#2894/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 93/ 2/23 3:46 (199)
死者の森(1) 青木無常
★内容
【能書き】なんだかずいぶんひさしぶりといわれ、そういえばそうだなと思いあわ
ててこれをアップします。数年前に「ウイングス」なるマイナーおたく系雑
誌に投稿して落選した作品であります。ああ、そういえば今年もSFマガジ
ンの新人賞の〆切がせまっている。あああ、なにも書けていない。まったく、
いつまでも怠けてちゃいけねえやな。ではどうぞ。
死者の森
1
五人。
刃をおさめた四振りの鞘が、せわしなく左右にゆれる。
酒のにおい。斜視。舌なめずり。荒々しいうなり声。
「きやしたぜ」
樹上から、ささやき声がくだる。
「わかってる」
首領格が、いらだたしげにこたえた。額から顎にかけて、ふるい刀傷がざっくり
ときざまれいる。
樹陰にひそむ三つの影は、きたるべき凶暴な殺戮への予感を邪悪な笑みにかえて、
口もとを歪める。
夜がはりつめる。
かすかな地響き。
騎馬だ。それも、相当ないきおい。さもあろう、日没はもう間近にせまっている。
闇が世界をつつみこむ前に城門をくぐらなければ、命はない。
「ひとり」
斥候の報せに、あからさまな舌うちがはしる。
「格好はどうだ」
刀傷がぞんざいにきいた。
短い沈黙をおいてかえってきた答えは、一同にいっそう不機嫌な沈黙を招来する。
「男――黒ずくめの旅装。腰に長剣」
「傭兵だな」長身隻眼の男が、冷えびえとした声でつぶやいた。「ひきあげるか
い?」
首領格の刀傷は、いまいましげに顔を歪めた。額から顎にかけて、傷が醜くひき
つれる。
「胸糞悪ィ」吐きすてるように、いった。「血まつりだ」
隻眼は、だまって肩をすくめた。
武骨な長剣が四振り、街道にむけてぬき放たれた。
「傭兵だな」
こころよく湿った薄暮の微粒子を、すんだ少年の声音がかすかに震わせた。
「獲物としては下の下だ。連中、相当あたまに血をのぼらせているだろうな」
まだ変声期前の、少女のように透きとおった声の告げるごとく、薄闇につつまれ
はじめた街道に、複数の不穏なうごきが見おろせる。
「あまり声をお立てにならぬよう」
少年をいましめたのは、白い僧衣に身をつつんだ奇妙な男であった。
奇妙――そう、顔を見れば年齢はどうみても二十代後半。だが、腰までとどく長
髪は、一筋の黒とてないみごとな白髪なのである。
「あぶないのか?」
まだあどけなさの残る少年の問いに、白髪の男は慇懃にうなずいてみせた。
「わが結界も、これだけの邪気にはいささか役不足の感があります。さらには、
日没もまたこれだけ間近にせまっておりますれば」
「それほど長くはかかるまい」少年は気にとめた風もなく眼下を指さした。「見
て。移動をはじめた」
華奢で繊細な指先がさし示す先には、たしかに人影が街道筋から離れて人目にた
たぬ森陰へとすばやく移動していく姿があった。緊張が、ひそんだ闇をぴんと張り
つめさせているのが、遠目にさえわかる。
「焦っているようだな」
薄暮におぼろげにほの見える姿を眺めおろしたまま、少年はささやいた。
「無理もありません」白髪の男もまた、茂みの陰より見はるかす光景から、油断
