AWC 死者の森(7)       青木無常


        
#2900/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  93/ 2/23   4:20  (199)
死者の森(7)       青木無常
★内容
 「……美しいわい」きく者の気力を根こそぎ奪いさってしまいそうな声が、感嘆
の響きをこめてそういった。「美しいわい……二人ともに……五十年ぶりの客人に
ふさわしい美しさじゃ」
 背筋を、怖ぞ気が奔りぬけるのをティアンは覚えた。
 ふり払うように首を左右に激しくふり、凛とした口調で名のりをあげる。
 「わたしの名はティアン。この男は巫術士のリシ。真理を探求して、はるばるこ
こまで足を運んできた者だ」
 「ほう……ほう、ほう、ほう」フードにおおわれた頭部が、かくかくとあやつり
人形のように何度も上下する。「真理を。真理を探求してか。それはまた、ご苦労
なことだな。なるほどなるほど、真理を、のう」
 その、ひとを馬鹿にしたような口調に、ティアンはきっと目をみはらせた。
 そんな少年を制して、リシが一歩まえに踏みだし、片膝をついて頭をたれる。
 「突然の訪問、さぞやおどろかれたことと存じあげる。ひらに御容赦のほどを」
 「ほほ、なんのなんの」
 愉快そうにかさかさと笑うのへ、リシは静かな、それでいてするどい視線をあげ、
 「名だかきフレンの魔道士、ドーラン・ファドさまとお見うけしたが」
 「いかにも、いかにも。このわしこそが、そのドーラン・ファドに相違ない。―
―で?」
 「わたしたちは――」芝居じみた調子で言葉をとぎり、「――ある書物をさがし
て旅をしております」
 「ほう」
 「そんなおり、すぐる冬のある日、ダッジ領のとある占い小屋で、フレンの“死
者の森”に隠棲されるドーラン・ファドさまと名のられる高名な魔道士が、その書
物の写本を所持しておられる、との噂を耳にいたしました」
 「なるほど、なるほど。それで、このような穴ぐらのなかにまではるばると」闇
にかくれて顔は見えないものの、その声の響きにはどことなく嘲笑を連想させるも
のがあった。「それで、その書物の名じゃが」
 「『死界魔道書』と」
 「……ほう」
 その名を耳にしたとたん、魔道士はふいに黙りこんだ。
 そのまま、値ぶみするように顎のあたりに手をかけて二人を眺めおろす。
 と――魔道士は矢庭にふう――とながいため息をつき、
 「リシ、とやらもうしたの」
 「はい」
 「まがりなりにも無傷のまま、ここまでたどりつけたことからして、魔道のすべ
を身につけておると見たが」
 リシは無言で、魔道士を正視した。
 その視線を受けてか受けずか、魔道士はほほと痰のからんだ笑いをもらし、
 「ならば、このわしと術くらべをしてはみぬか」
 子供が、どちらが強いか決めようじゃないかというような口調だった。が――テ
ィアンはそんな口調の裏がわに、とてつもなく邪悪なものを見たような気がして、
しらず身をふるわせた。
 リシは首をたれてしばし黙考の体をとり――しずかに、顔をあげた。
 「僭越ながら」声は洞窟に、殷々と反響した。「お受けさせていただきます」
 ひっと、喉をつまらせて、ティアンは思わずあとずさっていた。
 壇上の長衣から、邪気が熱風のように吹きつけてくるのを感じたからだった。
 「ただし、条件をつけさせていただきたいのですが」
 つけ加えるようにリシがいうのへ、
 「『死界魔道書』の件じゃな……?」魔道士もまた、静かにいった。「心得たと
も」
 「では――」裾をはらって立ちあがると、リシはいった。「いつはじめますか」
 「もうはじまっておるよ」
 むしろやさしげな口調で、魔道士が宣告した。
 そのまま幾許か、時が凍りついたような静寂があたりを支配した。
 が――ティアンは気がついた。
 おそろしいほどはりつめた凶暴な気が、洞窟一帯を激烈な勢いで飛び交っている
ことに。
 魔道士の言葉どおり――いや、それ以前からすでに、悪夢のような闘いが展開し
ていたのである。
 目で見ただけならたしかに、二人はただ静止したまま、互いに睨みあっているだ
けのようにしか見えない。
