#2899/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 93/ 2/23 4:15 (198)
死者の森(6) 青木無常
★内容
うながし、自身はティアンを追って河にむかった。後を追いながら、ダルガはリ
シの表情の変化の意味を考えていた。
ダルガの質問にほんの一瞬、リシの顔はひき歪んでいたのだ。――驚愕と、そし
て後悔とに。
四人は樹木さえおし流す勢いの急流に遮二無二さからいながら、流れおちる水の
壁をめざした。屍鬼の群れは伝承どおり流水におそれをなしたか、河原の突端にと
どまったまま、ただ虚しくうめき声をあげるばかりだ。
先行していた三人を追いぬいて先頭をいくダルガが、滝の手前で大きく息を吸う
と、ぞぶりと水のなかに潜りこんだ。後続の三人もそれにならい、潜水して滝の底
をぬける。
裏がわの岩をよじ登ると、そこにはたしかに洞窟があった。
暗い穴は、急勾配で底なしの地下へとつづいている。魔物が棲む場所にはふさわ
しかろう。
「火がほしいところだな」
ただひとり平然とした風のダルガが、つぶやくようにいった。火うち石はあるも
のの、全身ずぶ濡れで火を灯すことのできそうなものなどなかった。もとより洞窟
の内部はじめじめと湿っており、火だねになりそうなものさえ見あたらない。
「待ってくれ」
リシがいい、息が整うのを待って杖をかかげ、口中でなにやらあやしげな呪文を
紡ぎはじめた。
と、二本のリングをとおした杖のさきに、ぽっと蛍光が灯された。
光量こそ充分とはいえないものの、暗闇のなかを手さぐりで進むことを思えばさ
ほどの不便はなさそうだ。
「魔道の術か」感心したようにダルガがいう。「便利なものだな」
しばしの休息をとった後、一同はいよいよ洞窟の奥へむけて前進を再開した。
闇はねっとりとからみつくように重く、足もとはぬるぬるとして歩きにくい。
ようやくのことでひらけた場所に出た一行は、そこに広大なひろがりをもつ地底
湖を発見し、しばし呆然とそれに見いっていた。
実際、それは地底にあるとは到底思われぬ広大さであった。かすかなさざ波をた
ててひろがる水面は、ゆるやかな弧を描いて左右を縁どり、光のとどかぬせいもあ
ろうが対岸がどこにあるのかさえわからない。
「泳いでわたるわけには、いきそうもないな」
皮肉な口調で、ダルガがいった。
リシもティアンも、黙りこんだまま黒々とした水面を見つめるばかりだ。
と、そこへ、
「おい、見ろよ」
隻眼が指さすまでもなく、四人は湖の彼方から奇妙なものが流れてくるのを発見
していた。
ぎいぎいと音をたてて、一艚の小舟が漕ぎよせてくるのである。
漕ぎ手の姿は見あたらない。ただ、艫のところに固定された樛が、まるでからく
り仕掛けのように規則ただしく左右に揺れているだけだ。
ティアンは、ごくりと喉を鳴らしていった。
「森のあるじが、わたしたちを招待してくれたようだな……」
「……あまり受けたかァねえ御招待だなあ」
いって隻眼が、情けなさそうに顔を歪める。
舟は、四人の立つ水際に漕ぎよせると、ゆっくりと停止した。
小づくりな舟だ。二人か、三人乗り。四人が乗りこむとなれば、少々窮屈な思い
を覚悟しなければなるまい。
「念のために、結界をはっておきましょう」リシがいい、舟のかたわらに身をよ
せる。「白砂が水をふくんで使いものにならないから、さほどの効力は期待できま
せんが」
呪文を唱えつつ印を結び、うちふるような手つきで舟の四囲をまわる。
そして、同じしぐさで三人のまわりをめぐり終えると、ティアンの手をとって舟
に乗りこませた。
舳先と艫に、それぞれダルガと隻眼をおさめると、舟はまるで全員が乗りこんだ
ことを確認した、とでもいうようにゆっくりと進みはじめた。
地底湖は、異様な広さをもっていた。いくつもの鍾乳石がたれさがる天井は、は
るかに頭上だ。リシがかかげる杖の、はなはだ弱々しい蛍光では、はたしてこの湖
にはてがあるのかないのか、一向にわからない。
が、やがて左右にそびえる壁が徐々に間近にせまるにつれ、水にも流れが生じは
じめ、気がつくと小舟は音をたてて流れる急流に乗せられていた。
「なんてことだ!」ふいに、ティアンが天井を指さして叫んだ。「あれを見ろ!」
白い、繊細な指がさし示す方角には、火あかりに照らされてなにやらほの白い動
物のようなものが、無数に蠢いていた。
「なんだ、ありゃあ……」
ごくりと喉をならして、隻眼がうめくようにいう。
「ガドルじゃねえのか……?」
「魔神の使い魔のガドル?」ティアンがすっとんきょうな声でいう。「まさか!
