AWC お題>聞いて極楽見て地獄      YOUNG


        
#1727/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (BWA     )  89/ 8/ 1   1: 0  ( 84)
お題>聞いて極楽見て地獄      YOUNG
★内容

「いやぁ、ずいぶん山ん中だねぇ………」
オレは宿の玄関に入るなり、上がり框にへたりこんでしまった。麓の無人駅から2時
間、勾配はそんなに急ではないがゴツゴツとした山道を、初夏の陽射しにあぶられな
がら登ってくれば、疲れもしようというものだ。オレの声を聞きつけてか、奥からはっ
ぴを着た男性が小走りにやってきた。
「いんやまずお早いお着きで。はぁ、お疲れでしょう。さぁさ、上がらっしゃれ」
白髪頭をみじかく刈り込んだ、愛想のよい初老の男である。ここの番頭だろう。彼は
土間へおりると、オレの靴を脱がしにかかった。
「お食事も、すぐに用意させますが、まずは湯をおつかいくだされ」
「ああ、いますぐ頭から飛び込みたい気分だよ。ところで、部屋にコンセントはある
の?」
オレはそれだけが気がかりだった。電話などなくとも、いやない方がかえって好都合
だが、電気がきていないとなると、苦労してここまで運びあげたワープロが無用の長
物と化してしまうのだ。
「へぇ、そりゃもちろん。どんぞご自由に」
どうしてそんなことを尋ねるのか「「といった、キョトンとした眼をしている。
「いや、いいんだ。電気さえあればね………」
番頭は、ラップトップとは名ばかりのパソコンが入ったオレのボストンバッグを手に、
黒光りのする廊下を歩きはじめていた。

「ふううぅ………極楽、極楽」
老人のような物言いだが、オレはまだ30代の半ばだ。作家を生業としながらお恥ず
かしい話だが、この悦楽の境地をほかにどう表現していいやら思いつかない「「とい
ニ
うのが本音なのだ。まったくこの湯はすばらしい。湯壷はさして広くないが、澄んだ
温湯が黒ぐろとした滑らかな岩を洗って絶え間なくあふれ、沢をわたり木立をぬけて
くる風が、火照った身体をここちよく冷やしてくれる。体内のどこかに澱んでいたな
にか「「疲れとか悩みとか痛みといったもの「「が溶けだしてゆき、かわりに生気が
身体中にみなぎるようだ。東京に秋風が吹くころまでには長編を1本、うまくゆけば
そのほかに短編を1本くらい書きあげることができるかもしれない。そう考えながら、
オレはここを教えてくれた友人に感謝していた。

ここ数年の『秘湯ブーム』とやらで、オレのお気にいりだった温泉は軒なみ俗化され
てしまった。大学生の『温泉研究会』とか称する連中「「それも3組「「と同宿した
時など、あまりの騒がしさに、深夜2時に宿を発ったこともあった。しかしここは違
う。建物が古いせいばかりではないのだろうが、閑寂としていて安らぎをおぼえる。
もちろん、オレのほかにも泊り客はいるのだから、ときおり笑い声が聞こえてきたり、
廊下を行き交う足音が聞こえてきたりするのだが、それさえオレの心を和ませてくれ
る。温泉は、宿までふくめて評価すべきであり、ここはまさしく『名湯』だった。
「ごちそうさん。うまかったよ」
膳を下げにきた仲居さんに声をかけると、にこりと微笑んだ。モデルにするほどでは
ないが、なかなか美しいひとだ。まさかビール1本で酔ったわけでもあるまい。オレ
は愉快でたまらなかった。まったく、なんてすばらしいんだ!! 気の早いことに、
オレは来年も、いや冬になったらすぐにでも再来することに決めて、ここがマスコミ
に嗅ぎつけられないことを祈った。

それから1ヶ月ほどの間は何も起こらなかった。湯は、1日に5回入っても飽きるこ
とはなく、筆は軽やかに走った「「というより、指は軽やかに踊ったと表現すべきか。
ただ、目覚めは悪くなっていた。朝、起き上がることができないのだ。ひと晩ぐっす
り寝ても疲労感が残っている感じがする………。
(あまり長く風呂に入ると、かえって疲れるという話を聞いたことがある。少し回数
を減らすとするか………)
オレは朝食の箸をとちゅうで置き、ふたたび押入から布団をひっぱりだすと、横になっ
た。

そして………。

「うわ〜〜!!」
オレは絶叫した。枕に多量の髪がついているのを見て、なにげなく頭に手をやった「「
その手につかまれて、ぞろりと髪が抜けおちたのだ。オレは全身ががたがたと震える
のをどうすることもできなかった。恐怖のためだけではない。寒い「「真冬のように
寒いのだ。オレの声を聞きつけて、番頭がやってきた。
「どうしなさった………あんれ、こりゃまた………」
「ど、どういうことなんだ。これは、どういうことなんだよ!」
「そうですか………とうとう、お話せにゃならんようですの………」
「とうとうって………」
「10年前のことでござんした。なんの拍子か、とつぜん湯が涸れましてな。この宿
も閉めにゃならんようになりました」
「それとオレの髪が抜けることと、どういう関係………」
「それが、一昨年のことじゃったか、T電力さんから『ここに発電所をつくる』とい
う話がありましての、なんでも冷却に使った水が湯になって、たんと余るとか……」
オレは、たいへんな思い違いをしていたようだ。散歩の道すがら見かけた、こんな山
奥にひどく不似合いなあの建物は………。
「それまでは沢の水で自家発電しておった電気も、タダで頒けてくだされるとかの条
件まで出されましてのう」
あの白く輝く建物は………、タービンの回る音は地熱発電なんかじゃなく………。
「原発じゃというても、規模の小さいもんじゃから」
あいつが………オレにここを教えたあの男が勤めていたのは、T電力だったじゃない
か!
「まぁ、ラジウム温泉やラドン温泉がありますで、ウラン温泉やプルトニウム温泉が
あってもよかろうと………」
オレは気を失った。
ュ9驕@                  終




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