 が、その実ふたりの道士は目にはうつらぬ世界を舞台に、おのおのの全存在を賭
けた激烈な闘争をくりひろげつつあるのだ。
 ティアンもまた、ほんのとば口ほどには、リシから魔道の手ほどきをうけている。
それだけに一層、二人の魔人のあいだに飛び交う闘気を受けてはげしく動揺してい
た。
 めまいを覚えてからだが崩れそうになるのを、必死になっておしとどめる。
 と――その狂おしい熱気が、ふいに消失した。
 狐につままれたような面もちで顔をあげ、対峙する二人に視線をすえ直す。
 微動だにせぬまま、二人の道士は、ひとりは玉座に腰をおろし、ひとりは壇上を
まえに立ちつくしながら、たがいをはげしく睨みつけている。
 静かだった。
 耳が痛くなるほどの静寂が、空間をうめつくしていた。
 その静寂を破って――リシの長身が、どうと地面に崩おれた。
 「リシ!」
 叫んでティアンはかけより、白衣の長身を抱きおこす。
 白髪の頭はぐったりとうなだれたまま、どれだけ激しくゆすぶろうと力なく左右
にゆれるばかりだった。
 心臓は――ティアンは不安と恐怖に胸がはり裂けそうに感じながら、リシの胸部
に耳をうずめた。
 ――動いている。だが、かろうじて、だ。
 不断に脈うつはずの血流は、弱々しく、断続的に、いまにもとぎれそうにしか動
いてはいない。
 声をあげて泣き伏してしまいたい――そんな狂おしい衝動を懸命におさえて、テ
ィアンは壇上の魔人にきっと視線をむけた。
 「リシをもとにもどせ!」
 「できぬな……」
 予想に反して、魔道士もまた半死半生のような力ない声でこたえた。
 「二百年をこの道に捧げてきたが、こたびのようにあやうい目に会うたのは、ま
こと久方ぶりよ……。もとにもどせ、と? 御免じゃの。このようにしんどい思い、
当分はしとうないわい」
 言葉の合間にも、いかにも苦しげにごぼごぼと喉をならす。
 「見たところ、さほど齢を重ねておるとも思えぬが、天賦の才、というやつか。
そう思うてよくよく見れば、なるほどその若さで白髪とは……まさしく異形の印よ
の。ともあれ」
 魔道士はよろよろと立ちあがり、勝ちほこったように喉の奥をくつくつと鳴らし
た。
 「ガドル! ガドルども!」
 精一杯はりあげたしわがれ声に、地獄の凶鬼はすみやかにたちあらわれる。
 「その男を神殿に運んでおけ。それから、その小僧じゃが――」
 そういって少年にむけられたフードの奥の暗闇に、ティアンはとてつもなく邪悪
でおぞましい笑いを、見たような気がした。
 「近来まれにみる美麗な容貌じゃ……。くわえて、いまだ無垢なるその魂……じ
つにふさわしい。ふさわしいぞ」
 ぶつぶつとひとり言のように口をうごめかせていたが、ふたたび声をはりあげて
宣告した。
 「沐浴をさせよ! わが守護神へ、贄に捧げる!」
 呆然と、ティアンは魔道士の言葉をきいていたが、わらわらと妖魔が群らがりよ
る気配にハッと我にかえった。
 「……おのれ、黒魔道士!」
 叫ぶや、剣をぬくのももどかしく魔道士にむけて殺到した。
 が――
 「痴れ者めが!」
 一喝と同時に、なにか目に見えない巨大な手にでも張りとばされたように、ティ
アンは激烈な勢いではじき飛ばされていた。
 「血まような」憎々しく冷笑しつつ、魔道士がいう。「このわしに歯むこうて、
一太刀でも浴びせられると思うてか」
 「おのれっ!」
 叫んで立ちあがり、剣をかまえる。が、さすがに無謀な突進を試みる気にはなら
ず、たたらを踏んで魔道士を睨みあげるばかりだった。
 その目の端に、いまや運びさられようとしているリシの姿がうつる。
 「リシ!」
 ティアンは剣をふりあげて走った。
 「ほ」
 魔道士があきれかえったように声をあげるのを尻目に、ガドルの群れのただ中に
突っこんで、闇雲に剣をふるった。
 が、冷静さを欠いた剣は効力を発揮せず、白刃はただむなしく空をきり裂くだけ
だった。
 魔道士が、声をたてて笑う。
 「これはまた、優雅な剣の舞いじゃの。まこと、みごとなほどにみやびやかじゃ」
 ティアンは、奥歯をかみしめた。激昂し、あせればぴ穫チzー;ー\pミて「いように翻弄
される。それがわかっていながらなお、手にした剣を意のままにあやつるどころか、
