのですが、封書に
記された人物と夏子さんの結婚を願っていない者が処分したとも考えられます。
夏子さん自身の場合もあり得ますし、動機だけを論じれば聡美ちゃんにもあり
得ます。何だかんだ言っても、譲さんの発言権が大きかったのは事実ですから」
「私は……。本当は、お母さんは誰とも結婚してほしくなかった。せめて私が
成人するまでは、独りでいてほしいって、そう言おうと思っていたのよ」
 聡美は気を悪くする風でもなく答えた。
「夏子さんはいかがです?」
「私には、すでに決めた人がいます。でも、聡美がそこまで言うのでしたら、
この娘が成人するまで、その人との結婚は待ってもいいと思います」
「成人まで!」
 朝日田が大声を出した。
「それは現実的でないなあ。成人までったら、あと何年だい? 七年近いだろ
う? そんなに期間を空けていたら、夏子さん、あなたの気持ちだって変わる
こともあるだろうし、それまで待たされる他の二人の男は救われないなあ」
「それは言えますな。私は自信がない訳でないが、私の家の方が、そういった
事情を待ってはくれない」
 医者の永室が言った。反対するのは、吉林も同じである。
「自分もそうです。今でも上司から見合いの話がどんどん来ています。それを
断わり続けると、将来のことに響きかねません」
「夏子さん。今、この場で、心に決めた相手の名前をおっしゃる訳にはいきま
せんか? これは警察の仕事じゃないとは思うんですが……」
「でも、鳥丸さん。こう言っては何ですが、私が決めた人が、ひょっとしたら
殺人犯なのかもしれませんのよ、私の父を殺した。そんな状況で、口にするな
んてこと、できません」
 夏子の反応は、至極当然だった。
「女としての気持ち、分かります。そうなりますと、元に戻って、私が犯人を
捕らえるのが最重要となりますね。きっとこの休暇中に犯人を確定することを
誓います」
 鳥丸は宣言し、長い髪を揺らした。
「これから個別にお話を伺いたいと思います。ご自分の部屋で待機するようお
願いします。待っている間、勝手な行動は慎むようにして下さい。最初は、夏
子さんからにします」

「まず、あなたの父上の部屋についてです。目についてなくなった物はありま
せんでしたか?」
「ええ……。なかったと思います」
 考えるように首を傾げ、ゆっくりと答えた時森夏子。顔色はまだ悪いが、気
分は持ち直したらしい。
「譲さんが封書なり何なりの形であなたの相手について記すということを、い
つ知りましたか?」
「今日、初めて聞かされました。でも、それは大したことじゃないと思います
わ。私は初め、父の言葉に従うつもりでしたから」
「なるほど。それが聡美ちゃんの言葉で、方向がずれて、あなたは自分の気持
ちを言えるようになった……。その方がやはり、嬉しいでしょうね」
「それはそうですけど、今は父が亡くなったことの方が大きくて」
「聞きにくいんですが、敢えて聞きます。あなたが心に決めた相手の名前、そ
れを話してもらえません? もちろん、他の方には秘密にしますから」
「それは……言えません」
「何故ですか。あなたが想っている人は、あなたの気持ちを感じ取っていて、
こんな犯罪は起こさないと思えるんですよ。少しでも容疑の枠を狭めたいんで
す、私」
 鳥丸の口調は、夏子に詰め寄る様な言い方になっていた。
「分かりますけど、鳥丸さん? そんなことで容疑を絞るのは、かえって危険
なんじゃありませんか?」
「……そうかもしれませんね。いや、若さが出てしまいました。焦っているみ
たいです。これからは気を付けないと」
 照れ笑いのような笑みを口元に浮かべる鳥丸。
「じゃ、とりあえず次の質問。毒物ですが、この時森邸に青酸系の毒物はあり
ますか?」
「いいえ、どんな毒もないはずです」
「では、時森家が携わる事業の関連で、毒を手に入れることは可能ですか?」
「……分かりません。父はかなり手広くやっていましたから、ひょっとしたら
どこかでそんな薬品関係とのつながりがあるかもしれません。でも、私が知る
範囲ではありません」
「犯行推定時刻の頃、何か物音を聞きませんでしたか? あなたの部屋が、一
番近い訳ですが」
「さあ。ぐっすりと眠ってましたから、気付きませんでしたわね」
「そうですか。次が最後の質問です。譲さんを殺すような動機を持っている人
が、今現在、この島にいますか? もちろん、吉林、永室、朝日田の三人は除
いてです」
「いません」
 夏子はきっぱりと言い放った。

−続く




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