#458/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/11/06 18:56 (201)
対決の場 40 永山
★内容
「……理由を聞こう」
足を組み、椅子を軋ませた近野。遠山は得意げに続けた。
「メールのタイトルは何だった?」
「確か、『死へのパズル』だったな。それに番号が振ってあった」
「番号はこの際、無視してほしい。『死へのパズル』の一部を英語にして読み
替えれば、俺の意図が伝わるんじゃないかな」
「……なるほど。『dieへのパズル』のつもりだったのか」
ほとんど間を置かずに答えた近野に、遠山は目を丸くした。
「さすが、理解が早い」
「ヂエの事件を意識していたのなら、このタイトルを見ただけで、ヂエへのパ
ズル、つまり犯人へのパズルと気付くべきという訳だな。ただ、死はdieで
はなく、deathだぜ。気付かなかったのは、出題者側のミスのせいだ」
「固いことを言うな。分かっていてやったんだ。初心者相手に真剣にならず、
多少の欠点には目を瞑るという精神はないのかね」
お互いに声を立てて笑った。だが、長くは続かない。
「いい加減、始めてくれないかな、おまえが意見を求める事件について。ヂエ
の事件だということは想像がつくが、新しい展開でも? しかし、ニュースで
聞いた記憶はない」
「これから新しく展開するかもしれない、といったところだ」
遠山は身体の前面を近野に向けた。近野は回転椅子を離れ、壁に立て掛けて
あった別のパイプ椅子を持ち出すと、遠山の真向かいに据える。
「どうやら、目線を同じ高さにすべきようだな」
言ってから、座った。合成樹脂のひんやりした感触が伝わってきた。
「確かに、この方が話しやすい」
遠山は頷き、深呼吸をした。
「俺は刑事を辞めさせられたあとも、ずっと考えてきた。ヂエとは何者なのか。
そして推理の上で、一つの結論に達した。それを近野、おまえに聞いてもらい
たい」
遠山から近野へ、意志のこもった視線が飛ぶ。近野は受け止めた。
「よかろう。だが、その前に」
席を立つと、室内に備え付けの流し台へと向かう。コーヒー豆の缶とコーヒ
ーメーカーを引き寄せながら、遠山に尋ねる。
「コーヒーを入れさせてくれ。飲むだろ?」
湯気が立ち昇り、天井にさほど近付くこともなく、消えて見えなくなる。普
及品の豆で入れたにしては、漂う香りは心地よかった。
「単純に考えてみることにした」
カップに口を付けようとせず、遠山は始めた。顔の前で手を組み、近野から
敢えて視線を逸らす。
「この事件の被害者は誰か。若柴刑事を始めとする人々が殺されたのだから、
彼らが被害者なのは間違いない。加えてもう一人、ターゲットにされた人物が
いる。俺だ。異論はあるまい」
一旦、言葉を切った。近野の様子を一瞥し、再度、喋り出す。
「殺すのどうのではなく、晒し者にして、残りの人生をぶち壊してやろうとい
う狙いだな。名うての刑事でもない俺をターゲットにするのは、何か理由があ
るはず」
「ちょっといいか」
近野が口を挟んできた。遠山は黙って首肯し、発言を認めた。近野はコーヒ
ーを一口飲んでから言った。
「ヂエは、本当におまえをターゲットにしていたんだろうか」
「明白な事実だと思うが」
「ヂエの狙いが、最初からおまえだったのかという意味さ。来島以降はなるほ
ど、遠山竜虎を陥れようとしている節が見受けられた。だが、それ以前の殺し
は、分からないんじゃないか。四人目だったか、勝俣栄美子とは多少つながり
があったが、ただそれだけだ」
「言わなかったか? 初めてヂエから掛かってきた電話のことを。電話に出た
俺が遠山竜虎と名乗ると、相手は喜んでいた。電話でもその感じが充分に伝わ
ってきたんだ」
「しかし」
「この読みで当たりとすれば、ヂエが一人目の練馬政弘を殺害後、皮膚を剥ぐ
という過剰な残虐行為に及んだのかも、説明できる。さも重大事件が起きたよ
うに演出することで、大勢の警察官が捜査に投入されることを期待したんだろ
うさ。俺が陣頭指揮に立つ可能性が高まるように」
「分からんな。その理屈だと、練馬殺しは飽くまで発端で、その後に続いた殺
人を別口の事件と見せかける必要があるんじゃないのか。そうしてこそ、捜査
本部が事件の数だけ設置されるんだろ?」