のない視線を離すことなく答えた。「これで三組目。衛士たちの動向も気になりま
しょうし、なによりも闇はいよいよ濃くなりまさる一方。いかにならず者ぞろいで
も、この森にひそむ恐怖にはあらがえますまい」
少年は無言でうなずき、目をみはった。
茂みにおおわれた小高い丘の上からでは、街道周辺のようすは大雑把にしか見わ
たせない。夕暮れどきという悪条件もかさなって、街道筋にひそむ者の姿など見え
ようはずもないのだが、二人には苦にもならないらしい。
白い僧衣の袖が、少年の注意をうながした。
砂塵が舞いあがる。
二人の位置からは、街道を中心としたあたり一帯のようすが一望のもとに見わた
すことができる。深い森につつまれた山々の稜線がまじわるあたりから、すでにそ
の音の主が接近してくる光景を、少し前に確認していた。
眼下にひそむ盗賊どもは、自分たちの頭上に先刻からそのような観察者が二人も
居すわっているとは夢にも思ってはいまい。
陽がおちるまえの数刻、五人の盗賊は二組、計六人の旅人から金品を強奪してい
る。むろん、死体は背後の森に放置したままだ。昼なお暗い森の薄闇にまぎれて発
見されるおそれはまずないし、朝までにはそれも森の住人が跡形もなく消しさって
くれる。が、その二組からまきあげたものは、連中を充分に満足させることはでき
なかったらしい。さもなければいつまでも現場にぐずぐずしているはずがない。
丘の上の二人の観察者にしても、そのほうが都合がいい。そろそろ冬も近づいて
こようというこの季節に、明るい灯火と暖かい食事の待つ宿に背をむけて闇につつ
まれた茂みの中で目をこらしているからには、収穫なしに帰るわけにもいきがたか
った。
蹄の音が近づいてくる。
「用意はいいか」
喉の奥から絞りだすようなざら声で、刀傷が樹上を見あげる。
枝の間にひそむ影が、へい、と低くこたえた。
音が近づくにつれ、男たちの緊張もまた異様な昂まりをみせていた。異常な勢い
で打ちだされる蹄の連打に、なにか不吉なものを感じとったのかもしれない。
たしかに、その蹄の音は不自然なほど急いでいた。まるで、なにものかに追われ
ているかのように。
夕景に、騎士の姿が浮かびあがる。速いリズムをきざみながら疾走する馬上で、
闇から切りとったような漆黒の旅装に身をつつんだ騎士は、低くかがめた上体を微
動だにせず、ただ黙々と馬を走らせている。
落陽を背に近づいてくる騎士の姿は、幻想的な美しさをともなっていた。――そ
の背後に、なにかいいしれぬ不吉さをひそませた美しさだ。
――その光景を不吉、と感じさせたものは、不自然なほどの急ぎようや騎士のま
とった黒ずくめの旅装のせいばかりではあるまい。
だが、盗賊たちはそのようなことにはまるで頓着せずに、獲物が罠に飛びこんで
くる瞬間を待ちかまえていた。
突風が、森をごうと鳴らした。
その風がおさまるのを待って、樹上の男は矢をつがえた。狙いは、馬のほうにつ
ける。騎手を射てば、落馬した主人を見すてて馬が一目散に逃げさってしまう可能
性があるからだ。鞍にゆわえた革袋に貴重品をいれておく旅人もすくなくはない。
もう少し――射手は、はやる心をおさえてつぶやいた。もう少し引きつけたほう
が、確実に馬を射ぬける。
――いまだ!
