#1729/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (YHB ) 89/ 8/ 1 9:11 (119)
落選作>「三度目のファースト・コンタクト」 COTTEN
★内容
「はろ、はじめまして。」
「はろはろ、こちらこそ。」
これが僕らがかわした最初の言葉だったと思う。
僕はいつものように手持無沙汰でチャットのチャンネルを漂い、中身のない会話に静
かに身を委ねていた。それが僕にとって持つことを許された唯一の安らぎだった。
そんな時に僕は彼女と出逢ったのだ。
僕はしがない大学生。22歳の独身男性。彼女23歳、OL。独身。もちろんこれは
後々のチャットの中で知ったことだ。
僕は彼女の台詞の語尾にのぞいた女言葉で、彼女が彼女であることを知った。そうし
てほんのちょっぴり驚いた。もっともそれはたいした問題ではなかったけれど、若干困
ったのはチャットをする際に頭の中に作り上げてしまう男性のイメージを、彼女と話す
時はわざわざ女性のものに変えなければならないことだった。長年のネットワークの経
験が僕にそんな奇妙な習性を与えていた。
彼女は僕がチャンネルを覗くときまってその中を陽気に闊歩していたものだ。その活
発さには少々呆れ、おせっかいにも彼女の懐を心配したが、自分のことを振り返ってみ
て苦笑した。おたがいさまである。そのようなことを思いながらも僕は自ずからそんな
彼女のあとを追い掛けまわすようになっていたのだ。
彼女は気ままそのものだった。思い付くままに話題を玩び、右へ左へときりまわし
た。話題にのろうと思った瞬間、気まぐれにそれをかえてしまう。はっきりいって疲れ
る。でも、それが彼女の魅力の一つだった。
彼女とはよく”愛”について話し合ったことを覚えている。とはいってもその字面か
ら想像されるような”甘い”ものじゃない。むしろ討論といった方が適切だろう。彼女
はいつもむきになって”愛とは尽すもの、捧げるものだ。”などと言い張った。僕にと
ってはそんなことはどうでもよかった。彼女と話していられるだけで楽しかった。だか
らわざと反対のことを言って彼女を困らせてみたりもした。彼女のむきになってふくれ
る様子はそれだけで冷え切った僕の心をなごませてくれたのだ。
僕は彼女を僕のお気に入りのSIGに誘った。そこでも彼女はたちまち人気者になっ
た。その書き込みの凄まじさは僕を圧倒した。それでも彼女のチャットでの活躍ぶりは
まったく衰えなかった。僕は彼女を捕まえては果てしのないお喋りを続けた。
ある日、彼女はSIGのボードにしばらく休業すると書き込んだ。早速彼女のために
チャットでお別れ会なるものが開かれることになった。彼女はなぜ、いつまで休業する
のか喋ろうとはしなかったし、誰も聞こうとはしなかった。それは越えてはならない線
だった。
僕には彼女がいなくなってしまうということが信じられなかった。認めたくなかった
からチャットの席上でも精一杯の虚勢をはった。真夜中になって、一人抜け、二人抜
け、ついには僕と彼女の二人きりになってしまった。
「きっと戻ってくるわね。」
彼女はいった。僕は決まり文句を投げ返す。
「元気でね。」
ちがう。僕が言いたいのはこんなことじゃない。
心の奥からつぎつぎと言葉があふれてくる。僕は言葉をキーの上に激しく叩き付け
る。僕は指のもどかしさを呪う。ホストのレスポンスの遅ささえ腹立たしい。彼女の言
葉が妙に帰りたそうなのが悲しかった。僕は休む暇もなくキーを叩き続ける。彼女が困
っているのがわかる。わかっている。困らせるつもりじゃないんだ。CRTが霞んでみ
えない。でも手をとめる訳にはいかなかった。速く、速くもっと速く。お願いだ。もっ
と速く動いてくれ。
僕はいつしか両手拳でキーボードを叩き付けていた。拳が小刻みに震えていた。
再びディスプレイを覗いた時、既に彼女の姿はなかった。
惰性でネットを徘徊し、チャットの流れに身を任す。
無意味な会話にはとても耐えられなかった。そういう自分を思う度に彼女の存在を改
めて意識した。彼女はそこまで大きくなってしまっていた。
無意味に対抗するために再び無意味を装えるようになるにはさらに二、三ケ月の努力
を要した。僕はまるで亡霊のようにチャンネルを彷徨し、暇を玩ぶ人々にとりついた。
自分で自分を傷つけながら。
彼女の復帰は大胆かつ突然だった。ベルの音にせかされて取った受話器から流れる女
の声。その声の主はまさしく彼女だった。
「はじめまして!」
「は、はじめましてぇ?!」
彼女の気まぐれにはいつも驚かされる。いわく僕の本名とおおまかな住所から電話番
号を調べだしたのだそうだ。でも、そんなことはどうでもいい。彼女からわざわざ会い
にきてくれたのだ。それも”地声”で。
話し言葉では伝わらないニュアンスの伝達にとまどいながらも、なにもかも忘れて僕
は数ケ月のブランクを埋めようとするかのように喋り続けた。彼女の声は思ったよりも
まるく、やさしかった。少しハスキーなような気もした。
彼女の電話番号も教えてはもらったもののかけてみようとはしなかった。話している
ときに感じた若干のとまどいも理由のひとつかもしれなかったが、重要なことは彼女は
彼女でネットの向こう側に別の生活を持っているということだった。それに踏み込んで
まで彼女と話をしようとは思わなかったのだ。
もっともそんなことを考える必要などまったくなかった。彼女はその日からチャット
に出没し以前とまったくかわらぬ活発さを示したのである。
こうして僕と彼女の心のやりとりは復活した。僕たちは以前にもまして親密さをま
し、いろいろなことを話しあった。たわいもない噂話から人生論に至るまでありとあら
ゆることをである。
「せっかく教えてあげたのに、どうしてかけてくれないの?」
「え??」
「で、ん、わ。」
挑発的な態度におもわずたじろいでしまう。彼女はそんな僕の反応を見て楽しんでい
るようだった。ちょっとしゃくにさわる。僕は彼女の鼻をあかしてやりたくて反射的に
切り返した。
「いっそのこと・・いちど会ってみない?」
沈黙。カーソルが静かに瞬いている。
どうだ、まいったか。わずかな沈黙が僕のちっちゃなプライドを満足させた。そし
て、カーソルが動きだす。
「いいわ。」
へ? 思いもよらぬ返事に驚いてキーを叩く手を止める。
彼女が僕に会ってくれる?!
「でもね、わたしキティちゃんなの。」
混乱を極めた僕に彼女の言葉が飛び込む。なんでも、自分では思わないけれど友達か
らはキティちゃんそっくりといっていつもからかわれるのだそうだ。僕は苦笑しながら
言葉を返した。
「だったら、僕はモンチッチだ。」
横からそっと肩を叩かれあわてて振り向く。愛らしい丸顔の女性。それが第一印象だ
った。
「・・・さんですよね。」
「どうも、・・・です。」
不意に彼女が吹き出した。訳が分からずつったっていると、
「だって本当にモンチッチそっくりなんですもの。」
すこしムッときたけれど・・・見れば彼女もキティそっくりじぁあないか。顔が似て
いるというのではなく、雰囲気がキティそのものなのだ。
僕もつられて吹き出した。僕たちは通行人の目もきにせずにしばしの間笑い転げた。
一息ついて改めて自己紹介。
「えーと、はじめまして。・・・です。」
「こちらこそ、・・・です。」
彼女は悪戯っぽく笑って言う。
「ね、気付いてた?」
「え?」
「私達、”はじめまして”っていうのこれで三回目なのよ。」
「あ、そうだっけ?」
「そう。チャットで会った時でしょ。電話の時。それで、今。」
「へーんなの。」
僕たちは再び吹き出した。息もできないくらいの大笑い。
僕は笑いながら二人が最初に出逢った時のことを思い出していた。
「はろ、はじめまして。」
「はろはろ、こちらこそ。」
<fin.>