#1728/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (GVB ) 89/ 8/ 1 1:11 ( 80)
大型リレー小説>第一話 「プレイボール」 ゐんば
★内容
「ピシュッ」
松本喜三郎の投げた球は鋭いうなりをあげてキャッチャーのミットに吸い込ま
れた。
「よし、今日の練習はここまで」
「ありがとうございました」
喜三郎が水飲み場で顔を洗っていると、
「はい」
といって誰かがタオルを差し出してくれた。女子マネージャーの梅田手児奈だ。
「喜三郎くん調子よさそうじゃん。この分なら地区予選ばっちりだよ」
「うん、この頃なんか肩が軽いんだ」
「でも喜三郎くん調子がいいときに限ってポカやるんだから、気をつけなきゃだ
めだよ」
「去年もつまらないルールの勘違いで負けちゃったしな」
「ちゃんとルール勉強した?」
「まかせろよ。お前、こうみえても今年からキャプテンだぜ。二度と同じ間違い
なんかするもんか」
「だといいケド」
喜三郎は蛇口をいっぱいに捻って水を頭からかぶった。去年のぶざまな負け方
がまた頭に浮かんだらしい。
「手児奈」
びしょぬれの頭を拭きもせず喜三郎が言った。
「今年は勝つからよ」
喜三郎はそそくさとロッカールームに消えていった。
手児奈はユニホームの洗濯にとりかかった。
(でもほんとに)なかなか落ちない泥汚れをこすりながら、手児奈は考えた。
(一緒に甲子園行けたらな……でも)
ふと不安になる手児奈だった。喜三郎の野球にかける情熱は自分が一番よく知っ
ている。が、喜三郎は野球のことに夢中になるあまり他のことが見えなくなる性
格だった。
(ほんとにそれでいいのかなあ)
でも、今は大会前の大事なとき。
(ま、いいたいことは色々あるけど今は野球のことだけ考えてもらお)
そして地区予選が始まった。喜三郎率いる三本松高校は初日の第三試合、強豪
の米俵高校との対戦である。
(恐くてみてられない)大会規定によりベンチにはいれず、スタンドで見守る手
児奈も思わず目を伏せがちになる。スコアブックを開いたものの先発メンバーを
書き込むだけでも妙に緊張してしまう。そんなとき、
「梅田さん」
と声をかけてきた者がいた。
その頃グラウンドでは、審判が両校キャプテンを呼んで試合前の注意をしてい
た。
「……以上です。じゃ、先攻後攻を決めるからじゃんけんして」
喜三郎の顔に当惑の表情が走った。
「どうしたんだ、早くじゃんけんして」
「あの……じゃんけんってなんですか」
今度は審判の顔に当惑の表情が走った。
声をかけられた手児奈は顔を上げた。呼んだのは、三本松高の制服を着た男子
生徒だった。どこかでみた顔だが、名前が思い出せない。
その頃喜三郎は審判からじゃんけんの説明を受けていた。
「だから、この拳固が、石で……」
「ちょっと待って下さい。さっき拳固はグーだといったじゃありませんか」」
「だから、石なんだけど、グーと呼んでいて……」
「グーという名前のついた石ですか」
「いや、そういうわけではない。だからこの石が」
「それで結局それは石なんですか拳固なんですかグーなんですか。ああ、こんな
こと野球規則に書いてなかったじゃないか」
手児奈は相手の顔をじっと見つめて自信なさげに言った。
「杉野森……さんでしたっけ」
「ええ、天文部の杉野森弥三郎です」
「あの……なにか」
「ええ、実はちょっと聞いて欲しい話がありまして」
「あのお……試合前ですから」
「ぜひ聞いて欲しい話なんです」
その頃喜三郎は審判とまだ言い争っていた。
「つまり、グーと呼ばれる石を現わした拳固とチョキと呼ばれる鋏を現わす二本
指とパーという名の紙を現わした平手があると、こういう訳ですね?」
「まあ、そういうことだ」
「で、鋏は紙には勝つけど、石には負ける。これはわかります」
「うん」
「でも、なんで紙が石に勝つんですか。破けちゃうじゃないですか」
「う……ん」
「……うそでしょ」
手児奈は手に持ったスコアブックをとりおとした。
「そんなこと、……」
「ほんとです。梅田さん、僕は本気ですよ」
その頃グラウンドでは試合がまだ始まっていなかった。審判が喜三郎と一緒に
考え込んでしまったためである。
[つづく]