あれは毛むくじゃらの小鬼、ときいたぞ」
「ガドルの変種でしょう」口をそえたのはリシだ。「遠くてよく見えませんが、
たしかに四本腕、一本角だ。この洞窟の内部の暗闇が棲み家なら、毛がぬけおちて
皮膚が白く変色するのも理にかなっている」
「とんでもねえところだ……」
弱々しく吐きすてて、隻眼は黙りこんだ。
「異常はないか、ダルガ」
リシが問いかけた。急流にはげしく揺れる舳先にたたずんだダルガは、右に左に
バランスをとりながら、黙りこんだままうなずく。
とそのとき――
ふいに、はげしい音をたてて前方の水面が左右にわれた。
水しぶきとともに黒い塊が疾風のごとく踊りあがり、ダルガを強襲した。
応じてダルガも剣をぬく。が――足場の悪さが災いしたか、わずかに機を逸して
いた。
ヒイーイーイー、アアア……
奇怪な喚声をあげて、影はダルガに牙をたて、もろともに水中に没した。
「ダルガ!」
叫び、後を追おうとするティアンを、隻眼とリシがあわてておしとどめた。
急流に運ばれて舟はぐんぐん進んでいく。ティアンは水面に必死になってダルガ
の姿をさがし求めたが、はたせぬまま流れは大きく弧を描いて視界をおおい隠した。
「なぜ……」
弱々しくつぶやき、ティアンはへたりと腰をついた。
「大丈夫だ」隻眼が、慰めるようにいった。「あの野郎、ただ者じゃねえ……」
自分でも信じているとはいいがたい台詞だった。
4
壮大な空間が、そこに広がっていた。
光苔のたぐいでもあるのか、岩室は全体にわたって燐光をはなっている。
湖岸に音もなく舟は漕ぎよせ、ここが目的地だとつげるようにして静止した。
三人は、呆然と目をみはったまま岸辺の岩に降りたった。
優に宮殿のひとつやふたつはおさまりそうな広さだった。天蓋を球状におおった
壁面には、びっしりと無数の瘤が生えでている。そして、いくつもの横穴が口をひ
らいている最奥部には、石でできた玉座のようなものがひとつ、しつらえられてい
る。
壁といわず天井といわず、無数に穿たれた小穴から、蒼じろい影がぞろぞろと顔
をのぞかせた。
「……ガドル?」
ティアンが不安そうにつぶやいた。
「変種のな……」
応じて、隻眼は剣をぬいた。
無数の白い影は、ぽたぽたと岩のうえに降りたち、猿のような身ごなしで三人を
とり囲んだ。
糞、とうめいて背後をふりかえり、隻眼は目を剥く。
「舟がねえ……!」
なかば予期していたように、リシが平然とうなずく。
ぎいいいああああああ
影のひとつが、神経を逆なでするような耳ざわりな声をあげた。
ぎい
ほかのガドルもまた、唱和するようにしてひしりあげる。
ぎ……
いあ……
ぎいいいいあああああああああ
いあああああああああおおおおお
ぎいいいいいいいいいいい
それがまともな生態系の上にあらわれた生物であるとは、断じて思えなかった。
まさに、怪物そのものだ。一メートルたらずの矮躯に、額からは体長に比して異
様にながい一本の角がするどくそそり立っている。裂けたような巨大な口には、異
常発達した鋭利な牙が針山のように乱立し、そのすきまからは汚物にまみれた吐き
けをもよおすような異臭を発するよだれが、だらだらとしたたり落ちていた。肩口