「おや。こりゃあ近野らしくない」
わざと笑ってみせ、遠山は相手を見据えた。即座の返事がないことを見て取
り、理由を説明してやる。
「ヂエの犯行の一件目が、練馬殺しなのかどうかなんて、犯人以外には分から
ない。それまでに何件か殺人、あるいは他の重罪を犯しており、練馬殺しで俺
に巡り会った――こうは考えられないか?」
「ないとは言えないな。常識のスケールが通用する相手じゃない。ましてや、
そんなことのために、無差別に犠牲者を選んだとなると……」
「無差別じゃないらしい」
「何?」
「元部下だった男――といっても向こうが年上なんだが――から、捜査で明ら
かになった事実を得た。その一つが、練馬の仕事に関することだ。雅浪島には
二つの建物があるが、その建築に動員された作業員は、練馬の勤めていた会社
が派遣していた。そして練馬は、派遣した人材に関わる資料全てを扱う立場に
いたんだ」
「偶然かもしれない。その事実によって、練馬がヂエに殺される動機があると
なるのかい」
「ああ。屋敷と館、各々の地下室は、通路で結ばれていた。前々から公にされ
ていたのは地下室の存在のみで、通路は秘密にされていた。あそこで働く連中
ですら、知らなかった。秘密の通路を利用した犯罪計画を立てていたヂエは、
通路の存在が発覚するのを、なるべく遅らせたかった。だから、練馬を殺した」
「練馬を殺しただけじゃ、足りまい? 通路の存在を知る人物は、他にもいる
んじゃないか」
「ああ。島の外での事件になるが、建築家の見開利文が殺されている。雅浪島
の建物二つの設計を請け負った人物だ。島の食堂で毒死した姿晶は、この見開
の下で働いていた。詳細までは教えてくれなかったが、調べによると、設計図
を持ち出した節が見受けられるそうだ。ヂエの協力者だったが、用済みになっ
て殺害されたんじゃないかと踏んでいる。他にも、二番目に殺された逸見徳江
は、見開の行き着けの店に、短期のアルバイトで入っている。勝手な想像にな
るが、彼女もまたヂエの協力者で、見開の弱みを探るつもりでいたのかもしれ
ない。それがうまく行かなかったため、姿晶を操ったんじゃないだろうか」
「すでに亡くなった人を、想像だけで連続殺人者の共犯に仕立てるのは、あま
りよい趣味とは言えないぜ」
「しかし、偶然で済ませるには、多すぎるんだよ。ヂエに殺されたい被害者達
の何人かは、設計図という一点で結び付きが生じている。少なくとももう一人
いて、それは三番目に殺された武藤裕だ。彼はコンビニエンスストアの店長に
なる前は、肉体労働に従事していた。資料が失われたため確認に手間取ってい
るそうだが、雅浪島での建築に携わっていた可能性がある」
「それだけのつながりを、警察がなかなか突き止められなかったのは、大きな
失点だな。島に渡る前に把握できていれば、いくらでも対処のしようがあった
だろうに」
「秘密の通路の存在自体、知らなかったのだから、無理というもの……と、弁
護しておくよ。俺が言うと、言い訳に聞こえるだろうが」
「捜査に関与しながら、食い止められなかったという意味じゃあ、俺も同罪だ
から、ノーコメントだ。それよりも、ヂエの犯行動機がおまえの言う通りだと
したら、本末転倒じゃないか。殺人のために通路の利用を思い付き、その通路
の存在を隠すために人を何人も殺すなんて。しかも、通路の秘密を永久に隠せ
る訳でなし。いずれ明らかになるんだからな」
「確かに言う通りだが、計画終了まで隠せれば御の字だったのかもしれないじ
ゃないか。船が来るまで、昏倒させた俺を閉じ込めておき、人目から避けられ
ればいいんだからな。あとは船の到着後、荷物に紛らせて運び出すだけ」
「遠山、その主張を認めるにしても、まだ最大の疑問が残る。ヂエが通路の秘
密を一時的にせよ保ちたいのであれば、麻宮――さんを真っ先に狙ったはずじ
ゃないか。彼女は当然、通路のことを知っていたはずだぜ」
「ああ、知っていた。さあ、そこなんだよ。ヂエが麻宮さんの命を狙わなかっ
た理由を考えることで、いくつかの仮定を立てられる」
「ふむ、試しに俺もやってみよう。1.麻宮さんこそヂエである、2.ヂエと
麻宮さんが共犯、3.脅迫等で口止めされていた、4.ヂエは麻宮さんが秘密
通路を知らないと思っていた、5.ヂエは麻宮さんを殺したくなかった、6.
