#2218/3137 空中分解2
★タイトル (FJM ) 92/10/ 2 0:24 ( 79)
「邪狩教団」第9章 リーベルG
★内容
9
光が戻ったとき、最初に目に入ったのはタイラント長官の顔だった。
「気がついたか」タイラントの無愛想な声がいった。
「ここは?」玲子は身体を起こそうとして、それが不可能なことを知った。首を動か
して周囲を見回す。病院の個室らしいが、寝ているベッドは高級ホテル並だった。タイ
ラントが玲子の疑問に答えた。
「佐伯教会だ」邪狩教団の日本支部のひとつである。カトリック教会だが、大病院並
の医療施設が揃っている。もちろん表向きは平凡な市民である佐伯氏の教会であり、日
曜には信者がやってくる。
タイラントが合図したのか、白衣を着た背の高い日本人の女性が、玲子の寝ているベ
ッドの脇に立った。玲子はその女性を知っていた。エイプリルというコードネームを持
つ、優秀な医師である。その名のとおり、春のように明るい笑顔を絶やさない。
「大変だったわね、ハミングバード。少し診察するわよ」そういってエイプリルは玲
子のパジャマの前を開いた。タイラントは玲子に背を向けた。
「あなたは16時間、昏睡状態だったのよ」聴診器を包帯に覆われた玲子の胸に当て
ながら説明した。「無意識のうちに止血はしたらしく、出血は外見から想像したほどひ
どくはなかったわ。全ての傷はもうふさがりかけてるわ。催眠誘導であなたの生命を刺
激してやったのが効いたのね。今は局部麻酔が効いてるけど、あなたの意識が戻ったか
ら、すぐに中和されちゃうでしょう。
このままなら、明日には身体を動かせるようになるけど、念のため明日一杯はベッド
から出ちゃ駄目よ。30分くらいしたら、暖かいチキンスープをあげるわ。今夜はそれ
だけ。明日の朝は普通の食事を出すつもり」
エイプリルは聴診器をしまって玲子のパジャマのボタンをかけてくれた。玲子の身体
を優しく起こすと、背中に枕をあてがった。そしてタイラントに声をかけた。
「終わりました、長官。それでは私は奥にいますから」
エイプリルは出ていった。玲子は乾いた唇を舌で湿して訊ねた。
「どうなりました?」
「レポートは代理に提出させておいた。君が訊いているのがそれならばな。S−村の
事件なら新聞を見ろ」タイラントは事件の翌日の日付の朝刊と夕刊を、玲子の膝の上に
乗せてくれた。
ページをめくる必要はなかった。見たい記事はどちらも第1面トップになっている。
朝刊の見出しは「テロリストグループ、50人虐殺」となっている。玲子は本文に目
を走らせた。秘かに日本に潜入したテロリストグループが、北海道S−村に逃げ込み、
無抵抗の村人全員を虐殺。その後、警察庁ライフル狙撃隊が送り込まれ、激しい銃撃戦
が展開されたが、テロリスト達は手榴弾と思われる爆弾で自爆、という内容だった。
夕刊にはテロリストの身元はわかっておらず、世界各地の過激派組織が相次いで犯行
声明を発表した事が述べられていた。どちらにもこの事件に人間以外の存在が関係して
いたことはもちろん、SEAL隊員の存在、機動隊が銃器を装備していたことすら述べ
られてはいなかった。
「ま、こんなとこでしょうね」玲子は別に失望も怒りも見せなかった。自分の任務が
華やかな脚光を浴びるような種類のものでないことは、充分納得しているのだ。真実を
日本国民が知っても何の益もない。
「敵の正体は催眠誘導で話してもらった」タイラントは立ったまま話した。「教団本
部の研究室は保管していた、《アル・アジフ》の外典−いや第2巻か−を調べてみた。
そちらはただの本だったそうだ。君が倒したのが全ての原型で、世の中に出た100部
は写本だったのだろう。それまで感じられた邪力が、君が敵を倒したのと同時に消滅し
たそうだ。
この作戦の大元はDIA(国防情報局)の特別チームだった。合衆国大統領でさえ、
そのチームの存在を知らなかったらしい。こんな無謀な作戦を立案した裏には<従者>
の影があったようにも思われるが確証はない。チームはすでに解散した」
DIAが情報機関としての自由意志で旧ソ連の研究所を襲撃したのか、それとも<従
者>にコントロールされていたのか。それは今後、大きな問題となってくるかも知れな
い。世界最大の軍事大国の最深部に<従者>が浸透しているのなら、容易ならぬ事態で
ある。
「あいつはヒットラーを操っていたとかいいました」玲子は昨夜の記憶を取りだした
。「この地上に暗黒の千年王国を打ち建てるつもりだったんですね」
「人間の憎しみ、排斥心、人種偏見、異なるイデオロギーに対する敵意。こういった
ものは<従者>が暗躍する格好の土壌だからな」
「ひとつ訊いていいですか?」
「何だ」
「ヒットラーは本当に自殺だったんですか?裏で教団の手が動いていたのではありま
せんか?もうひとつ、ソ連が崩壊したのは?」
「真実が決してわからないからこそ、歴史という学問は成り立つのだ」タイラントは
教師のように答え、置いてあったアタッシュケースを取り上げた。「エイプリルの指示
に従ってゆっくり休養してくれ。ご苦労だった」
タイラント長官は病室のドアに向かった。玲子はその背中にそっと呼びかけた。
「ミスター・ウィングリード」
長官の歩みが停止した。
「昨晩、私の名前を呼んで助けてくれましたね。ありがとうございました」
本名を呼ばれた邪狩教団の長官は、何と答えるべきか逡巡しているように見えたが、
結局そっけなく頷いて、振り向く事なくドアを開けて出ていった。玲子がその時タイラ
ントの顔を見る事ができていたら、照れたような優しい微笑が浮かんでいるのを知って
さぞかし驚いたことだろう。
FIN
1992.09.10