からは、きいきいと音をたてて前後にゆれる腕が合計四本、生えでている。そして、
透きとおるような蒼白の皮膚が、その化物の不気味さを一層きわ立たせていた。
黒目のないアルビノの双眸が、まるで見えているかのように三人にむけて集中し
――
いああああああ…………
鋭くとがった牙のあいだから、蛇のように二股にわかれたぬらぬらと光る舌をだ
し、異臭をまき散らしながら体毛がそそけだつようなおぞましい声をあげつづける。
いいいいいいいいい…………
いいいええええ…………
ふいに、絶叫があがった。
隻眼が耐えきれぬように飛びだし、狂人のごとく剣をふりまわしはじめたのだ。
習いおぼえた体術の、かけらをさえとどめぬ醜態であった。事実、猿のように身
軽に動くガドルたちの一匹にさえ、傷ひとつつけることができない。
「ひい!」
なさけない悲鳴があがった。
妖魔が数匹、いっせいに隻眼の背中にはりついたのである。
飛びだそうとするティアンの肩を、リシが強くひきとどめた。
そして二人は、目撃した。矮小な体躯に比して異様に巨大な顎がぐわりとひらか
れ、隻眼の肩の肉にぞぶりと牙を突きたてるのを。
ぎゃあ、と声をたてて、隻眼は地につっ伏した。
そのうえに、おり重なるようにして無数の妖魔が飛びかかった。
蒼白の肉の小山は、しばらくのあいだもぞもぞと蠢いていたが、やがて潮がひく
ようにつぎつぎに飛び離れはじめた。
そして残骸があらわれた。
かつては人間であったものの、残骸。白骨に食いのこしの肉片がこびりつき、ぶ
ちまけたように血が岩はだのあちこちを染めている。
ティアンは、こみあげてくる吐きけをおさえきれずに、背後の湖面にむけてうず
くまった。
妖魔たちはそんなティアンの醜態を、まるで讃えるかのようにしていっせいに耳
ざわりな吠え声をひしりあげはじめた。
「ティアン様……」
「……つぎは……わたしたちの番か」
気づかわしげに背に手をまわすリシに、からえずきの合間から苦しげにティアン
はいった。
そのとき――
ガドルたちのおぞましい詠唱が尻すぼみにとだえていくのに、ふたりは気がつい
た。
ふりかえると、妖魔の光をやどさぬ視線が、ある方向にむけられているのが見え
た。
――玉座の方角に。
「あれは――」
息をのむようにして、ティアンは言葉をつまらせた。
リシもまた、刺しつらぬくように鋭い視線をむけている。
フードつきのトーガが、玉座に腰をおろしていた。トーガの中身は――判然とし
ない。両袖のなかから針金のように細く蒼じろい手がのぞいているのを、かろうじ
て見わけることができるだけだ。身体はいうに及ばず、その顔もまた、フードの奥
の暗闇に塗りつぶされて、あるかないかもわからない。
その、長衣の男が――枯れ枝のような手をさしあげた。
「半世紀ぶりの客人かい……」
フードの暗闇の奥から、かさかさとしわがれた声が響いた。
ふたりをさし招くようにして、枯れ枝のような手がひらひらと上下にゆれる。
ふたりはしばしためらい――どちらからともなく、前にいざり出た。
すばやい身のこなしでガドルたちがさっと左右にわかれるのを尻目に、ティアン
とリシは玉座の男と正対した。