自分が剣にふりまわされる始末。
 己れの無力さ、愚かしさに、ティアンは絶望的な思いを抱いた。
 な驍ノもかもを投げだして、いっそ泣きだしてしまいたい。だが、からだはもはや
惰性のまま飛び交う白い影にむけて剣をふりまわしつづけている。
 「もうよい」
 うんざりしたように、魔道士がいった。
 と同時に、首すじにむけて激しい打撃が叩きこまれるのを感じた。
 魔道士の手ぶりをうけたガドルから、急所にむけてしたたかな一撃を受けたのだ
と饐は知らぬまま――ティアンはただただ己黷フ無力さに深く恥じいりながら昏倒し
た。


   5


 ぽつりと、水が鳴った。
 鍾乳石から、しずくのしたたり落ちる音。
 ため息をつき、これで幾度めか、ティアンは不安そうに四囲を見まわした。
 ひとかげはない。すくなくとも、知性あるものの視線を気にする必要はなかった。
にもかかわらず、ティアンは他人の視線を神経質なほどおそれて、幾度も幾度も、
執拗なほど周囲の気配をさぐっているのだった。
 数匹のガドルにかつがれた状態で気づいたとき、手もつけられないほど暴れまく
って抵抗を試みたのだが、妖魔はその矮小な体躯ににあわず屈強で、まるで相手に
ならなかった。
 泉のわく岩室に乱暴に投げだされ、有無をもいわさず衣服をはぎとられたときも、
必死の抵抗を示したのだが苦もなくあしらわれる始末だった。幸いにして地獄の鬼
どもはティアンの裸身にはなんの興味も示さず、いとも無造作に泉に放りこむと、
さっさとどこかに立ちさってしまっている。
 逃亡にうつるには、いまが絶好の機会だ。が――どうすれば、この敵意にみちた
地下世界から抜けだすことができるのか、ティアンには見当をつけることさえでき
なかった。
 あのガドルがいかにけだものじみて見えようと、奸智にたけた魔界の妖魔にはち
がいない。なぜかは知らず岩室からは姿を消したものの、このままのこのこと逃げ
だせるほど間抜けな連中ではないだろう。
 ダルガのように剣が使えれば、あるいは切り結んででも活路を見いだせるかもし
れない。それとも、リシのように人外の技を身につけてさえいれば、ガドルの監視
の目など幻術を駆使してくらませ、なんとか逃げだすことも可能だろう。だが、テ
ィアンにはどちらも遠く手の及ばない方法だった。
 ため息をついて、周囲を見まわす。もはや、なかば習慣的な動作にすぎなかった。
 が――
 ぎくりとして、ティアンは水中をあとずさった。
 薄闇にしずむ室の奥から、なにか黒い塊が流れよせてくるのを見つけたのである。
 ちぷたぷと水をゆらしながら、あるかなしかの流れに運ばれて、ゆっくりとそれ
は近づいてくる。
 ティアンは、息をのんで半身を立ちあがらせた。
 それは、魔獣の死骸であった。
 巨大な顎にはぞろりと鋭利な牙が立ちならび、この地下世界の呪われた生物の例
にもれず、不気味なほど蒼じろい皮膚をしている。団扇のような足ひれがぐったり
と力なくたれていなければ、ティアンは悲鳴をあげて逃げだしていたかもしれない。
 ごくりと喉をならし、ふとティアンは己れが水面から半身をさらしているのに気
づき、両手で胸をおおった。
 その白い胸は、きたるべき女への、母への萌芽を垣間みせて、かすかにふくらみ
かけていた。
 あわてて水面にしずみこみ、周囲に視線をはしらせる。
 ちいさく、悲鳴をあげた。
 岩室へとつづく天然の扉の陰に、人影がたたずんでいたのだ。
 ガドルの矮躯ではない。あきらかにそれは、人間の陰影だった。
 ドーラン・ファドか――水中をいざりながら、ティアンは背筋をふるわせた。
 予想ははずれていた。ある意味では、予想よりもひどかった。
 人影は、よろよろと石柱の陰から姿をあらわした。
 腐臭がするどく鼻をつく。
 白骨の露出する、というよりは腐肉のこびりついた二本の腕が、力なくさしださ
れた。
 地獄の亡者もかくやと思われるような、弱々しいうめき声。
 屍鬼が、眼前にたたずんでいた。
 かちかちと歯をならして、ティアンは立ちつくした。
 恐怖は、二重に増幅されていた。屍鬼への恐怖。もうひとつ。




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