AWC 死者の森(2)       青木無常


        
#2895/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  93/ 2/23   3:58  (199)
死者の森(2)       青木無常
★内容
 「……おそらく」
 返答に、少年はしばし、考えるようにしてだまりこんだ。
 「何者か?」
 「まだ、なんとも」再び発された問いに、僧衣の男はやはり確信を欠いた口調で
こたえた。「ただ……」
 それきり、沈黙する。
 「ただ、なんだ」
 少年がいらだたしげに先をうながした。
 「並ならぬ力をもった男です」
 「われわれにとっては、好都合だ」
 僧衣の男は、眉をひそめて首をふった。
 「ちがうというのか」
 「わかりません。ですが……闇を呼びよせる男なれば」
 少年はこたえず、眼下に視線をもどす。
 「それに、もうひとつ」
 いいつのる男に、少年は不吉な予感をおぼえてふりかえった。
 「炎が、見えます」
 白髪の男は、いった。
 「……炎?」
 問いかえす少年に、男はしずかにうなずいてみせた。
 「不用意に近づけば――焼き焦がされるやもしれませぬ」

 銀光がひらめいた。
 一瞬のことだった。びょうと風がひき裂かれ、金属のぶつかりあう音が冴えざえ
と響きわたる。
 と同時に、両者はたがいから飛びはなれていた。
 痩せぎすがその薄い唇に冷笑をうかべた。
 それが――すぐに凍りついた。
 上っ張りの胸が裂け、露出した肌から一文字に血がしたたり落ちる。
 「やる……」
 隻眼のつぶやきが背後からきこえた。
 鞭の音とともに、ダルガが再度の攻撃に転じる。
 鬼神のごとき太刀筋を、痩せぎすはかろうじて寸前でかわし、反撃にでた。
 左手が長剣を薙ぎ、右手は――肩先から背後にまわる。
 斜めに打ちあげられた長剣が、傭兵の腕をかすめた。間髪いれず、二本目の大剣
が背中から跳ねあがる。
 ぶん、と風がうなり、刃が兜割りに打ちおろされた。
 ダルガはからくも受けて、跳ねかえす。そのまま、痩せぎすにむけて打ちかかっ
た。
 が――距離がたりない。
 腕のながさが、彼我の間合いに差を呼んでいた。交互にくりだされる二本の剣は
あやうくダルガのからだをかすめ、攻勢に転じさせない。痩せぎすの唇がふたたび、
笑いの形ににいと裂けた。緩急まじえ、八方から律動する痩せぎすの剣技には、た
しかに常人ばなれしたものがあった。
 ダルガは――ふ、と、鼻をならした。
 すばやく馬を退がらせ、長剣を肩ごしにひねりあげる。
 「おっ!」
 声をあげたのは隻眼一人だったが、驚きは居あわせたもの全員が共有していた。
 斜陽に刀身をきらりと閃かせた、とみえた瞬間、するどい音をたててダルガは―
―こともあろうに剣をうち投げたのだ。
 疾風と化して急迫する凶刃を、痩せぎすはあわてて大剣でなぎ払った。そして次
の瞬間には、驚愕と恐怖に、心臓を鷲づかみにされていた。
 眼前に、切り裂くような黒瞳がふたつ。
 剣を投げつけた一瞬に、ダルガは馬ごと痩せぎすのふところ深く侵入していたの
だ。しかも――
 その右手には、一瞬前に払われて遠く落下したはずの長剣が、がしりと握られて
いた。
 「ひ――」
 悲鳴と後退はともに間にあわず、閃光が痩せぎすの左腕をずばりと切断した。
 ほぼ同時に、痩せぎすは聞いた。突然に、情け容赦なく、すばやく訪れる死の音
を。
 白刃が首のわきにあたり、すうとめりこんでくるのを感じた。
 頚骨の、断ちわられる感触。鎖骨が砕かれ、胸骨に食いいり、肺を引き裂いて―
―疾風は一気に脇腹までかけ抜けた。