ひょう、と風が鳴いた。
ときはなたれた矢は空を裂いて目標にせまり――
そのときふいに、ものすごい勢いで疾走していた馬が立ちどまり、前肢を大きく
跳ねあげた。
勢いはそのまま、矢はむなしく地におちる。偶然か――それとも、驚くべき直感
のなせるわざなのか。
射手はあわてて、第二矢をはなった。
「おお……!」
五人の口から、期せずしていっせいに驚きの声があがった。
馬上の騎士は薄闇をついてせまる矢を、いとも無造作に、手で払いのけたのだ。
「冗談じゃねえ」
つぶやいて、射手が三本目の矢をつがえようとするやさき――しびれを切らした
仲間がひとり、森から飛びだしていた。
「野郎」
凶悪な雄叫びが、夜気をふるわせた。迫る騎馬にむけて、全力疾走する。
蹄の音にあわせて、抜き身の刃が上下にゆれる。
むかえうつ男のほうも、馬上のまま剣をぬいた。その動作の間も、疾走するギャ
ロップのリズムはいささかも乱れない。
ふたつの影が急接近し、冴えた音を高々とひびかせて交錯した。
黒騎士の馬はそのままかけ抜け――盗賊の馬がたたらをふむ。
いななきと同時に、盗賊の首がぽろりと地面におちた。
「ぬう!」
叫びざま、首領格が街道におどりでた。間髪いれず、残りの二人も追随する。
三頭の騎馬に行く手をふさがれ、傭兵もさすがに手綱をしぼった。疾走の余韻を
あらい息にはずませて前肢を大きくふりあげると、馬は高くいなないて停止する。
馬上の騎士は、首を軽くたたいて馬をなだめた。
黒髪。
研ぎ澄まされた刃の双眸。
精悍な体躯。
そして手にした凶刃。
一目でそれと知れる傭兵だ。しかも、立ちふさがった凶賊どもにむけられた怜悧
な視線には、相応の年季がうかがえる。
刀傷がずいと進みでた。ぎりりと奥歯をかみしめ、黒ずくめの男にむけて抜き身
の刃をつきつける。
「頭」その背後から、声がかかった。「おれに殺らせてくれ」
首領格は傭兵をにらみつけたまま、数瞬、黙したままだったが、刀をあげたまま
後ずさって席をゆずった。
かわって、痩せぎすの男が前にでる。糸のように細い切れながの両眼をさらに細
めて、傭兵をじっと見やる。両の腕が、異様に長い男だ。手にした剣も、通常のも
のより何割か長い。
奇妙に朱の映える唇を、赤い舌でぞろりとなめ、低くいった。
「名前は?」
「ダルガ」
傭兵が答えた。深い、よく響く声だ。聞く者にある種の幻惑を与えるようなここ
ろよい響きである。ただし、その幻惑は――地獄からのものにちがいない。
痩せぎすの男はわずかにたじろいだが、余裕をよそおってさらに言葉をかさねた。
「馬からおりろ」
それに対するこたえは、闇の底から響きわたった。
「そこをどけ」
と。
その、静かだが圧倒的な迫力を秘めた物腰に、痩せぎすは一瞬、息をつまらせた。
へたに動けば、両断される――そう直感した結果の、本能的な行動であった。
が、その本能は、あっけなくプライドに凌駕された。痩せぎすは怒りに声をふる
わせて叫ぶ。
「そこをどけだと……? きさま、だれにむかって口きいてやがる!」
「きさまらだ」ダルガはあわてた風もなく、おちついた声で宣告した。「どけ。
さもなくば、命はない」
「修羅場が見られそうだ」
つぶやき、少年は隠れ場所から身を乗りだした。
「ティアンさま」とがめる口調が水をさす。「結界のなかへ」
いぶかしげに眉をひそめて、少年はふりかえった。
「あぶないのか?」
「これだけの邪気――お気づきになりませんか」
「でも、日没までにはまだ間がある」
「はい。ですが、どうか――」
哀願口調の裏に決然としたものを感じてか、少年はだまって従った。
ふみこんだのは、地面に描かれた円の内部だ。蝋燭を中心に、二人をとりかこむ
ようにして白い色の砂が、土の上にまかれている。そのさらに外周に、不可解な文
字が配されていた。レトア文字――古い、呪力を秘めた神聖文字。
「しかし、なぜだ?」
少年の問いに、さして不満げなひびきがないのは、白髪の男によせる信頼のあら
われだろう。
「あの男――」
それに対する僧衣の男のこたえは、どこか歯切れが悪かった。
「あの傭兵か?」
「――はい」
「この邪気と、あの傭兵との間になにか関係がある、と?」
しばしの逡巡ののち、白髪の男は無言でうなずいてみせた。
「腕は立ちそうだが、どう見てもただの傭兵だ」眉をよせて、少年は眼下を見お
ろす。「まさかあの男が、落日とはいえ陽の光のもとに、闇を呼びよせている、と
でもいうのではないだろうな?」