#1681/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE ) 89/ 7/13 1:46 (179)
ママ・テレビ 2 NINO
★内容
ミドリは春樹の首にしがみつき、「いまして」と言った。春樹は左手で背中をさすり
ミドリの美しく、くびれた腰を抱いた。うなじにやさしく唇をつけると、ミドリは話し
はじめた。
「私、拾われた猫みたいなもんなの」
二人は口付けをし、横になった。
「両親をはやくに亡くしてね。祖父母に拾われ、今度はここに拾われた」
左手を無意識のうちに後ろに回していることに気付き、春樹はその手の置き場を考え
た。
「祖母が死んでから、しばらくは台所でぼーっとしてた」
「ちょっと待って。どっかで聞いたような気がする」
「いいじゃない。それより、また左手がお留守になってるわよ」
春樹はミドリの作り話を聞きながら、汗ばんだ身体を押し付けた。左手でミドリの乳
房に触れ、
「思い出したぞ。あの話しなら、君はクッキングスクール仕事し、海音寺の奴はオカマ
ということになる」
「あの小説、知ってるの? でも、本当の話」
「どこまで?」
「祖父母が死んだこと」
ミドリは春樹を握り、
「確かに台所って、不思議な魅力があるのよ。こうやって抱かれたいとは思わないにし
ても。私もぼーぜんと台所にいることって、よくあるわ」
春樹はこの会話からなにから、すべてが悪い冗談のような、陰湿なパロディのような
気がした。そして、そのシナリオを書いているのは、海音寺智子ではないかという妄想
めいた考えが浮かんだ。操り人形。やつが女中を残さないことも、ミドリが全く抵抗な
く自分を受け入れてしまうことも。
ミドリが春樹のモノを激しく手でこすり、残念そうな顔をするのを彼は見て取り、
「すぐはむりだよ」
「そのようね」
その日の晩の食事が終り、春樹は海音寺に呼ばれ書斎にいった。春樹はミドリと関係
したことを告げた。海音寺はなにもいわず、殴りもしなかった。不意に訪れた静けさに
春樹は苛立ち、ただそれだけが聞きたかったとでも言いたげだった海音寺の横面を、平
手で何度も叩いた。海音寺はようやく立ち上がり、春樹の手を掴み、殴った。
春樹は睨みつけながらも、海音寺の様子が変だと思った。海音寺が言った。
「百七回」
そして、顎で出ていけと合図し、春樹は書斎を出た。
「《母さん》」
部屋のテレビィをつけ、春樹は話しかけた。
「あいつの嫌がることをしてやったよ」
「そうかい」
部屋の明りは消えていて、春樹の描いた数百パターンの母の表情から、瞬間瞬間に選
ばれた顔だけがそこに映し出され、部屋を照らしている。
「いったい、どんなことだい」
「あいつの連れてきた女を犯したんだ」
それは事実と違うと知りながらも、春樹はそう言った。
「ああ、それなら見ていたよ。お前が見たけりゃ、ここで再生してやるよ」
「見せてくれ」
「見せてやるよ……でも、本当によくやった。お前は良い息子だ。私の一番大切なもの
だ」
「僕も《母さん》が一番大切さ」
「今用意するからね」
「うん」
春樹はテレビィに映る人の姿をした二匹の猫が、二回愛し合うのを見ながらマスター
ベーションをした。春樹はテレビィの前に胡座をかいて座っていた。そしてそうやって
モノをしごいている自分の姿を姿を想像すると、射精した。彼はテレビィの隅に映る母
が何度も「お前が大切だ」と言うのを聞いた。春樹には、そうやって母の前で一人です
ることが、ミドリと実際にした時よりも、正常で、すばらしいことのように思えた。
朝になると、春樹の顔の腫れはひいていたが、あざは消えていなかった。春樹は女中
に朝食を運ぶようにと言いつけたが、
「海音寺様の御言い付けで、今日は食堂にお集まりになりますようにと」
仕方なしに春樹は階下に下り、長いテーブルの端にいる二人のところに座った。
「何で下で食べなきゃならない」
「理由などない。お前は私の言うことをきいていればいいんだ」
「なんだと」
春樹は立ち上がり拳を握りしめたが、海音寺が立ち上がり、春樹に歩み寄ったために
それを振り下ろすことができなかった。
「百八回」
海音寺はそういって、春樹のあざの上に拳を重ねた。春樹はテーブルに倒れ、床に叩
きつけられた。ミドリはそれを何事もないかのように見ていた。起き上がるとき、春樹
はその視線に気付き、床に唾を吐いた。
何も会話がなく、春樹が故意にたてる食器の音以外は、部屋にはなにも音というもの
がなかった。海音寺といるときに感じる強烈な威圧感がないのを、春樹は無意識に感じ
取り、わけがわからず苛立ち、そのため自分の中にいつもの反発感も沸き上がらなかっ
た。やがて、その苛立ちが不安に変わっていった。いつもより余計に音をたてても、彼
は一向に落ち着かなかった。
料理人が帰り、女中達も仕事を終えて帰っていくころになって、春樹は海音寺が出社
していないのではないかと思い始めた。海音寺がどの部屋にいるのかも解らなかったが
いつもの迎えのリムジンを見ていないことは確かだった。
春樹はテレビィを付け、母を呼び出し、
「《母さん》。海音寺はまだ家にいるのか」
「アア、イルヨ」
「どうしたんだ《母さん》」
「ナニイッテルンダイ? ワタシハドウモシナイヨ」
どうしたんだ。春樹は母の声が、まるで機械のように冷たくなっていると思った。し
かし、それは自分のせいだと考えるしかなかった。初めから、この母は機械なのだ。も
う肉体を持った母はこの世にいないのだ。春樹は頬を二三度叩き、自分を戒めた。
「映してくれ」
「海音寺は今、書斎に居るよ。でも、海音寺はレンズに何か被せてしまっているんだ。
だから、映像は入らないよ」
「……《母さん》なら、あいつの思っていること、分かるだろう?」
「知らないよ。音を聞けば分かるんじゃないかい」
映像は映らない替わりに、確かに何か音が聞き取れる。耳をすませ、目を閉じ、じっ
とテレビィのスピーカーに神経を集中する。ようやく春樹がその音の意味を理解したと
き、がく然となってしまった。泣いているのだ。岩のように強い男、山のように寡黙な
男、成せば成る式発想をするあの男が、泣いている。
「泣いているよ。あいつ、泣いてる」
「そうかい」
「なんでだろう。俺がミドリを犯したことで、自分の罪を思い出し、涙を流したんだろ
うか」
「きっとそうに違いないよ」
いや違う。春樹は自分の言ったことを信じていなかった。春樹の母の相づちも同様に
信じられない。春樹はその理由が解らなかった。なぜ、そうじゃないと分かる。海音寺
たって、所詮はちっぽけな人間なんだ。どうしてそう思えるんだ、と。
「海音寺が部屋をでたよ」
彼はキィを叩き、廊下のカメラに切り換え、海音寺の後ろ姿を追った。海音寺は何も
持たずに玄関を抜け、リムジンのこない車回しをぬけると、正門に向かって、歩き始め
た。玄関先のカメラから、杉の木のカメラへと視点を移し、春樹は海音寺の顔を正面か
ら捉えようとした。その顔には既に涙はなく、彼本来の厳しい目つきが戻っていた。
そして海音寺は屋敷のほうを振り返り、春樹のいる二階の部屋を見やった。瞬間、春
樹は部屋の窓に向かっていた。急に立ち上がったためにめまいがしたが、そこから春樹
は海音寺を見詰め返した。海音寺は意味ありげに、手を振った。表情までは解らなかっ
たが、それが意味する何かを、春樹は感じた。
「じゃあな」
春樹は無意識のうちにそう言い、正門に向かった海音寺の後ろ姿に手を振った。春樹
は何もかも、ケリが付いてしまったと悟った。
ミドリが部屋に飛び込んできて、海音寺の事業がすべて破産したことを綿々と話した
この家はもう他人のものであること、今の海音寺には一銭の金もないこと、春樹にもな
にも残されてないこと。そして、ミドリの口座に三百万ほど海音寺からの振込がなされ
ていたこと、等など。
「つまり。あんたの面倒を私に見てくれってことよね」
春樹は黙っていた。あの男が敗北するなんて、あんな男がこの世の中で負け犬になる
なんて、彼には信じることができなかった。
「海音寺に『ざまあみろ』って言わないの」
『僕は海音寺の唯一の崇拝者だ』と怒鳴りそうになり、春樹は言葉に詰まった。
「今はあんたに考える余裕なんてないものね。あんたのひもを持ってた人が突然消えちゃっ
て、これから急降下するしかない凧とおんなじ。かわいそう。ああ、かわいそう」
「うるさい」
「なにが。同情してやってんだぞ。こっちは」
「静かにしてくれ」
「考えてる振りしたって無駄。海音寺さんも出てっちゃったんだから。私たちも出てい
かなきゃ。そら。出てく支度しよう。……二泊三日か。人生なんてこんなもんね」
ミドリはこの屋敷にやってきた日のように、『ゼロ』のような目をしていた。一所懸
命に打ち込んだデータを、『削除』の一語で無くしてしまったかのようだった。
「本当に今すぐ出ていかなきゃならないのか?」
「そりゃ、早いほうがいいでしょう」
春樹は《母さん》のことを考えた。この屋敷のシステムから切り離してしまうことが
はたして出来るのだろうか。出来るとしても、今までの《母さん》ではなくなってしま
うだろう。母さんをここに残して、自分が出ていく事なんて出来ない。
「《母さん》がいるんだ」
「母親のところに帰るってわけね」
「違うんだ。《母さん》は、そうゆうんじゃないんだ」
「じゃあ、なに」
「ここにいるんだ」
春樹はキイを叩き、《母さん》を呼び出した。
「なにこれ、ヘッタクソな絵」
「《母さん》 《母さん》はこの家から出いく? 《母さん》が残るって言うなら、僕
も残るよ」
「テレビに向かって喋ったって、なにも答えやしない。春樹。あんた気ぃ狂ったんじゃ
ないの?」
「《母さん》 何か答えてくれ」
春樹は無意識のうちにキイを叩いていた。
「私はここに残るよ」
「そお……それなら僕も残る」
「なにやってんの。自分で答え打ってさ」
「こんな女の世話になるこたぁないよ。春樹」
テレビィはそう答える。
「やめなさい、やめないと……」
「母さんはこのミドリって娘、気に入っちゃったよ。随分はっきりものを言うじゃない
か。春樹にはコウイウゥゥゥヨメサァァンガィィィ……」
「《母さん》に何するんだ!」
「あんまりあんたがバカだらよ。サイセラの替わりにコンピュータ使うのは知ってるけ
ど、これはどうやら違うわね。精神を余計悪くするみたい」
ミドリはコードをぐるぐる振り回して立っていた。春樹はミドリに突っ掛り、首を絞
めて揺すった。春樹は泣いていた。二人は崩れるように倒れた。春樹は首にかけた手を
放し、ミドリの胸に顔を埋めた。ミドリは咳き込んでから、言った。
「重症よ。あんた」
ミドリは天井を見詰め、春樹に服を脱がされながら言った。
「長くかかりそうね。……厄介な仕事だわ」
つづく