 血臭さえかいだように思えたとき、すでに痩せぎすの上半身は草生えの上にころ
がっていた。
 不信が沈黙を呼び、時が凍りついた。
 が、つぎの瞬間、
 「ぬうう!」
 咆哮が、闇を裂いた。
 「ぶっ殺してやる!」
 腹の底からしぼりだし、刀傷が手綱を打ちおろそうとした――その瞬間。
 「うひい!」
 間のぬけた悲鳴とともに、葉ずれの騒々しい音をたてて、路上に黒い塊がころげ
落ちてきた。
 「ひい! ひい! ひい!」
 狼狽してひとしきりうすらみっともなくころげまわると、塊は顔をあげた。
 樹上にひそんで街道を偵察し、さらにはあのみごとな射手の役をもつとめた男だ。
その、猿に似たいじけた面貌に、気の毒なほどの狼狽がうかんでいる。
 「ガタガタさわぐんじゃねえ! この腰ぬけめが!」
 首領格がにがにがしく怒鳴りおろすのへ、猿面の小兵はうひいと叫んで首をすく
め、そしてガクガクと背後を指さした。
 「しき、しき、しき、しき」
 痴呆のように、くりかえす。
 「なにい?」
 刀傷が、ぎろりと目をむいた。隻眼もまた小兵のさし示す方角にあわてて視線を
めぐらす。そして――
 「まだ陽は沈んじゃいねえ――」
 つぶやくようにいった。その口ぶりには、不審と、不安と、そして焦慮がこめら
れていた。
 ダルガもまた、示された方角に目をむけている。ただしそこには、狼狽など微塵
もない。
 猿面の示す方向――街道に深く生いしげる黒い森は、風にざわめいていた。
 ――否。
 風に、ではない。
 闇色に沈む濃い森陰の奥で、さらなる暗黒が蠢く。
 いくつもの――いくつもの、黒い人影。
 千万の、呪咀の詠唱が、かすかに響く。
 薄明の涼風に、屍臭が充ちはじめていた。
 「信じられねえ――」
 隻眼が、ぽつりといった。
 それが合図ででもあったかのように、無数の黒影はどっと街道にむけてあふれ出
した。
 と同時に――
 黒ずくめの傭兵ダルガもまた、かけ抜ける疾風と化した。
 手綱の音が高く響きわたり、四本の肢が力づよく筋肉を踊らせる。
 盗賊どもはたちまちとり残された形となった。
 「野郎!」
 怒号とともに、首領格もまた馬首をめぐらせ、勢いよく飛びだした。
 一瞬おくれて、隻眼もあとを追う。
 「へえ?」
 見捨てられたと理解もせず、小兵だけがとり残された。
 黒影の群れが、怒涛のごとく押しよせた。
 小兵は、猿に似た目を飛びだすほどむき出して、狂おしく喉をかきむしった。
 呪咀と慟哭の、力ないうめき声が充満した。
 喉をかきむしる手が硬直し、待望の悲鳴が張り裂けんばかりにして飛びだす。
 「ひいいいいいいいい――」
 その悲鳴が尻切れとんぼにか細く消えていくのへ、疾走する馬上でただ一人、隻
眼だけがちらりと一瞥をくれた。そしてふたたび前方にむき直り、弱々しく首をふ
りながらつぶやく。
 「屍鬼か――!」

 「屍鬼か!」
 目を見ひらき、少年はため息とともにつぶやいた。
 「はい」
 僧衣の男が、うっそりとうなずく。
 「本当にあの男が呼んだのか」
 「おそらく」
 先頭をいく黒ずくめの影を目で追いながら、少年は考えこむようにして顎に手を
あてる。
 「何者なんだろう」
 その問いは、傍らの男にむけられたもの、というよりは自分自身へ発されたもの
らしかった。
 「見当もつきません」白髪の男の声には、どこかもの憂げな響きが含まれている。
「おそらくは、ただの傭兵に過ぎぬでしょう。相当の使い手ではあるようですが」
 「――その、ただの傭兵に魅かれて、あの屍鬼の大群が陽光のもとに群がりでて
きたというのか」
 「逢う魔が刻、と呼びならわされている時間ではありますが」
 「使えそうか?」
 少年の口調がふいにかわった。
