#1680/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE ) 89/ 7/13 1:36 (197)
ママ・テレビ 1 NINO
★内容
ママ・テレビ
NINO
「なあ《母さん》」
「なんだい」
春樹は言ってよいものか迷った。
「……あの男に復讐しなくていいのかい」
「人殺しをしろってのかい」
「《母さん》にやれなんて言わないさ。僕がするんだ」
「お前は人殺しになりたいのかい」
「お《母さん》。どうしてさ。なりたいわけないよ。ただ、《母さん》のことを思って
さ」
「私のことを? こんな私の為に? お前、気が狂ったんじゃないのかい」
春樹はテレビィを、そこに写し出される母の呆然とした顔を眺めた。
「いいかい。私はお前の母親なんかじゃない。私はとっくの昔に死んだんだよ。私を作ったお前が、一番よく解ってるはずじゃないか」
「そうだったよね。あんたは僕の作った電子機器だ」
春樹は自分が作った幻想の為の機械に『これは夢だ』と言われ、酷く虚しく、酷く可
笑しかった。
「誰か来たようよ。今正門と繋ぐから」
画面は切り替わり、母は死んだ。この屋敷全体を支配する巨大なソフトウェアが、彼
の作った孤独な電子機械を支配し、門の外に来た客と映像を結び付けた。
そこには長い髪を後ろに結んだ、一人の女が写し出された。喪服らしい。目が死んで
るみたいで、ただひたすら周りの光りを吸収しようとしているかのようだ。春樹はこの
女が父、海音寺龍の新しい妻であることを察した。
「どなたでしょう」
「吉本ミドリです。……あの、話は聞いておられませんか」
「ああ、吉本さんね。聞いてますよ」
キイパットを叩いて、門を開け、門を閉めると、春樹はカメラを切り換えた。それは
玄関までの道に立っている、二本の杉の木に仕掛けてあるカメラだった。顔つきといい
歩き方といい、割におとなしそうだな、春樹は思った。母を生き返らせて見せてやろう
この女が海音寺の三番目の妻なんだぜ。
彼がキィを再び叩くと、画面が分割され、母の顔が左に浮かび上がる。
「どうだい。《母さん》。よく見えるかい」
カメラをズーミングさせ、歩いてくる黒服の女を拡大する。
「ああ、よく見えるよ。あの人の趣味も、随分広いんだねぇ」
「そうだな。この間の水商売風の女に比べると、ずっと清楚で、可愛らしい」
「お前があのひとの女を、可愛らしいとか、清楚だなんて、そういう表現をしたことな
いじゃないか」
「見たままの比較をしただけさ。奴の女は、どうせ淫らで、ケバいんだ。そのうち化け
の皮が剥がれるさ」
「私もあの人の女だったんだよ」
「《母さん》は違うよ。《母さん》は特別だ」
「ちょっと偵察にいってくる。《母さん》も見ててよ」
「わかってるよ」
鍵を開けるキイを叩いてから、春樹は部屋を出て、玄関に下りた。そしてなにも会話
を交わさずに、その、荷物を持たずにやって来た女を《妻の部屋》に案内した。彼女は
『ありがとう』と言い、春樹がカーテンを開けてやっていると春樹に近寄ってきて『眺
めの良い部屋ね』と言った。池側に窓が開いているのは、この部屋だけなのだ。そうい
う様に、屋敷の部屋は、どれも違う景色を眺められるように工夫されている。そんな事
は春樹にとって極く当り前のことで、どうでもいいことだった。
春樹は何か言葉を探したが、思い付かず、そのまま部屋を立ち去ろうとした。
「ちょっと。貴方、お名前は?」
春樹は振り返ったが、答えなかった。
「お手伝いさんじゃないでしょ。貴方、海音寺さんの息子なの?」
「聞いていらっしゃらないんですか?」
「初めて口を利いたわね。良かった。自閉症かなにか、心の病気を持ってるのかと思っ
ちゃったから」
彼女は笑った。春樹にはそれが、酷くチャーミングで、可愛らしく思えた。屈託の無
い、純粋な笑顔。だが、彼はその背後に海音寺の顔を見たような気がし、腹が立った。
「病気じゃありません。口を利きたくないから、利かなかっただけです」
「私、なんにも聞いてないの。海音寺さんのこと」
彼女はベッドに腰掛け足を組み、髪をときながらそういった。春樹は組んだ足の白い
肌に、ちらと目をやり、はらはらと肩にかかる髪を見た。髪はきらきら光るように、艶
があって美しかった。それらすべての仕草は、嘘のないような、それでいて緻密な計算
の上になりたっているようだ。春樹はそう思った。
「だったら本人に聞けばいい。僕に聞きても、無駄です」
「ちょっとぐらい話ししてよ。私、口利くの久しぶりなのよ」
「何を話すんです」
「なにを、ですって?」
彼女はまたしても笑った。今度は微笑みというような、軽い笑いではなかった。おと
なしげな、最初の印象とは違う人間だ。そう思い、春樹は自分がむっとした顔をしてし
まったと感じた。自分は睨みつけるような顔をしていると。
「ごめんなさい。怒らせる気はないのよ。ほんとに。人に会うのが、久しぶりなの。そ
りゃ、全く無い訳じゃないんだけど。人間て素晴らしい、生きてるって素晴らしいって
そう思ったら、自分で自分が可笑しくなっちゃっただけ」
突然マジな表情をつくった彼女は春樹の顔をじっと見詰め、
「私のこと、何を聞いてる?」
「名前は吉本ミドリ。今度家に住むことになった」
「それだけなの」
春樹は肯く。
「情報量ゼロね。そんじゃ、まったくの他人同士ってわけよね。……まずは、貴方の名
前を聞こうかしら」
「栗本春樹」
「栗本? 息子さんじゃないのね。お手伝いさんかなにか?」
「妾の子」
「そうそう。そういう感じよね。義母にいじめられたりしてんでしょ」
「義母はいません。亡くなりました」
「ふーん。そうなの。それじゃ、あんたが殺したのね。きっと」
春樹は怒りが爆発しそうだった。殴ろうとする気持ちを、寸前でとどめて、彼はドア
に向かった。
「まってよ。家を案内してくれない。バスルームとか、食堂とか」
海音寺が帰ってくると同時に、女中や料理人達が家に集まってきた。春樹は海音寺の
書斎で、ミドリの事を問うと、海音寺は言った。
「彼女には身寄りがない。当分家に住まわせる」
「お前が妻に迎えるのかと思ったよ」
春樹がそういい終えると、海音寺は表情一つ変えず、殴った。春樹は口から血を流し
た。「《妻の部屋》に彼女を案内しといたぜ」というと、また殴り、春樹の目には涙が
溜まった。それを落とすまいと、彼は顔をあげた。
「おぼえとけ。これが、百五回目だぞ」
「これで百六回だ」
春樹は腹を殴られ、床に伏せてしまった。扉にノックの音がした。
「夕食の用意ができました」
「待て、部屋に入って春樹を担いでいけ」
翌朝、ミドリの荷物が部屋に運びこまれ、春樹はミドリに呼ばれて彼女のものとなっ
た二階の部屋にいった。
「お手伝いさんて、海音寺さんだけに付いているのね」
「ああ」
春樹は青あざの付いた顔を隠すために化粧をしようかとも思ったが、化粧の道具など
持ち合わせていないことに気付き、そのままにしていた。彼はミドリにはその顔を見ら
れたくなかった。昨日の夕食も今朝の食事も、自分の部屋で済ませ顔を会わせずに済ん
だのだが、海音寺が出社し、お手伝いがいなくなっては彼女の手伝いを断わる訳にはい
かなかったのだ。
「あいつは僕を憎んでるんだ」
「そうね。でも私のことは憎んではいないんでしょ。それじゃ、どうして私のためにお
手伝いさんを残してくれないのかしらね」
「奴はそういう人間さ」
そうは言ったものの、春樹は何か変だと思った。あいつはそういう人間じゃない。女
に冷たくする人間ではないのだ。女中を何人か残し、春樹の言うことは一切聞き入れる
なと命令すれば、女中はあいつの言うことに忠実に従い、ミドリの手伝いだけをするだ
ろう。何か、変だ。
「でも、私をここに住まわせてくれるわ」
シャツとジーンズ姿のミドリは化粧台の前に立ち、自分の姿を映して見ていた。体を
右にねじり、左にねじりし、髪を上げたり、横に流したりしている。縞のシャツは乱暴
に着ていて、身体をねじると襟元から、ちらりと乳房が覗く。春樹のペニスは立ちはし
なかったが、顔を見られたくないこともあって、下を向いた。
「あのさあ。海音寺さん、どうして私の部屋を替えさせたのかしらねぇ」
「昨日の部屋は《妻の部屋》なんだ」
「なるほど。でも、どうして私が海音寺さんの妻になると思ったのよ」
「いずれにしろ、最後はそうなるからさ」
春樹は海音寺に対する怒りがこみあげ、振り返ったミドリの顔を睨んだ。
「へえ。そうなるかしら。以前いた義母さんたちってそうやって奥さんになったの?
私は違うわよ。海音寺さんには恩があるもの。その上、奥さんにしてもらっちゃ悪いじゃない」
けっ、春樹は思う。なにが『奥さんにしてもらっちゃ悪い』だ。あいつの妻になれば
幸せになれるとでも言いたいのか。
「ま、そうゆうのって妾の子の発想よね。ボコボコに殴られて当然だわ」
「だまれ」
「はいはい。黙りますから。家具の配置、手伝ってよ」
ミドリは春樹にあれこれと注文をつけ、どの家具も一度で置く場所を決めなかった。
この家に住む限り不必要になる洋服ダンス、冷蔵庫や、食器の類もその部屋に持ち込ま
せていたので、二人はそれらを倉庫部屋に運ばねばならなかった。
昼飯をとることも忘れ、一心に様々な家具や小物と戦った。三時半を回った頃、よう
やく片がつき、二人は何か飲むために台所へ向かった。
「大きな冷蔵庫ね。思ったとおり」
「冷蔵室とまではいかないけどね」
二人は大きな瓶に入った牛乳を取りだし、コップを探すのが面倒だったという理由で
皿にあけ、飲んだ。
「なんか、猫みたい」
ミドリは笑いながらそう言うと、皿を床におき、四つんばいになって牛乳をなめ始め
た。春樹はただミドリがそうするのを黙って見ていた。そして考えた。この女を俺のも
のにすれば、あいつはどう思うだろう。あいつが俺を生ませたのと同様に、ここに住ま
せた女に手をだしたら、あいつはどう思うだろう。そんな考えを弄んでいるうち、春樹
は母のことを思い出していた。
春樹の母は、海音寺の最初の妻、智子の友人だった。そして、上京してきた春樹の母
を、ここに住まわせたのも智子が提案したことだった。智子が腫瘍のために入院をする
と、海音寺はそれを待ち受けていたかのように、母を犯した。母は春樹を身篭もり、智
子が退院してきたとき、それを打ち明け、春樹を生む決意を話した。智子はその子をお
ろせと迫った。なぜなら、智子が海音寺に命じて春樹の母を犯させたからだった。
「なにか軽く食べるものでも作ろうか。といってもこの冷蔵庫ん中見ちゃ、ヘビーなも
のしか作れないかもしれないけど」
「そお? 君がそんな事してくれる性格だとは思えないんだけど」
「別にあんたを憎む理由なんかないでしょ。いくら妾の子だからって」
「やめろ」
その言葉のせいで、智子が春樹たち親子にした仕打ちが心に蘇った。智子は自分に子
供が出来ないことで、異常なほど二人を苛めた。そして氷の張った池に春樹を突き落と
した雪の日。智子は春樹がばしゃばしゃ暴れるのを、部屋で眺めながら、ヒステリック
に笑っていた。母が気付いて、春樹を助けるために棒を伸ばし、ついに母も池に入って
ようやく助け出した。だが春樹も母も屋敷に入れてもらえず、庭から出ることもできな
かった。一人の若い女中が智子の言いつけを破って救急車を呼ばなければ、二人とも死
んでいただろう。
春樹は頭の中で、嵐が吹き荒れるようなめまいを感じた。そして、ミドリにつかみか
かり、押し倒し、その次にはシャツを脱がせていた。それはさっき四つんばいになった
時に見た、ミドリの乳房と汗が引き金なのかもしれなかったし、智子に繰り返し聞かさ
れ続けた海音寺と母にあった出来事のせいかもしれなかった。だが、今は春樹にとって
それはどうでもよかった。この女と肉体的に結ばれることによってしか、自分が救われ
ないような気がしていた。
ミドリは初めから抵抗しなかった。春樹はされるままのミドリを愛撫しながら、強い
敗北感とミドリに対する自分の歪んだ愛情を交互に感じた。ミドリのなかにはいり、春
樹が突き動かし始めると、彼女は小さく喘いた。春樹はミドリのなかで出すのにためら
い、外で射精した。春樹はミドリの身体を拭き、いたわるようにさすり、優しく抱いた
「あのさ。どうして私に触るとき、右手だけなの」
彼は不意をつかれ、起き直り彼女の目を見た。そして、少し笑い、言った。
「だから……僕は右利きだし、だから……右手はいつも面倒くさい仕事ばかりだろ。尻
を拭いたり、ドアを開けたり、字を書いたり。だから、こういう時、普段仕事してない
左手を使っちゃ、悪いじゃない」
「変な理屈ね」
「僕が考えたわけじゃない。どっかの誰かが言ったのさ」
「今度するときは、左手も使ってよ。それと、あせらないで」
「ああ、そうするよ」
つづく