ヂエは麻宮さんを殺そうとしたができなかった……ぱっと思い浮かぶのは、こ
れくらいかな」
「4はあり得まい。逆に、本当は知らなくても、ヂエからすれば用心のため、
殺しておこうとなるはず」
「そうだな。6も可能性は低そうだ。面城に会ったり、おまえやもう一人の刑
事と一緒にいたりした時間が長かったが、それでも命を狙う機会はかなりあっ
ただろう。3はどうかな? 一応とは言え、ヂエの連続殺人が打止めになり、
秘密の通路の存在が明らかになったあとも、麻宮さんがヂエから脅迫されてい
たことを隠すものか否か」
「俺は、ないと判断した。無論、ヂエの正体は明かせないだろうが、本当に脅
迫されていたのなら、その事実ぐらいは話してくれたに違いない」
「まあ、そうだな。ヂエが迂闊にも、正体を明かした上で脅迫していたかどう
かは、別として」
「残る仮説は、どれも好ましいものじゃない特に、1と2は」
「感情を差し挟むのは――」
「待てよ。この辺りで、最前の話題を蒸し返させてもらう」
「最前の話って、どれだ」
「ヂエが俺を事件の前からよく知っていたということを、大前提として認めて
くれ」
「ああ、そのこと。認めてもいいが、するとどうなる?」
「別の角度から、容疑者を絞り込める。生き残った面々の内、以前から俺を知
っていたのは、部下の嶺澤刑事、麻宮さん、そして近野、おまえの三人だけだ」
遠山は再度、近野を見据えた。近野は驚いた様子を見せることも、笑い飛ば
すこともしなかった。極めて冷静な口調で、
「二つの考えを合わせると、麻宮さんが犯人と? 短絡に過ぎるな」
と評してきた。
「ヂエがおまえを前から知っていたという条件は、いいとしよう。だが、おま
えが犯人を前から知っていたか否かは、不確定。条件として認める訳に行かな
い。おまえと面識のない人物が、おまえを知っていた可能性は残る」
「さすがだ。そこのところを検討してみたんだが、島から外へほとんど出ずに
暮らしてきた人達とは、接点が思い浮かばない。そりゃあ、島に居着く前に、
何らかの事件絡みで接点を持った目は皆無じゃないが、俺の捜査のキャリアか
らして、この線も薄い。じゃあ、他に何がある?」
「俺には分からないね。だが、別の可能性を思い付いた。今度の事件の被害者
の中にヂエがおり、そいつの死後は共犯者が犯行を重ねていた。あるいは……
替え玉の遺体を用意し、殺されたふりをしたのかもしれない。それができるの
は、焼死体で見つかった角治子、双子のいる姿晶の二人かな」
「双子の妹、姿優は無事生存が確認された。姿晶との入れ替わりも不可能だ」
「ほう。では、角治子の遺体もDNA鑑定で、本人と特定できたか?」
「使える試料が乏しく、難しいようだ。血液型やその他、分かる範囲内での身
体的特徴は一致しており、焼死体は角治子と捜査本部は結論づけたがね」
「つまり、今、俺が示した説は、ほぼあり得ないってことか」
「つまり、俺が示した説は、ほぼあり得ないってことか。近野の話を聞いてい
ると、違和感があるな。好ましくない仮説だと言った割に、麻宮さんへの容疑
を濃くしてないか?」
「ところが、そう単純でもない」
近野の今の言葉を待ちかねていた遠山は、いよいよ自説の本丸を開陳する。
「恋は盲目なんて歳でもないしな。ヂエが麻宮さんを殺さなかった理由に関す
る議論で、ヂエが麻宮さんを殺したくなかったというのを挙げていたよな?
それに当てはまる場合がある。おまえがヂエである場合だ、近野」
「理屈を聞こう。おまえの論理展開をな」
近野は依然として焦る風もなく、動揺の欠片も見せず、先を促した。淡々と
受け止め、いつもと変わらない反応を返してくる。
「おまえなら、麻宮さんを殺せない。彼女が秘密の通路を知っていようが、知
っていまいが、関係なく、殺せやしないさ。こと、麻宮さんに対してなら、お
まえは俺と同じだから、手に取るように分かる」
「面白い。確かに、殺せはしない」
「もしも彼女が、事件の早い段階で秘密通路について言及するようなら、それ
はそれで仕方がないと考えていた。次善の策を用意していたんだろう。思い返
してみれば、秘密の通路が用をなすのは、俺を監禁しておくときだけ。他は、
絶対に必要という訳ではない」
「俺が部屋で寝ているところを襲われた件は?」
「自作自演とすれば、避難用の地下通路は無関係じゃないかな」
「俺自身が犯人の格好をし、造り物の俺の頭部を抱え、窓から逃げたってか?」
「充分、可能だろ」
「その後、地下の冷凍庫で俺は発見される訳だが、狂言なら、いかにして誰に
も見られずに冷凍庫に入り込んだと言うんだね?」
「……前言撤回。地下通路を通って、冷凍庫に行った」
想定していなかった反論に、遠山は渋面をなし、取り繕った。そこをさらに
近野の指摘が衝く。
「地下通路を利用しようにも、入口があるのは屋敷か館だけだ。人目に付かず
には済むまい」
「……証拠はないが……恐らく……現場である部屋に舞い戻ったんじゃないか」
考え考え、推理を組み立て、吐き出していく。
――続く