 「それは――」
 僧衣の男がいいよどむのへ、少年はなおもかぶせるように、
 「気にかかるか。妖魔を招来したことが」
 「はい」
 「とは――あの男、わたしたちにとっては凶の目か?」
 「……断言は、いたしかねます」
 「リシ」
 決然と、少年は男に呼びかけた。
 「……はい、若君」
 「巫術士たるおまえをも、迷わせるか、あの男は」
 巫術士は沈黙したまま、湖畔のように静かな双眸をじっと少年に向けるだけだっ
た。


 奴だ。あの傭兵だ。
 背後と前方を交互に見やりつつ、隻眼はにがにがしく確信した。
 森の辺境にでて五年。街道筋の盗賊稼業をつづけてきた。この辺地の周辺にかぎ
れば、あらゆることに精通している。とりわけ、この界隈でも最大の危険たる屍鬼
の出没には、能うかぎりの神経をそそぎつづけてきた。その彼にしてからが、この
五年間――いや、過去や伝説をもふくめて、噂にさえ日没前に連中があふれ出てき
たなどと聞いたことがないのだ。
 根拠はまるでなく、自分自身でさえ信じがたくはあったが、背後にいよいよせま
りつつある黒い塊となった一団を眺めやるにつれ、いよいよ確信は深まるばかりだ
った。
 先頭を切って奔るダルガの背中に目をむける。
 黒ずくめの旅装は、狂気のごとく必死にかける馬上にまたがりながら、まるで静
止してでもいるかのようにみごとな姿勢を保持している。
 鬼神のたぐいだ。
 もとより、自分もまた馬の背にあてる鞭に容赦はない。駆っている馬もまた、田
畑をたがやす駄馬などでは、断じてない。なにより、背後からせまりくる悪鬼の群
れから逃れるために、馬自体がもてる力の限界をこえて狂おしく走りつづけている。
 にもかかわらず、ダルガのうしろ姿はぐんぐん遠く、小さくなっていく。
 「糞ったれがよ……」
 悪罵もまた、奇妙に弱々しく響いた。
 傭兵を追う首領格に目を転じる。肩をいからせ、激しく鞭を打ちおろし、ギャロ
ップにあわせてその全身が狂ったように上下にゆれる。
 傭兵との距離は――ほとんど開いていない。どころか、いまやせまりつつあった。
 奇跡か……! 隻眼は思った。それとも、気力なのか。
 刀傷は、たけり狂っていた。十年来このかた、ともに剣をふるってきた仲間を二
人まで眼前で切り捨てられている。みはり役の猿面の、あのおぞましい死の原因を
呼んだのも奴だ。そしてなにより、若造がおのれの剣技を鼻にかけて、街道筋の盗
賊風情など歯牙にもかけない、といった態度が許しがたかった。
 が、どうにも憎々しいことに、彼我の距離は一向につまる気配もない。声をかぎ
りにわめき散らし、思いつくかぎりの悪罵を黒い背中にあびせかけたが、もとより
とまるはずとてない。
 「なめやがって……!」
 奥歯をきしり、ついに刀傷は手にした太刀をふりかぶった。
 渾身の力をこめて、投げつける。
 弓なりの弧を描いて、太刀が宙をつらぬいた。
 しかし――
 傭兵の背にとどくと見えた寸前、またしても無造作に、刀はふり払われて地に落
ちたのである。しかも――傭兵は、後ろをふりかえろうとさえしなかった。
 「むううう!」
 怒り心頭に発し、闘気に刀傷の全身がふくれあがった。
 そして、奇跡がおとずれた。
 背にのせた大男の激烈な変化を敏感に察知したか、馬の足が唐突に速度を増す。
 憎悪する男の背後にみるみる近づくとみるや、刀傷は狂喜にたまらない笑みをう
かべた。
 一気に距離がつまる。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 青木無常の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE